2016-01-18 / 遠い町で

世間はSMAP解散騒動でもちきりだが、東海岸時間では坂本龍一64歳の誕生日が明けて宮沢和史50歳の誕生日なので、宮沢和史のことを書く。今月3日、「表舞台における歌唱活動を無期限で休業する」という発表を受けてこんなふうにつぶやいている。

https://twitter.com/okadaic/status/683522257747062784

こうやって読み返すと別にこれ以上書くこともない気もするが、数日前の日記にも書いた通り、GANGA ZUMBAの高野寛がずっと懐かしい写真に「#miyazawamusick」のタグをつけて思い出を綴ってくれていて、それを眺めながら幸福な日々のことが思い出され、今を逃すともうそんなことも書けなくなってしまうかと思い返した。間には、デヴィッドボウイの訃報および晩年を遺作に注ぎ込んだエピソード、加えてSMAPとジャニーズ事務所のあれやこれやも耳に入ってくる。「表舞台の人生に自分で幕を引く自由」について考え続ける十数日間だった。

あまりに意気消沈した私を見兼ねて、夫のオットー氏がとうとう「今からでも急ぎの往復航空券を取って日本へライブを観に帰ったら?」と言ってくれた。そんなことはもう何日も考え続けているよ。でも、こんなことでいちいち緊急帰国していたら、きっと今後あれもこれもと欲張ってしまうようになるから、グッと我慢することにした。以下は、長い長い、行けない言い訳。


約20年ほど前、日比谷野外音楽堂で「THE BOOM祭り」というライブがあり、行って帰ってきた私はその晩、明け方近くまでノートに日記を書き続けた。当時すでに書き物にはワープロを使っていたのだが、その夜だけはどうしても手書きの気分だった。「きっと僕らの夢を完璧に成し遂げてくれるシンガーが出てきたら、僕はギターとマイクを置いてそいつの歌に夢中になっているかもしれない。」……私が惚れたのは、音楽番組の生放送でそんな詩を歌い上げるようなロックバンドであった。だとすれば私のギターとマイクは、きっと紙とペンなのだ。一緒に声を張り上げて踊りながら歌うとかコピーバンド組むとか、雑誌の記事を切り抜いて何度も読み返すとか、僕に笑い返す君の似顔絵描くとか、明日の空に口笛を今日に口づけをとか、愛の表現方法はいろいろあるわけだが、「他人の歌を聴いてなお、自分のことを書き綴る」というのが、私が人生で一番したいことなんだな、と実感した出来事のうちひとつである。そして今もしている。

その頃はまだSNSどころかインターネットも普及しておらず、雑誌のインタビュー記事や出演番組の内容についてファン同士が感想を共有するのは至難の業だった。だから各地でのセットリストやライブMCを淡々と記録するミニコミなどもあって、そのうち一つ、自宅の庭でシャベル持って生ゴミを埋めている宮沢和史をマンガに描いた同人誌を読み、「これだよこれ、俺たちの好きなロックミュージシャンは庭でコンポストしてんだぜ、それってすげーことだよな、やっぱ時代はアースコンシャスだよな!」と、孤独に盛り上がったことがある。思い出すと笑ってしまうのだが、当時はまだ「意識高い」なんて侮蔑語もなく、軽佻浮薄な80年代の末路としてバブルがはじけて数年経ったところ、私の大好きなもう一人のロックミュージシャンがいつの間にか怪物プロデューサーに化けてヒットチャートを席巻している反吐の底の吹き溜まりでは、もはや頭にクソがつくほど真摯なものしか心を打たなかった。

たとえばこれが、飲んで暴れて後輩を殴ったり盗んだバイクで走りだしたりするようなタイプのミュージシャンだったら、あるいは異星から降ってきた王子様みたいな架空のキャラを演じ続けるタイプのスターだったら、もしかしたら私は今の生活すべてを捨てて往復航空券を定価で購入し、そのラストステージを見届けにどこへでも駆けつけたかもしれない。刹那的で不可逆で、脆く儚い幻のような輝き。そっちはそっちで嫌いじゃないもの。しかし、私がこよなく愛するこの男は、自宅の庭に生ゴミ埋めてるタイプの大地に根を張ったロックンローラーなのである。だから私たちも私たちの庭にそれぞれの堆肥を撒き、私たち自身の花を咲かせなければならない。そんなふうに煽られて生きてきたんだもの。彼に倣って。彼に負けじと。彼の歌声を聴きながら。


語弊を承知で書くが、この人は単なる歌手ではない。シンガーソングライターであり、複数のグループやユニットのバンドマスターであり、彼がフロントに立って歌うことで、それまで届かなかった人たちにまで音楽にのせてメッセージが届く、そういう存在なのだ。単なる歌手ではない。もちろんあの素晴らしいボーカルと激しいステージパフォーマンスを死ぬまで観ていられたら最高であるが、たとえ声を失っても「歌」を届けられる人である。と私は思う。さすがに老けたなぁ、と思った次の瞬間いきなり鍛え上げた肉体美で飛んだり跳ねたりを見せつけ、でも自分で書いた歌詞や歌い出しをうっかり盛大に間違えたりもする、客も客でいつマイク向けられるかわかんないから気づけばポルトガル語パートまで歌えるようになっている。つまりこれもう喉と身体を労わりながら我々のアジテーターとしてフロントに君臨し続けるのもアリなんじゃないの、むしろ教科書に載った代表曲の歌唱活動に専念させられてる現状のほうがよっぽどアレだろ、とまで考えて、そうか、違う、もうアレから解放されるって話なのか、と思い至り、とすれば惜しみつつも新しい門出を祝福したい気にもなる。レコード会社との契約や新しく得た肩書の関係で、いつの間にか歌わなくなっていった歌手を他にいくらでも知っている。もう歌わないと知って彼らへの関心が途端に失せてしまった経験も幾度もある。あのモヤモヤに比べたら、こうした幕引きを経て可能なかたちで音楽を続けてくれたほうがずっといい。

それにしても、GANGA ZUMBAにおいてボーカルが軽く霞むほどの邪悪なカリスマを放ちながら、のみならず、そんじょそこらの音楽ライターよりよっぽどマメにツボをおさえてバックステージの様子を見せてくれる高野寛のInstagramはいったい何なの、死にたくなるほど眠れぬ夜を過ごしている俺たちの観世音菩薩様なの!? ていうか世の媒体記事はGANGA ZUMBAの写真撮るときMIYAにばっか寄りすぎなんだよ奥のスザーノ見切れさせてんじゃねえよもっとこう全員揃ってワチャワチャにこにこ団体旅行客御一行様プレイしてるとことか横の連帯と力関係が感じられるあれやこれやをちゃんと写せよ、そこんとこ超絶わかってんのヒロシだけじゃねえかよ!! と極東方面を大変ありがたく拝みつつ、宮沢はとうとう「こちら側」へ来なかったよね、と繰り返し考えている。まぁ、ラジオスターの悲劇ならぬ、君はTVっ子、ですからな……。あんなに頻繁にマスメディアに露出して、あれだけ作中で赤裸々に心情を綴っているのに、いつも身近なようでずっと雲の上にいたのがMIYAだった。たぶん以後も徹底して「あちら側」に立ち続けるのだろう。本当のところは誰にもわからないまま、島唄と息子のことしか書かない週刊誌ばかりが何かを騒いでいる。

別に何も一般公開のSNSでファンに丸ごと全部を見せてくれと言っているわけではない。高野くんだって別に私生活の仔細を晒してるわけじゃない、ただ彼はものすごく腕の立つ写真家でバンドの広報部長としておそろしく優秀なだけである(しかもイケメンでギターも上手いってどこの乙女ゲーの登場人物だ愛してる)。ただ、私には商業音楽界の内部事情のことはよくわからんので、彼岸と此岸の違いを表すのに、指示代名詞の他に言葉を当てはめられない。そして、とにかくひたすらただただMIYAとヒロシの両方が大好きなので、ベテランと呼ばれる域に入ってからのそれぞれの境地、それぞれの選択が、それぞれの結論を導いたんだろうな、とだけ思っている。その上で、高野くんがMIYAなりの決断をとても尊重して、MIYAの振る舞いとはまた別の方法で、いちばん近くで彼の最後の「表舞台」を支えてくれているんだな、というふうに眺めている。いやーまったく、遠くにありてもっと宮沢に近づきたいと思うとき、いつくしみ深き高野くんの御元に代願すれば必ず執り成してもらえるこの感じ、なんだろね、マジ俺たちのサルヴェ・レジーナ。君の胸で眠る僕は十字架。宮沢の発表したあの声明、文面だけだと正直いまだに何言ってんだか全然わかんないんだけど、隣に立ってる高野くんの振る舞いと言葉によっておおむね伝わってくる。あとのことはライブ行けばわかるんだと思う。


ちょうど1年くらい前、THE BOOM解散ライブの終演後、辛抱たまらず有楽町のドトールで書きなぐった手紙を押し付けるようにして渡した。ほとんど錯乱状態にあったのでとても正確な文面は思い出せない。ただ、自分が来夏からアメリカへ行くこと、すなわち今までのようにはライブを追いかけられなくなること、「でも、あなたが世界のどこか空の下で今日も歌い続けているのだと思えば、私はこれからも、世界のどこでだってそれを聴きながら、何だってやっていける気がします」というようなことを書いた。たくさんのファンがそんなふうに彼の歌を、彼の存在を、励みに生きてきたと思う。だからずっと歌い続けていてください。いつも当たり前のように掛けていたその言葉が重荷となっていなかったか、今はそれだけが気掛かりである。

だけど、逆ではない。宮沢和史が歌っていると思えば私は何だってできる、けれども、たとえ宮沢和史が明日歌わなくなったからといって、私まで何もできなくなるわけではない。ぬくぬくした場所で彼が次々に聞かせてくれる歌をただ口を開けて待っている場合ではない。触発されたら、あとは自分が為すべきことを為さねばならない。他ならぬ本人に向かってそう宣言した手前もあって、私は、いつもなら駆けつけているはずの現場へ行かず、いつもと違う場所で、この最後の1月を過ごしている。宮沢がもう歌わない世界を、これからも宮沢の歌とともに生きていく。歌い継ぎながら、もっと速く、もっと強く、もっと遠くまで歩いていく。


それであのー、こんな辛気臭い話でなく、以前書いたモテ沢モテ史さんを讃えて重婚を迫るほうのモテエントリを読みたい! という声を各方面からいただいているのですが、掲載していた「ザ・インタビューズ」が無期メンテナンス中で、ぶっちゃけ私の手元にはいっさいログが残っていないので、もしローカル保存しているという奇特な方がいらしたらご連絡いただけると嬉しいです。いやあの回答に限らず、他の記事もお持ちの方がいたらよろしくお願いいたします……。【追記:秒速で解決しました、ありがとうございます。】