2016-02-11 / ムチは罰、無知は罪

数日前から「あ、これそのうち日記に書いとこう」とスマホのアプリにメモしていたことをゆっくり見返す暇もなくなっていた。
先日見かけて面白かったのは、「Real New Yorkers Ride Yellow」という広告。「真のニューヨーカーなら黄色だろ」、というわけで、黄色地に黒字でイエローキャブの頭にのっかってるこのタグラインは、Uberにアンチを唱えるイエローキャブ自体の広告なのである。まぁでも普通にもうBlack優勢じゃないの? と思うけど、Yellowが姿を消すのもそれはそれで寂しいものである。
https://www.instagram.com/p/BBvLFTWmUlr/
あと、英会話的なネタでいうと、「みんな結構、bathroomって言う」という話。日本では「飲食店でbathroomはどこですかって訊くと店員に笑われるぞ、家じゃないんだから、restroomと言え!」とか、「えー、なにそれ、おそれながら英国人ともなりますればおそらくは口語ではlooとしか言わないのではありませんでしょうか私見ではございますが(※クィーンズイングリッシュってこうですかわかりません><)」とか、そういうの、やたらと聞かされてビビるじゃないですか。公共の場でトイレって言うとき絶対bathroomなんか使わないぞ、って思うじゃないですか。いや、みんな、使う……。客のほうが「bathroomどこ?」って訊いてるのはもちろん、たとえば私が「restroomへ行きたいのですが」と言ったら店員が「は? ああbathroom? その奥よ」と言い直したことさえある。たぶんこれはRの発音のせいなのだが、こういうの一つ一つ腰から砕けていく感じがある。
その他、あれこれ書き残しがあるけど、わざわざ別項を立てるほどでもないし、そのうちにまた。

木曜日はFrankの授業。ロボットの課題、ファイナルプレゼンテーション。先週の授業の後半で、私がロボット三原則の話をして「ロボットとは何か? 人によって作られた、人の役に立つ、人に似せた存在。すなわち、機能性が大事だと思うんです。なので私はそれぞれの個体が持つ人類にとって便利な機能から造形を考えはじめました」という頭でっかちなプレゼンをしたためか、幾人かが先週のスケッチとはまったく別のものを作ってきたのが面白かった。ガラクタを寄せ集めて存在感のある美的な置物を作って部屋に飾りたい、的なことを言っていた二十歳前後の子たちが、「やっぱり単にかわいいだけのオブジェじゃダメだと思ったんです」「ちゃんと動かせる、働きを持った存在にしたくて全部変えました」みたいなことを言い始めて、おお、俺ってばインフルエンサー、授業に貢献してるじゃん、となる。でも、デザイン学部所属のすげー頭良さそうな中国人女子が、卵パックや針金やウォルグリーンズのレシートなどの廃材を使って抽象的にもほどがある、用途などありもしない荘厳なオブジェを作ってきて、「『彼』は大量生産消費社会へ警鐘を鳴らすために生み出された存在です、無機物の集合体が獣の貌を持つという存在そのものが現在の人類のありようへのアンチテーゼであり、その意味ではマシーンでありながらエイリアンであるとも呼べます……」みたいなことを流暢な英語でカマシ続けてたのにもシビレた。ゴジラとメカゴジラ、みたいな。いいと思う、その若さ。
私は当初のスケッチ通り、「昨年のハロウィーンのとき買った99セントのキャンドルのオモチャと、昨年のクリスマスのとき買った2ドルのキャンドルホルダーを組み合わせて、マッチの手を付けた、火を貸してくれるロボット。ロマンチックなシチュエーションが大好きな女の子で、ベッドサイドやバスルームでご主人様の暮らしを見守り、LEDの電気スタンドに対抗意識を燃やし、消防隊員に叶わぬ恋をしている」というのと、「写真収納ボックスに目が付いたロボット。紙焼きの写真をパクパク食べて、物忘れの激しいご主人様の代わりに外部記憶装置となって思い出を貯蔵してくれる。古風なサムライ口調で話し、セサミストリートのオスカーと友達で、嫌いなものはPhotoshopとInstagram」というのと、「全身が裁縫道具でできているファッションデザイン専攻のロボット。4階教室に出没し、手元に裁縫道具がないときアンパンマンよろしく肉体を犠牲に差し出して人類に貢献してくれる。歯車の代わりにボタンで駆動、胴体はヘアゴムでレインボーカラー、性別不詳」というのと作りました。小学校のときでももう少しマシな工作をした記憶があるし、日本語で文字に起こすとアホみたいだが、これでも立派な大学の課題です。こういうものの出来が積み重なって米国における私のGPAが算出されます。マジか。
https://www.instagram.com/p/BBqiBmQmUh-/
次の課題は「Infographicとイラストレーションを組み合わせた、ご近所マップの作成」というよくあるお題なのだが、さすがイラストの授業、「でも題材はimaginaryでもよい。イマジネーションをふくらませてMapの定義を超越せよ」というややこしさ。授業時間が余ったため、不明な点があったら個別に相談に来い、と待ち構えている講師のところへ、来るわ来るわ、おかしな地図の案。いきなり質問に来た子がスケッチを見せながら「この女性の裸体に張り巡らされた無数の刺青が一つ一つ人生を表現する地図になっている、という作品で行こうと思うのですが、立体は不可でしょうか……」である。自宅近所の美味しい店マップとか、イーストビレッジおすすめ犬のお散歩コースマップとか、その程度のものを考えていた私、目が点。そしてノーアイディアだというポケモン大好き女子学生には「NYCのポキモン出没マップなんてどうかな? セントラルパークにはどんなポキモンが出ると思う?」と講師。初回からすっごい疑問なんですけど、美術大学の課題でポケモンばっかり描くって「二次創作」扱いじゃないのか。それともPokemonはもはやNinjaみたいな一般名称で、まるっこい形状の架空のモンスターをデザインし続けているというだけならクリエイティビティが認められてアリなのか。わからん……。
私はとうとう「実作しなかった佐藤研の提出課題のリメイク」という禁断の果実に手をつけることになった。いや、別に禁じ手にしていたわけじゃないんだけれども、10年以上も前にボツにしたものを「廃物利用」的に今また作るというのは、後ろ向きだからなるべく避けるべきかな、と……。でも、講師にその場で書いた4種類ほどのスケッチを見せたら、やっぱりそりゃもう、SatOKの出たやつが一番好評。「えー、何これ、すごくいいじゃなーい! いつ思いついたの? えっ、10年前!? それで、作らなかったの? 作れなかったの? アー、つまり、アイディアは思い浮かんだけど、形にする方法がわからなかったの……? オーイ! 今、ここが、その場所だよ! すっごーいよ! キミがこのアイディアを具現化する瞬間に立ち会えて、僕はとても光栄だよ! 来週が楽しみ!」と言われたので、もうこれを作るしかない。いやぁ、とても嬉しいんだけど、着想したのも就職直前の20代半ばで今の年齢が36歳だとは、思われて……ないよね……。子供の頃からの空想を、二十歳そこそこの留学生が作る、というものを褒める姿勢である。しかしもはや実年齢を言い出せない雰囲気がある。

ところで、この講師のFrankという人。私はもともと興味関心分野と合致しているというので学科長から「Beyond The Page」という講義自体をものすごく強く勧められ、そしてこのタイトルで授業を持っているのがFrank一人だけだったので、シラバスや講師としての彼の評判だけ読んで、ほとんど深く考えずに履修した経緯がある。もちろん取ってみたらとても素敵な先生だったし、授業の雰囲気も期待通りだったので、自分で見聞きしたこと以上の情報収集をする気がなかなか起こらなくて、そのままズルズル取って3週も経っていたのだった。それで今週、課題で作ったものの写真をメールで送ってねと言われ、メモを見返すよりぐぐったほうが早いなとメールアドレスをネットで調べているときに、ようやく、違和感に気づいた。私、もしかして、彼が個人で運営しているオフィシャルなポートフォリオサイトをちゃんと読むの、初めてだったっけ……? っていうか、あれ、音楽関係のデザイン仕事をたくさんしていて、デヴィッドボウイの訃報には胸を痛めたよ、というブログ記事は読んだ記憶があるけど、それ以前の記事ってちゃんと読んでないな……? 
……ん……っていうか、あれ、どうしたの、あのおっさん何の因果でトーキングヘッズと共著なんか出してるの……?
Frank Olinskyだった。Frank Olinskyって、あの、Frank Olinskyだった。というか、すまない、今の今までFrank OlinskyをFrank Olinskyとして認識していなかった!! ポートフォリオサイト見て最初にピンと来なかったのは私がアホだからですが、最近の仕事ばかり上位にあがってきて過去の大仕事が見づらかったというのもある。代わりにたとえばバーンズ&ノーブルでクレジット検索かけた結果がコレですわ。ソニックユースにスマパンにR.E.M.にジョシュアレッドマン、あのジャケ、このジャケ、みんな彼の作品ですし、平たく言うと「あのMTVのロゴを作った人(の一人)」ですね。うひゃー。正直、どれもこれも大好きなテイスト、というわけではないんだけども、ただスマパンの『メロンコリー』『アドア』とジョシュアレッドマン『フリーダムインザグルーヴ』のジャケを手がけたのが同じ人、というのは、たしか両方好きだった10代のとき発見して、両方とも試聴機からのジャケ買いという経緯だったので、「へー、一つのスタイルに固執せずいろんな表現ができるデザイナーってのもいいもんだねー」と驚いた記憶だけは、はっきりある。名前なんかてっきり忘れていた。はい、Frankでした。
デザイン科の友達たちから、イラストの授業の先生、どんな感じ? と訊かれるたび、「鉄腕アトムとスティーブジョブズの似顔絵に大喜びする笑い上戸のMr.アイスピック、初回の課題がロボットで、ちょっと古い感じが大好きそうな、いかにもザ・ニューヨーカーって感じの見目麗しいオジサン」などと答えてしまっていた……。いや、合ってる合ってる、それもまったく嘘偽りない、のだけど、そうか……この人があの人なのか……。という衝撃から立ち直れそうになく、思わず学科長のJulia(偉い人なんだけど肩書に頑なに「元パンクロッカー」と入れている、昔はブイブイ言わせてたであろう日本大好き50代サブカル女子)にメールする。「ちょっと……このFrankがあのFrankだなんて聞いてない……けど、たぶん私のクラスメイト大半が1995年以降の生まれだから、私が何に興奮しているのか全然わかってもらえない……ので思わずあなたにメールしちゃった……NRN(No Response Necessary)」。
もうね、この「叫び出したいけど叫んでもクラスメイトには伝わらない」の忸怩たる想いよ……。東京から同期入学した社会人留学生のうち、最年長の友達がファイナルプレゼンテーションのときJITTERIN’JINNの曲をかけてて、「こんなの育ちゃんしかわかってくれないだろうけど、いいの! 私は私のためにこの曲を流すの!」とやっていたのなど思い出す。卒業後に私の年齢で「Frankの教え子だった」とか言って回ったら、どんだけ過去の話かと思われるだろうなぁ。はー、きわめてニューヨーク的体験であるなぁ。そして本人に「80年代からあなたの作ったものに囲まれて育ちましたよ!」と言ったら、私のことを二十歳そこそこだと思ってスケッチを褒めてくれていた彼は、ドン引きであろうな。黙っとこう。