佐藤康光さんの文体が好きなんだ。

 私は、たまに一般誌などに書かれる佐藤康光さんのエッセイの文章がすごく好きなのだ。と言って回っていたら、『将棋世界』バックナンバーの「我が将棋感覚は可笑しいのか?」と題した自戦記を(もちろん冒頭だけ)拝読する機会に恵まれた。この単発記事から同誌で自戦記の連載が始まり、その連載が一冊にまとまったものが『注釈 康光戦記』。

注釈 康光戦記 (最強将棋21)

注釈 康光戦記 (最強将棋21)

 もちろん私がすべて理解しているなどとは思わないように。そんなはずがありえない。囲碁将棋の本を棋譜のところスッ飛ばして読むのは保坂和志『羽生』の頃から大得意なので(そんなもの得意って言わねえ!)、例によってざざーっと読んでは佐藤さんの文体の味をかみしめた。

 そう、文体なんですよ。一気に読み、私が好きなのは佐藤さんがデアル調で書くときのテンポ、とくに「Aである。Bである。しまった、なんとこれではCではないか。」といった<短・短・長>のリズムによる言い回しが好きなんだなー、などと分析しました(少しでも指し手を分析しろ)。ところで、渡辺明五段についての言及。

(本文)
「若いときは一カ月単位で急激に強くなれる時期がある。★1」

(脚注)
★1 今回の見出しは佐藤さん自身がつけたんですよね。
佐藤 変えますか?
――このままでいいと思います。ご自身が一番伸びた時期は?
佐藤 やはり10代です。(後略)

 朝のアイスミロオレ噴きました。ご自分でつけたなら変えなくていいでしょうよ! なんだろう。これは談話部分だから「編集の妙」なのかもしれないけれど。そもそも冒頭の前書きからして「連載中は私の記事を誰も読んでてくれなかった」といった恨み言から始まる……。

 この独特の文章センスを単に「面白い」と言ったら失礼にあたるだろうか。ひとつ思ったのは「ブログ世代」の棋士には居ない文体かな? と。さまざまな若手棋士の文章をネットでたくさん目に留めるようになった。厳然とある<世代の線引き>のアチラ側で書かれた感じがあるから、逆にこの文体に惹かれるのかもしれないな、と。私の場合「中身」を読んでないので印象語りですけどね。