202304_unknown

2023-04-18 / ドラマ『unknown』放送開始ほか

昔、お年寄りたちが「一度にたくさんの人と会うと疲れちゃうのよね、その後しばらく使いものにならないの」などと話しているのを「は? どういうことなんだぜ?」と訝っていたのだが、こ、こういうことか……と理解する頻度が高まった43歳の春である。週に6回芝居を観て劇場で誰かと話すだけでも疲れるし、同じ日に花見と食事会が重なるだけでも疲れる。体脂肪率が落ちたということは筋肉がついたはずなのだが、それとは関係なく「対人スタミナ」みたいなものは加齢とともにみるみる低下している。

友人たちと会うこと自体はめちゃくちゃ楽しいので当日は全然まったく疲れない、むしろ元気になるが、そこからの2日3日が自宅に引きこもったまま矢のように過ぎていくのでびっくりする。こんな気質のくせに週に何日も学校や職場に通っていてそこで朝礼とか会議とか全校集会とか営業回りとか飲み会のハシゴなんかしてたなんて信じられないよ。体力が低下したぶんひとり時間の生産性は上げておかないと根が腐りそう。


18日は、アレをナニした激重通信環境でぶつぶつ切られながらも、TVerでドラマ『unknown』第一話を観た。みつきぃぃぃーッ! 俺だーッ! 重婚してくれーッ! はーかわいい。週刊誌編集部勤務の吸血鬼(高畑充希)とご町内の平和を守る離婚歴ありの交番巡査(田中圭)、お互い秘密を抱えた新婚夫婦と連続殺人事件を取り巻くラブサスペンス。実際に観てみると覚悟してた以上にすごい設定だ。そしてその無茶苦茶な設定を、『ドン・ドラキュラ』に『おっさんずラブ』を盛ったような芝居で吉田鋼太郎パパ上が全部ねじ伏せて持ってゆく。圧倒的ホームゲーム感。

直射日光とニンニクと十字架が苦手で水分補給感覚でパックの血液を飲む怪力の種族、割と丁寧めの回想シーンまであったのに、劇中の人間社会における吸血鬼の扱いがまるで不明のまま初回の50分が終わってしまった。実在が信じられていないというよりは、人種差別と似た迫害排斥に遭うことを恐れて隠してるという感じか? だとしたら「あのね、私、遺伝的に怪力なの」とかで誤魔化せた気もするんだけれど。「国家公務員の婚約者に吸血鬼だと言えない」を「ナチ将校の婚約者にユダヤ人だと言えない」くらいの深刻さだと想像してたら全然違って、「隠すのめんどくせーけどバレるともっとめんどくせー!」というノリは魔法少女物などに近い。

俺の俺たちの推し、石川禅の役どころは週刊誌の編集長(頭出し位置34:30〜)。『マチ工場のオンナ』や『ノーサイドゲーム』に引き続き、今回も一般企業勤めの会社員にしては美声が過ぎるし、話し終えてデスクまで戻る去り際の後ろ姿で完全に素性がバレている。一般ドラマ映像にいきなり羽よりも軽いミュージカルスターの足取りをぶっこまれると「あの人なに!?」と視線泥棒すぎるし、若手俳優が今時っぽい言葉回しで懸命に張ってるリアリティラインが一瞬で崩れる。だがそこが尊い。すいませんね、このおじさん普段はテレビ出ないで大劇場を上手から下手へ横切るだけで千人二千人をウットリさせるお仕事などに従事しとるんですわ、お見知り置きください。一方で全体成分の99%がギャグで残り9999%が舞台俳優なのになぜかテレビドラマのリアリティラインも崩さない吉田鋼太郎に感心する。でも鋼太郎と小手伸也がこんなに軽率にふんだんにフンフン歌うなら禅ちゃんもちょっとくらいアドリブで歌ってくれよ!

なんかこう、上手く言えないんだけど、「ときめきトゥナイト!」って感じのドラマですよね。漠然と、昭和期のりぼんマスコットコミックス感がある。花とゆめではなくりぼん。そういうの好きな人に届くといいなと思った。

202304_unknown
https://www.tv-asahi.co.jp/unknown/

あれこれ感想を書いてるつもりで溜めてるものが多いので順番に書いていく。てか、上の『unknown』感想もうっかりTwitterに投稿しかけて慌ててこちらにコピペしてきたものだ。推しはTwitterにいるので推し活(という名の事務所と公式STAFFならびに新規クライアント候補に推しがどれだけのインプレッションを稼ぐ存在かを知らしめる行為)はTwitterでしたほうがいいんですけどね。でもブログに書いとくと印刷しやすいから社内で回覧もされやすいじゃない、オールドメディアはいまだにそうじゃない? 私は全部知ってるんだよ! なぜなら自分も昔似た仕事してたからです!

Blueskyからの転載は現状手動でやっていて、大変手間なのでそろそろ打ち止めにしたいのだけど、まぁ、そもそも日記を書くようになった経緯が「脱Twitter」なのだから、このくらいは続けておくか。


なるほどなぁ。「自分の発言を手元で管理したい(ブロック以前にデータエクスポートが要る)」「あなたの発言も手元で管理してほしい(場のルールやモデレーション制定が要る)」に加えて「我々はよき大衆であり続けたい(臭いものに蓋するだけでは根本解決にならんという共通認識が要る)」のかなぁ。先日うちのアパートで水漏れ事故があったが、管理会社の作業員が各戸を回って淡々と壁の防水塗装を修復して終わった。やらかした奴は同じ建物にいる。でも次は自分がやらかすかもしれない。ここから出てけとかお詫びの菓子折を寄越せとは思わない。お互い極力やらかさないようにする。あと配管位置を再確認して貴重品はよけておく。みたいな話。
>>自分が気になってるのは、「今ここでいかに見たくないものを見ずに済むか」ではなく、「集団で学習が起こることを意図して、リフレクションの考え方なんかを取り入れながら注意深くシステムを組み立てたら、「不快なもの」に遭遇しても傷ついたり争ったりしない大衆になれるのではないか」みたいなあたりだったりする。

続)集合住宅なので、本当の本当にマジで迷惑行為を繰り返すような住人はそれはさすがに追い出さないといけない。たった一人がゴミを放置しただけで全戸が害虫害獣の被害に遭う、いくら自分の部屋に所有権があろうと勝手に柱を削られると困る、みたいなやつはな。一方で「子供の遊ぶ音がうるさい」「エスニック料理の煙が臭い」みたいなものまで「正義」の名の下に排除されてったら(私も)たまったもんじゃないし、「そんなに嫌ならおまえの部屋のほうを無菌室に改装しろ」で片付けられるのも「わ、私が、か……?」と理不尽に感じる。現実世界では「お、お隣さん今晩はカレーかぁ(面識ないけど)」くらいで過ごせることも少なくないのよなぁ。

続)「だから集合住宅はイヤなんだ、俺の俺による俺のための一軒家を建てて見渡す限り他は誰もいない景色がいい!」という人もいて、それはそれでよいが、自分で水道や電気を引いたり柱を建てたり削ったり雪崩やハリケーンやクマの襲撃に備えて敷地全土を手入れしたりも大変だし、「似たような家賃払って似たような環境を快適と考える、自分と似たところがある全然違う見知らぬ人々」と軒を連ねて暮らすこと、そこでのルールを自分も守りつつ、必要なら話し合って改訂していくことのほうを、楽しく安全に感じるかな。でまぁ、新しい管理会社が長年顔馴染みの保全担当者を大量解雇したら「次の事故起きたら怖え、引っ越すか」とは思うよ、そりゃ。

続)「私はそんなものは見たくないんだ、あなたもそんなものは見たくないという同じ価値観に成れ!」は無理筋だ。通そうとする人もいるけど。たとえばメールならば、「スパムがいっさい視界に入らず存在自体を忘れてしまう世界」よりは、「邪悪なスパムが毎日届くが、大半は数十日後に自動削除される迷惑メールフォルダに振り分けられて煩わされず、もし自分の被害状況が見たければ閲覧可能で、網を漏れたものについては手動通報もできる仕組み」がいい。Gmailが自分と同じ考えでよかった。ではSNSはどうか。水が漏れたら壁が直される。それさえうまく回っていれば、隣人と怒ったり争ったりする話じゃないが、自動化はまだ難しそうよね。

「無意識の習慣」化もわかりやすい! まさにそうですね。ルールが無いのも困るが、共通認識が無いとルールも荒れる(すぐ軽視され破られたり、逆に違反者は密告即射殺されるような監視が横行したりする)。 集合住宅の喩えだと、「このマンション、ゴミ捨て場が可燃・不燃・資源の三区分でみんなスムーズに使ってるってことは、粗大ゴミの捨て方は、要確認かな……?」くらいのおおまかな行動促しは自然にあるとよいなぁと。自力で気づけず何でも捨てちゃう一部の人には、また別の促しを考えるとして。

続)「みんなで使うゴミ捨て場は汚いよりキレイなほうがいい」「毎日のゴミ捨ては、深く考えず無意識の習慣の半自動モードでもポイポイッと片付くよう、ユーザ側は簡単に回したい(その先の複雑系は専門業者や機械処理に任せたい)」「トラブルが起きたら別途対処を考えるべきだが、そういう事例がなるべく出にくい、わかりやすいルール設計が欲しい」「でもコロコロ変わるとユーザーが追いつけない」「よそんちが出したゴミ袋を勝手に漁って分別を監視する自称自治厨はマジ勘弁」といったこと。インターネッツは理論的にも技術的にも「やればできる」ことが物理現実世界より多いから、その場の「公」に属す人や機械の決めごと、めっちゃ肝よな。

続)「前のちょっと不満があった住まいより、ほんの少し快適な、ベターなプレイスに移りたい」というのだって共通認識の一つだろう。そこが共有できない人、新しい場と見ればすぐ最初にやってみることが荒らしや旧い因襲の押しつけだったりする人も、存在はするが……。あと、いくらルールが整っててデザインがオシャレで住民たちがハッピーそうでも、「共通認識レベルで水が合わない」は致命的よな。私はFacebookがそうでした。「現実世界で面識(≒利害関係)のある人たち同士に交流範囲を絞っておけば握り合いの鎖国が作れる」というのは、なんというかもう、水が合わない、としか言いようがない。技術面というより根づいた文化の話。

2023-04-18 / https://staging.bsky.app/profile/okadaic.bsky.social/post/3jtnlbuvppd23