春学期二日目。どんどん長くなってきたのは、時間をかけているのではなく、逆に、推敲する時間が取れないため。HTML日記の頃を思い出しますね。ダダ漏れです。
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本学グラフィックデザイン学科は男女比が1:9くらいである。昨日の授業で、黒一点の中国人男子が「なぜここで学ぶか? それはデザインが、最もイケてるお金の稼ぎ方だから」みたいなことを言っていた。そして、90年代からネット黎明期のブラックな職場で「12時間以内にサイト内の全部のボタンを赤から青に変えろ」みたいな無茶振りに対応する仕事をこなしてきたのよ、と苦笑いするウェブデザインの講師が、「そうよねー! Welcome to Design!」と応じていた(以下全部うろ覚えの話、というか学校で聞いた雑談系は全部そう、いちいち追加取材とかしないので)。
かたや女子学生は、どこの国の子も「国際政治学を専攻していたのだけど、子供の頃から絵を描くことが好きで、どうしても夢を諦められなくて……それでアート方面に再進学してきました」みたいな自己紹介が多い。性差がすべてだとは思わないけれども、こんなとき、出身地の差よりも色濃く感じることがある。みんなとても優秀で、きっと高校の成績なども良く、周囲の勧めもあって難関大学で世のため人のためになる学問を修めてそれなりの職も得たのだけど、大人になってみて初めて「本当はお絵かきが好き」「おしゃれなものが生きがい」という想いが爆発した。つまり、子供の頃にそうした想いを爆発させることができぬまま、不完全燃焼でいた「女の子」が、どこの国にもすごく多いのかな、と想像する。約10年前、私は「乙女美学校」という文化教室で助手をしていた。平日はお堅い職場や人も羨む超一流企業に勤めながら、休日になるととびきり晴れやかな顔で「乙女学」を学びに来る女性たちを思い出す。幼い頃から優等生だった女の子は、医学とか化学とか金融工学とか公衆衛生学とかなんちゃらマーケティングとか、時代時代で今をときめくバリバリ音のする分野(我ながらひどい形容)(無知)へ行って男顔負けにあれこれ活躍するのが当たり前、みたいな風潮があって、「私、やっぱり違う」という結論に至るのに、ちょっとタイムラグが生じるのかもしれない。
あるいは、残り1割の男子も、同じことを思っているけどそんなふうには自己紹介しないだけ、なのかもしれない。「好きなことを仕事にしたいの、ただそれだけなの」とカミングアウトするのはきっと男子にとっても大変なことだ。実際に実行に移してからも、そんなふうに言うのは憚られるから、「いや、金儲けのためッスよ」と言っただけかもしれない。しかしこの中国人男子の言い方も、ちょっとデザイナーという職業に夢を見すぎというか、卒業後にまず新人としてこの先生がさんざん経験してきたような泥臭い作業をやらされる下積み期間をどう耐えられるのか見ものだな頑張れよ、welcome to design、と思うわけであるが、「どうせならイケてる方法でビッグになりてえ」と臆面もなく言えるのは強い。その強靭さがあるからこそ、トウのたったタチの悪い女子校みたいな環境でも「かわいい末弟」キャラとして図太くやっていけるのだろう。
盛大に話が脱線したけれど、その、ベビーシッターから数えて無数の職場を経験し、ブラックな広告エージェンシーやウェブデザインの会社で文字通り身を粉にして働いて働いて少しずつステップアップしながらスキルを磨いて、今はこの世界屈指のデザインスクールにいるのよ、という気さくな講師は、「この教室もほとんど全員が女子だから、とくに言っておくわね。レディース、自分を高く売る方法をきちんと考えなくちゃダメよ。プロフェッショナルなポートフォリオを作って、カワイイからとか好きだからとかじゃなく、しっかり手に職あってガッツリ物申すんだってとこ見せて、ブランドを安売りしないこと。これから社会に出る女の子には、とくに言っておきたいの」と、手短に、でも力強く、語っていた。
英語が早くて半分も聞き取れなかったけれども、とにかく「お絵かきが好き」だった女の子のあなたを大切に、その想いを男たちの社会にいいように搾取されて我慢していてはダメよ、というふうに私には響いた。ちなみに早くて聞き取れなかったけど、配偶者のことをwifeとも言っていた。もう「女の子」という年齢でもなく、幸いなことに嫌で嫌で仕方ない勉強や理不尽な仕事を無理強いされた経験もなく、「英語の勉強を兼ねて手近な分野へ職業訓練に」という身も蓋もないスタンスでここにいる私にも、彼女の言葉はとても刺さった。
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本日の講義は、ブックデザインと、またしてもウェブデザイン。日本の大学とだいたい同じで(※といっても私は創設数年目の新設校出身で一般的な日本の大学の実態ほとんど知りません悪しからず!)、第一週目に教室へ行かないと詳細なシラバスが配られない。ウェブデザインの授業は同じタイトルを冠した必修科目を複数名の講師が受け持っていて、どの先生が性に合うかは、第一週に直接見比べて判断を下すしかない。過去の授業評価はインターネットでいくらでも調べられるが、エグいから崇められてる先生もいれば楽勝で絶賛されてる先生もおり、飯屋の三ツ星と一緒で、明らかな地雷を避ける程度の参考にしかならない。月曜のウェブデザインの授業は先学期のDigital Layout(Adobe習得を主眼に置いた授業)でお世話になった講師と雰囲気が似ていて、「作りたいものを自在に作れるようになろう」系。火曜の講師はもうちょっと理詰めで、おそらくは「作っては壊し壊しては作り真理に近づこう」みたいな講義方針……だと思う。なにせシラバスの授業手順や宿題量と内容などはほとんどまったく同じなのだ。優劣の問題ではないので、口コミも頼りにならない。「自分に欠けているものを補ってくれるような講師はどちらか」と考えて決める。最後は結局「なんとなく」に尽きるんだけど、私は先学期、初回からずっと疑問を持ちながら他の講師と善し悪しを比較せぬまま惰性で取ってすっかり失敗した科目がある。あの過ちを繰り返すまいと二種類の講師を見たのは正解だった。宙ぶらりんのままずっと両方に足を掛けているわけにいかないので、あとはアドバイザーと個別交渉。同じことをESLでもしないといけない。
一方のブックデザインは、本当は「Publication Design」という講義名。同じタイトルで他の講師はあれこれ多彩な課題を出すのだけど、このコマだけは今季から初めて教鞭を執るという現役売れっ子ブックデザイナーが講師で、15週間ひたすら本の装丁にフォーカスする内容。つまり希望する進路が明確な中級者向け。一学期目に大変お世話になった学科長(プログラム全体の内容や講師の人選を統括している人物)から「Ikuは編集者なんだからこの講義を必ずとりなさい! 他のEditorial Designの授業はすっごい初歩からやるからあなたは全部スッ飛ばして大丈夫!」と執拗に言われて送り込まれたのだが、腕は立つけれど教えるのに慣れていない彼女がちゃんと授業できてるか手近な学生からヒアリングしたいのだろう、私の適性を見込んでというより、文字通り「偵察」のために送り込まれた感じ。飛び級のお墨付きをいただけたのは嬉しいですけどね。
いきなり20分以上遅刻してきて「普段の仕事では絶対こんなことないの!」と謝りたおされ(地下鉄遅延とのことだが、たぶん講義棟内でもさんざん迷子になったと思う)、彼女が朝に出力しそびれたというシラバスを慌てて刷りに行ってる間に我々は、最初の課題にあたるスケッチを自習で黙々とこなす。教室の電灯のオンオフもわからず、オンラインシステムの名前を間違え、早めに切り上げて解散するという掛け声とともに教室に響く大きなため息。記念すべき講師一年目の一日目を、大半が二学期目以上ですっかり慣れた我々社会人学生があたたかく見守る、という雰囲気だった。知ってる知ってる、普段はこんなにドジっ子じゃないんだよね、私たち十分あなたを尊敬してるし、ちっとも失望してないよ。
とはいえ、スケッチを一目見ただけでビシバシ改善点を指摘される手腕などはさすがだった。淡々とした口調のまま「ゲラ渡されてから2週間で読んでカンプ提出、それがブックデザインの速度。繰り返す、カンプよ、ラフじゃないわよ。こねくり回してる暇ないから、瞬発力と数の勝負。慣れてね(にっこり)」みたいな感じなので他のクラスメートは震え上がっていたが、私は「で、ですよね〜」となる。売れっ子の装幀家ほど依頼が殺到して回転率が上がり、回転率の高さでまた依頼が増える、というのは洋の東西を問わぬ事象のようです。
装幀家といえば、昨日、カフェテリアで若い男女をぞろぞろ連れて漫然と構内を見学しているやけに眼光鋭いメガネの中年男性を見かけたのだけど、「講師にも父兄にも見えないし、何かの視察かなー、あの真ん中の人なんかチップキッドに似てるなー、チップキッドを細くした感じだなー」と思って前を通り過ぎて、一晩経ってからようやく「いや、あれ、正月ダイエットに大成功した本物のチップキッドだったんじゃないの、普通に!?」と気づいて震えた。そんなことが起こっていてもおかしくはない環境に身を置いているのだが、自分のことで手一杯で、いちいち振り返っていられない。今も真相は闇の中、というか、自分のことで手一杯で、誰か目撃報告してるか調べるのも面倒臭い。先学期とある授業のディスカッションで「日本にはチップキッドみたいな装幀家はいない、みんなもっとmodestなartisanタイプだ」と言ったらそれが15週間の私の発言の中で一番ウケた。あ、やっぱり英語圏の人たちにとってもあの感じはpushyなのか、と勉強になった。過激派アンチは「名前でぐぐったとき画像検索結果に仕事のグラフィックより多く顔写真ばっか出てくるあの手のデザイナーって、ないわよねー」と言ってた。私が知らないだけで、他にもいる口ぶりだったなぁ。いや、私は結構、好きなんですが(フォロー)。