春の嵐の夜の手品師、蜜のあはれとオンブラ・マイ・フ

 ソメイヨシノは人工的につくられた花。観賞用に改良された品種だから、自然の木の花とは違う、一種異様な咲きかたをする。改良種ゆえに短命で、自然に繁殖する能力もなく、人の手なしには維持されない。日本全土のソメイヨシノはすべて一本の樹から生まれた遺伝子の同じクローンだから、条件が整えば一斉に開花する、それが“桜前線”の正体。

 お花見の席でそんな聞きかじりの知識を披露すると「興醒めだ」と言う人もいるけれど、私は、そう考えるとますますソメイヨシノが好きになる。

 あのモコモコと奇妙に密集した花は種子を残すためでなく人間に愛でられるためだけに咲いているようなもの。だから、われわれ人間が満開のソメイヨシノの下に集まって、散りながら咲くあの花を愛でながら、いつまでもいつまでも宴をくりひろげるあの光景は、まるで取り憑かれているかのように思われる。

 めでなくては。この花の下に集まって、その散りゆくさまを見届けなくては。供された料理を残さず食べなければならない食卓のように、われわれは創り手として責任をもってその花の存在意義を消費し尽くさなくてはいけない。われわれの欲望を満たすためにつくられたはずの花に、他ならぬわれわれが踊らされている。そしてこの花には、根元に埋められた人間の屍の血を吸って薄紅色に咲くという伝説がある。春、桜が満開になると、いろいろな人に会いたくなる。会って、この話をしたくなる。

 他にも、さまざまな人工物に、ソメイヨシノと同じものを感じる。ミニチュアを創ることで宇宙を表現してしまう盆栽。生物学的にまったく必要のない装飾物をつけてひらひら泳ぐ金魚。“(人間の)文化”のために“生態系(の中のヒト)”から切り離されたカストラート。

 そして……『ファイブスター物語』のファティマ・ファティス。奇形で短命で生殖能力のない改良品種。みんな同じ顔。魔性。人類のためだけに生まれながら人類を超える超自然的存在。ニュースで「桜前線」って聞くたびに日本全土のソメイヨシノをジョーカー全土のファティマに重ねてしまう。毎春、桜について何を書いても、結局オチが全部「ファティマだよね。」に行き着くので困る。

 *参考URL http://hccweb5.bai.ne.jp/nishicerasus/gimon10/treedrgokai2.html