『レタァ』と沼田伯父と私 (寄稿より長い釈明文)


 小さい頃の私は、毎日毎日「いつまでも、ふんわりした夢みたいなことばかり考えちゃいられない」と思っている子どもだった。放っておくと空想が止まらない、自分のポヤンとした部分が嫌いで、早く大人になりたかったし、早く現実に直面してみたかった。

 だが、一応は大人になった今、『レタァ』を読んでいる時間、「どうして私はもっとずっと、ふんわりした夢ばかり見てこなかったのだろう」と悔やまれてならない。こういうことを仕事に、こんな素敵な本をかたちにしたかったはずなのに、今の私が身につけたのは大人ぶる仕草や大仰な虚勢ばかりで、一番大切なところをどこかに置いてきてしまった気がする。

 女の子になりたいと憧れる男の子のような気分で、『レタァ』第2号がかたちになったのをじっくり眺めた。この雑誌が、Olive留年生だけでなく、10代の少女たちに届くといい。彼女たちの心に間に合うといい。こんなにふんわりしたものをつくる大人の女性たちもいるのだよ。大丈夫、大丈夫。


 私が10代の頃は、好きな人にただ会いたくて会いたくて会いたくて、遠くから眺めては、同じ時代に生きている作家とか漫画家とかミュージシャンとか学者とか、彼らのことばかり考えて青春を過ごしていた。学生を経て社会人になり、大抵の人とは再会という名の初対面を果たし、また数人とは幸運にも協働する機会などを得た。沼田元氣はその筆頭のうち1人にあたる。

 昔は実物を見たこともないくせに「日本中で私ほど沼田さんのことを考えている奴は居ない」と思っていたし*1、渋谷や神保町を徘徊して「こんなに行動範囲が重なってるのにどうして沼田さんは私と出会わないんだ」とストーカー的思考*2をめぐらせたりもした。出会った今となっては「どうして乙女心をそっとしといてくれなかったんだ」と憎らしくも思うが。いやマジで。

 体験的に断言しよう。「少女時代に本気で好きだった物事や人は、大人になってからも変わらない」。少なくとも私は、年を重ねるたびに好きなものが明確になっていく。嫌いなものをあらかじめ視界から除けておくことができるようになり、好きなものばかりパッと目に飛び込んでくる。小さなものならその場で衝動買いするお金もあるし、手に入らない人や物事なら、グッと我慢して心の中にだけ留めておく分別もついた。だから、10代の頃は嫌いなものだらけだった世界に、どんどん好きなものが増えていく(ように思えている)。

 子どもから大人になるということは、忘れることではない。好きだった人、欲しかったもの、忘れたくないことを、ずーっと憶えておくことだ。『レタァ』読者には、そんな少女でいてほしい。そして、もっともっと大人になったら、それらずっと憶えていた物事を、きよらかに美しく忘れていく老人に、私はなりたい。


 今年、ある日曜日の「乙女美学校」放課後、吉本真一さんと長い長い話をした。店を変え、お茶を何杯も飲んで、夜遅くまで兄妹2人きりで「ぼくらの伯父さん」について話した。数年一緒に過ごしてきて、ほぼ初めての経験だ。兄弟子は正面きって「イッコちゃんは沼田先生のこと本当はどう思ってはるん?」と訊いてきたし、妹弟子は答えた後、同じ質問を返した。

 原稿を「テーマ合わせ」で書くと決めて別れた数日後、私はたまらず彼にメールを送る。連載の規定字数をはるかに3倍以上超えた「わたしの伯父さん」。沼田伯父について書いたのは初めてではないが、今回そんな経緯があって書いてみて、ようやく初めて、いろいろと知った。助手時代はほぼ毎日、恋人よりも長い時間を過ごしていた(笑)のに、それでも、書かないと自分の気持ちに気づかない。それが「書く」ということだ。どうにも縮めようがなくて、結局『レタァ』の原稿はまったく新しく書き直したのだが。

 伯父はよく、自分が10代20代で誰かの「甥ッ子」だった時代のことを話してくれる。私もまた、年下の誰か子どもにそんな話をして、ヌマ伯父さんのように、『ヌマ叔母さん』のように、慕われたり疎まれたりする大人になりたい。だから伯父のことをあんなふうに書いた。「ふーん、で、その人、誰?」と何も知らない少女たちに向けて。

……1箇所『ナルニア国ものがたり』の登場人物スーザンを想定して書いたくだりがあるのだけれど、あれも少女読者を想定してるだけで、他意はないですよ >既婚女性の皆様。

*1:のちに彼の周囲で働く優秀な人々を見て「上には上が居る」ことを実感する

*2:私が沼田さんと、ではなく沼田さんが私と、というのがミソです