202304_WSQ

2023-04-14 / sprung

昨日の話の続きであるが、こうして殊更に「俺のことはほっといてください」と言うのだって承認欲求の一形態であり、そのことに自覚的でなければ日記に書いて人前に晒すことなど到底不可能である。古今東西、名のある文士や芸術家みんな「俺のことはほっといてください!!」つってパリや東京からえらいド田舎に引っ越して廬を結び、そして今度は「どうしてあいつら誰もはるばる訪ねて来ないんだ!!」とブチ切れては編集者や後輩作家など立場の弱い関係各位を慌てさせる、その様子を一般公開大前提の書簡や日記にしたためる、繰り返しでしょ。私が電脳空間上でその追随したってバチは当たらないし、けれど私だけが何か斬新なワガママをしてるかのように非難されても困る。いやいやえん。

もう一つ、SNSと承認欲求の話。今「もしもみんなの言う通りにTwitterがなくなっちゃうのだとしたら、TwitterでできたTwitterでしか繋がっていない会ったこともない仲良しの友達とは離れ離れになってしまう、それが哀しくてここから出ることができない」と嘆いて(せっせと共感バズを稼いで)いる人たちに必要なもの、それは、自分が「仲良し」認定した見知らぬ相手にDMを送ってLINE IDなどの個人情報を収集することではなく、「インターネットで出会った人とは、インターネットのどこかでまた必ず逢える」と強く強く信じる気持ち、ではなかろうか。

まだHTMLベタ打ちでホームページを作成してウェブリングで繋がっていたような時代、或る人と相互リンクになって、毎日のようにお互いの日記を読み合っていた。同人活動のメインジャンルこそ重ならぬものの、非常に信頼のおける書き手だった。私のサイトは就職を機に閉鎖したが、この人とは先日、Twitterで十数年ぶりに再会し、また相互フォローになった。我々がふたたび「繋がり」を持てたのは、先方がずっと同じハンドルネームを使い続けていたからだ。卒業しても結婚しても転職しても子育て中でもオタ活を離れても、ずっとブレずに。そして「実写版FSSのダグラスカイエンは鹿賀丈史がいいとこんな熱量で書く人間には人生でそう何人も出会わないので、あなたがあのサイトの管理人だと確信していた」と言われた。私もブレねえな。

復縁は喜ばしいことだが、ホームページ時代の繋がりと、SNS時代の繋がりとは、同じようでいてずいぶん違う。コミケで喩えれば、サークル参加ブースが隣同士になるのと、一般参加待機列で隣同士になるのとくらい違う。私はもう先方の書くものを毎日読みに行ったりはしない。おそらくこれからも生涯会うことはない。あるいはどちらかが思い立ってどちらかを「リアルに訪ねる」ことがあるのかもしれない。でもそれで親密度が増す保証もない。そもそも我々は「友達」ではない。そのように錯覚していただけなのだ。それでも、インターネットで知り合った我々は、インターネットで再会することができたし、「会えない時間が愛育てるのさ」じゃないけれど、この人を特別に感じる親密な気持ちは再会後のほうが強い。

Twitterで自分の長文連投や他人のRTなどを大量に流すと、「あの人はとっても身勝手で、そんなことをしたら読む側である私たちの画面を『占拠』して『汚す』のだとわかっていない、ちっとも『配慮』してくれない」みたいな文句が飛んでくる。自分からフォローしておいて、なんと身勝手な物言いだろう。どんなお客さん気分だよ、己もまた一般参加者であるという覚悟が足りないのでは? と耳を疑う(何を言っているのかわからねーと思うが「コミケにお客様はいない」でぐぐれ)。そして「いかにも私は身勝手で、あなたがたのことなんか、ちっとも考えていない」というのが正直なところである。私は普段、赤の他人が書いたものを一人でも多くの人にわかりやすく最後まで読んでもらえるようなかたちに整形する仕事などもしているけれど、しかしSNSやブログにおいては、そんな作業は私の仕事でも何でもないのだ。

ソーシャルネットワークにつきまとう「さみしさ」「哀しさ」についても同様に、我々はたったひとり、自分自身でどうにかするしかない。私は私のフォロイーが亡くなっても多くの場合は訃報を受け取れない。互いの連絡先を知らないからだ。それでも「あの人どうしているかな?」と思い出して検索をかけることはできるし、そうしたら「墓」を探し当てることができるかもしれない。さすれば花も手向けにいこう。先方がハンドルネームを変えていれば二度と会えないが、それはハンドルを変更した向こうが望んだことである。私はなるべくこの、十数年使っている名前のまま、今までと変わらず、インターネットに何かを書き続けていく。誰かに見つけてもらいたいからだ。けれど手紙に返事は返さないかもしれない。こう見えて筆不精なんです。てへ

「なんかみんなTwitterからいなくなっちゃうみたいでさみし〜」とTwitterで言われても「追いかけてこいよ。(ポーズ付き)」以外に返す言葉が無いのよな現状。辿り着くべき場所の絶対的正解なんて誰も知らないが、「また次を探して開拓する」「無いなら作る」を各自でやっていくしかないのでは。と、書いても通じる人が減ったのが、大SNS時代だったのでしょうな。

Someone tweets, “Many of you are leaving Twitter and I’m so sad~~~” and my response is: HIDE’s “Chase after me” posture.

なーにがX Holdingsじゃ、日本語圏TwitterもX JAPANとかゆって喜んでんじゃないよ、そこにエクスタシーはあるんか? というお気持ちでおります……。

https://staging.bsky.app/profile/okadaic.bsky.social/post/3jt4on7nwx326

そのうちTwitterから千万単位のフォロワーをゾロゾロ引き連れて民族大移動してくるインフルエンサーも出てくると思いますけどね。みんな引越先を探している。Twitterだって2011年の東日本大震災のとき「社会的影響力のある著名人が『情報収集に有効だ』と言っていたから使い始めた」という新規参入者はかなり多かった。それ以前はいくら誘っても「mixiがあれば十分、お外のインターネッツは怖い」と言ってたような人たち。Blueskyは現状、フォロワー数百いればアルファ扱いだったようなTwitter黎明期を思い出すし、この状態のうちにあれこれテストして受け入れ環境が整備されるのは理想的ではないかと思う。
>>既にtwitterで万単位のフォロワーを抱えて,影響力を持っている人は,わざわざ新興SNSに移籍してこようとは思わないのかしら.

続)まぁ、これもあるにはあるんだけど、そういう承認欲求バズり依存症の人たちは、じっくり潮目を読んでから、自分を気持ちよくバズらせてくれるような大衆に「みんな! 次はココ行くよ!」と大声の号令かけて、大名行列で参入してくるものなんですよね経験上。そういう人たちが(まだラベリング試行錯誤中みたいな)今のこの場に入植してくるのがいいかどうかは微妙だし、向こうだってそうわかってるから来ないだけではなかろうか。関連記事など読んだりROM垢作ったり、あれこれ様子窺ってるとは思う。
>>そういう人たちは反応がないとかバズらないと耐えられない傾向があるので難しいのです Twitterのせいですけど

続)「岡田さん、はてなダイアリーって知ってる? 無料でブログ始めたいと思ってて、調べたらいろいろ出てきたけど、はてなっていうのが一番よさそうで、でも見てみたら何かオタクっぽくて……」「エッワッはてなの話ですかはいベータ版から使ってますよリアル職場の先輩に私のIDは到底教えられませんが大変いいですよ記法も簡単だし、なお我々のオタクっぽさはいつまで待っても完全に消臭されることはないはずなのでそこは耐えて使ってくださいブフォッわたし早口すぎますかね」(間)「先日はいろいろありがとう、なんか芸能人とかみんな使ってるからアメーバブログってのにしたわ」という2000年代半ばの会話など懐かしく思い出します。

続)BlueskyはTwitterではない、既存SNSとは違うのだよ既存SNSとは、という言説もわかるはわかるが、今いま多くの人が探しているのは結局は「次のTwitter」なのであって(私もその一人だ)、Blueskyチームもそのことは正しく把握しているように感じる。この「懐かしい風が吹く新大陸で、強くてニューゲーム!」の得難いワクワク感、長く維持してほしいな。よくわからず辿り着いた大量の新規参入者に対して理念を啓蒙し教え導くというような段階はその先にあるのだと思う。
>>続)なんというか「強くてニューゲーム」感があるのよね、未来・過去・今、人々のドラマ、シナリオはいつもDejavu……(突然のLUNA SEA)(というテイのスレッド化とセルフ引用RT作法の模索ですこれは)(さすがにこんなものまで300字フルは難しいな、これで200文字)。 https://bsky.app/profile/okadaic.bsky.social/post/3jsqwekm6od26

続)我々はまだ(自分たちが自分たちで手と頭と使ってそれなりに理解しているのと同じようには)(そんなものは見たことも聞いたこともないしそもそも中にだって入れてもいないような相手に対して)旧いものと新しいものとの「違い」を説明できる段階にはない、というのもあるんじゃないかろうか。これは自分が数年前に一度はマストドン行ってみて秒でTwitterに出戻ってしまった人間だから言うのだが……。今思えば、行くがあまりに早すぎたんだよね。Blueskyがそうならないことを祈っている。
>>参加者も規模も目的もモチベーションも違うんだから、Twitterと違うのは当たり前だと思う。オープンになってそれらがTwitterに近づけば近づくほど自然と似通ってくるものになるはず

続)昔のTwitterを知らない世代の人たちが「バズりとおすすめと広告だらけで息苦しいTwitterと全然違ってBlueskyはみんなと楽しく雑談ができて嬉しい」と言ってるのを見ると「お若いの、それはBluesky独自の特色なんかではなくAT Protocol云々もマジ関係無く、黎明期はどこもみんな『この空気』なのじゃよ……唯一絶対の理想郷を夢見すぎるとそのうち大変な絶望を味わうのじゃ……」と釘を刺しておきたくなる。一方で、昔のTwitterを知る世代の人たちが「ッカー、懐かしいな、ここでまたゼロから開墾しようぜ!」と言ってるのを見ると「ッカー、懲りねえ奴らだぜ、また一緒に夢見っか!」となる。

続)俺たちlikeとRTのバズり依存症ではないにせよ、もっと別のヤバい何かの中毒患者ではあるだろ、とは自覚しておきたいし、そういうナニを小さな車座でガブガブ回し飲みするのは大変楽しいものだが、しかしこれ他人様に強要するモンでもないと思うんですよね。

続)私が知ることは一つ、Twitterの話はTwitterでするのが一番楽しいしBlueskyの話はBlueskyでするのが一番楽しい。かつてTwitterを他SNSの愚痴吐き場にした反省から。

I’m not into discussing the difference of system and/or culture between Bluesky to Twitter, the one thing I know: it’s meaningful and fun to talk about Bluesky on Bluesky and about Twitter on Twitter.

続)昔のTwitterを知らない世代の人たちが「バズりとおすすめと広告だらけで息苦しいTwitterと全然違ってBlueskyはみんなと楽しく雑談ができて嬉しい」と言ってるのを見ると「お若いの、それはBluesky独自の特色なんかではなくAT Protocol云々もマジ関係無く、黎明期はどこもみんな『この空気』なのじゃよ……唯一絶対の理想郷を夢見すぎるとそのうち大変な絶望を味わうのじゃ……」と釘を刺しておきたくなる。一方で、昔のTwitterを知る世代の人たちが「ッカー、懐かしいな、ここでまたゼロから開墾しようぜ!」と言ってるのを見ると「ッカー、懲りねえ奴らだぜ、また一緒に夢見っか!」となる。

https://staging.bsky.app/profile/okadaic.bsky.social/post/3jtdiuhs7hx2h

金曜日は外出、日が昇ってからずっと30度近い陽気で、18時現在も28度、レギンス一枚にTシャツとサンダルという会う相手をナメくさった格好で出かけたが結果的に大正解であった。友人がInstagramに「こんなのspring(春)をスッ飛ばしてsprung(へべれけ)だ」と、水着みたいな服装で出勤する様子を投稿していた。もともと「春」に「泉」や「ばね」と同じ「spring」という語があてられたのだって、「はっちゃける」という意味が先だったんじゃないの? としみじみ思う一日。遅々として進まぬ仕事を一つずつ片付けつつ、冷えたビールが沁みる。

私にとっては「ワシントンスクエアパークの噴水に飛び込んで水浴びをしている人を見かけたらイーストヴィレッジはもう夏」という季節の変わり目の基準があって、もしかして今日がその日なんじゃないの、と確かめに行ったら、もちろん子供がパンイチで泳ぎまくっていた。というわけで、夏です。明日は雨の予報だし、来週はまた最低気温が5度以下まで下がったりもするそうですが、夏ったら夏ですよ。


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