Helenの授業があまりにもつらかったためか、19時頃に帰宅後、外出中の夫に「もし寝てたら起こして」と連絡したまま、倒れこんで朝5時くらいまで爆睡してしまう。日、月、火、あたりまで平均睡眠2、3時間で課題をやっていたが、もうそんなことの続けられる身体ではないのである。仕事だったらまだ頑張れるだろうけれど、学生はすべてが「自己責任」なので、折れるときは折れる。外部から支えてくれるプレッシャーがないとかくも簡単に堕落するものか。ちなみに夫は何度も何度も何度も何度も本気で起こそうとしてくれたようで、大変ありがたいのですが全然覚えてない。とても不機嫌。ごめんなさい。
早朝から慌ててすべての課題を済ませ、朝9時開始のTimの授業、5分ほど遅れて外階段を駆け上がったら、ついた312教室が無人。いっけねー、そうだ今日から教室変更だってメールが来てた。受信箱内の検索に手間取りながら迷路のようなUC棟の3階と4階の417教室の間を行ったり来たり、で友達に泣きついたら、もとの教室のすぐお隣に移動していたことが判明、10分遅刻を過ぎていて今日はさすがにアウトかな、と思ったら新しく来た学生のキャッチアップ個別指導中で、お咎めナシだった。310教室はStevenの授業で使った部屋で、ファッション科が使うトルソーがごろごろ放置され、プッシュピンの使える壁があり、ドローイング用の画板がそのまま机になったものが連なっているという、いかにも「アートスクールでござい」という教室。表通りに面して小さな窓と防音壁が巡らされ、ガラス張りのFaculty Room(教官用の憩いのラウンジ)から丸見えの312教室も嫌いじゃなかったのだが、窓のない狭い310教室は外界から遮断されて時間感覚がまったく奪われる、これはこれで学校らしくてよい。いつかこういうのもすべて思い出になるんだよな。SFCのあちこちの教室で受けた講義あれこれを思い出す。
先学期、Edwardの授業で一緒だった子が今週から編入してきた。「GD2」は必修科目なので、他の講師のクラスを受けていたのが諸事情で履修変更したのだろう。週2回の講義で、もう6種類くらい並行して課題が進んで一部はテキパキ終了しているので「えっ、今更?」と思ってしまうが、よく数えてみると全30回の講義のうちまだ5回目だし、やっと3週目なのだった。もう10回くらい受けてる気がする。Timも今から追いつけるように(=遅れた分を全部やってこいと!)過去の課題で何をしてきたか指導している。先週編入してきたハワイ出身日本女子が隣に座って一緒にキャッチアップしている。今日から来たほうの彼女、名前なんつったっけなー、メキシコ美少女アレハンドラとかと似た系統の、ラテン系かつ親の愛を感じる長い名前……とモヤモヤ思い出せずにいたのが、授業後に思い出した、フランチェスカだ。顔と名前がパッと一致する子、しない子、顔だけ鮮烈に覚えている子、さまざまいるのはどの国出身でも同じ。
最終的に最も見分けがつきづらいのは「碧眼で鼻が高く金髪を肩あたりまでたらした、ちょっとむっちりした体形の女の子」だったりする。いわゆる日本語で「西洋人」と言って想起される容姿外見の子たち、実際の出自はさまざまなんだけど、日本生まれ育ちの私には文字通り「どれも同じ顔に見える」。まぁ我々だって「顎あたりまでの黒髪で、ちょっと変わった服を着てて、晴れの日はアイラインぐりぐり入れてくるけど普段はすっぴんにメガネに帽子で来てる、あの東アジア人たち、みんな同じ顔に見える」と思われているはず。いやー、みんな3週目にしてもう相当ボロボロの格好で来てますね。色白の西洋人は朝一番のすっぴんだと黄色人種以上にクマが目立つなぁ、と思って眺めております。そして人種問わず、たまに天然物のすっぴんの「薔薇色の頬」の女子を見ると眩しさにやられる。私はもうチークがないとあんな色にはなりません。
Timの課題は延々と「記号論de大喜利」が続いている。次の大きな課題はブックカバーデザインなのだが、そこにたどり着くまでに「初級編」のトレーニングが続き、8種類くらいの小さな課題を全部仕上げるべく、revise、revise、revise。感覚やセンスといった曖昧なものではなく「合理性」や「必然性」で生徒のチョイスやレイアウトにダメ出しをしていく。禁則事項が厳密に示されて、その中でだけ自由がある。「好きなものを好きに作りたい」派の子などは苦手がるけれど、私は性に合う。最初は戸惑っていた「拾い物の画像を組み合わせて組写真にしてくる」というのも、学校でのトレーニングの一環だと思えば抵抗がなくなった。そう、延々とトレーニングをしている。体育会系の運動部に入って、球拾いと千本ノックばかりさせられてる間に嫌気がさして辞めちゃう新入部員もいるだろう。でも、コーチの投げた球を手近にある道具だけで延々と打ち返し続けている間に反復ハイになっていくこの感じ、私は嫌いじゃない。不確定要素が多い「試合」より、自分一人の力でコントロールしながら技術向上を実感できる「基礎練」が好き、という心をくすぐるプログラムである。
たとえば最初のうちは、課題に使う写真のモチーフを何にしよう、自分で撮った好きなものの写真にするか、それとももっとニュートラルな風景写真にするか、有名な写真家の作品にすべきか、私らしさの出る作品に仕上げるには……みたいなところで長いこと悩んでいたのだが、3週目にしてもうそんな邪念は消え去っている。どんな写真でもどんと来い、所詮この世のすべてはlineとdotとrectangleとその他のshapeで構成されている、卵も石ころも人の頭もvisual syntax的に見ればすべて同じ画面上に配されたdotに過ぎず、並べばpatternになり、そこから生み出されるものはrhythmだけ、こんなもの「作品」でもなんでもなく「課題」に対する「解答」なのだから、雑念は捨てて解としての美しさを追求すべき、という境地に至る。その意味では佐藤研にも通じるか。課題1、2、4、5はほぼ一発OKだった私、課題3、6についてはなかなか「解」が見つからない。どれも似たようなお題の大喜利に見えて、自分では得手不得手をビシバシ痛感できるのも心憎い。
今週のADLは週末のうちにほとんど課題を済ませていたので楽勝。Photoshop講義。生徒からの質問に答えての「わしの『Convert to Smart Object』は7箇所まであるぞ!」というのがウケた。あちこちにあるんだけどどれも機能は同じ、という話で、流れるような手つきで「ここにも、ほらここにも、こんなところにもあるぞ、一匹見たら三十匹いるぞ」と次々に別の場所にある同じ「Convert to Smart Object」を表示させる。この「芸」でどれだけの学生を笑わせてきたんだろうね。
提出用ファイル名にはlast nameを付すことになっていたのだが、それが名簿と違うというので問い合わせを受けた。「I go by my maiden name」(再)で修正してもらう。Andyはなかなかの日本贔屓であるらしく、「キミ、日本人? だよねー。俺、日本語のnameの響きが好きなんだ。リズムが気持ちいいじゃない、トコトコとか、ココドコとか、モトキタとか。イクゥコ、ってのもいい名前だよねー」と言われる。わかるけど、挙がった例、nameか……? というのはさておき、「あー、トモコ、とか、ココロ、とか、タカハタ、とか、トミタケ、とかでしょ」と言うとイエスイエスイエース! 「子音(consonant)と母音(vowel)の奏でる、チャカポコしたパーカッション感だよね」と付け足したかったけど、当然そんな語彙は咄嗟には出てこないので、ヤーヤー、リズム、リズム、と相槌を打つ。我ながら幼児。
もう半年以上いるけれど、ニューヨーク在住のデザイン界隈で、日本贔屓でない人なんかいないんじゃないか、という気分にもなる。文化的側面の造詣はもちろん、日本語で話していればわかりっこないと思って日本人同士で適当なことをしゃべっていると、じつは丸聞こえだったりも、しますよね、きっと。先日おかしかったのは、学内某所にオンキャンパスジョブで常駐している東洋系の顔立ちの男子学生がなかなかカッコイイというので、日本人女子たちが彼のことをこっそり「王子様」と呼んでいて、本人の眼の前で「今日窓口にいるの誰? あ、王子様だねー」「この機材の使い方、今のうちに王子様に質問しておいたら?」みたいなこと話していたら、そのひとが日系人かなんかでじつは日本語ペラペラだった、という話。キャー! 聞いてるだけでも俺の顔から火が出るわ! っていうか、大ごとになる前に自分から日本語で話しかけて「ぜんぶ聞こえてますよ」ってさりげなく伝えてやれよ、王子様のほうも……。超あまずっぱい。少女漫画化希望。
誰のどの容姿を美しいと思うか、という話、結構面白い。女子校状態のアートスクールなので体育会系マッチョ好きは皆無で、セックスアピールは二の次、スマートに非ずんば恋愛対象に非ず、というのは万国共通、襟付きの服をパリッと着た、あんまり華美にオシャレすぎない理知的でセンスのよいメガネ男子の人気が高い。いや、まぁ私の周囲だけが観測範囲だから、単に似た好みの女子が集まってるだけとも言うけどね。もちろん身体的特徴を具体的に直接褒めるのは重大なルール違反なので、みんな「彼はいつも装いがキュートよね」「雰囲気がアーティスティックで好きだわ」「物腰がエレガントなのよー」「あの先生、老眼鏡を掛ける瞬間が萌え!」などと言葉を選び、「とくに尻のラインが出る服ばっかりなのがいい」とか「アーリア系のあの鷲鼻気味なとこがたまらん」みたいな発言は絶対に英訳してシェアはしない。「朝のコマだとさっぱりした顔なのに、夜のコマになるとヒゲが濃くなるのがエロくていい」とかは日本語でしか言わない。でも、わかるわー。
それで、「自分のことをイケメンだなどと露ほども思ってない西洋圏モッサリ男子」と「完全にイケメンだと見做して対応してる東洋圏ツンデレ女子」という組み合わせの意識のズレが、やっぱり観察していて一番面白いのだった。作業中の雑談で、「どうせ俺は暗黒の青春時代送った非モテだから女の子の気持ちとかわからないけどさー」「やだ、もう、あんたいっつも嘘ばっかり。そうやって地元でも女の子をいっぱい泣かせてきたんでしょ」「……?」みたいな。キャー! 日本にいたときは「本国で非モテだった西洋人が東洋人でないというだけの理由で東洋圏の異性からモテまくる」という現象、すげー鼻持ちならない感じがしていたのだが、こうしてニュートラルな立ち位置から観察してみると、異文化接触における互いの「無自覚さ」が好意として顕在化してくる感じにめっちゃ萌える。少女漫画化希望。