いまさらハチクロ再読(2)異次元モノローグは、やおいである。

 「『ハチミツとクローバー』大好き、物語と並存してるのに異次元で進むあのモノローグがいいよね〜」といった発言をしている一般読者に出会うと「おっ」と思う。このひと素質あるな、って。

 そうした「なんかの素質」をはかるリトマス試験紙に、私は長らく『アーシアン』を筆頭とする高河ゆん作品を使ってきたわけだが、明らかに素質がある人にさえ「長髪の男だらけで同性愛とかキモイ」と突き返される場合もあって悲しかった。男女の恋愛物である『ハチクロ』でなら、晴れて真の素質が見抜けるわけである。多分。

 せつなくて、苦しくて、届かなくて、語尾の前で消えてしまう、でも溢れだしてきて止まらないから拙い言葉で「好き」を語るよ、という『ハチクロ』的モノローグ読んでると、じつに……何というか……「そうそうそう、こういう文体の女性向けパロディ同人誌、大好きですよ私も!」と表明したくなる。言葉足らずで上手に説明できない……誰か、女性向けパロディ同人(シリアス・悲恋系)の雰囲気を理路整然と語れる者は居ないか。

 といった調子でtwitter上で延々と「『ハチクロ』は“やおい”の香りがする」発言をしていたら(「やおい」の定義は割愛。よしながふみの対談集でも読んでください)、「犬の本棚」さんが言及してくださいました!

異次元モノローグは人称の違い、やおいは一人称の奪い合い

(略)マンガとは三人称の媒体である、としばしば言われます。例えば、マンガというのは全てのキャラクターが同一に描かれます。主人公も脇役も、必ず同じようにコマの中に描かれます。仮に一人称であるのならば、主人公は視点人物なのですから、コマには描かれないはずなのです。

 『ハチミツとクローバー』の上の画像で示したような技法は、マンガという三人称の表現の中に、一人称の視点を取り入れたものだと考えることができます。背景と台詞は三人称として描き、モノローグは個々のキャラクターの地の文として機能させているのです。地の文は視点人物の心情を表現する役割を果たしますが、それは台詞や背景に示されているような時間や状況に左右されません。同じ画面に描かれていながら、別々の層として読者に内容を訴えかけているのです。

異次元のモノローグは人称の違い
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 氏が私に説明してくださったのは、「とても当たり前のこと」。でも、だからこそ非常に重要なことです。「人称」という切り口で、初めていろいろ気づきました。「三人称」のメディアであるはずの漫画において、登場人物による「一人称(=モノローグ)」の「奪い合い」が生じている――。パロディ同人出身作家の作品である『アーシアン』や『ハチクロ』の世界で醸成される、あの甘酸っぱさの正体は、そんなふうに捉えることができるのではないでしょうか?

 昔ながらの少年漫画における一人称モノローグは、単なる「独り言」が多い。その場(物語と同じ瞬間)でたまたま声に出さなかったことが、フキダシではなく隣の四角い枠に記述されているだけ、という例が多いのです。ごっちゃに読んでも支障はない。一方で、恋愛を主題に描く少女漫画のジャンルでは、主人公の「心情そのもの」が、これでもかこれでもかと率先してモノローグに盛り込まれていく。フキダシとモノローグ、両方きちんと個別に深く読み込まなくては、主人公の行動の真意すら理解できません。だって、恋する女の子にとっては「言葉にならないこと」のほうが重要なんだもんッ!

 そして……。一般的な恋愛物の少女漫画ではせいぜい主人公カップルの男女くらいしか参戦しない、このモノローグの乱取り合戦に、『アーシアン』や『ハチクロ』の世界では、主役から脇役まで、全員が参加してしまうのです。誰もが、実際に口に出して語る言葉以上のことを、モノローグしたがっている。主役も脇役も敵役も、全員が虎視耽耽と、一人称モノローグで語りだすチャンスを狙っている、この感じこそが、「やおいっぽさ」の正体ということなのだと思います。ユリイカ!

少年漫画は、やおいっぽくない。だからパロディが盛り上がる。

 表題のとおり。青少年漫画のパロディやおい同人誌とは、言ってみれば「原作漫画の本編では語られないモノローグを、勝手に付与する」行為です。

 『聖闘士星矢』本編における氷河とカミュのモノローグなんて「男泣きに咽んで言葉にならない」「死にかけで気力がなくて言葉に出せない」程度の内容しか語られていません。実際に発語したわけじゃないから便宜上フキダシに入れてない、ただそれだけのことです。でも、私はそこに、その2人の向こう側に、無限の想いを見る。永久凍土を溶かすほどの熱い愛の日々が見えるのよ……! 車田正美は、腐女子受けなんて微塵も狙ってません。狙って描けるとも思えません(笑)。原作本編では、ただ師弟の対面したコマが描かれてるだけ。でも、腐女子の脳内では勝手に捏造したモノローグ・ポエムが止まりません。脳から出てくるそうしたなんかのホトバシリを原稿用紙に落とし込んだものが、氷河×カミュのやおい同人誌となるわけです。

(すなわち、究極的に真実の「やおい」においては肛門性交など所詮は飾りにすぎぬのです。むしろ私は、あまりにこうした「魂で語り合う、モノローグのやおい」が好きすぎて、最近はセックス描写自体が前面に押し出された新興ボーイズラブの類は、湿度が高すぎて息苦しくて、なかなか読みこなせません……。おわかりか、この気持ち。)

 だから私は、「本来ならばモノローグを物するはずでない登場人物たちまでもが、こぞってモノローグを語りだす」、そんな商業漫画を見ると「ああ、やおい同人誌っぽいなぁ、いいなぁ」と感じるのでしょう。『アーシアン』がやおいっぽいのは、長髪美形キャラばかりで顔の見分けがつかないからでも、異性愛が変に見えるくらい同性愛が蔓延しているからでも、ちはやと影艶が結ばれたからでも、なかったのです。そんな上辺のことじゃない。ちはやでも影艶でもないくせに突然ミカエル様がモノローグを語りだす、だがそれがいい! という価値観がまかりとおるからこそ「やおい」なのですね、うん。『ハチクロ』も同様です。なんで間男の野宮にまでモノローグ権があるんだ、って話ですよ。うん。だがそれがいい。

アーシアン (1) (ウィングス・コミックス)

アーシアン (1) (ウィングス・コミックス)

でも『ネウロ』とか原作が最大手にやおいっぽくてけしからん。

 ところで「犬の本棚」さんのご指摘で最初に思い出したのは『魔人探偵脳噛ネウロ』でした。少年漫画なのに、弥子やあかねちゃんはもちろん、春川から笛吹からサイからアイまで「魔人以外」のレギュラー登場人物はほとんどがモノローグ権を行使済です。しかもその多くが『星矢』のような単なる言外の呟きではなく、物語進行に影響を及ぼす、語り部系モノローグなのです。そのため、(あんなストーリーなのに)「モノローグの奪い合い」系恋愛漫画によく似た読後感を発生させているように感じます。

 まず前提として、あの漫画の面白さは「故・塩沢兼人が主演する乙女ゲーのコミカライズ」感覚なのです。*1 少なくとも私にとっては、弥子ちゃんの酒池肉林ハーレム状態を楽しむのが醍醐味で物語は二の次。「女性向け18禁なのに総受けで陵辱されてるのが女の子」などという同人誌もたくさん出ています。けしからんですね(嬉)! 少年誌で毎号イチャイチャSMプレイしてる原作こそが最大手だけどね!

 そして、主人公である女子高生探偵の一人称は地の文の役割を担い、かつ「犬の本棚」さんがお書きの「その人物の知りえない情報でさえ持っているかのような言動」を感じさせることがあります。彼女が直接には目撃していない犯人側の密室のやりとりに「これが私たちの出会った新しい恐怖の始まりだった」云々、なんて独白が平然と絡んだりする。つまり、基本の語り部は「現在(事件発生前)の弥子」ではなく「近未来(事件解決後)の弥子」、すべてのお話は終わった視点から描かれ、いわば「全編が壮大な過去語り」なんですね。少女漫画でいうと『NANA』のような、「あらかじめ失われた物語」。少年漫画の過去エピソードが大好物の腐女子には、たまりません。いつか地上からいなくなってしまう御主人様と思えばこそ、SMプレイも熱を帯びようというものです。

 というわけで、『ネウロ』が確固たる女性人気を得ている理由の一つには、(魔人様のドSっぷりに加えて)少女漫画的技法で多元的に差し挟まれる心情説明モノローグもあるのかな、などと思いました。一部の腐った女性ファンの間で囁かれる「松井優征先生は(西義之先生に負けず劣らず)乙女!」というフレーズも、もしかすると効果的な少女漫画風モノローグのためかもしれません。

魔人探偵脳噛ネウロ 16 (ジャンプコミックス)

魔人探偵脳噛ネウロ 16 (ジャンプコミックス)

やおいモノローグは、事情説明をスッ飛ばす

 ここまできたらもう一息、同人誌ならではの表現についても語っておきたいと思うのですが、時間切れ。

 パロディ同人誌におけるモノローグは「事情説明をワープする」機能も果たしている、という話です。同人誌では、書き手と読み手の間での共通了解事項=「原作での設定」を説明する必要がない。だから「あの時のおまえの顔が」とか「あの言葉が」とか「あんな奴のことは忘れて」といった“指示代名詞モノローグ”を使えば、原作漫画のもつプロの物語力を借りて、本歌取りによってアマチュアでも泣きの情景がサクサク進められるのです。モノローグを制す者が同人誌を制す。(裏腹に、この手法に慣れきった人が商業誌でオリジナルを描くと「説明がひとりよがり」などと批判されることも) いろいろ例を挙げて紹介したいなぁ。

 もちろん、パロディ同人出身でない商業作家にもモノローグの達人はいます。川原由美子『あなたに逢いたい』のように、「短い言葉で複雑に絡み合う主人公モノローグを、最低三往復は読まないと真意が汲めない」といった難度の高い漫画も好きです。中学生当時、月刊連載を読んで「いやー、今月も見事にちんぷんかんぷんだったなぁー」と苦笑してました。もちろん単行本では号泣です。後年、再ブレイクした『観用少女』は非常に読みやすい短編連作スタイルでしたけどね。

 大人になって読んで衝撃だったのは、内田善美『星くず色の船』の「モノローグ途中で人称が変わる」現象! 物語の主人公は女の子なのに、意中の男の子が見た白昼夢の中にその女の子が出てきて、男の子に向かって喋っている。なんとも倒錯的で、一般少女漫画ではまずお目にかかれないモノローグです。あれを読んだとき、内田善美に男性ファンが多いのがちょっと頷ける気がしました。……と、まだまだ語りたいことは山ほどありますが、また次の機会に。

あなたに逢いたい 1 (あすかコミックス)

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*1:私にとって子安はあくまで代役です・笑。