2007-06-29 / 「ドラえもんは何もしてくれないよ。」

光市母子殺害事件について。例によって内容は本題とはズレております。

理想論で行動する者の1人として死刑廃止論にもあれこれ言いたいことはあるが、
(私は死刑反対ではなく「死刑以上」の極刑実現を望む。やっぱ長くなるので省略)
そんなことより『ドラえもん』である。

なんとなく「こいつアニメ世代だな」と思ってしまった。
もちろん私もドラといえばアニメ、ばりばりの大長編ドラ世代ですが
どちらかといえば、原作漫画を熱心に読んで育ったほうだと思います。
だからなのか、「ドラえもんは何もしてくれない」と考えている。

ドラえもん本体には“面倒見のよさ”みたいな機能は備わってないと思う。
多少の優越意識と、主人に命ぜられた後見人役に対する義務感のほうが強い。
自分にもたらされる悪い未来さえ回避できれば20世紀のことはどうでもいい
と思っている節さえある。つねに「のび太のため」<<<「己の望む未来のため」。
20世紀の子供から見れば万能と思えるドラえもんの、その乾いた感情が好き。

むしろ、あの子、のび太なんてどうにでもなれよ、くらいに思ってやしないか?
一応「のび太を助ける」名目でポケットから出される各種ひみつ道具にしても
すんなり出すのはいつも“自分が一緒に楽しめる”タイプの道具だし、
自分が楽しめない道具の使用には気乗りしない顔で、のび太に強奪されるとキレる。
さすが欠陥品。主人より我を通すなんて。優秀そうに見えてばっちり落第生である。
「猫型ロボットなのに人間くさい」秘密は、そうした“ひどさ”にこそあると思う。
なんて身勝手な「未来」。何かをねだっても、望む通りのことはもたらされない。

のび太に泣きつかれたドラえもんはいつも、面倒くさそうな顔で宙を見ている。
昭和を舞台にした漫画を通じて「未来とはどんなものかしら」と夢見る僕ら読者を、
ところが反対に「未来」はいつも、退屈そうに、興味なさそうに、一瞥する。
泣けば抱きしめてくれる“ママ”のような存在とは、根本的に違うのだ。

「元少年」のこの証言へ対する自分の違和感を、いかんとも形容しがたい。
あの漫画のどこを読んで、そんなふうに考えたのだろう?
ドラえもんは何もしてくれないよ。何もしてくれない。
あの漫画で育った子供なら、みんな、わかっていることだよ。
きみは、アニメの主題歌の歌詞しか憶えていないのじゃないかい。
もしくは、一度もあの漫画を読んだことのない大人に
書いてもらった原稿を読み上げているだけじゃないのかい。
ね、そう思うだろう。

 山口県光市の母子殺害事件の差し戻し控訴審で、殺人罪などに問われた元少年(26)=事件当時18歳=は27日、広島高裁の公判で、本村夕夏ちゃん(当時11か月)殺害について「ひもを首に巻いたことすら分からない」と殺意を否認した。また、遺体を押し入れに遺棄したことを「ドラえもんが何とかしてくれると思った」と証言。殺害後に性的暴行した夕夏ちゃんの母・弥生さん(当時23歳)についても「復活の儀式だった」などと語り、乱暴目的を否定した。

 26日に引き続き、これまでの起訴事実を否認する元少年。この日は、国民的人気キャラクターの名前を引き合いに出し、自らの殺意を否定した。

 「今考えると幼いが…ドラえもんの存在を信じておりました」。弁護側が元少年に、夕夏ちゃんの遺体を押し入れの天袋に入れたことについて質問したときだった。

 「ドラえもんの4次元ポケットは、何でもかなえてくれる。押し入れはドラえもんの寝室になっている訳ですが、押し入れに入れることで、ドラえもんが何とかしてくれると思いました」(後略)

元少年証言「ドラえもんが何とかしてくれる」…光市母子殺害

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作者: 藤子・F・不二雄
出版社/メーカー: 小学館
発売日: 1981/12/19
メディア: コミック

『ドラえもん』は何かに「先んじる」ことの嬉しさ、楽しさ、寂しさを描く。
大長編のラストで異世界から家(現在)へ帰る場面など、毎度毎度そう感じる。
多くの児童文学の主人公と同じく、のび太は読者より「ちょっとだけ大人」だ。
なにせ彼は「未来」という座敷猫を飼っている。自分は未成長の子供のままで!
読者は皆、0点とるほどバカじゃない代わりに、誰も彼ほどの経験はしたことがない。
(「どくさいスイッチ」で自分以外に誰もいない世界を知る、とかさ。凄いよな)

“何でもかなえてくれる(はずの)ドラえもん”が傍らにいる特殊な環境下で、
特権を駆使して分不相応な体験をして、それゆえ、いろいろ痛い目にも遭って、
ふつう子供は舐めないような涙の味も知り……すぐ側に依存対象があるからこそ、
のび太は結果的に「自立」ということを、人より先に学ばされる羽目になる。

現実の子供は「ああ、僕は“ドラえもんのいるのび太”じゃないんだなー」と
子供のまま未来への階段をのぼるのび太に嬉しいような切ないような愛を抱き、
「でもいつか僕も(できたらいいな)」と、大人になっても読み返してしまう。