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2016-01-28 / 電気をつける係

春学期4日目。

朝から左肩の付け根が痛く、左腕がナチス式敬礼より高く上がらない。これが四十肩というやつか、アラフォーだもんな。でもその原因は、新学期にふたたび「ランドセル」を背負い始めたからなのだった。東京にいた頃からありとあらゆるゲラを突っ込み泊まりがけの出張などにも愛用していたJas-M.B. Tokyoのリュックサック、毎日背負ってたらさすがに目も当てられないボロさになってきたので(それでも底が抜けたりはしていないのが素晴らしい、限定品でなかったら修理に出すか同じの買い足したかった)、冬のセールで買ったCote&Cielのまるっこいリュックを使い始めた。ぶっちゃけ背負い心地はあんまりよくない。早く身体になじんでほしい。

観測史上2番目の猛吹雪も、数日経てば爪痕も残さない。雪が積もったままの道で通行人が迷惑、という光景は見かけなくなった。毎日まったく同じ徒歩20分の道程を見てるだけだけど。除雪車の通る頻度はやはり行政の予算によって町ごとに異なるらしく、郊外のアパートメントの地階に居を構えるお年寄りがずっと友人宅に身を寄せているなんて話も聞く。路肩の積雪には融雪剤や排気ガスと埃の他にいろいろな色がついている。犬のおしっこと飲みきれずに撒かれたコーヒーが多い。夏場の地面にたまっている謎の液体も、構成要素はつまりそういうことで。わかっちゃいるけど、雪が景色を真っ白に覆うのは一瞬で、後はむしろ町の汚れを普段以上に白く際立たせている。

木曜は3限が1つきり。丸襟のセーターを一枚でざっくり着て全身黒でかため、冷ややかな表情を崩さず小声でゆっくり話す鼻筋の通った銀髪眼鏡、10人に見せて10人が職業を当てられるであろう、デザイナー然とした講師。無機物に喩えるならアイスピック。好みのヴィジュアルなんだけど、この1年余でこの系統の顔立ちの似たような美中年デザイナーをあまりにもたくさん見すぎたため、「あー、はいはい」みたいな気分になる。ちなみにウェブデザインの講師は『Kinfolk』から抜け出てきたような線の細い顔写真としゅっとしたポートフォリオにつられてフラフラ行ってみたら、なまっちろい顔のまま「ミシガン出身、アウトドア大好き、サーフィン大好き!」って感じの体育会系だった。なんというか、ITベンチャーにいそうなタイプだ、インドア仕事のストレスを大自然で解消してそう、すごい高価な自転車に乗ってそうだし家にエスプレッソマシンがありそう(酷い偏見)。

さておき、Mr.アイスピックの授業は「イラスト+デザイン」がテーマ。「かつて私が仕事を始めたとき、イラストとデザインは完全に分業制であり、デザイナーはイラストが必要なら外注し、イラストレーターは納品後のデザインに口出ししないのが普通だった。Time has change. 今の時代は、どちらかのプロフェッショナルが両方をこなすことはunusualではない」という短い話から始まって、残り2時間くらいたっぷりかけて、15名近い履修生のポートフォリオを一つずつ丁寧に見ていく、というのが第一回目の内容。この先生が話を切り上げて次に進めるときに、「Do you have any questions? …Or, do you have any answers. That’s more important. So, let’s move on to your portfolio.」と言って氷の微笑を見せたのが最高にクールだった。何それ俺こんど使う! と思わずメモったのだが、いつ使う機会あるんだろう。


この授業も履修生はイラストレーション学部(BFA)が大半、そのほとんどがsophomore(2年生)で、junior(3年生)が1人2人。そこまでは昨日のマンガ授業と同じなのだけど、「客層」が全然違って面白い。日本の美術教育界でどのへんにあたるとか全然わからないが、「そうかー、ニューヨークの街中で見かける、めちゃめちゃうまい美術素養のあるストリートアートとか、きっとこういう子たちが描いてるんだな!」という。写実的な女性像に花柄のタコの触手が絡みついているとか。元写真専攻でその頃から一貫して夢で見たシュールな光景がテーマなんだというマグリット風の子とか。キリコ風の背景の手前で内臓の飛び出した男女の裸体が腸を結び合っているとか。下ネタ満載のパンクなグラフィックノベルをめくりながら「でもこれは授業の課題だったから描いてみただけで、本当は絵本作家志望なの」と、怪物の子供たちが主人公のスケッチを見せたりとか。とにかくみんな、いろんな画材や絵柄を試していて、モレスキンアート(手帳1冊まるまるスケッチで埋めるやつ)を何周もしてて、どれも未完成ではあるが、手を動かしてる量が半端ない。いやー、多彩だなー。

全身を手作りと思しきピアスやチョーカーでかためた青い髪に黒い口紅のOtakuっぽい女子学生は、将来キャラクターデザインの仕事をしたいんだと言ってゲームキャラ中心のポートフォリオを見せ、「ちなみに今着てるこのジャケットの背面も私の作品なの」と背中を見せると白のマーカーで厨二っぽい漫画絵がびっしり描いてある。一同、ワーオ。その中で私だけ「いやこれ日本の学校にいたら入学式初日に即潰される子やろ!」と怯んでいたのだが、彼女はこの状態のまま、明るく楽しく誇り高く大学進学してきたのである。もちろん友達は少ないだろうが、ガチナード特有の異様な勢いがあって、まぁたぶん、彼女のための就職先もある、デスクにびっしり好きなフィギュア飾れる系の職場が。海外オタク文化圏のテンションがだんだんわかってきた。引き続き観察を続けたい。

昨日のマンガの授業で見かけた子たちは、同じOtakuでもひたすら作品クオリティを高めたいという雰囲気で、うまい子も「模写」によって画力を鍛えてきた感じ。これは自分も経験あるからわかるし、ある意味でゴールが見えている。なんなら私が日本人の目線でうまくなる方法を指導することだってできるかも、という想像の範疇だ。かたやこちらの授業は、同じ学部でも「自分で描いた絵を、自分の手でプロダクトにしたい」という子が集まるわけで、絵柄や作風そのものにはすごく自負がある。オリジナリティ大爆発、美術館で名画を見たらそこに自分の絵筆を足す余地がないか考える、あるいは考えるより先に続きを描き足しちゃう、みたいな感じ。私は日本で受けた美術教育ないしオタク文化の影響の中で、後者の手法を自然に試したり、褒められて伸ばされたりした経験、もっというと「発想」からして、まったくなかったなぁ。「自由に描け」と言われると手が止まってしまう。どうしたらこうなれるんだろう、というのは今も疑問のまま。

あとはコミュニケーションデザイン学部(BFA)の子が少し。この学部のことはよく知らないのだが、高校出たての状態からあらゆるデザイン系科目の入門編をさわりながら専門を見つけていく感じか。進級すると細かく学科が分かれるようだが、ESLで一緒だった子の話だと、架空の商品を自分で考えて自分でデザインして自分で広告戦略まで作って発表、みたいな課題が山のように出るみたい。独立してスタジオ構えるといった進路より、大企業の広告部門などに就職する出口を目指している雰囲気なのかな。sophomoreの子はだいたい私と同じレベル、私と同じ履修科目を取ったらしく、同じ課題のポスターなどをちょこまか見せる。一人だけ、今ちょうどthesisを手がけているというsenior(4年生)の背の高い美女がいた。もうすでにインターン先で子供服のブランディング全部任されてたりして、格好も金髪をひっつめてキリリと襟付きのコーデュロイジャケット、絵の具に汚れたトレーナーだらけの中で浮きまくっている。しかしこの子もまた、「趣味の域ですがドローイングも愛好しており、デザイン業界で研鑽を積んだ後はイラストレーターになりたいと考えております」と、抽象的な水彩画をバシバシ見せてくるので、一同、オゥ……。前にも書いた通り、私たち社会人学部の仲間は、年増を気にして再就職を不安がり、小さくまとまりがちというか、こういう貪欲で物怖じしない優秀な学部生に比べると、ずいぶん控えめなのであるよなぁ。

さて、というわけでここでも、2年制の社会人学部、グラフィックデザイン専攻、日本人、いずれも私だけ。コミュニケーションデザイン学部の子たちと同じように「イラスト専攻じゃないので、デザインの授業の課題で作ったものを見せますね」と、先学期のあれこれを見せる。写真を大きく使ったものは避けて、図版を多用したエディトリアルデザインや自作ロゴ、手描きのイラストで作ったリサーチポスター、最終的にタイポグラフィに落とし込むために描いたイラストスケッチ、ドローイングの授業で描いたヌードデッサン、などなど。「スケッチを描くのは好きなんだけど、そのまま使うとどうしても素人っぽくなる。趣味のイラストを専門であるエディトリアルデザインに落とし込むのが難しい。この授業でそれを学びたいです」みたいな自己紹介をする。Mr.アイスピック先生、ほとんど無反応のなか『久谷女子便り』のために描いたスティーブジョブズの似顔絵だけパッと指差して、目配せしてニンマリ。あーそうね、あんたジョブズ好きよね、服装でわかるわ、と私もニンマリ。「まだ二学期目なのに、もうたくさん作ってるね、感心感心」と褒められる。

一学期目の必修科目の先生たちからは「は? ポートフォリオサイトを? 今から作りたい? 君たち、それより先にやることあるでしょ!」「初年度の学校課題なんかクオリティが低くてとてもとても載せらんない、でも、人生そういうもんだから気にするな、稚拙でも、思い出にとっておけ」みたいな慰めを受けていたのだが、学部混合で学年もバラバラな中上級生向けの講義ともなれば、こんな調子でとにかく「ポートフォリオはどうした、なんでもいいから作品見せろ、おまえが誰か、作ったもので示せ」という空気。ブックデザインの講師も、生徒の自己紹介タイムなんかもうけなかった。彼女の場合は初回大遅刻かまして慌てて忘れてただけの可能性もあるが、「どうせ二週目には宿題のクリティークがあるのだから、そこで各生徒の人となりがわかるわ」ってことだろう。英語がおぼつかない私には、これはこれで非常に助かる。

プロジェクターを使ってポートフォリオを見せる子が何人かいたので、スイッチに一番近い席の私がそのたびに、電気を点けたり消したりする係になった。通常だと、プレゼンする子が自分でそこまでやれよ、という空気なんだが、この日はなんとなく指名された感じになり、私も気の付くのが早いのでパッと動いたりして、そのたびに感謝されたり、先生にいじられたり、だんだんそれがテンドン風のおかしみをもちはじめる。私は気の利いた切り返しができないので「OK」とか「My pleasure」「No no, I love this job!」とか言って、あとは身振りで笑いを取る。この「言葉は足りてないけど、コミュニケーションはとれてますよ、あなたが私をいじりたくなる笑いのツボ、私にも通じてますよ」アピールみたいなものばかりが異様に上達した。英語自体は全然上達しないどころかTOEFL最高得点をマークした頃より確実に退化している。この先生のように「顔色一つ変えずにちょっと面白いことを言う知的なキャラ」って、日本語でなら私だって演じられなくもないけど、英語では全然無理なんだよなー。36歳にして、いやます道化力。


この授業が一番ヘヴィだろうと思って木曜は1コマきりにしておいたのだが、似たメンツが揃う他の科目と違い、この日だけ別の学校に通っているみたいで、よい気分転換になりそうである。一学期目にも思ったけど、「誰も私のことなんか知らない」という場は、よいものです。履修するか迷ってるんです、と告げたマンガの授業のほうの先生から「ねぇねぇ、空席できたよ! ていうか、君のために作ったよ! いつでもおいでよ! 来週も、来て、くれるよね!?」というものすごい懐っこいメールが来る。サンタクロースみたいな容姿のおっさんで、とくに餌をやった記憶もないモフモフの大型犬から熱烈求愛されて困る、みたいな絵をご想像ください。単位制限を超過しちゃうので、やっぱり今期は履修しませんわー、という断りの返事を書くのに難儀。結局、下書きに放り込んで、課題やって寝る。とはいえ、彼の求愛さえやんわり断れば、だいたい春学期のスケジュールが組み終わる。