201808_NewYork

2023-04-04 / 体内時計と青い鳥

4月3日。我が家には「カレこもり」という儀式がある。これは近所の安くてうまいインド料理屋で何種類ものカレーをとって、ワンプレートに少量ずつ盛って何日もに分けて食べ続けるおこない。時差ボケや体調不良など、とにかく自炊したくないとき使う手だ。店に直接足を運ぶと、つけあわせだ何だと大量に出てきて一種類を分けても完食できず、結果的に割高で満足度が低いというので編み出された技でもある。菜食の店と非菜食の店から交互にとる。今回は、ゴアフィッシュ、ローガンジョシュ(羊肉)、チキン、と肉尽くし。こればかりは自宅で作れない味だし、日本でいう惣菜テイクアウトに近いか。好きなだけ引きこもれるからカレこもり。

毎日ハイカロリーなもの食べてるんでしょと訊かれるが、仙台の人が毎日牛タンを食べるわけではないように、アメリカの人も毎日ピザやステーキばかり食べるわけではない。そういえばうちの近所に教授行きつけの地中海料理屋があった。Foursquare(憶えてる? Swarmの前身の位置情報SNSだよ!)で文字通り毎日のようにログインしてるのでどんな店か見に行って、そして普段行く地中海料理屋と全然違う高級店なので軒先ですごすご引き返したりしたものだ。でも行きつけのラーメン屋は同じだったんだよな。というわけで相変わらず坂本龍一のことを考えている。


Twitterはまだアーカイブリクエストの返事無し、IFTTT経由でもログが取れないまま。Twilogはまだ稼働していてデータエクスポートもできるので、私の日記を読んで不安にかられた人たちが何か手を打ちたいならひとまずおすすめできる。

でもね、これはそういう問題じゃないんだよ。仲俣暁生さんが<あの犬が消えない限りデスクトップではTwitterは使わない。アプリにも出てきたら即刻、Twitterもやめる。いい潮時だ。本当にやめる。>と宣言していたので、私も思わず乗っかった。要するに「ユーザーをナメるな」という話で、イーロンマスクは2023年春、とうとう我々を本気で怒らせたのである。SFC★MODEに愛想を尽かし、2ちゃんねるやmixiから逃げ、Facebookを捨て、「Twitterだけはなにがしか理念を持ったソーシャルネットワーキングサービスである」と信じて賭けてきた我々をである。収益化には程遠いし、ヴィジョンも迷走しまくっているけど、だからこそ邪悪ではない、自治の効いた楽しいインターネット。私にスタートアップ経営のことをとやかく言う資格はないが、しかし値段をつけて会社ごと看板を買い取ったからには、その前提は共有してもらわんと困るよ。

https://twitter.com/okadaic/status/1643208081927548929?s=20

会社員時代に「okadaic」名義で最初にメディア露出したうち一つは、2009年11月、文化系トークラジオLifeの「Twitterはじめました」という特集だった。私にとってそれは、高校生のとき録画VHSを繰り返し観たあの『ソリトン』インターネット特集の2000年代版に出演するような僥倖であった。そんな走馬灯が回り続けるということは、いよいよ「潮時」なのだ。私は混沌を愛している。しかし、有料課金ユーザが優遇され、認証バッヂが形骸化してなりすましが横行し、デマばかりが拡散され、青い鳥が羽を毟られる、そんな往来では「鼻歌」が歌えない。自由を返してくれと言いたいところだが、そうつぶやくにも丸腰ではいられない。この退避が数日で終わると信じたいが、何年でも生き延びて同じことをつぶやき続ける。

昔の私は静かな場所でないと何も書けなかった。これを「歌手としてのレコーディング」とするなら、ブログはストレス発散で一人カラオケボックス行く感覚。twitterは道歩いてるときの「鼻歌」。初めての感覚。つかmixiを鼻歌気分で書かなかったのはアホとしか。

2008-04-11 https://twitter.com/okadaic/status/787283171

『ジェーンエア』の感想を書いていたら飛ぶように時間が過ぎてしまった。Twitterではいくら連投していようとも、歩きながらとか、酒を飲みながらとか、歯を磨きながらとか、レンジでチンしたカレーができあがるまでとか、スキマ時間の集合体なので支障ないのだけれど、これは大いに支障があるな。何に支障があるかって、私は『ジェーンエア』のことよかったなとは思ったが、こんなに長く感想を書くほどとは思っていなかったのだ。Twitterだと「このくらいにしておくか」と途中でやめて、また思い出したときに思い出したことだけを書けばよいので、こうした「時間の感覚が狂う」ミスは発生しにくい。本当にやりづらい。

夜は外出なので本日はここまで。


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今はもうなくなった近所のインド料理屋の軒先