「好きになったら嫌いにならない」「ずっと憶えている」

id:kaienさんをIDがカイエンだというだけで意識してしまう私はどんだけ剣聖好きなんだ
いや厳密には好きなのはきっと剣聖様というよりヒッター子爵様なんだけど
その話は長くなるので後日! オタクと「好き」の関係についての良記事。

 でも、ぼくにとっては、「成長」とは、「拡大」なんです。少年時代の自分はそのままに、その上に新しい自分を積み上げ、視野と認識を広げていく。それが「成長」。
 もちろん、いまのぼくは子供時代のぼくとは別人だけれど、それでも、核心のところには、あの頃の自分がのこっている気がする。
 クラスの喧騒を避け、ひとりひっそりと図書室に篭もり、ストーブの柵に足をかけて、ひたすらページをめくっては、物語に耽った少年の自分が。
 その自分を「卒業」するつもりはない。たぶんぼくは、一生、心のどこかは子供のままなのかもしれない。

Something Orange –  オタクたちの「卒業」しない生き方。
http://d.hatena.ne.jp/kaien/20071002/p1

まったくだ!
ブックマークにコメント書いてたら止まらなくなったので拡張して転載。
他人様の書かれたことなのに、ひとつも同意できない点がない。

私も「一度好きになったら嫌いにならない」人間である。
その覚悟がなければ、異性も漫画も音楽も好きにならない。
もちろん恋人とはいつか別れのときが来るけれど
たとえ恋人で居続けられなくなっても、別に嫌いになるわけではない。
(ちゃんとそう話すのだけれど、大概の男性は理解できないようだ)
ああ、二次元はいつまでも好きで居続けられるからいいよね(遠い目)。

そして私は「初めて好きになった気持ちをいつまでも憶えている」人間。
その気持ちを忘れないから、久しぶりに読み返した作品に対しても
「あのときと同じ気持ちだ、やっぱり好きなんだ」と何度でも確認できるのかも。

小学校のときオタク仲間たちがどんどん「卒業」していった。
あんなに熱中していたものを平然と捨てる彼女たちが不思議だった。
まぁ、陰湿なオタクいじめが続いていたので仕方ないのだが。

ある日突然「私は今日からもうオタクじゃありません」
「だからオタクのあなたたちは話しかけないで」と宣言する女子とか
いたのだよ。いるのだよ。今でもきっと、どこかの教室に。
そのまま本当に「卒業」して「なかったことにする」子もいるし、
3日後とか3年後とか13年後にヘラヘラ笑って撤回する子もいる。

そのどちらも私は理解できなかった。
「ずっと好きでいる」「変わらないまま大きくなる」ことの喜びが
どうしてわからないのだろうか? 楽しい未来が、想像できないのだろうか?
ただただ「私と彼女たちとは人種が違うんだな」と思った。
無理強いはよくないので、私は私で生きよう、ただ好きでいようと思った。
他人は関係ない。石を投げられたら上手に避ければいいのだ。コツがいるけど。

自分で選んでいるわけではないのに、気がつくと友達が少ない。
これがいい、と決めるまでにおそろしく時間がかかる。
あきらかにガラクタでしかない物が捨てられない。
時代に取り残される。消費社会のスピードから見捨てられる。
同窓会に行って「昔の話はやめて」と睨まれる。
後輩から「おかださんその話ばっかしますよねー」と笑われる。
自分のスタイルに対して、どこか宗教的頑固さが生まれる。
なおかつ、
嫌いな物事や人物は、初めて会った瞬間からとことん嫌いで、
絶対に好きにはなりえない、ということが残酷なほど自覚できてしまう。
そんな相手に好意を寄せられると思わず心の中で反吐を吐く。ひどい奴。

「一度好きになったら嫌いにならない」人間は、
はっきり言って、普通の人より生きづらい。
でも生きれば生きるほど好きなものが増えてく、だから幸福。

年齢を重ねれば重ねるほど、世の中にまた新しい好きなものを発見する。
そして減らない。それらは私が死ぬまで減らない。
満たされながら育ち続ける。もっと身長が伸びてもっと視野が広くなる。
すると見渡す世界の中で、好きなものをぱっと見つけるのもどんどん早くなる。

誰かにわかってもらわなくてもいい。
私は成長し続ける。けれど私は忘れない。そして私は、幸福なのだ。