2023-04-13 / Mañana Nunca Muere

「Twitter断ち」から約10日、千の位が変わるほどフォロワーが減った。「新しいことをつぶやかない」と宣言した途端にリムーブするのはどんな人たちだろう。今まで私を、いったい何だと思っていたのだろう。単なる情報収集源、いつかヘマするのを心待ちにアラを探すヲチ対象、あるいは、見ておくと何か「益」があるとベットしていたアテが外れて「切った」とかだろうか。だとすると何万人増えても嬉しいことはないので離脱してくれて喜ばしい。

三万人弱のフォロワー全員が、新刊を発売日に三冊ずつ買ってくれれば私は初版十万部作家になれるわけだが、フォロイーフォロワーとはもちろんそんな関係性ではない。いまだにそこを勘違いしている人たちがいるけど。私とTwitterとの蜜月の濃さを定量評価するならば、もっと140字フル長文連投の頻度とか、それにより公式スレッド機能の実装時にペルソナ(想定ユーザ)の一人になったとか、そういうエピソードだ。Blueskyでもさっそく300字フル連投を試していて、我ながら一人だけ投稿画面幅が太いなと呆れている。140字で意味の通る英文を書くのは難しいが、300字だと「ほどよく足りぬ」感じで推敲しがいがある。

私だって大昔はフォロワー数をコンサート会場のキャパなどに喩えていた(横浜アリーナより多くてさいたまスーパーアリーナより少ない)。近年の感覚はむしろ「往来」に近い。同じ街中でも、乗車率300%の山手線車内か、渋谷ハチ公前交差点の雑踏か、代官山や神泉や松濤の小道かで、デパートの店員相手か喫茶店の隣客相手かでも、話し声のトーンは変わる。不特定多数との社交も楽しいけれど「てめーには話しかけてねーんだわ」と火の粉を払う度胸も必要だ。今は「家」に帰ってこれを書いている。自宅には到底招ききれない数の人たちが毎日、音も立てず覗き込みに来る。私はインサイト画面の深淵から彼らをじろじろ覗き返す。ほとんどが全文は読まずに帰るね。うん知ってた。

昨日のニュースは、米公共ラジオNPR(National Public Radio)がTwitterを利用停止したというもの。New York Timesの月額課金拒否に続いて、世も末。昨秋、娯楽系メディアPlaybillのが撤退したときは「え、買収されただけで?」と驚いたものだが、今はどんな大看板が下ろされても「それはそうよね」としか思わず、ならば判断は早いほうが賢明だと感じる。日本語圏Twitterでは極右極左の二項対立にしたがる連中が多いけど、少しでも真面目に「中立的立場」を貫こうとするなら、今現在のTwitterからは距離を置かざるを得ないだろう。

みんながみんな「Follow us on other social media」と唱え始めた。私のアカウントもその一つ。そう遠くない未来に「なんであんな思想的に偏った、デマと誹謗中傷と広告だらけのSNSに長年愛着依存していたんですか?」と訊かれたら、「私が軸足を置いていた最初の15年は、まったくそうではなかった」と答える。とはいえ、立ち去るときに更地に戻すような他のSNSとはわけが違うので、アカウント自体は継続予定。


4月12日。村上春樹の最新刊『街とその不確かな壁』の発売日で、電子書籍ダウンロード開始と同時に、我が家のハルキストがみるみる顔を曇らせて不機嫌になっていく。他のことが手につかず、言いたいことが山ほどある様子だが、残念ながら私には到底その聞き手役は務まらないのだ。「つまり……『シン・ムラカミハルキ劇場版:||』ってこと……?」と渾身の相槌を打ったら、「もういい」と押し黙ってしまった。読了したら少しは機嫌が直ったようでよかった。4月12日はBUCK-TICK『異空』の発売日でもあり、私は気分爽快です。誹謗中傷がグロいわ!

そういえば昔の夢日記に「神の子どもたちは二度洗う」というタイトルをつけたな、と思って探したのだが検索にかからなかった。消しちゃったのだろうか。鍋とか皿とかきしんだ髪とかパンツとか二度洗いするときにいつも思い出す。


一昨日あたりから日中最高気温がみるみる30度に近づいているが、アパートメントの空調が冷房に切り替わるのは5月末(≒夏の始まり)なのでそれまでは着替えと扇風機でしのぐ。冷房の季節になれば今度は室温が寒すぎて羽織物が手放せなくなるので、薄物を一枚で着るなら今がチャンス。とはいえ来週はまた最低気温が6度くらいまで下がるって。この悪天候、帰ってきたなという感じ。

Duolingoでだらだらスペイン語を勉強していてハタと気づく、ミュージカル『笑う男』の「コンプラチコ」って、もしかしなくても「comprar(買う)+chico(子供)=comprarchico(子供買い)」だったの!? 知らんで聞けば謎めいた響きだったが、知れば全然そのまんまの意味、拍子抜け。日本滞在中は外国語なんてまるで勉強する気にならないが、こちらでは下手すると米語よりスペイン語のほうが多く耳に飛び込む日もあり、自然と向学心が向く。そして「おまえら……こんなに語彙も文法も似てたらそりゃ英語学習だって楽勝すぎるだろうが、ふざけんなよ……!?」と何度でもキレる。やはり怒りを動力源にすると強いのか、途中で投げ出した他の言語学習より捗っている。日本語が母語なのに英語使って意思疎通できてる私たち相当えらくない!? まぁそれ言ったら母語でもない外国語として日本語の学習する人のほうがえらい。


さて、Twitterにいただいたエアリプにブログでエアリプを返すのは、届く確率が下がるし、読むにも書くにも手間が多いし、アホくさくてイヤなんですけど、まぁこれもプロテストの一環なので当面は続けます。

昨日書いた「Tomato Never Dies」は、マティーニやブラッディメアリーのようなスタンダードカクテルの名称として存在するわけではなく、世界中の飲食店が日毎夜毎、新レシピを編んでは独自の命名してその新味を競っているうちの一つというだけです。まぁ現在スタンダードカクテルとして知られるものだって発祥はほとんど全部そうだけど。古典落語と新作落語みたいなものですね。マンハッタンは新作落語の激戦区なので、手渡されるメニューに載っているのは基本的に新作落語のみ(で抹茶リキュールに柚子混ぜて「Zen Temple」とかサングリアに日本酒ちゃんぽんして「Zen-gria」みたいなのが掃いて捨てるほどあり「気安くZENを名乗るな!」といちいち気に障るの)ですが、古典落語をくれ、と注文すればそこは普通に作ってくれます。

あと、命名の元ネタは映画『Tomorrow Never Dies』のほうだと思う。ニューヨーカーの大多数は基本的にミュージカルなんか観ないし(身も蓋も無い)、マティーニのアレンジだから007にあやかっていると考えたほうが妥当でしょう。でも「ウォッカマティーニをステアではなくシェイクで」ではなく、全然ジンだし全然ステアしてましたね。私は冷たすぎない辛口の酒をだらだらやるのが好きなので正解だった。