2016-01-13 / 入浴、入浴。

夫のオットー氏から「せっかくの正月休みの間に何かしておきたいことはない?」と訊かれて「ゆっくり風呂につかりたい」と即答し、ハッと気づいて「よければ一緒に」と付け加えたのだが、私はKANの何なのさ。

いまさら書くまでもないことであるが、海外在住日本人が最も苦労することの一つ、それが風呂ではなかろうか。欧米、賃貸アパートはもちろんホテルでもシャワーのみの部屋というのがありまして、まぁ覚悟を決めてそういう暮らしもアリなのかなと引越前に一応あれこれ体験してみたわけだが、無理。てんで無理。不動産屋にも「他はいっさい贅沢言わないがバスタブだけは必須」とうるさく言って探してもらった。おかげさまで我が家には結構ちゃんとしたバスタブがある。でも基本的に身だしなみとしての沐浴はシャワーで済ませていて、日本にいたときのようには滅多やたらとお湯は張れない。

理由はいろいろあるのだけれども、まず住み慣れた東京と比べて気候が乾燥しているので沐浴の意味合いが変わり、頻度が下がる。ベタベタする肌から垢をふやかしてこすり落とすというよりは、表面に付着した汚れを水圧ではたき落とすといった身の清め方が求められ、その意味でシャワーは理に適っているなとも思う。美容師からも「この気候でこの水で毎日ガシガシ髪を洗っていると頭髪が傷むばかりなのでやめるように」と言われた。さらに外的要因を加えるならば、我が家、バスタブの栓の密閉度が著しく低く、完全には閉まらない。何を言っているのかわからねーと思うが、なみなみとお湯を張っても浴槽につかっている間にみるみる底から湯が抜けていってしまうのだ。強制半身浴。ボタンひとつで自動お湯張り&追い炊き機能つきの日本式風呂に慣れていると、どんどん冷めてみるみる水位が下がっていく浴槽に温度調節の不如意な熱湯を注ぎ足しながら戦々恐々と手動操作にかまけているうち、すっかり肩が冷えてくるというバスタイムはかなり萎える。そんなわけで「身だしなみのために必要にかられてシャワーだけは浴びるが、風呂には滅多に入らないし、その楽しみが激減してしまった」というのがここ数ヶ月の生活変化。私が源静香なら憤死しているところだ。

郊外まで足を伸ばせば韓国系経営のいわゆる健康ランドやユネッサンリゾート的なスパ施設があるらしく時間制で40〜50ドル、さらに車で近隣州まで出かけていけば温泉にだって浸かれないことはない、とは噂に聞いていた。残り少ない冬休み、そんなところへ小旅行して一日中お風呂に入っていられたら、それだけで疲れが吹き飛ぶのになぁ、というのが私の唯一の願いだったのだが、これが案外あっさりと近場で叶ってしまった。自宅から徒歩圏にある高級美容スパ&エステサロンに、なんと日帰り入浴プランがあったのだ。もちろんそんな温泉宿みたいな名称ではない。正式には、マッサージやフェイシャルなど百数十ドルの施術を受ければ無料で利用できるという「ウォーターラウンジ」なる付属施設が、それだけ単体でも利用可能だった、というもの。

いろいろ調べてみるとここはニューヨークでも屈指の人気を誇るという超有名スパであるらしい。どこの紹介文を読んでもびっくりするほどの美辞麗句が並んでいる。おしのびで著名人やセレブが通い詰めているとか、日本からわざわざ目指して行く価値がある観光スポットであるとか。貼りつけられた宣材写真もかなりよく撮れていて、実際、映画やドラマのロケにも使われるんだそうな。まさに都会のオアシスといった風情……。しかしまぁ、風呂好きの日本人の厳しい目線から入浴施設だけをダイレクトに見れば、ぶっちゃけ言うほどの設備ではなかった。定員10名規模で水温40度前後のぬるめのジャグジー風呂が1つ、さらに狭い水風呂が1つ、やたらと広い乾式サウナ風呂が1つ、照明を落とした湿式ミストサウナ風呂が1つ。以上。日本でならちょっとした月額制フィットネスジムの更衣室にある風呂か、はたまた温泉街のビジネスホテルが女性客を呼び込むために作ったオマケの風呂か、日帰り入湯料1500円程度のよくある設備だ。俺たち別にセレブでなくたってこのくらいの外風呂はしょっちゅう使ってたぞ、と思う。日本人はみんな世界屈指の風呂セレブなのである。

しかしこの街のバストイレ事情など鑑みると、古い建物の地下3.5階分をぶち抜いて自然光の降りてくる中庭風の吹き抜けにした開放感、脱衣所をはじめとする各所の清潔感などは高く評価に値する。渡米して5ヶ月まともな風呂に入っていなかった私は、薄めた洗浄剤でも入っているのかぬめった水質で異様にぶくぶく泡の立つぬるいジャグジープールにさえ、いたく感動したのであった。身体の芯からあたたまり肌が内側からふやけていく感覚、久しぶりに味わった。土日は混雑するらしいが平日日中なので当然ほとんど客がいない。ちっとも湯につからずサラダとスムージーつついてストレス解消に何かを愚痴ってる意識高い系の美女たちとか、風呂につかりながら家長の父を囲んでこんこんと話し込んでいるお金持ちっぽい謎の家族連れとか、関係性がまったく見えないのが逆に関係を暗示させる中年男と若い男の二人連れとか、みんなマッサージかなんか受けに来たついでの客、要するに、我々ほど真剣にガチで風呂だけを味わいつくし風呂に全神経を集中し隙あらば風呂に入り続けようとしているウォーターラウンジ客は他におらず、おかげで非常にのんびりできた。

とくにミストサウナがすごくよくて、後半はずっとそちらに籠もっていた。思えば東京にいた頃はミストサウナの有難味が全然わからなかった。何もない部屋に蒸気が充満しているだけで、乾式サウナみたいに我慢大会ができるわけでもなく、岩盤浴ほど目に見える効果もなく、他のものに飽きてきたとき気分転換に入るだけ、という感じだったと思う。それがどうだ。視界を完全に奪われるほどの熱気の中で、身体を触ると表面からポロポロいろんな汚れがはがれ落ちてくる。ずっと入っていられるんだけどむしろ汚れを洗い流すために出ないといけない、という感じのサイクルで、びっくりした。むしろ乾式サウナのほうは日本でよく入るものより明るくドライなだけ体感温度も低く過ごしやすく、そのぶん「ふーん」という感想しかない。まさか湿式サウナのほうが効くとは、普段の生活がどれだけカラッカラに乾いているのか実感した。とくに冬場、手がカサカサに乾いてしわくちゃになって、それで手指が動かしづらくなる、なんてこともある。慌てて保湿クリームを塗ったりするのだけど全然追いつかない。まぁあのクリームの浸透しなかった積層がポロポロ剥がれ落ちてるだけかもしれないが、その奥から汗をかいている感じが気持ちいい。

建前上は3時間制だがとくに時間制限はなく、半日のんびりできて、しめてお値段、55ドル。半年前の私なら「ちょっと待てや、武蔵小山の清水湯なら入湯料460円で二種類の天然温泉のジャグジーと電気風呂と露天風呂が使えて追加料金でサウナと岩盤浴もできてラムネ飲めんねんぞ! なんで風呂入るだけで6500円も取られなあかんねん!」とブチ切れていたことと思う。しかし私も今やすっかりニューヨーカー。敢えて言おう。「6500円で好きなだけ外風呂に入れるなんて、安い」と……!! だって、ちょっとくだらない外食したら即このくらいの値段になる街ですよ。晩飯に「一風堂」のラーメン食べたいと思ったら、飲み物と餃子にサービス料やなんやかやですぐ同じくらいの値段になる街ですよ。店の前は何度も通り、看板と外観だけ見て私の人生には何の関わりもない月額会員制の高級社交場か何かだろうと思ってた場所が、入湯料ポッキリで行きたいときにいつでも行ける銭湯機能を有していたなんて嬉しすぎるじゃないか。しかもうちから徒歩圏というのが素晴らしいので、きっと必ずまた来ます。

でも日本帰国したらやっぱり清水湯行きたい。10日通ってもニューヨークのスパ1回分より安い上にただの湯ではなくちゃんと効能がある温泉だなんて……! っていうか私がこんなに外風呂のバリューにやかましい風呂セレブになったのも武蔵小山温泉の徒歩圏内に住んでたからだし、汗を流すシャワーだけで十分暮らしていけている在NY日本人もたくさんいるんでしょうけども。
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