2016-01-19 / 魔法的、爪の先

寝て起きたらタイムラインは「魔法的」でもちきり、LA在住であるはずの後輩から育休明けて仕事復帰してるはずの友達まで、みんな現地の写真を拡散している。あのー、日本時間、平日昼間ですよね……? 何やってんの君たち、いや、私だって東京にいたらそりゃ同じことしたけどさ!

じつは本来ならば私は今頃、この冬休みのタイミングを利用して1月半ばから日本へ一時帰国していたはずなのだった。でも物事はそんなにうまく運ばないもので、昨年末から「うまくすればあの仕事とこの用事をやっつける前後の滞在期間で、石川禅ちゃんの出てるTdVの地方公演も回れるし、新妻聖子様のDNA-SHARAKUも観られるし、宮沢和史とGANGA ZUMBAのライヴだって追っかけられるし、東京に家があるときより日本のどこにでも泊まれる今のほうが遠征の自由がきくかも、よーしあれもこれも楽しめるぞー」と皮算用していたものはすべて無に帰した。そこへトドメの一撃、ニューヨークの小沢健二さんが日本の渋谷でなんかかんかするのを観られない理由がニューヨークにいるから、というとてつもないジレンマ。うーん、くやしいけど、GAMAN。

『ALLEGIANCE』観てからというものすっかり「GAMAN」が口癖になっている。日本人が日本語で言う「我慢」は「根性」と並んで大嫌いな言葉で、幼い頃から極力使わずに生きてきたのだけど、あの劇中でジョージタケイおじいちゃんが日系アメリカ人となった子や孫に向けて収容所で言う「GAMAN」はとてもよくて、私もこれからは私の心の中にジョージタケイおじいちゃんを飼いながら、何かくやしいことがあるたびに「Iku, GAMAN.」と肩を叩いてもらおうと思う。日本語の「我慢」って「現状打破を諦める」みたいなニュアンスが強すぎるんだよね。でも生涯賭けていろんなものを打破し続けてきたジョージタケイが全身全霊を込めた作品で打ち出すこの「GAMAN」は、未来志向の言葉なのだ。私は今とても中途半端な立ち位置にいて、ここ数年のうちに新しくゼロから足場を組んでいかないといけない。その期間、「今まで」と同じようにはできないこともあるのだが、それを受け容れるのはすべて「これから」のためである。過去と現在と未来、どれを選ぶかと訊かれたら、私はいつでも「未来」を選びたい。ほっとくと割と「過去」を選んでしまいがちな性分だからこそ、無理をしてでも別のものを選びたいし、「現在」への執着はとても薄い。「暗い道を歩くのは、ただ少しだけ照らされてるから。本当に真っ暗だったら歩けないよね」(Malefices)という歌詞のことなど思い出す。

……などとキメ台詞を吐いたところで、「こちら側」を代表するBOOMERである杉山敦さんが「ザ・インタビューズ」のアーカイブを掘ってきてくださったので、本日午後は記事の復旧転載作業にあてることにした。新学期の準備もせなあかんのにめっちゃ「過去」選んどるやんけ! ズコー。でもまぁやっぱり新学期が始まると過去を振り返っている暇も現在を書き留めておく暇もなくなるので、今のうちに、今のうちに。


昨年8月3日に渡米するそのほんの数日前、自宅を引き払ってから、渋谷のネイルサロンへペディキュアを塗りに行った。人前に出る仕事のために通いつめていた分のポイントカードがたまりにたまって、無料で特典を受けられるというので最後の予約を入れたのだった。普段はもちがよいのでジェルかシェラックを愛用していたのだけど、特典対象外だったのでペディキュアにした。すぐにでも剥がれてしまいそうな繊細な銀色の一色塗りで、ダンボール箱と台車とガムテープと軍手にまみれて引越作業に忙殺されていた私が、東京でする久しぶりにして最後のオシャレだった。「これが落ちるときにはもう新居に落ち着いてすっかりニューヨーカーかしら」などと考えていたものである。

そのペディキュアが、実はまだ私の足の爪にあるのです(つげ義春)。いや本当にびっくりする。もちろんさすがに全部きれいに残っているわけではない。私の足は世間一般と比べて親指の爪がとくに肥大していて、そのすごく大きな両足の親指の爪の端に、まだまだくっきり銀色の横線が残っている。面白いので自分からは剥がさず、新しい色も塗り直さずに、そのまま放置して完全に消えるのを待っているところ。童謡に歌われる、背比べの柱の傷みたいなものだ。もうそろそろ半年経つ計算になる。いろいろなことを考える。まず何よりも、日本の美容技術はすごいな、ということ。ネイリスト自身も「2週間もすれば取れちゃいますからー」と笑っていたにも関わらず、丁寧に甘皮を処理し、ベースコート、三度の重ね塗り、トップコートをものすごい集中力とテクニックで施すと、付け根の部分は半年も色褪せないのだ。普通の客は取れかかってきたあたりで除光液でオフしてまた新しいカラーを入れに行くので、この凄さに気づく者は極めて少ない。ネイリストさえ、まさかあの日の銀色が、海を越え、季節をまたいで、まだ輝いているとは思うまい。

それから、肥大した親指はやっぱり他の小さな指よりも爪の代謝が遅いのだろうか、ということ。先端は摩擦で剥がれ、下からは新しい爪が生えてきていて、付け根から数えて85%くらいの地点に銀色の半月が残っている。つまり、半年経っても爪が完全に生え変わることはないわけだ。じつは今、右足の薬指の爪下に血豆ができていて、これは秋に新しい革靴をおろしたとき一日じゅう指を詰めて履いてこさえたものなのだが、今はだいぶ引いたこの血豆も完全に消えるには半年かかるのだろうか。ペディキュアを塗り直さないのは爪を傷めずにその経過を観察していたいためもある。一方で、右手の人差し指のようによく使う指の爪は成長も早いように感じるのだが、実際のところどうなのだろう。この半年で、もうこれだけの爪が生え、つまりそれだけの爪を切って生きてきたのだ。そして半年前にはまだ東京にいたのだと、足指の爪を見るたび思い出す。

もう一つ、お湯を張った風呂に入る頻度が減ったことも、ペディキュアの長持ちと関係しているかもしれない、ということ。夏場はとくにシャワーだけの生活が続き、指先の皮から爪までもがふにゃふにゃに柔らかくなるまで入浴するという機会が激減した。乾燥した気候のせいもあり、裸足でコルクサンダルを履いていると脂を吸われて一日で踵がガッサガサになる。生まれて初めて、軽石のようなものでこすらないと到底追いつかないほど踵が割れた。人間の皮膚はこんなにも簡単に硬化してしまうものかと恐れおののき、ならば柔らかい部分はなるべく柔らかいままにしておこうと、土踏まずや足指の隙間などを神経質にガリガリ洗うのを控えるようになった。東京で暮らしていたら、ここまで長持ちはしなかったのかもしれない。そんな話をまた、あのネイルサロンのおねえさんとおしゃべりしてみたい。もし今月1月に日本へ帰国できていたら、同じサロンへ行って剥げ残りを見せて自慢してから塗り替えてもらおうと思っていた。

足の親指は脳の反射区にあたる。足の親指が大きく硬くこりかたまっていて、強く触られるとのたうちまわって痛がる私は、足つぼマッサージに行くたび「あんたアタマでっかちだネー」と笑われる。なかなか剥がれないペディキュアの周囲をシャワーの下で揉み洗いしながら、ずっと頭でっかちにそんなことを考え続けている。