2016-03-10 / 3月の第2週、木曜、鬼畜と地図と屋台

朝から何もかも忘れて、Frankの課題にだけ集中する。火曜の夜に刷ったものを切り出してモックアップを作り、微調整をかけたデータを作り直して、14時前にはコンピュータラボへ、1時間以上はかかるだろうし最悪は一度も成功せずモックアップを提出することになるだろうとすごい悲壮感で身構えて臨んだ出力調整が、なんとほとんど一発OKに近いノリで片付き(こういう幸運にばかり頼っているとファイナルの季節に死ぬ羽目になるのだが、現時点では泣くほど嬉しい。火曜に死ぬほど苦労した経験値の賜物)、ノリノリで切って貼って、台を丁寧に片付けて、定刻通りに教室までたどり着く。いつもは遅刻ギリギリで駆けつけるのだが、何しろ仮病でサボって欠席した翌週である。「先週は本当にごめんなさい、おかげさまでなんとか体調が戻ったわ、これが完成品なんだけど、どうやって提出したらいいかしら……」と話しかけると、「今日が最終発表の子が他にもいるから、まぁ座ってろ」とのお達し。出欠後、Frankが語り始める。
「さて、今週も授業を始めるとしようか。なんとも不思議な出来事が起こるものだけれど、先週は、どうしてだかとても出席率が悪くって、マップの課題の最終発表の場に立ち会えなかった生徒が、全体の4割くらいかな? そのうち数名は、今週もまだ来ていないよね。みんなが同時に都合が悪くなるというのもおかしな話だけれど、先週の授業にそれぞれのやんごとなき事情で出られず、今週きちんと出席しているのは、4、5名かな? 今週するべき次の課題の講評会を始める前に、まずは、一週遅れている彼らの、前回の課題の遅ればせながらのファイナル発表としゃれこもうじゃないか?(氷の微笑)」
……課題終わらなくてバックレてサボったの、俺だけじゃなかったあああああ! そしてあまりに同じこと考えた奴が多すぎて先週からさんざんネタにされてたに違いねええええ! そのくせ私の欠席メールに「この季節は風邪を引きやすいから云々、君がいなくて寂しかったよ」とさも私だけが休んだかのような返事を書いてよこしたFrankの、この手のことに慣れきっている教師ヂカラに震える。サボり全員、嘘バレの恥っかきでモジモジしながらプレゼン準備。
順に名前を呼ばれてファイナルを見せるなか、コミュニケーションデザイン学部の中国人留学生女子某、「この課題に関しては先週の発表までで終わり、私はその時点で発表する資格を失ったと思っていたので、今週は何も持ってきませんでした」と抜かしやがる。おま、それ、バックレた奴が最も言ってはアカン台詞やで……。この理屈で言い逃れができると思っている二十歳そこそこの浅知恵に、Frankの追い打ちが容赦ない。「でも、僕は君の最終発表を見ていないよ? 先々週の途中経過でもいいから見せてよ、どこにあるのかな?」「全部、家です」「なんで持ってこなかったの?」「完成できなかったから」「なんで完成できなかったの? 他の学生と違って、先週休んだ君には、7日余計に時間があったわけだよね?」「時間管理がまずかったと思います」「じゃあ、ここからどうやって挽回するの?」「来週、持ってきます」「でも、来週は次の課題の中間発表だよ? 人より多く、3週間かけても地図の課題さえ完成できなかった君が、1週間で、地図とフードトラックの課題、両方を仕上げてくるの? それは非現実的だと思わない?」「が、がんばります」「おやおや、これは来週、何が起こるかとても楽しみだね……ほっほう、さぞやクオリティが高いことでしょう……(いつも成績をメモしている学生名簿に何か書き込む)」
教室、凍結。Frank、普段はニコニコしてどんな中途半端な作品を見せても「素敵だね」としか言わない人当たりのよいメガネのオッサンで、しかも初回の課題から手作りロボットというホンワカ感なので、若い女子学生たちがだんだん彼のことをナメはじめていたのは、薄々気づいていた。怒らせると怖い本当は鬼畜なはずがいつも笑みをたたえたドSの理知ハゲ眼鏡男子、といったキャラに萌え続けて三十年余の私だけが「あいつのニコニコに騙されてはなんねぇ……」とずっと身構えていたわけだ。さぁ、みんな思い知ったよね、よくよく見ると眼鏡の奥で光る目が笑ってないこと。このコマが楽勝科目なんかではないこと。
そして、この中国人女子の隣にたまたま座っていたのが私である。成績表に落としていた凍てつく視線をついっと上げたFrank、横で震える彼女はもはや存在からして認識していないという様子で目を移し、私のほうを向いてパアッと顔を輝かせ、「おや、そこにいるのは、Iku! 君はちゃんと課題を持ってきているね、僕は知っているよ、名簿の順番は前後するけど、次は君の課題発表を聞こうじゃないか! 君は先週、病気で休んだその日のうちに、進捗状況をメールで僕に見せてくれたよね? あのPDFがさらに進化して、今日は製本された状態で見られるんだろう? さぁ、みんな彼女の周りに集まって!(氷の微笑)」……ヒー! 針の筵とはこのことか! 生意気な新入りの奴隷にお仕置きするためにお局の奴隷をことさら可愛がる公開SMプレイみたいな話だろこの鬼畜眼鏡!
というわけで、すっごい優等生みたいに持ち上げられながら、絵本「物語の標高」のプレゼン。いや、ぶっちゃけた話、そこまで褒められるほどの作品ではないのだけど、何しろ教室全体が絶対零度まで凍りついていたので、もうみんな必死。さっきの出来事を早く忘れたくて、早く室温を元に戻したくて、必死の形相で私を褒めてくれる。「手書き文字がいいわ」「イラストも超かわいいわ」「このファイナルの色味が最高ね」「でも私はこの色調反転バージョンも好きよ」「すっごい手間暇かかってるわよね、グッジョブ」……とにかく、あんたが大将! 大統領! 惚れた! 抱いて! みたいな調子で教室中から賛辞の嵐、みんな今まで以上に言葉が上滑っている……ひー、ごめん、ごめんね隣の中国人女子、こんなん私があなただったら泣きだしてるとこだわ、でも私も自分のポーカーフェイス保つので精一杯……次からはサボった当日にご主人様にお詫びメールの一本も送っておくといいわよ、いざというとき言い訳の保険になるから……。
あまりにいたたまれず、「この作品、10点満点で自己採点すると?」というFrankの質問に「7点か8点ですかねー。講評を聞いて、色味の調整はまだまだ改善の余地があると思いました」と謙虚かつ本心のマジレスを返したところ、今度は教室中から「ノゥ……」とか「チッ……」みたいな声が漏れる。直接言われたわけじゃないが、「おめえ、そこは全体の流れ読んで『10点満点ですー、きゃぴるん♪』ってアホ優等生に徹しとけや、それで丸く収まるんだから」「これだからジャパニーズは嫌味なのよね、ソツがないくせに自己評価低すぎ、なんで I’m happy with it. で話を終わらせられないの」みたいなアレだった。ご、ごめん……日本の空気はもちろんアメリカの空気も全然読めなくてごめん……次からはもっと明るく無神経かつその鈍感さが周囲をも救うようなノリで振る舞えるようにがんばるね……(難しい)。いやしかし基本マゾなのでFrankの本性が垣間見られてゾクゾクしました。
次の課題は「フードトラックをデザインする」というものでこちらはスケッチのみ提出。中国人留学生勢と米国育ちOTAKU勢は、ウサギさんの形したジャパニーズクレープ、一つ一つ顔が描いてあるモチクリーム、サンセリフ体とストライプをあしらったポップでキュートな回転寿司、などなど、KAWAII日本食がとても多い。かくいう私もジャパニーズクレープ屋台で考えていったのだが(なぜって? なんだかこっちでアジア系の若者を中心に大人気だからさ!)、彼らの日本食ラヴ度合いには到底勝てる気がせず、翌週からテーマ変更を決意。手描きのイラストに疲れ果てたので、次はIllustratorで作るかなぁ。
イラスト学部のフリーダムな学生たちはここでも、「メキシコ骸骨祭りのキャンディ屋台(骸骨描きたいだけ」とか「サイケでスプラッタな味がする恐怖のアイスクリーム屋台」とか、「父が趣味で醸造してるビール」とか(現実のNYCでは酒類の路上販売はできないがWho Cares?)、「エイリアンたちがランチを買いに来るエイリアン料理の屋台、メニューは人肉弁当や天使の髪の毛の素揚げ」などなど、相変わらず。「各地の公園のドッグラン界隈を巡回して愛犬用のお菓子やおもちゃを売る、ドッグ・フード・トラック」「ルームメイトがウクライナ出身だからメニューを丸投げしてウクライナ屋台」「stake steak(文字通り、杭刺しの肉塊を売る屋台)」「菜食者向けのキノコ料理、店名は『Holy Shiitake』」とかも超かわいかったな。コミュニケーション学部の子たちが作る「パントーンのチップ番号が振られた色とりどりの小皿を組み合わせて作る栄養満点で美麗なカラーパレット弁当の屋台」「太陽系の惑星を模したチョコレートキャンディの屋台」といった普通によさげだがいかにも広告代理店風のアイディアなど軽く霞むレベル。火曜にHelenがしょっちゅう言ってる「アートスクールの学生が在学中にコマーシャルなもの作ってどうする」というのを、木曜の授業でいつも思い出す。