2016-01-27 / 1日3コマは無理

春学期三日目。表題通り。
1限の授業、二学期目のコアとなる「Graphic Design 2」。このコマだけ週2回あって通常の倍の4単位つく。どこかで誰か先輩が「ホームルーム的」と評していたが、まさにそんな感じ。先学期は複数ある「Graphic Design 1」の組分けが、そのままなんとなく同級生同士の最初の連帯になっていた。今期ぞろぞろ自己紹介するときも「We’re all from Julia Gorton’s GD1 class!」と説明したり。「GD2」は水曜と金曜の朝を決め打ちで履修して、選んだ講師の雰囲気も想像通りだったので、このまま行くことになりそう。シラバス説明の後、さっそく座学で記号学の基礎単語をさらい、それをもとに第1週の組写真を使った課題が出る。
多くの講師は「我が授業は15週間でこんなことを勉強して、最終的にここまでスキルが上達します」と示すために、過去の優秀学生の作品を見せるのだが、「先輩方の作品が見たい」という履修生からのリクエストに、この先生はキッパリNO。見せちゃうとそれに引きずられちゃうでしょ、「that might poison you」というような言い回しを使っていた。どんなものがGood Designか、その答えは、いま目に見える誰かのそれでなく、あなたの内側からのみ引き出しなさい、と。まぁたしかにこの理屈も一理ある。
一学期目のとある先生がよくdoo do doo doooと口ずさんでいた歌があって、先学期はそれは彼女独特のテーマソングか口癖みたいなものだと思って聞き流していた。ところがこのGD2の先生もまったく同じ節回しをdoo do doo doooで口ずさんでいて、ちょっと驚く。紙挟みから目当ての書類を見つけるときとか、大きなファイルをダウンロードする間とか、ちょっと手間のかかる図解を描く間とか、なんかそういう「次の画面をロードしています……」状態のときに口ずさむやつ。私が知ってる一番近いものは『モンティパイソン』でアニメパートによく出てくる、出落ちキャラが画面を横切るときの陽気な鼻歌とかかなぁ。もっと明確な元ネタがあるんだろうけど思い出せずスッキリしない。西洋文化圏に詳しい方の見解求む。あれ、日本人に置き換えると何になるんだろう、やっぱり「キューピー3分クッキング」(おもちゃの兵隊行進曲)ですかねぇ。

2限目は、履修を迷っている講義の聴講へ。手描きイラストレーションのシークェンスで物語を紡ぎ本を編む、つまり「デザイナーが教えるマンガの授業」。いきなり自己紹介シートを書かされ、白紙に自分のニックネームを「好きなように手描きで」書かされ、それを持ってマグショット風に顔写真を撮られ、その紙の裏面に猫と犬の出てくる4コマ漫画(3コマ目までは与えられたお題を描き、4コマ目のオチは自分で考える)を描かされ、それとは別にアコーディオン製本された無地の豆本を回しながら1人1コマずつ話をつなぐリレー漫画を親指スタンプだけ用いて描かされ、いくつか資料や制作見本を回し読み、宿題の説明があって1時間程度で解散。この手短なワークショップを終えて先生の手元には、自己紹介シートと顔写真名簿、ニックネームのカリグラフィ+画力テストの紙、共同作業の豆本(Thumb Book、オバケのラブコメみたいな展開になった)が残るわけで、その全部が今後やることの前哨戦であり、productiveというか、さすが教え慣れてる講師は手際が違うなー、という印象。
イラストレーション専門学部の生徒が大半を占め、日本人もグラフィック専攻も私だけだった。catを描けと言われて、もろジバニャンを描いてる者1名、ケモナー風擬人化で描いた者1名、セーラームーンのTシャツを着た者1名、そしてファッションドローイング風に飛び抜けてオシャンティかつ妖艶な猫を描いた推定ABCの金髪女子には「えっTokyo出身なの!? まじクール! 羨ましい〜!」と言われる(またか)。残り大半はいわゆるグラフィックノベル風の絵柄で、一部「マンガ家養成通信講座の広告によくある劇的ビフォーアフターのビフォーのほう」みたいなOtaku絵とも何とも形容できないアレ。前学期に履修した、ひたすら静物とヌードを描きまくるドローイング演習のマンガ版、という感じ。すごく楽しめたんだけど、別の講義とどちらか一つしか選べないので迷う。なにせ必修科目が多すぎる。
3限は打って変わって「Advanced Digital Layout」、Adobeソフトを使い倒すための半必修科目。誰に聞いても評判のいい先生で、いやはや期待以上。「最初の4週間は前学期にみんなが取った初級編の復習をするよ」と、初回からまるまる2時間半を費やして怒涛のInDesign講座。バックグラウンドがタイポグラフィなので、ロジカルというか、理に適っていて非常にわかりやすい。前期の初級編の先生は「素人はこう処理しがちだけど、煩雑だから、プロはこちらの手順を使う。覚えてね〜」だけだったのが、「インチにまつわるイライラの大半が単位をパイカに初期設定するだけで解消される」「Hanging Punctuationはインデントとは概念が違う」「この機能は使用禁止。じゃあなぜこんな機能があるかって? それは、こういう見栄えを作るときのため。それ専用ボタンだと思って普段は押すな」とか、不条理に思ってたことが一つ一つ氷解していく。歴史の授業がうまい先生ってこんな感じだよね、年号丸暗記じゃなくて、時代の空気や覇権の流れをつかませる。「長体は禁止。どうしても仕方ないときは高さを150%にするのでなく級数上げてから90%に狭めろ」とか、私がグルワ仲間に同じこと言っても「Why!? It’s same!」って押され負けするんだが、こう説明すると通じるのか……。
しかしとにかく早口で、デモの手際もよく、2時間ノンストップのしゃべくりを聞き取りながらどんどん進む手順を追いながら、自分の手元のマシンで同じことを試し、えっこんなの初めて知ったわという項目はペンに持ち替えてノートに日英ちゃんぽんのメモを書き留める、というのが、まったく追いつけない。前期も一緒だったインドネシア女子と「今日の2時間半だけで、前期の初級編15週分の価値があったね……」「でも、何もかもがスーパースピーディーで超疲れた」「今日この後、別の授業入れなくてよかった……」「ていうか、一学期目のタイポグラフィ、こういうTipsを先に教えろよ!」と雑談して帰る。一学期目のタイポグラフィの先生Dmitryは重症末期の書体フェチで美的感覚は素晴らしいのだが、紙に刷った提出課題だけを見て「ここ級数2point下げて、ここちゃんと詰めてラグの見苦しさを整えて、この優雅でないboldは細めて、それでまた来週見せてね〜、いやー、活字って本当に美しいものですね!」的な指導法で、私は最高に大好きなんだけど、彼女は不満だったみたい。

昼は初めて入るマクロビレストランで魚定食。隣の席では「僕も菜食主義者になろうなろうとは思ってるんだけどね、完全には難しいよね」という会話、奥の席では山盛りのサラダをつつきながら昼からボトルワインをあけている女子二人。向かいには意識高いビーガンのデリもあるのだが、マクロビのほうが賑わう感じもわかる。豆のスープ、蒸した白身魚にゴマだれペースト、たっぷり温野菜。店内に充満する和だしの香りが心地いいなぁ、と思って吸い込んでたら、途中からキッチン清掃を始めたのかめっちゃケミカルな洗剤臭の湯気が混ざってきて死ぬかと思った。そこは重曹&クエン酸とかじゃないんだ、やはりアメリカ。
夜はぐったりしたので、行きつけのイタリアンでいつものイカスミパスタとpan-seared cod。searとかcodとかこうした「メニュー語」は、もう日本語に変換しなくなった(鱈のグリル、で合ってる?)。本当は今日授業でやった「semiotics」「taxonomy」といった言葉も、そうならないといかんのだが、やっぱり「記号学」「分類学」という日本語変換が要る。そのほうが36年間の蓄積と結びつけやすいからなんだが、本当は英語の文献いっぱい読んで倍の蓄積を重ね、「semioticsって日本語でなんて言うんだっけ?」状態にならねばね、いかんのだよ。いかんいかん。パスタ美味い。