伏せるのはフェアでないので先に書くと、結局、Twitterへのアーカイブリクエストは、通った。3月下旬に申請して何の返信もなく4月上旬まで待たされるのは「異例」ではあったけれど、取得失敗したのを手動で再申請したのがよかったか、それとも新API以降のドタバタで最初の申請が放置され待たされていただけだったか、4月初旬の大規模障害が元に戻ったタイミングで、今までと同じ手順でデータをダウンロードすることができた。
私のTwitterバップアップファイルは圧縮された状態で21.39GBある(4/5付)。デカすぎだろ、と言われるだろう(昔はもっと軽い仕様のデータで渡してもらえた)けど、約16年分の「Twitter人生」と思えば軽い。待ち時間が長くなったりダウンロード時にエラーが生じたりするのはいくらでも我慢できる。でも、まったく信頼できない経営者に生命線を握られ、毎月の定期点検の自動化まで疑って、こんなにヤキモキさせられるのはしんどい。かぼすちゃんに罪はないのに柴犬を見ただけでふつふつと怒りが沸くので、引き続きTwitterとは距離を置くつもりだ。
さっそく誰かがアイコンを強制的に青い鳥に戻す機能拡張を公開していて天晴なプロテストだけど、いや、違うだろ。そんなの「子ども食堂」問題みたいな話で、本来なら国や行政(=公式)がちゃんとすべきところ、なんで民間(=ユーザ)が「臭いものに蓋をする」手を打たにゃならんのだ。「こうすればまだ使える」と「もう使いたくない」との間に、暗く深い溝が横たわっている。ふたたび橋を架けることができればよいが。
ローヘッド博士が指摘しているとおり、日本語圏Twitterではこの泥舟から慌てて逃げ出そうとする人々があまりいないようで、その無関心にも驚いている。そもそも英語圏ではもう十年以上前から繰り返し「Twitterはオワコン」と言われていた。トランプ政権下もずっとそうで、Twitterを「真面目に使う」私のような人間は全体でみればもう長いこと少数派だったろう。その結果として現状があり、私がフォローしていた英語圏アカウントも2022年10月末の買収完了直後から続々と更新を停止している。リスクが高いしコストに見合わないよね。英語圏向けに「自社広告を打つ」みたいな効果を狙うだけならInstagramでやればよい。
私の軸足はつねに日本語圏Twitterにあった。そしてそれを単なるSNSではなく「連歌を巻く」ような場だと捉えていた。英語圏で「なんでTwitterなんかやってんの」と呆れられるたび、「表意文字を使う日本語でならポエトリーリーディングみたいな豊かな表現活動ができるんだ。実際、私はそこから作家デビューしたんだよ」と、かなり盛り気味に回答していた。英語圏Twitterがゴーストタウン化しても我々の文化圏だけはオアシスとして機能するだろうと楽観していたのだ。まぁでも、買収から半年もたなかったね。「ある日を境にDV振るうようになった恋人と別れるか、ヨリを戻すか」みたいな話でもある。最終的には個人の判断だ。
ミュージカル『アナスタシア』(今秋、日本版再演! 推しが出ますよ! みんな観て!)の「去ることなどできようか、今は祈り捧げて、せめて告げたいさよならを、我が故郷に愛を」という歌詞がぐるぐる回る。亡命の歌だ。「bless」という英単語はいつもうまく訳せないが、「見限って離れていくけれど、敬意を捨てたわけではない」という「非・一蓮托生」の気分にはとても合う。そして、多くの民が路頭に迷い、これからどんどん状況が悪くなると知りながら、「当面はパリ郊外のセカンドハウスに隠れるザマス〜」みたいなノリで十年以上も空き家だったブログに帰れる己の逃げ足の速さを、なんとも貴族的だなと自嘲してしまう。銃殺刑必至。
Let me have a moment
Stay, I Pray You – Anastasia the Musical
Let me say goodbye
To bridge and river
Forest and waterfall
Orchard sea and sky
Harsh and sweet and bitter to leave it all
I’ll bless my homeland till I die
ところで、Twitterの買収前後に、いろいろな人から「岡田さんはマストドンには行かないんですか?」と訊かれて驚いた話、日記に書き写しておくとよいかも。下記のやりとり、質問者は今は鍵垢で元tweetが読めないので、プライバシー保護のためにも引用元リンクは省略。
マストドン続かなかったですね、なんでなのか自分でもわからないけど……。レイチェルソーンさんが今回マストドン移行宣言なさっていたので気になってはいるが、私がTwitterを去るときは私がはてなやmixiやFacebookやnoteや他のあらゆるサービスを去ったとき以上の覚悟が要るからな……。
続)あんまり認めたくないことだけど、私はTwitterの「居心地の悪さ」をこそ気に入っているんだよな。2007年からずっと。なので今回も、速報時点で何がどう言われていようが、今すぐ動く気にはならんのだよな……こういう私みたいな人の判断は、他の方はあんまり参考になさらないほうがいいですよ。
【リプライ、たしかfediverseについて】(個人運営ニュースメディアといった意味合いが強かった時代の)ウェブログの高潔な理念に共感しつつもどうにも手が追いつかず、結局(何かつぶやけばすぐ反応が得られるジャンクでポピュリスティックな)Twitterに落ち着いてしまったなぁ、というのを、2017年にも思ったし2022年にも思っていますね。
続)誰に言ってもびっくりされるんですけど、私はじつは俺ドメインに俺WordPressを敷いた「ウェブサイト」を持っていて、そこのブログ投稿機能で日記も書いてて、同じ場所に1999年頃からのログを溜めてもいるんですよ。でもみんなTwitterしか見に来ないでしょ。そうなのよね。
続)私は自分を「インターネット黎明期にブロガーになりたいと願っていて結局その夢を叶えることができなかった人間」だと思っており、それは「本を書いている人間」や「Twitterを主戦場にしている人間」といった自己認識よりもずっと強くある。数年前はマストドンが第二のチャンスかなと思っていた。
続)歌人の枡野浩一さんが一時期、31文字ずつしかTwitterを更新しなかった(投稿プラットフォーム特性なんかに関係なく自分で自分に最適の字数制限をかけて使いこなしていた)ことがあり、「さすが歌人だ、ならば私は140字単位でマストドンをやろう!」と試したんだけど、全然続かなかったのよなぁ。
続)ログ漁ればどこかに書いてあると思うけど、fediverseについて語るときまず「マストドンにも140字くらいの厳しい字数制限がかかっていればいいのに」と(Twitter上で)(スレッド化して)ボヤくのが私ですよ。だからダメなんだよな、くらいに思ってますね。こんなツイーターになってはいけないよ。
【リプライ、マストドンはテキスト中心という話に】昔はTwitterがそうだったんですよ、思いつきみたいなサービスで採算度外視で広告も出ないし「テキスト至上主義、画像を貼る奴は野暮」くらいの場だった。私はその頃からの入植者なので、当面(非現実的とわかってても)「イーロンマスクが出て行けよ」というスティーブンキング的態度で粘りそうです。
続)大婆様の昔はよかった語り。なお、これも大半のフォロワーには全然気づかれておりませんが、私はTwitterの新機能は一応試すという姿勢で「TwitterBlue」課金もとっくに試したし、「投げ銭」機能も昔から実装してます。みんな私のtweet読んだら金払ってくれていいのよ?笑
続)本当に、Twitterのほうから俺たちに金一封を寄越すべきだと、私はそのくらい思っているし、そして我々はその金を「広告やBlueで得た金なんか受け取るわけないだろ」と突き返すところまでが様式美だと思っている。
2022-11-03 https://twitter.com/okadaic/status/1588185270263873536
私はずっと「Twitterをブログのように使う」をしていたので、「マストドンをTwitterのように使う」というのは(自分にとっては)無理筋だと思う。これは数年前にマストドンに居を構えたときにも、非常に短期間ですぐに実感したことだ。マストドンはTwitterの代替にはならない。私のTwitterに対する愛着をベン図に描き表せば、それはマストドンと重なる(大いなる仮想コミュニティ的な)部分ではなく、ウェブログと重なる(私有地的な)部分のほうにある。カウンターとしてのfediverseが提唱される以前から、ずっと「脱・中央集権的」態度を目指してきた。それで一冊エッセイまで書いたくらいだ。インターネットは生まれたときから全部がハジッコだった。私だってそのことは信じている。私なりの信じ方で。
昨年11月初旬に「今すぐ動く気にはならないけど、そんな私に従っているとみなさんも逃げ遅れますよ」と書いていた、その自分が「(新天地ではなく元の棲家に)逃げた」のがそこから5ヶ月後、という今です。ちなみに上述のPatreonと連動した「課金」サービスですが、Twitterは現在こちらも凍結させている! たぶん有料プラン限定の機能として整理整頓されるのだろう。フォロワーたちから金を毟るために、あの今の胴元にミカジメ料を払うなんて、古参ツイーターとしては倫理に悖るおこないで、現段階では絶対にしたくない。私の読み物に「投げ銭」したい人たちは著作を買ってください。できれば最新刊がいいけど、1000円以下で出てる文庫本や電子書籍もあるので。
Twitterに帰る日までの暫定措置だから仕方なく字数無制限のブログに書くが、商業原稿と違って一銭にもならないものをいちいち真面目に推敲するのもアホくせえ、と長い長いドラフトのまま挙げていた『ジェーンエア』と『Shucked』の感想について、わざわざ私信を送って褒めてくださる方たちがいた。デトックス中には殊更に沁みる、大いに励みになる。ボタンを押下すれば軽率に評価が送れるSNSと違って、百千万単位のlikeやRTのような反響はないが、今までの自分はそういう数字に振り回されすぎていたかもしれない。
当サイトにかませているSEO対策プラグインからは、ここに何か書くたびに毎回「記事が長すぎます、目次と章見出しを立てて改行を増やしましょう」「読みにくさ指数が悪いほうに振り切れています、ビジネスチャンスの損失です」「てか、おまえブログの書き方わかってんの? せっかくバズるコツを教えてやってんだからいいかげん空気読めよ?」(意訳)みたいな警告メッセージがどしどし届く。そしてそのすべてを「うるせーーーーー!!!」と叫びながら無視している。インターネットで長いものを書きたい読みたい需要はあるんだよ。インターネットが俺に物の書き方を指図するな、インターネットのほうが俺に合わせろ。どうせたかが文字列なんだからサーバーがダウンするわけないだろ。あ、でも、でかすぎるアイキャッチ画像は再圧縮かけときました、読み込み遅くてすみません……。
「インターネット黎明期にブロガーになりたいと願っていて結局その夢を叶えることができなかった人間」が、「Twitterで読みきれないほどの長文連投をしている人」というアイデンティティを得て、それで十数年経って、140字の定型詩をいったんやめてふたたび自由律に取り組んでいる、くらいの感じで、適当に読み流していただければと思う。
Twitterを(他人の書くものを読みはするけど自分の新規投稿は)やめて、その日の社会情勢に対するニュースを引用RTしながらコメンテーター然とした態度でなんか書く、みたいなあのアレをしなくなったのは、いいことだな。つい先日も「女のニュースをメッタ斬る女、みたいな役割で、マスメディアに出て炎上するだけの簡単なお仕事どうですか、謝礼ははずみますよ」みたいな内容の依頼が来て、丁重にお断りしたところ。邪悪だよ邪悪。