4月11日は外の気温が22度近くまで上がり、とてもいい陽気なので散歩がてら外食しようということになって「estela」へ。2015年から通う店で、最初に聞いた評判は「オバマ大統領夫妻(当時現職!)のお気に入り」というもの。コロナ禍を経ても相変わらずの超人気店だが、バーカウンターの隅に座って渡されたメニューを見て、「お、おおお……こっ、これは……」と夫婦仲良く声が出た。最後に来たとき16、17ドルくらいだった同じ皿が25、26ドルに、21、22ドルくらいだった皿が33、34ドルになって、メインの鴨は47ドルまで跳ね上がっている。小皿料理の店やぞ。
日米を往き来する生活で感覚が麻痺しているのもあり、正直そこまで強く物価高騰を実感したことがなかった。いつ行っても底値特売だった食料品が最近なかなか割引されないな、まぁ定価は元から高かったか、程度で、スーパーの会計総額が昔の倍になったと憤慨する知人の話を聞いて「逆に普段どんだけ贅沢なモン買ってんだよ」と呆れたほどである。しかし我々は思い出してしまった……コロナ前は地の利を活かして毎晩あちこちで外食を楽しんでいた、それは、日本換算2杯分の大盛りグラスワインが10ドル切るような飲食店で、大人二人が飲み食いして、チップ込みで数十ドル以内におさまって、食べ残しを持ち帰って翌日のごはんにあてられるような、よき娯楽であった。ところが、長く引きこもって自炊を続ける間にこの街の地図はすっかり書き変わり、個人経営で間口が狭く中価格帯の馴染みの店はどんどん失われ、生き残った店は変わらぬ味や雰囲気を守るべく、どんどん高級路線へ舵を切っていたのである。
「私ちょっとこの値段出してグラスワイン飲むの癪なので今日はカクテル一杯にするわ、近所の酒屋でボトル買えるじゃねーか」「まぁ、今月は我々の結婚記念月だし、たまにはこういう贅沢もね……」「次いつ来られるかわからんし最後の晩餐と思って定番メニューだけ食べて帰ろ……」と、ビーフタルタル、アンディーブサラダ、イカ墨リゾットを分けて、二人で100ドル超え。隣席は男女それぞれおひとりさま、男はカクテルを何杯も飲んで前菜とサラダとメインの鴨、女はホタテと何かとデザートに食後酒までとっていた、どちらも一人で100ドル超えてそう。おいおいスマホいじりながら食う値段じゃねーぞと思うが、いや、西麻布あたりの予約で満席の回らない鮨屋で毎晩のひとり時間を堪能するヤンエグ(死語)とかと同じことだよ、みんな稼いだカネは好きに遣えばいいんだ、私だって飯抜いてまでミュージカルとか観るしね、まあだけど今週末に長い長いロングランの幕を引く『The Phantom Of The Opera』にはさすがに手が出せんかったね、端席を安売りしてた昨秋のうちに観とけばよかった、ロタリー全滅したし、餞別つったって戻りチケットに600ドル超は出せないわな、ぶつぶつ、と気を落ち着かせながら私が飲んだカクテルは「Tomato Never Dies」という。トマト風味のジンにベルモット足してオリーブの代わりにバジルエッセンスが浮いたマティーニ風の何か。無色透明、目にはさやかに見えねども、トマトは死なず。
結婚記念月といえば先日、一念発起してキッチンの食器棚を整理整頓がてら配置換えしてスッキリした。普段は使わない記念絵皿とか結婚祝いにもらった銀製品なんかがぞろぞろ発掘されたので、まとめて置き場を作り、毎日使う(縁が欠けたままのような適当な)食器とは明確に区別する。8年前の入居時「もしかしたらまたすぐ引っ越しする羽目になるかもしれない、だとすると捨てずにとっておこう」と判断した、割れ物を梱包するための空箱を、「今こんなわかりづらい奥の棚にしまったら二度と扉を開けないまま転居時まで存在を忘れてしまうかもしれない」と思っていたようなスペースに、ぐいぐい詰め込んでいく。8年住んで、この部屋にもうわかりづらいところなんかないので大丈夫。
何度か引っ越しを検討して、そのたびに徐々に覚悟が据わってきたが、我々は自分たちが想像していた以上に長くこの結婚生活を続け、そして自分たちが想像していた以上に、長くこの同じアパートメントに住むことになりそうだ。そのためにもしばらくは、持続可能な質素倹約生活です。本日12日も午前中から晴天、最高気温26度とのこと。先週は寒い寒いとセーター出してきてたのにな。またも遊びに行きたい陽気だけど出かける予定もなく、窓を開け放って在宅作業。昼はトースト焼いてサラダとフムス、縁が欠けた捨てられない皿で。
ところでこれは今までなら間違いなくTwitterに書いたことなんですが、話題のHoneyWorks「可愛くてごめん feat. ちゅーたん(CV:早見沙織)」って、構造的にも内容的にも言ってることとやってることが完全に華原朋美「save your dream」あたりと同じなんだけど、時代が変われば実際の表現はこんなにも違って、しかし、どちらもすごく日本的感覚であり、その領域からは抜け出せずにおり、だいたい同じところをループしながら少しずつスパイラルしつつ何かが昔よりも高まっているということなんだろうな、と思った。
今現在の華原朋美しか知らない、てか、それ誰? と思っているお若い方にはまるで通じない話だが、1990年代後半当時の朋ちゃんが提示した世界観というのは「ムカついちゃうよね? ざまあ」という思考の補助線無しには到底聴きこなせない難解な代物であり、本人どころかその推しであり恋人であると同時に黒幕仕掛人でもあった小室哲哉すらも王子様としての輝きが衰えた2023年の今、そうした文脈が忘れ去られつつあるのを実感しつつ、「まるで謝る必要が無いことを謝ることで、火の無いところに仮想の敵を作ってから、架空の他者との独り相撲にひとりで勝つ、したたかなブリッコ」という、まぁ痛いは痛いかもしれないが、我々に似た誰かにとっては「真」でもある、仄暗い自己肯定感を懐かしく抱きしめている。
今40代で普段はいわゆる「強い女」やってるような中年たちが、カラオケで華原朋美を何曲も入れては絶唱しながらデンモクにもたれて咽び泣いているとしたら、それは一昔前の「強い女」たちが演歌なんぞ歌うのと似た話であるし、今から四半世紀後にはあなたがたがスナックで同じように「可愛くてごめん」を泣きながら歌って「湿っぽくなっちゃってごめんねえ〜、でも歌わずにはいられないのぉ〜」と言い訳を述べるのであろう。「愛される」に憧れて叶わないのならば、自分で自分を「愛する」しか道はない。
そもそも華原朋美には恋敵なんか一人もいなかったんだけど、彼女には「誰かと何かを戦って、勝ち残ったから選ばれた」シンデレラなのだというストーリーが必要だった。実態はさておきマッチョに聳り立つトロフィーでなければならなかった。彼女自身のためにというよりは、小室哲哉のために。「自分の味方は自分でありたい、一番大切にしてあげたい、理不尽な我慢はさせたくない、それが私」と切々と歌っていたのは、高い高い女の声が出る生身のボーカロイドを操るてっちゃんだったのである、かわいいね、としみじみ考えている。四半世紀経っても我が国の社会は「時には誰かと比べたい、私の方が幸せだ、って!」から、脱したようで脱せていないのかもしれない。そしてそれは、相対的に弱い立場に置かれ、強い者の顔色を窺いながら生きるしかないような、少女たちに限った話ではない。そうでない生き方をしてるって胸張って言える奴がどれだけいる? だからみんな、お若いお嬢さんの少女性にこそ自分たちにも共感可能そうな「強さ」を見出して縋るんじゃないのかね。