いまさらハチクロ再読(1)天才と凡才と大人と子供

 いまさら『ハチミツとクローバー』を読み返した。自分で買わずに立ち読みですませていたので、目先の恋模様の進展や余白のギャグにばかり目が行き、「あぁ面白かった」で感想を終えていたのだ。今回再読して、テキトーなようで隙のない人物配置に驚いた。雑誌の移動や連載の延長があって、作者自身、新キャラ投入に細心の注意を払った結果なのだろうが……。連載長期化に合わせ、無理なく過不足なく構成員が増えていく。あらかじめ人物相関図が頭に入った状態で再読しても、全キャラの登場の順番に必然性が見える。これはすごいことだと思う。世の中的には「いまさら何を」という話だろうが、自分のために書きとめておきたい。

ハチミツとクローバー 10巻セット (クイーンズコミックス)

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森田☆忍、という天才のリアルさ

 たとえば、森田とはぐ。はぐには保護者がいて友達がたくさんいて「でも創作中は一人で戦う」「他人の人生を奪ってでも戦う」。一方で、いつも人の輪の中心にいる森田には「友達がいないことになっている」けど「好きなものしか作らないし、飽きたらやめる」……この(しつこく繰り返される)設定は、二者の対比のために後付されたものだとしても、大変秀逸だ。

 そして「森田っているよねぇー」と思った。あれは漫画の中だけのお話、はぐちゃんこそがリアルな天才像だ、……などとは、私はあんまり思わない。私の知る「こいつ天才かもしれない」という人物は、よくよく考えると(はぐっぽいというより)「森田っぽい」人が多い。持たざる者たちから「才能の無駄遣いだ!」と怒られても、全然平気。何かのためにその力を使おうという気がまったくないけれど、大事な人から求められたら富や名声はもちろん、才能=作品自体も投げ捨てることができる。凡人の目にはそれが、ちょっと、怖く映る。

 はぐちゃんタイプの天才が「これが私だ(私にはこれしかない)」と世界のどこかに署名を刻むことを熱望し、そのために内から外からのプレッシャーと戦い続けるのとちょうど正反対に、森田タイプの天才は、今日も地球のどこかで「誰が作ったかわからない」小鳥のブローチを彫っていると思う。そして、ポケットに自分で稼いだ札束が入っているのに、人のおやつを同じスプーンから食べたがる。いるいる、こういう奴。

 私など、そこそこ器用で、実家住まいで家業を継ぐ道だって用意されているあゆが、周囲の励ましに育てられながら、凡才ゆえの迷いも天才ほどの苦悩もなく、陶芸の道でこつこつ飯を食ってく感じが、穏やかで、じつに羨ましいなと思った。一方、故郷を出て仕送りを数えながら逃げ道を失うと、迷える竹本まっしぐら。その代わり彼には、あゆには絶対持ちえないハングリー精神と粘り腰が備わっている。竹本は、自分を追いつめることでどんどん自分の器を大きくしてゆく。

 万能型(適職探しが重要)の無難な成功例が、あゆ。途上にいる化物が竹本。努力型(職を問わない出世魚)のゴールは匠の野宮で、追いかけてるのが真山。少年漫画や特撮戦隊物みたいにスペックが一覧表になっているわけでも色分けされているわけでもないのに、まるでそういう漫画みたいに性格設定が見事なのだ。

「頑張れ山崎」の絶妙さ

 そしてまた、4〜6巻の藤原デザイン編(?)には舌を巻いた。何よりも、真山←山田←野宮、の図式がキチッと成立するまで、美和子さん←山崎の片想いには言及されてなかった点に、だ! 唸った。初読の印象ではもっと前段階から山崎が美和子さんに恋してた気がしていたけれど。バレ時が、じつに絶妙なのだ。

 一気に登場した藤原デザインの面々(美和子さん、山崎、野宮、リーダー、双子の社長etc)は、ともすれば読者にゴチャゴチャした印象を与える。何も考えずに見開き大ゴマで藤原デザインを紹介すると、「ああ、なんかまたOSRな連中がダンゴになって一挙登場したな、はいはい新展開ですか……名前憶えるのメンドクサ」という某『BLEACH』みたいな、大変OSRなシラケかたを生んでしまう。しかし『ハチクロ』では、美大生組に対する社会人組が、気がつくと読者の脳内ですんなり整理されている。上手い。

 その一番の理由が、先に述べた「真山vs野宮の、山田あゆ争奪戦」を描ききるまで、「頑張れ山崎、恋心ダダ漏れだ」を描かずにいたことだろう。この2つの恋模様を同時進行すると物語がとっちらかるし、主役と脇役のメリハリがつかなくなる。だから、3人の新キャラのうち野宮1人が率先して、旧キャラ(美大生チーム)の輪に絡みだし、真山vs野宮のW眼鏡体制になったところで、リンツとジャンポールエヴァンを持ち出して両者を比較、恋の観覧車が一周しかけた頃に残りの傍観者2名にもドラマが……という、この流れになったのだろう。上手すぎて癪だよ!

 そもそも、真山の就職した藤原デザインがどんな会社か判明するまで、相当引っ張られているのだよね。一足先に卒業して、ぱりっとした服着てご飯をおごってくれるソツなく大人になった先輩、という貧乏学生サイドから見た真山サンをさんざん見せつけた後、満を持して「でも実際は、大学出たての社会人って諸先輩からオモチャにされるケツの青い新人クンなんだよ☆」という、別方向からの視点を持ってくる。初読時は自分が学生〜新社会人だったから気づかなかったけど、今ならわかる、これすごいリアル(笑)。

 そして「真山クンの行く手に見えるものは……」と画角を振り、同じ眼鏡でも格が違う、完璧超人・野宮が登場する。うーん、ソツがない。これで私が野宮に惚れないはずがない!*1

名作漫画は似てくるものだ

 かつて知人が『ハチクロ』のことを「少女漫画の模範、まるで教科書みたい」だと言っていた。えー、でもぉー、描線は粗いし、小ネタが多すぎるし、泣きを煽るモノローグは凄いけどあれはパロディ同人の古典的手法だし、……などと思っていたのだ、私は。立ち読みごときで。すいません本当に謝ります。で、じつは最終回を読んだのは初めて。周囲は「読んで!タイトルの意味を何も訊かずに読んで!(涙)」と誰も結末教えてくれなかったので、まっさらな気持ちで読みましたよ。

 まず最初の感想が「……ユーリ……?」だった私は、どこまで行ってもモー様信者である。でもねぇ、だって、ボンの神学校=盛岡の寺、あの列車=やまびこ、サンドイッチ=『ルネッサンスとヒューマニズム』、ですよねぇ。あ、いや、印象が重なるのが悪いことだとは思わないのですよ。むしろ、図像学とか古典的名作といった「意味がんじがらめ」の類が大好きなので、鼻水ズビズバさせながら、「エンドレスループな学園生活から遠くへ旅立つには、徒歩や自転車じゃダメよね、やっぱ列車の速度よね!」などと感動していた。

トーマの心臓 (小学館文庫)

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 あと、中学高校時代に『ハチクロ』読んで憧れて美大入った少年少女たちは、たぶんあらかじめ恥ずかしいものだという認識が植え付けられて、なかなか「自分探し」には旅立てないよね。『ハチクロ』という名作が、毎夏の自転車で北海道を目指す青少年の激減に結びつくとしたら、それはちょっと可哀想かもしれない、と思った。全国の青少年のみんな、ハチクロ読者に笑われたってかまわない、『サイクル野郎』読んで北海道へ漕ぎ出そうぜ!

*1:※未完成品より既製品が好きでプレイボーイが小娘相手に本気の恋に堕ちる瞬間が大好きな私は、真山より野宮派。野宮かわいいよ野宮。目の前で泣いて困らせたい!ぐっしっし ←そんな腹黒い山田は嫌だ。 でも一番好きな殿方は竹本のお父さんだったりする。『となりのトトロ』草壁家の父のオタクっぽさと母のはかなさを足して2で割ったような……まさに「守ってあげたい」の二乗!ああいう夫が欲しいなぁ。