「男の胎から私は生まれる」

 覚醒夢。40代にさしかからんとする中年女性が主人公の夢である。彼女は、複数の選択肢のうちから或るひとつの未来を選んだ私の将来像である。つまり私の分身のようなものである。夢の主である私は、絵本のページをめくるように彼女の物語をながめている。

 彼女は最近、初めての妊娠をした。まださほど目立たぬお腹を抱えて、或る男のもとへ、その告白をしにいく。(現実世界で私の友人である)Sだ。Sは彼女が何を告げるより早く彼女に駆け寄ってきて、抱きしめて、小柄な細い腕で彼女の重たい身体を持ち上げ、額と両頬にキスをする。彼女と彼女の子供に向けて、あらん限りの祝福の言葉を述べながら、絡めた腕を離そうともしない。彼女はちょっと恥かしそうに戸惑っている。

 Sはと見ると、どうやら(いま現実の世界で出会う50代半ばの彼よりも)ずっと若く、20代後半か30代のようである。私は彼の若い頃を知らないので、想像で補完されたその顔は、襟足を伸ばした髪が頬にかかるあたりで、輪郭がぼやっとしている。元々ととのった顔なので、満面の笑みがかわいらしい。中年女性は、Sのあまりの喜びように、自分の身に起きた慶事であるのに気が咎めたような表情すら浮かべている。夢の中で、彼女とSとは義姉弟のような関係らしい。「嬉しい、嬉しい、僕は、あなたが大好きだ」というようなことばかり繰り返し言うSは、相当興奮している。常に冷静沈着で表情を変えず、あまり積極的に主観の意見を述べない普段の彼の様子とは明らかに異なっている。

 夢を見る私は、ふと、彼女の腹の中にいるのはSの子なのではないか、という疑念を抱く。「いいえ」と彼女が私に答える。「これはSの子ではありません。けれどSにとってそれはどうでもいいことなんです」。夢の主人公である彼女と、夢の主である私との会話はテレパシーのようなもので、単なる登場人物に過ぎないSの耳には届かない。

 Sは言う、「素敵だ、僕の大好きな人に赤ちゃんが生まれるってなんて素敵なことなんだろう。僕もいつか、あなたのように子供を産むよ」。それはおかしい、なぜならあなたは男性であるから。と私がツッコミを入れてもSには届かない。戸惑う表情の中年女が、はっと驚きを顔に浮かべる。彼女は気づく。遠い未来にSという50過ぎの男性の胎から産まれてくる女の子供こそが、夢の主である「私」なのだということを。

 若いSはキスの雨を降らせながら、自分より10センチ近くも背が高い中年の妊婦を片腕でかるがると抱き上げて、白木の材木でできたコテージのような場所へ運んでいく。そしてSは「あなたの産んだ子供が僕のものになり、僕の産む子供があなた自身になるんだ」というようなことを言い、本当にいとおしそうな瞳で彼女を見つめる。「約束しただろう、僕たちはみんなで、そうやって幸福な町をつくるんだ」。光の加減で少女のようにも見える、若く幼い顔立ちのSが、自分でお腹を痛めて産んだ子、布にくるまれた顔のない赤ん坊を抱きかかえているイメージを見たところで、目が覚めた。

 


最後のフレーズの「幸福な町」とはおそらく、ここ何年か或る特定の複数の人たちと話すとき永遠のテーマとなっている、我々が最後に目指すべき、佐藤春夫「美しい町」のことと思われる。或る極右の教育者から聞いたコミューン構想にも近い(右翼なのにコミューンって、と思うが何かそういう人なのだ)。こうした理想的な社会集団の幻想は、かたちを変えて何度も夢に見る。私はそれに囚われている。今回のは、竹宮恵子『地球へ…』の、新天地で初めて生まれた子を少年ジョミーが祝福するという場面によく似たヴァージョンだった。普段あんなに気難しそうなS(実在の知人)が、とびきり陽気な役で出てきたのが可笑しい。自分が彼の股の間から産まれてくるって、どんな感じだろう。

 

【追記】(2019/10)
伏し目がちダンディなSさんもう何年も会っていないけどお元気だろうか。そんなにたくさんの時間をご一緒したわけではないが、その割にはなんだかしょっちゅう夢に見る実在の知人の一人だ。