2016-01-12 / ★

一昨日の竹田圭吾さんの訃報に続き、昨日は朝起きてすぐ、デヴィッドボウイの訃報で目が覚める。ちょうどとても興味深い感想を読んで、新作『★』を聴こうと思っていた矢先だった。私はもはやそれを「遺作」としてしか聴けなくなってしまったことを残念に思う。もう少しだけ行動が早ければ、ただ純然たる新譜としてそれを聴く体験ができた。今はもうできない。取り返しがつかない。と思いながら聴いている。もちろん直接の面識があったわけではない、ライヴを生で観たこともない、実在しているのかしていないのか、していなかったとしても逆に驚かないかもしれない、そんな距離感でしか接していなかったけれども、彼はスターだった、他のみんなにとってと同じように、私にとっても。
一足先に引退の報を聞き、私は2015年10月15日付でこんなふうに書いている。「たとえツアーは引退しても、デヴィッド・ボウイは生涯引退できないでしょうー。という。」


新作の評判がインターネットを駆け巡り、世界中が口々に誕生日を祝うなか、マジックの種明しのように届いた訃報。できすぎた物語のよう、「やっぱり生涯デヴィッドボウイを引退しなかった」と思った。彼のように生きてみたいと願うたくさんの人々のうち、同じように人生に幕を引くことのできる人がどれだけいるだろう。「危険なので絶対に真似しないでください」の立て看板が要るな。はるか遠くにある星と見上げながらも、同じ時代に生きられた幸福を思う。
さてSNSを覗いてみると、みんなが思い思いに哀悼の意を表明している。その熱意にちょっと怯んでしまう。私が新作を早く聴かねばと思ったその感想文を書いた、ことあるごとに彼の名を挙げるようなガチヲタの人々と、あんた今まで一度でも好きだって言ってたっけか的な人々とが、一緒になってあれこれエピソードを綴っていて、正直、私にはごっちゃになった両者の区別がつかなかった。そのことに少なからずショックを受けた。なんだろうこの感じ、と考えていたら、このタイミングで検索でもかけられたのだろう、誰かにふぁぼられて、久しぶりに自分の書いた過去のtweetが目に入った。2011年8月29日。


そう、ここで書いた「美学」のようなものに則ると、たとえばぬるいリスナーだった私にはデヴィッドボウイの死を語る資格がないのである。60〜70年代をリアルタイムで知る年上世代にも、彼の名前さえ知らない年下の世代にも通じないことを承知で書くのだが、1990年代、主に日本のポップ&ロックを好んで聴いていたオタクの私は、中学高校の教室で「デヴィッドボウイが好き」と言うことができなかった。なんでだよ、と今訊かれても答えられない。イエモン好きの軽音部員とかが言うことは許されても、小室哲哉好きの文芸部員などが同じこと言うのは許されない空気があったわけですよ。私のような人間が好きと言えるのは、せいぜいがブライアンイーノですよ、そしてアチャーって顔されんの、わかる? わかんないよね。そしてイーノに失礼。ちなみに「書店でこっそり『Olive』を立ち読みしてることがクラスメートに知られたら死ぬ、『私はただ小沢健二の連載が読みたかっただけなんだもん!』を遺言に舌噛んで死ぬ(アチャー」とも思っていた。まぁわかんないですよね。世の中にスクールカーストなんて言葉はまだなかったが、たった一人で語り合える友達もおらず、というか語ってる人たちなら眼前にいるのに彼女たちと社交する勇気が搾り出せず、近所のレンタルCD屋でこっそり借りた旧譜をカセットテープにダビングして聴いていた。このような姿勢でデヴィッドボウイを聴く自分は聴けば聴くほど最低最悪にダサいと、当時はそう思っていた。
はるか遠くにあるはずのスターを身にまとうときは、せめてその間だけでも、それにふさわしい自分でなくてはならない。そうやって自分を無駄に戒めて、あの頃、人前で口に出せなかった数々の言葉は、今も自分自身の言葉にはなっていない。というか、これ以上書くと「じゃあ人前で好きだ好きだと言っているあのミュージシャンやこのロックシンガーのことは、ダサい俺でも語れる程度だと一段低く見ているのか」みたいな話になるのでやめておく。他人様のコメント欄に「★」とだけ書き込んで、それでおしまい。
先日、英語の授業で「歴史を変えたファッションアイコンについて調査してプレゼンテーションをする」というグループワークの課題があった。ランダムに組まされた三、四人のグループで講師が用意したリストからテーマを選ぶことになるのだが、私が組んだクラスメートは二人とも20代のアジア系で、そもそもリスト化されている半数近くの人物名が誰だか知らず、「えー絶対オードリーヘップバーンがいいー!」「きゃー、私も大好きー!」「「ティファニー!」」ってなわけで我がグループのテーマは多数決でオードリーになった。リストに記されたデヴィッドボウイの名に反応したのは私ともう一人の若い女の子だけ、毎日どこかにヴィヴィアンウェストウッドのオーブつけてる彼女は強引に自分たちのテーマをデヴィッドボウイに決めており、一緒に組んだ子たちは「誰?」ってんで慌ててWikipediaを読んでいた。「いいなぁ、私もボウイ・グループに入れてほしいわー、そっちの子たちとプレゼンしたいわー」とボヤくと、苦笑いの講師が一言「You can’t.」と返した。
I can’t join the Bowie group. ああ、今のこれ、このシーンをこそ大島弓子に漫画にしてほしいぜチクショウ、と思ったのが昨秋の思い出。

あまりにも何もしない冬休みが続き、長いこと鬱々と臥せっていたりもして、結果いい具合に日付の感覚がなくなってきた。新作映画が公開になるというので突然盛り上がって『あぶない刑事』の旧作映画を観て、『悪魔のようなあいつ』観て、そのまま我が家は「岩井俊二祭り」に突入しているところ。夫のオットー氏は今まで一作も岩井作品を観たことがなかったのだそうだが、さすがの名誉女子力と言うべきか、さすがの腐男子力と言うべきか、あっという間に水に馴染んでいた。ちょっと怖いくらいである。途中、私のほうが先に「血中岩井俊二濃度」が高くなりすぎてリタイア。やっぱりブランク明けは少量ずつにしておかないと、リリカル過剰摂取で身がもたない。ところでAppleTVに肝心かなめの『式日』がなくて、どこかに録画があるだろうかと古いHDDを漁っていたら、「夜のヒットスタジオ」やら「デカメロン」やら「土曜ソリトンSIDE-B」やら、「HEY! HEY! HEY!」初出演時の及川光博(へそ出し)など高校時代に録り貯めたVHSの映像がザクザク発見され、一つ一つ解説つきで夫に見せた結果「ブレないね……」とお褒めのお言葉を賜った。昼ごはんに昨日のカレーの残りを美味しく食べたが、前日が1月の何日の何曜日だったのか思い出すのにはとても時間がかかる。あまりにも何もしない冬休み。