note定期購読『夜半の月極』のためのノートでした。
「三度目のパリ」というテーマで旅日記を更新します。過去の写真整理がまるで追いついていないので、順次更新通知が飛びます。普段は自分用に書いているようなメモ。実在の人物団体等が頻繁に登場し、いちいち許諾も取りようがないので、有料課金コンテンツ化がふさわしいだろうと考えました。感想をお寄せいただけると大変励みになりますが、購読後も具体的なエピソードについては口外無用でお願いできればと思います。
11月24日(土)。朝からテレビのニュースは「 #GiletJaunes 」のことでもちきり。凱旋門からシャンゼリゼ通りまでは黄色いベストのデモ隊が練り歩いて封鎖されるので近づかないように、というような勧告を聞き続ける。私は徹夜明け、時差ボケもあって夫婦ともに本調子ではない。宿至近の中華料理屋「Plats A Emporetro」で雲呑麺と鴨肉麺を啜る。外国暮らしが長くなると、美味しい中華料理屋の見分け方が上手くなる。あたたかい醤油味のものを食べると心身ともにものすごく回復する有難味にも気づくのだ。マレ地区をフラフラして、夫のオットー氏(仮名)は一目惚れしたマフラーを買う。昨晩巻いていたマフラーはタクシーの中に置き忘れたそうだ。来週泊まるホテルを下見して、ラウンジで喫茶、私はギリギリまで仕事。
SaintPaul駅から地下鉄に乗ってパリ日本文化会館に向かうつもりが、1号線は臨時ダイヤでデモ隊のルートと重なる封鎖地区はすべての駅を飛ばして運行している。同じ車両の中に、ナップサックから黄色いジレを取り出しエトワール広場に着くと同時に羽織ろうとしていた若者がいて、一緒に目的地をスッ飛ばされて一緒に狼狽していた。14時台から来るのは出遅れすぎだろう。Porte-Maillot駅でようやく降りられたものの、タクシーは捕まらないだろうということで、近所にある駅からRERに乗り換える迂回ルートをとる。慌ただしい移動の途中、凱旋門を取り巻く黒煙が見えた。けれどもエッフェル塔は呑気に観光客を吸い寄せていた。彼らデモ隊が投擲する敷石は、かつてフランス革命で引っこ抜かれたのと同じ敷石なのである。もちろん完全には同一ではないけれど、ずっと同じことが繰り返されている。キナ臭いってこういう匂いのことだよね、と鼻をひくつかせ、あちこちにトリコロールがはためいているのを遠く眺める。
開演ギリギリに滑り込んだマームとジプシー「書を捨てよ町へ出よう」大千穐楽も、また素晴らしい出来。地下三階にある270人収容の劇場で、「さようなら、起こるはずだった革命」というような台詞を聞きながら、地上で上がっていた火の手に想いを馳せる。
「ComptoirPrincipal」で祝杯、秋のサラダボウルを分けながら感想戦、19時からの会館での打ち上げに顔を出し、こちらでも祝杯に参加。藤田くん香菜やんのほか、青柳さん、実子ちゃん、波佐谷くん、ゆり子ちゃん、尾野島くん、NHKのディレクター氏、文化会館スタッフの副島さん、佐藤緋美くんや中島広隆さんともちらりと挨拶。苦楽を共にしたスタッフだらけのなか、「あいつは何者だ」と噂になっていたらしく、テクニカル通訳のモモちゃんと呼ばれている男性から話しかけられたりする。「平たく言うと、NYから来た、ただの友達です」というまっとうな紹介を受ける。タクシー帰宅。マフラーは戻ってくるみたい。
11月25日(日)。夫婦揃って体調を崩したので休養日にする。仕事と外食だけ。宿至近の「L’Acanthe」でアンディーブのハムたまご巻き、オニオングラタンスープときのこだかチキンだかのリゾット。美味しかったが店員のアジア系女子がやたらとドジッ子だった。他人種に囲まれていると中学生くらいに見える、んだけど、それは私も同じこと思われているのだろう。滞在数日目にしてようやく気づいたのだが、宿があるのはマレというよりはレアール地区で、新しくなったフォーラムデアールの中を散策。まぁ、ショッピングモールは世界のどこの国も同じという感想。六本木ヒルズと渋谷109を足して二で割ったような感じ。近所の「Vertus」というジュースバーがものすごくよい。
レアール地区って、ひょっとして『レミゼラブル』の聖地巡礼できるんじゃないの? と思って調べたら、宿の真ん前の通りが、ちょうどバリケード築かれたあたりだった。今はレアール城下町という感じで、だっさい土産物屋とか、安くて美味しそうな居酒屋とか、アダルトグッズの店とかしかない。空の椅子とテーブル、見る影も無い……。で、その中の一件「French Guinguette」で軽く夕食。焼きカマンベール、キッシュ、ブフブルギニヨンにエーデルワイスと地ワイン。ビール頼んだらハッピーアワーで安くなると言われて、調べたら15時から閉店する深夜1時頃までがハッピーアワー。ニューヨークでは夕方の2、3時間くらいだけを指す言葉なのだが、結構こういう店が多い。「ハッピーとは?」と考えさせられますね。
11月26日(月)。「Vertus」のジュース飲んで、夫のオットー氏(仮名)の大好きなミロの回顧展を観にグラン・パレへ。マイケルジャクソンの展示もやっていたのだが、これだけ美術展が多いとさすがに優先順位が下がる。私がいいと思う作品、すべてNahmadCollectionの所蔵で、誰かと思って調べたらユダヤ系シリア人の富豪であった。趣味がいいな(上から目線)。ランチも館内で済ませる。スペイン縛りの限定メニューができていた。あちこちで供される、こっくりしたポタージュ風スープがどれも本当に美味しい。
隣に上品な老夫婦が座っていて、店員が我々にコニチワ、アリガト、と話しかけるのを聞いてから、ずーーーーっとこちらを観察し続けている。擬音を書き込むなら「親日〜ッ」という感じ、話しかけては来ないのだけれど、四つの眼球から贈られる好感ビームを浴び続けてちょっと元気になった。クロークの横には課外授業で来ているチビッコ軍団。英語で喋る子供のことはもうそんなにカワイイとか思わないのだが、フランス語でピーチクパーチク騒いでいる子供はまだまだかわいく感じる。何を言っているのかわからない舌足らずの言葉は、そういう鳴き声の動物みたいに見えるのだ。
ここから私はルーヴル近くのAnticafeというコワーキングスペースに移動して終日仕事。ネットカフェと同じ仕組みで、半日24ユーロでWifiと電源が取り放題、カフェ飲み放題、スナック食べ放題。一階は激混みだったが地階はガラガラで堪能した。ところで私、入場時に渡されたカードを紛失してしまい、顔面蒼白、大慌てで探し回り、何度目かの正式なお詫びを入れて、こちらから「何なら弁償します」と頭を下げたところ、レジの女子店員がニンマリ笑って「これでしょ」「紅茶のカウンターにあったのよ、次から絶対やっちゃだめよ」と出してきた。意地悪だけどニコニコ優しく、でもやっぱり意地悪、絵に描いたようなフランス人ステレオタイプというか、少なくともこの「相手の出方を待ちながら真相を知る一人だけニマニマ楽しむ」感じ、NYでは考えられないよな。みんな正解を知ってたら黙っていられず、すぐ教えてくれちゃうもんな。
別行動の夫はポンピドゥセンターのキュビズム展がとてもよかったとのこと。野田岩でうなぎ。普段あんまり贅沢な外食をしない我々、「ニューヨークでは食べられない、パリならではのもの」について考えると、こってりフレンチのフルコースなどではなく、うなぎになるのだった。信じられないほど美味しかった。何なら東京で食べたうなぎよりも美味しかった。地元の家族連れやカップルも、観光客風の人たちも、非日本人がひしめいている。ほっとくとそのうち絶滅してしまう種ではあるが、世界中からバッシングされても持続可能な鰻食文化のためにできることをしたいと思うし、フランス全土は無理でもパリの人だけはそんな我々の努力に同調してくれるのではないかと思った。
帰投後、まだまだ仕事。スノッブホテルの夜勤フロントは二名いて、変圧器を貸してくれたシャイガイは英語をほとんど話さず、朝までラウンジを使っていてもまるで私に干渉してこないのだが、もう一人のほうは日本語を独学で勉強し、ワーキングホリデーの行き先を日本にしたいと画策して、下見の旅行にも行ったというちょっと変わったギーク男子で、私が一人で館内をうろついていると(夫のいない隙に)めちゃくちゃ話しかけられて、つかまるとなかなか離してもらえない。この日も朝まで作業していたのだけど、こちらをチラチラ窺っては、イヤホンを外したりキーボードから手を離したりするたびに話しかけてくる。
「オヤスミはタメ口、オヤスミナサイは敬語。じゃあ、オハヨウの敬語は、オハヨウナサイ、でしょ? 違うの、ゴザイマス? じゃあなんでオヤスミゴザイマスって言わないの?」と敬語の法則性について質問され、「語尾につければ必ず敬語になる、というような便利な言葉はない(!)」「今のレベルなら、下手な敬語を使うよりはタメ口でガンガン話しかけたほうがいい」といった説明をする。ひたすら「(安易な習得は)諦めろ」「相手に通じること優先だから、まずはタメ口のフレーズ丸暗記でいいんだ」「日本人があなたの質問に返事してくれないのは、あなたの日本語が聞き取れないからで、敬語を使わない無礼者だからじゃない。聞き取ってもらうためには、今はなるべく装飾を排した短いフレーズのほうが効果的なはずだよ、落ち込まないで」と慰めた。これって日本人の外国語習得でもそうなんだよなー。「Could you tell me where is~?」なんて繰り返してる暇あったら「Restroom???」ってキョロキョロしてみせたほうがいい。
フランス人はフランス人なりに「英語の発音が難しい」「咄嗟にフランス語の単語しか出てこない」って悩んでいるようで、「インフォルマシオン」とか「レゼルヴ」とか、私は脳内で英単語に置換して普通に聞いてるんだけど、本人は「またフランス発音しちゃったー! アクセントが拙くって恥ずかしいー!」と大騒ぎする。巻き舌のRで。共通の単語がほとんどなくてLとRも覚束ない日本人にしてみれば贅沢な悩みなんだが、向こうはお互いの英語のできなさを「等しい」と認識していて、「あんなに複雑な日本語を話す民族に比べたら、俺のほうがよっぽどアドバンテージがあるのに、同じくらい下手だ」というのを気にしているんだよな。
お店でも、非常に美しい発音で「Sorry, I don’t speak English… Only French…」と断ってくる店員がいる。ニューヨークでトンチキな英語にすっかり慣れてしまった私にしてみれば、単語の羅列だけで意思疎通には何の問題もないので、全然平気、まったく気にしないよ、聞くよ、聞き取るよ、と思うのだけど。ものすごく恥ずかしがる、あの恥じらい方、まるで日本人みたいだ。きっと母語に対する意識やプライドの高さからくるんだろうな(少なくとも私はそうなので、そう考えて親近感を抱く)。
去年行った南仏の観光地、ニースの飲食店の店員のほうが、よっぽど堂々とトンチキ英語で商売していたと思う。15年前初めてパリに来たときは、フランス語の数字の数え方はエグすぎるだろと途方に暮れていたけれど、15年後の今は、慣れた数え方を慣れない英語で言い直そうと必死の若い店員に、私が助け舟を出すまでになっている。
11月27日(火)。二時間くらいしか寝ていないぼんやりした状態で、どのようにか地下鉄を乗り継いで、ブローニュの森に程近い「LeBois」でランチ、スープとサラダを二人で分けて、カプチーノにプチガトーがついてきて腹一杯。この日はマルモッタン美術館へ、印象派に詳しい夫のオットー氏(仮名)に導かれて、モネの「睡蓮」とベルトモリゾの企画展を観に。私は初めて来たので常設も堪能、ここ数年のうちに地下が大改装されていたらしい。私はマネが好きで、印象派については昔はまるで良いと思わなかったのだが、だんだん良さがわかってきた。フィラデルフィアでバーンズコレクションを観たおかげなんじゃないかな。あれ以来、ものすごく目の解像度が上がっている気がする。それからリュクサンブール美術館でミュシャ展。オタクの例に漏れず中二病時代にさんざんお世話になった身としては、「スラヴ叙事詩」が観られないんじゃ消化不良という感じ。とはいえ、夫がミュシャについてほとんど知らないというので、フランス語しかない解説文の代わりにすらすら説いて回る。三つ子の魂百まで。状態の良いポスターと下絵を見比べられるのはとても参考になった。
「Ambassade de Bourgogne」でワインのテイスティングして、私はやっぱりうるさいくらい自然派とされる味が好きなんだろなと思うなど。こんなところにまでクロネコヤマトのワイン便が食い込んでいることに驚く。のち、陽子さんに教わった「Huguette」で生牡蠣とスープドポワソン。電源が取れて、しろくまがいた。写真撮影5ユーロ(嘘)、と冗談を飛ばされる。生牡蠣があまりに美味しいのでおかわりしてしまう、やはりNYとは心構えがまったく違う。価格1ドルとはいえNY風の牡蠣は物足りない、あんなちっこいの食ってられっかよ、このくらい身の詰まったのが食べたい。
ずーっと雨の日が続いていて足元は悪いのだが、サンジェルマンデプレは歩いているだけで楽しいね。ポンヌフ渡って右岸へ戻り、HEMAでおやつ買って宿へ戻る。今回は、買い物もせず古物も蒐めず、ただ定番の美術館へ行って、いつもと同じ仕事をして、ワイン飲んでごはん食べて、他のことまったく何もしていないけど、街を歩いてるだけで楽しいのでよしとする。
この11月27日は毎年、夫婦でつけている一年ダイアリー方式の交換絵日記の切り替え時期。とうとう6冊目に突入。その他にも、小室哲哉も還暦かぁ、とか、石川禅に認知されて一年かぁ、とか、いろいろ節目のタイミングだったりいたします。サンクスギビング直後ということもあり、切り替えどきに旅をしていることも増えた、かもしれない。もともと1冊目の絵日記帳を買ったのだって、2013年秋のサンフランシスコ空港だったのだよね。
あちこちの飲食店でやたらとニーナシモンの「Feeling Good」が流れていて、三日で5回くらいは聴いた。リバイバルで流行っているのか、それともデモの関係とかでアンセムになっているのかな。真相は謎のまま。シャーデーの「Smooth Operator」もあちこちで聴くけど、これは15年前も同じことを感じたので、単にヨーロッパだから、だと思う。ちょっとBTSみたいなノリの若くて激しいフランス語ラップもしょっちゅう耳にする。私の思春期は非英語圏が熱いと言われているのはロックだったんだけどなぁ、などと思いながら、フレンチミュージカルにもよく似た「歯切れの良いフランス語」というほとんど語義矛盾のような耳触りを楽しむ。