【tkhk】 #003 / にぎやかな無音の清貧

連載『とっかかりはひっかかり』第三回。

サッカーワールドカップ2014が開幕中である。といっても私はサッカーには詳しくないしそれほど興味もないので、サッカー以外の話をする。Googleの変わりロゴ「Doodle」がW杯仕様になって、毎日毎日入れ替わるのが非常にかわいいので、ぶっちゃけ試合の行方よりもそちらの更新が楽しみだ。


通し番号(1)、開幕当日6月12日のこれなんか、動きも大変かわいいので是非、リンク先へどうぞ。「かいまくー」「わーい」って勝手にアテレコしながら無限再生してしまった。

http://www.google.com/doodles/world-cup-2014-1

通し番号(7)、このあたりは、佐藤雅彦&中村至男「うごく-ID」を彷彿とさせる。ベンチで待ってる「Google」の代わりに、任意の名前を6文字まで入れて自由にgifアニメが作れそう。リンク先に「Follow the Uruguay vs Costa Rica game’s story through the Doodle」とあるように、試合の経過につれてカントクくんの動きが変わる。

http://www.google.com/doodles/world-cup-2014-7

通し番号(8)、これも私は動きがかわいいなと思ったが、佐藤先生には「やりすぎですね」と言われそうな気もするな(独り相撲)。両ゴールキーパーが手にドットのグローブはめてるのがポイント。しかし「ブラジル→密林→ターザン」という安直な発想はいかがなものかね。


http://www.google.com/doodles/world-cup-2014-8

通し番号(12)は、ウェーブに乗り遅れる読書メガネ男子。データ分析中の誰よりガチな蹴球ヲタかもしれない。「l」は通し番号(10)でもサングラスを掛けてて、ひょろ長い痩躯で優男っぽく眼鏡率が高いけど間が悪く協調性に欠けるところがある……「グリッシーニ系男子」の感じが、よく出ている。

http://www.google.com/doodles/world-cup-2014-12

通し番号(13)は、アメリカ対ガーナ戦。かわいいものに目がない夫のオットー氏(仮名)が「ぴよぴよ……!」と身悶えているので何かと思ったら、得点するたびにそれぞれの巣に卵が増えて、試合結果が雛鳥になるという趣向。なるほど、実際の性別問わず、いわゆる「女子ウケ」のいい感じ。

http://www.google.com/doodles/world-cup-2014-13

通し番号(14)、タコのパウルくんは、引き分け試合のときがかわいかった。頭に輪っか乗っけた物故キャラをこんなふうにかわいく描けるのはうまい。

http://www.google.com/doodles/world-cup-2014-14

それでようやく本題、通し番号(15)のDoodleが、とても好きだったのでその話。

スケッチとDoodleに「Matt Cruickshank」というクレジットが入っていたので、ここで初めて作者を探し、TwitterでフォローしてLinkedInまで経歴を見に行くご執心ぶり。Googleには2012年9月から勤めているようで、ポートフォリオ見てて気づいたんですが、あのけしからん「インチキ小林一茶」を描いた奴かーーー!!

俳句「我宿や鼠と仲のよい蛍」から作られた、「西洋人が海の向こうから考えたスーパークールなJAPANESE ZEN」を体現しているかのような、Issa KobayashiのDoodle。誰やねん! どこやねん! かわいいけど、かわいいんだけど、もうちょっと日本文化を勉強してから描けよ! 時代考証の資料を古書店で図書館で、とまでは言わないから、せめて……ぐ、ググレカス……!!!(ドヤァ) となりました。いや、ぐぐった結果として西洋人のうpしたエキゾチックジャパン画像が出てきたので、その通りに描いたのかもしれないけどね。

ワーナーとディズニーに在籍してたこともあるようで、言われてみれば、そこはかとなく筆致がメアリーブレアっぽくもある。あと、出身が英国のようなのでティーカップ&ソーサーを用いた斬新かつオシャンティな飲茶風景もやむなし……いや、そもそも飲茶ですらねーからな、一茶の「茶」ってのは!!

それで、そんなマットが描きやがった、ワールドカップのDoodle、通し番号(15)について。

http://www.google.com/doodles/world-cup-2014-15

グリッシーニ系男子の「l」くんが眼鏡を外し、開催地ブラジルはリオデジャネイロの街角で、壁に向かってサッカーボールを蹴っている。今までの別の記念日にもさんざん描かれてきたような、ただそれだけの絵なのだが、やたらと胸を打ったので、思わず右クリックで保存してしまった。

このDoodleを見てすぐに、漫画家でイラストレーターの安海(@an_umi)くんのtweetを思い出した。

「ブラジルのスラムは色使いがかわいくて陽気にこわいな 」
https://twitter.com/an_umi/status/476934871806251010

そう、この「陽気にこわい」感じがよく出ている絵だと思う。どこにも犯罪を匂わせるものはないのだが、眩しい直射日光を受けた街並が異様に明るければ明るいほど、過密状態の街並に落ちる「陰」の部分が強調されているように感じられる。

たった一人で壁に向かって球を蹴る「l」くんからは、前日までの数々のDoodleにみちあふれていた「楽しい」様子がまったく感じられない。浜辺でココナッツにストロー挿して飲んでいる「o」とか、ラスタカラーで太鼓叩いてお祭り気分を盛り上げる「e」とか、政府観光局が諸外国からの来訪者に見せたいブラジルという国のパブリックイメージとは異なる。

もっと淡々としている。もっと黙々としている。来るべき時に備えて、静かに練習を続けている。極彩色の無人の絶望の中に身を置きながら、たった一人、脚を鍛えている。あるいは、牙を研いでいる。球を蹴る足の動きは拙く、持て余すように広がった手からも大変いじらしい様子がうかがえるのだが、それは「かわいい」というのとも違う。

どこにもストーリーガイドは付されていないが、この絵が描いているのは、うっかり描き出してしまっているのは、この国の「貧困」事情なのだなと思った。貧しい少年が壁に向かって球を蹴る。いつかワールドカップに出場するようなプロ選手になって、この困窮した街角の袋小路から抜け出すチャンスを狙っている……。どんなに賑やかな色遣いで、どんなに楽しそうな雰囲気を醸し出そうとしても、どうしたって我々は、そんな物語を想像してしまう。

かの有名な「ショウウィンドウに飾られたトランペットを見つめる黒人の少年」と同じことだ(※クレジットカード会社のCMだとかサッチモの逸話が元ネタだとかいろいろある。余談だが、漫画『PALM』に似たモチーフが登場するせいで私はいつもこれを「ハーモニカ」と間違える)。あるいは『キルラキル』の世界で満艦飾一家が暮らしているようなスラム街のテンプレ。金も無く星も無いドン底の生活だけれど、いつも賑やかで楽しくて、みんな一緒で、あたたかな人肌のぬくもりがある。それでも、そこを抜け出して高みへ挑みたいと願う少年少女。

我々は、何の根拠もなく頭に思い描いたそれを、どうにかして「佳きもの」と見做そうとする。たとえば、本来は「私欲を捨てた質素な生活」を指すはずの「清貧」という言葉を、そこに無理矢理、当てはめようとする。おかしなものだ。社会問題として生じて解決されぬまま放置されている「貧困」と、そこに生まれたか生まれないかもわからない架空の「美談」とを足し合わせても、けっして「清貧」なんかにはならないのに。たった一例の成功者や、たった一言の無邪気な夢語りをよすがに、「困難に負けず夢を追う」子供の物語を仕立て上げてしまう。

他のDoodleと違って、この絵の説明部分には作者のスケッチ画が載っている。「Inspiration from the streets of Rio」とある。モノクロのスケッチ画に人物は含まれておらず、そこにあからさまな画題としての「貧困」を見出すことは難しいのだが、これをディフォルメして描き起こしたDoodleには、鮮やかな色彩で描かれる密集した住宅とともに、いわゆる「言外のニュアンス」が(意識的に、あるいは無意識に)のっかっている。

もちろん、私は描き手本人ではないから事実はわからないし、これ以上のことは書けないのだけれども、サッカーワールドカップの熱狂で全世界を盛り上げるために描かれたDoodleが、同時にまた、「FUCK FIFA」と書かれたまま走る電車の画像や、「NEED FOOD NOT FOOTBALL」のグラフィティなども連想させる。

‘Fuck Fifa’ Anti World Cup Graffiti Is Appearing All Over Brazil
http://weknowmemes.com/2014/05/fuck-fifa-anti-world-cup-graffiti-is-appearing-all-over-brazil/

gif画像は、「ループ」する。街角の少年は、ずっと繰り返し繰り返し繰り返し、球を蹴っている。終わらない。変わらない。抜け出せない。国を揺るがす祝祭の最中、球は、無音で壁に打ちつけられている。やがてお祭り騒ぎはこの国を去り、gif画像はもう誰の目にも触れなくなる。

単純明快に「かわいい!」と言えるDoodleが続々と更新された後で、ハッと我に返るような印象を残したので、通し番号(15)だけを右クリックで保存した。とくに痛烈な社会風刺というのでもないのに、ナチュラルに批評精神が備わっているというのかな、そういう絵や、文章が、私は好きです。

ティーカップ&ソーサーでクッキーをおやつにお茶を飲む中華風の小林一茶のイラストに日本人の私が立腹憤慨したのと同様、「そんな解釈は実情と違う!」とか、「わざわざ現地をスケッチしてまで描いたのがコレかよ!」と言いたくなるブラジル人も、ひょっとしたら、いるのかもしれない。とはいえ、今はまず「Matt Cruickshank、言外のニュアンスをのせて、うまい絵を描く公式Doodle作家」というのをメモ。今後、こういう「うっかり出ちゃった」感じのニュアンス以外に、もっと正面切って堂々とメッセージ性の高い作品を発表することも、あるかもしれない。引き続き新作を楽しみに。