朝起きてiPhoneでTwitterを観ていたら、タイムラインは紅白歌合戦の実況中継で埋まっていて、それを眺めながら遅い朝ごはんを食べるという不思議な感覚。街は静か通り静か。……いやいや、そうだった、こういう世間一般に伝わらないサブカル文体を改めようと思っていたのだった。よしましょう。はちみつぱいというバンドに「夜は静か 通り静か」という曲があり、「表通りが静かである」と言いたいときに私はいつもこれをモジって使ってしまうのです。でもそんなこと一部の好事家にしか伝わりませんよね。ましてニューヨークで新しくできた世界各国から集まってきた友人知人たちには、まったく通じません。
私の在籍する大学では、世界中から集まった「英語が母語でない」学生はみな、専攻と並行して英語の単位も修めなければならない。以前は「入学時にTOEFLスコアが一定以上あれば履修免除」というユルさだったのが、やはり何かと支障があったのだろう、つい最近、制度が「必修」に変わったそうだ。出願時のTOEFLスコアの足切り、当時は苦労したけど今となれば点数が低すぎると思う。「読み書きリスニングで満点狙えばスピーキングが赤点でもイケる」という私の戦略でも入れちゃったわけで、あまりに英語力の低い留学生たちへ業を煮やしてなのだろう、我々の代は入学直前に現地で全員強制参加の英語テストを受け、その成績次第でクラスが割り振られることになった。
日常ほとんど英語で暮らしていたようなフランス語圏カナダやヨーロッパ出身の子たちは、一学期目だけ最上位クラスに振り分けられてあとは免除らしいのだが、大抵の日本人学生は卒業までみっちりESL(English as a Second Language)を履修する羽目になる。とはいえレベルはさまざま。私よりずっと英語のできる日本人が到着直後に試験一発の結果がたまたま振るわなかったせいで最低レベルへ振り分けられ、その後、能力に見合ったクラスに飛び級する、なんてことも起きていた。
秋学期、私が振り分けられたのは「中の下」程度のレベルで、月曜日と水曜日の夕方から夜にかけて20名くらいの留学生たちと机を並べていた。学科のクラスメートは四年制大学を出て社会経験のあるオトナばかりなのだが、ESLに限っては全学混合のため、BFAつまり学部生すなわち「高校出たて」の若い子たちが圧倒的に多く、まぁ、やかましいこと幼稚園の如し、という雰囲気だった。
うちのクラスは中国人と韓国人がそれぞれ7〜8人ずつ、あとはトルコ人、ラトビア人、インド人、ベトナム人、日本人が各1人ずつの編成で、なんともアジアすぎる。中国人や韓国人の学部生たちはもともと語学学校の寮生活などで親しく「みんなで一緒のクラス受けようね」ってな調子で大挙して履修したらしい。とくに中国人は男女混合で全員がおしゃれな二十歳そこそこの美男美女、富裕層の一人っ子だけが集まったグループ交際という様相で存在感がすごかった。結果、講師に何度注意されても、中国語の私語ばかりが乱れ飛ぶという学級崩壊。「英語の授業なんだから積極的に英語を話さなきゃ!」という空気が全然ない。そのくせ彼らはレポートなど書かせると速くて正確、また噂通り異様なほど成績に過敏だった。「最低の授業態度で最高の成績を取る」要領の良さが研ぎ澄まされていて、「地道に努力すればいつか誰かに褒めてもらえる(かもしれない」的な日本人感覚とは、頑張りどころがずいぶん違う。
聞けば、韓国人や中国人の若い子は、高校時点から米国へ留学してホームステイで英語を鍛えながら進学するというパターンが多いそうだ。「西海岸に5年いた」「ボストンの大学から編入してきた」なんて自己紹介を聞きながら「なんでそんなに長くアメリカにいて、若くて頭もよく吸収率も高いはずなのに、英語圏初体験のアラフォーの私と同じ、中の下レベルに振り分けられてるんだよ貴様等……!」と、ちょっと気が遠くなる。しかしまぁ、世間知らずで苦労知らずでお金持ちの若い男女たちが親のスネをかじりながら惚れたはれた込みでキャッキャと学園生活を満喫している様子は、ゴシップガール広東風とでも呼ぼうか、目に眩しくなかなか楽しい。みんな引くほど日本贔屓で、ぶっちゃけ私より日本文化や東京のトレンドに詳しい。という話はまた別の機会に。
「若さ」についてである。本国や他州では飲酒できたのに、ニューヨークでは21歳以上のIDがないとワインも買えないしクラブにも入れない! とギャーギャー騒いでいるクラスメートの話である。英語学習という意味ではまっっったく役に立たなかった、単位取得のためだけの秋学期ESLクラスだったが、いろいろ想像の斜め上をいく思い出があって、その最たるものが学期末に発覚した
クラスメートの全員が、マドンナの「VOGUE」を知らない
という驚愕の事実であった。クリスマスを目前に控えた最終週の授業は、部屋を飾りつけお菓子を持ち寄っての打ち上げパーティーを兼ねる。ホワイトボードにプロジェクターでYouTubeの画面を大写しにして交代に好きな音楽をかけるという趣向で、推定50代女性で幼稚園の園長先生みたいなオバチャン講師が「将来ビッグなデザイナーになるナウでヤングな学生たちに送るファイナルパーティーつったら、コレでしょ! 奮い立て、掴めアメリカンドリーム!」みたいなこと言ってマドンナのヒットメドレーを再生したのだ。
「わーい、VOGUEだー!」と前へ出て踊りだしたのは私だけで、他の子たち、みんな超キョトンとしてたよね……。推定50代女性講師、「Ikuだけはわかってくれると思ってたわ! ナカーマ!」と大きなお尻を揺すって60年代風ツイストで応えてくれるんだけど、残りのみんなは「メトロポリタン美術館で18世紀の絵画を鑑賞する」みたいな表情で真顔でMVに見入っている。初めて観る映像なので次に何が起こるかわからないのだ。「これは、どういうストーリーなの?」と訊かれたりもした。えっ、ちょ、待、今の二十歳って、マドンナ通らないの……? と思ったら、そこはさすがにデザイン科の学生、「でっかいラジカセ持ってレオタードで踊ってるやつとかは知ってる(=Hung Up)」とのこと。ああよかった威光はまだ衰えていなかった、と思いきや「この頃はまだオバサンもそんなに痛々しくないね、で、これセブンティーズくらい?」と質問される。本当「この様式、17世紀?」って表情で。生まれる前なら1970年も1990年も同じですよね……。
もちろん中には、デヴィッドボウイの熱狂的ファンで、服装も髪型もいつもそこはかとなくロンドン子っぽい中国人女子などもおり、プレゼンテーションでもボウイ様のお召しになったカンザイ・ジャマモト(原文ママ)の革新的ファッションを熱く語ったりもするのだが(講師と私だけ好感度うなぎのぼり)、大抵の子は「マドンナのことは知らない、でも日本人で一番好きなのはシュン・オグリ!」とかそんな感じなのであった。
よく「初めての海外生活、しかも30代半ばにして初めての大学留学、どんな心境ですか?」と興味津々で訊かれる。何かとんでもないトラブルや、いわゆる「苦労話」を聞きたいのだと、声のトーンでわかる。ただ正直、デザインの講義で内容についていけないことはないし、英語がおぼつかなくても日常生活には支障ないし、たとえばもっとアカデミックな大学院へ行って調査執筆に追われるような毎日に比べたら美大の課題制作なんて楽チンきわまりないのである。「思ったほど痛い目に遭っていないようだな」と質問者をガッカリさせることしばしば。
しかし、ふとしたときに頭をよぎる「VOGUEも知らないような年齢の子たちと机を並べている」といった事実は、ボディブローのようにじわじわ効く。苦労というのではないけれど、「俺、いい年して何やってんだ」という重苦しい自問自答として跳ね返る。何が一番の「痛い目」かといえば、これじゃないのか。みなぎる「若さ」の只中へ放り込まれ、エネジィを吸って失われた肌ツヤがよみがえった面もあるかもしれない。ただどちらかというと「若さ」の奔流に押し流されつつ、自分と自分の実年齢を見失う感じ……?
アメリカ大陸に受けた衝撃でも、アジア人留学生に受けた衝撃でもなく、ただひたすらに「20歳は若いね」「フレッシュマンはフレッシュだね」という、日本国内で会社に勤めていたって感じるはずの同じアレを、海を越えてもやっぱり一番強く感じるよね、という話である。ただし私の場合、彼らの上司でも先輩でも指南役でもない。ラブコメ漫画などでよくある「精神がオッサンのまま肉体だけ子供時代にタイムスリップ!」みたいな展開、まさにアレ。もう自分では得ることのできない、隣の芝生の若さが、目に痛い。
……と思いながらTwitterのタイムラインで紅白歌合戦の実況中継を眺めていたら、いつも楽しませていただいているあのフォロイーやこのフォロイーが、「BUMP OF CHICKENは俺の青春の象徴!」とか「AKB48の昔の曲を聴くと受験時代を思い出すなぁ」といったつぶやきを投下しており、似たような話はすぐ近くにもゴロゴロ転がっているのだった。みなさま、よいお年をお迎えください。