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2016-05-19 / 男は愛嬌、卒業週間、残留未遂

18日、本当に久しぶりに日記を書いたあと、地下鉄に乗ってリンカーンセンターへ。ちょうど日記の更新が止まった頃からご無沙汰していた藤本由香里さんと、アメリカンバレエシアター(ABT)の公演を観る。目当てはミスティコープランドの『火の鳥』。以前、彼女が期間限定出演するというので楽しみにしてミュージカル『On The Town』のチケットを取ったら、二週間くらいしか出ない上に土曜のソワレだというのに、まさかの代役出演でガッカリしたことがある。そのリベンジを果たした感。バレエにはとんと疎いのですが、やっぱり見事でした。

疎いついでに素人感想を書くと、Twitterでもちょっと触れたのだが一幕目の『Serenade after Plato’s Symposium』にはかなり虚を衝かれた。火の鳥、火の鳥、とWikipediaで予習して臨んでたところに、いきなりの「夏だ一番! ABTオトコ祭り」みたいな演目である。「ABTは多様性が売り」という藤本さんの解説を聞けたのは終わった後で、そう言われるとたしかに納得。小柄できびきび動くアジア系から彫像でもこうは見事に彫られまいという肉体美の黒人ダンサー、だいぶ目が慣れてきた頃に「こんにちはー、ダニールシムキンくんでーす! 軽いので、跳びまーす!」と出てきて大喝采をかっさらっていく例の美少年まで、もう本当、私の乏しいボキャブラリーでは「槍に薙刀、大太刀、レア太刀、打刀に脇差、おまけに短刀(極)……」としか形容できない眼福であった。一応、申し訳程度に女子も出てくるんですけど、「ここ古代ギリシャだから男性市民しか出てこなくて当然だよね? イチャイチャしてるようにしか見えないかもしれないけど、対話篇だからね?」の問答無用感よ。続く『Seven Sonatas』は舞台奥にポツンと置かれたグランドピアノの調べに合わせて男女ペア3組が入れ替わり立ち替わり踊る演目で、こちらも要約すると「男は愛嬌」って感じだった。女性ダンサーみんな可憐といえば可憐なんだがむしろキリッと雄々しい感じがして、男女が組んでいるときにも、リフトしたり支えたりしているはずの男性のほうが、揺るぎなく回転する女性に、圧倒的にリードされて動いているようにしか見えなかったりもする。そして場が切り替わると「えっ、ここからは女の子リフトしなくてもいいの? じゃあボク好きに踊っちゃいまーす!」とはじけるように活き活きとソロを踊る。なんたる受け受けしさ。

それで、「なんだよABTには総受けしかいないのかよー」と思いはじめたところで、「んなわけあるか!」って出てくるのが『火の鳥』のマルセロゴメスである。一挙手一投足がエロい。「魔法にかけられた13人の王女たち」の輪の中に入っていくときの「この俺に言い寄られて悪い気のする奴なんているはずないだろぉーん?」って感じの振付(逃げ回っていた女子たちが次第にポーッとなる)の説得力がすごかった、スーパー攻め様だった。男も女も王子も王女も鳥もひとたまりもないんだなって『白鳥の湖』思い出した。そして火の鳥との格闘はまさに格闘って感じだった。舞台美術の、ぱっと見はシンプルなんだけど最後の最後にだけ変形して見える豪華さ、という贅沢もよかったな。でも、赤く硬質で知的な印象のある火の鳥と対比で描かれる、緑色でふわふわして無駄にわちゃわちゃ好き勝手に動いて「りんご好き」「りんご好きー」「わーい」って踊ってる少々おバカっぽい「13人の王女たち」がとてもかわいかったので、魔法が解けたとき「揃いの衣装を身につけた全員が同じ背格好のおしとやかな金髪美女」という画一的な装いになってしまうのが、なんかモニョった。それがバレエだと言われればそれまでなんだけど、ぶっちゃけあの緑のおしゃべりなマリモの精霊みたいな生き物たちのほうがかわいかったよなー。最初の『Serenade』から、観客が思わず笑ってしまう、というか明らかに身体的能力を駆使して全力で笑わせにかかってくるような振付が結構あって(イケメンが背の順に並んでぴょんぴょん飛ぶとか草不可避だろ)、それが『火の鳥』までなんとなく通底しているのもよかった。慣れないととっつきにくいバレエの世界、知識も足りないし、ものすごく好きだって言えるほど楽しめているかは疑問なのだけど、「あんまり考えずにもっと気楽に楽しんでええんやで」と言われてる感じが何より楽しかった。

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19日は朝からNHKスペシャル『天使か悪魔か 羽生善治 人工知能を探る』を観る。どんな手段で観たのかは訊いてはいけない。これなーーー、最初に企画について聞いたときはすごくワクワクしてたんだけど、結局3月に起きた「AlphaGO」対局の行方に尺の大半を持ってかれちゃったのだよね、きっと。羽生さんいったいいつそんな時間あったんだというくらい世界各地の最先端の現場を現地取材していて、ダイジェスト的に流れる映像の一つ一つが単体でNHKスペシャル化できそうなほど深く掘り下げたいネタばかりなのに、映像だけ観ると視聴者に「なんだ訪問しただけか」っぽく見えちゃうのが残念だな、と思った。それぞれのAI開発を取材してきた雑感を羽生さんに聞くだけで語り下ろし新書が何冊作れるか、などと計算してしまうんだけど、まぁそんなことより、ディープラーニングが他とどう違うのか、を図解して林原めぐみに語らせる尺のほうがテレビ的には大事なのかもしれない。わかりやすかったけど。

「おいおい花札まで強いのかYO!」というのと、「ホテルかなんかの部屋のテレビディスプレイに奥で机に向かう羽生の姿を反射で映すことで人間の二面性を表現するこのカメラアングル凝りすぎで悪目立ちするから自重しろwww」というのと、「眉間にしわを寄せた強面の羽生を撮りたいからってわざと逆光がまぶしい屋外で撮影するのやめてさしあげてwww」というのと、「人工知能とは天使にも悪魔にもなりうるものだと臣民に高らかに告げる羽生さんのナレーションが、どこか帝国の現人神と祀られてる陛下からの天の声か玉音放送にしか聴こえない……」というのが、とくに印象的でした。あと、「自分が羽生に負けたとき周囲が喜んでいることを察知し、勝負に負けた怒りが、周囲を喜ばせた悦びや嬉しさへと変化する」pepperというのを観て心底ゾッとした。ガキ大将にいじめられてお追従でヘラヘラ笑ってる子供そのものやんけ。そこって人間に似せる必要あるの? というのは悩むね。「トビオと違うアトムがいい子すぎてキモい、サーカスへ行け」の未来は、結構近くまで来ているのかもしれない。

午後から学校へ出かけて友達とプロジェクトの打ち合わせ。授業があらかた終わったキャンパスは卒業式の期間中で、カフェテリアも閉鎖されている。学期中はどこにでもいた寝間着みたいな格好で階下へ降りてくる寮生たちはどこにも見当たらない。代わりに普段は見かけない謎の着飾り方をしたおじさんおばさんたちと廊下ですれ違うのだが、あれはきっと卒業生の親族とかなんだろう。近所のクロックムッシュ屋でも、一人だけめっちゃオシャレなアジア系女子が、親戚と思しきすっごい冴えない英語を発さない中高年の団体を引き連れて、「ジュエリーデザイン科の卒業式なの」と隣席の客に集合写真のシャッター切るのを頼んでいた。で、その客も「それはおめでとう、じつは私もパーソンズの卒業生なのよ」「まぁ、ワンダフルです先輩!」「プラウドプラウド!」みたいな。もう、とにかく、冴えない親戚の分まで、すっごい鼻高々な感じ。若さよ……。まぁでも私も、学校卒業式のときがいちばん「私は今、最高にイケてる大人の仲間入り!」って盛り上がり、あったもんなー。

その後、閑散としている24時間オープンのキャンパスに戻ってポートフォリオ作業……のはずが、22時45分になると警備員が来て、もう夏休みだから24時間オープンじゃない、すぐ閉館するから出て行けという。迂闊。それで、IDカードの提携校であるNYUの学生らしき一団が、「我が校のキャンパスは卒業式関連で全部閉鎖されてしまって、ニュースクール大学のこの建物だけは24時間だからそっちへ行けと指示されたから来たのに!」「教授には期末提出の論文をギリギリまで粘って書けと言われたが、寮の部屋にはパソコンがなく、私のような学生が大学提供のコンピュータ設備を自由に使えないのはおかしい! 横暴だ!」と、口々に警備員に抗議していた。普段接しているパーソンズ生とくにグラフィック専攻は一人一台ノートパソコン必須だし、みんな授業にも持参してくるのだけど、顔を上げたらたしかに普段居残っているデザイン系学生とは雰囲気が違う学生ばかり。開いてる画面は大抵がAdobeソフトでなく論文エディタだし、電気スタンドや毛布まで持ち込み徹夜で連泊する気まんまんといういでたちである。流浪のNYU組を擁護すべく矢面に立ったニュースクール生もパブリックエンゲージメント学部の在籍だと名乗る。

「ごめんな、でも決まりだからさ」と当たり前のことを言う、最近めっきり老けこんだオバマ大統領をさらに老け込ませたような顔つきの華奢で温厚そうなおじさん警備員に対しても、全力で「あなたに咎はない、あなたを責めているのではない、ただ大学側の告知が不十分かつ期末の学生への配慮に欠けるのは大いに問題がある! どの窓口へ改善要求を出せばいいのか、今から電話は繋がるのか、こんな深夜に我らの学長は応対してくれるのか? いや、彼は当然すべきである!」などとガンガン正論をぶつけている学生たちの横で、一人静かに黙々とスキャナを動かす。「担当教授に事情を説明して遅延提出の許可を得るメールを書くまでは帰らない」と粘りに粘る彼らのおかげで23時過ぎまで追い出しが延長されて作業もカタがつき、さも仲間であるかのようにぞろぞろ建物を出たのだけど、社会をよりよくするために必死で勉強している彼らの、すべての理不尽に真っ向から勝負を挑む「怒り」のエネルギー、私はもう失ってしまっているなぁ、と思うなどした。キャンパス内でよく、大学の横暴や高すぎる学費への抗議の張り紙を見かける。いま私も19歳の学生で米国市民だったら、この張り紙をどんなふうに読むだろうと、いつも考えてしまう。きっと一緒に拳を振り上げて怒れただろう。「仕方ない、帰って自宅の仕事机で同じくらい快適に作業の続きをやるかー」と気持ちを切り替えられる自分が、よいのか悪いのか。彼らは明日からどこで論文書くつもりなんだろう、もちろん街中には図書館とか他にいくらでも代わりになる施設はあって、でも、怒ってるポイントはそこじゃないんだよね。そんなオキュパイ・ユニバーシティセンター未遂。