大雨の朝、竹田圭吾さんが亡くなったという報せで目が覚める。『とくダネ!』スタジオでは直接組むことはなかったが、曜日違いのご縁でいろいろな集まりでご一緒させていただいた。他のコメンテーター間でよく「竹田さんみたいにできたら」と言い合っていたことも思い出す。今はただ赤福氷が食べたい。
続)驚き、哀しみ、その後に、滅多に思うことじゃないんだけど、「彼のような人には、もうあと50年、なんなら私の分を出したっていいから」と考えてしまう。私だけでなく多くの人が(たとえ直接の面識がなくても)そんなふうに思う人物だったのではないか。あとは言葉にならない。こちらは大雨です。
https://twitter.com/okadaic/status/686168835972534273
https://twitter.com/okadaic/status/686171877929279488
私は2013年の春から『とくダネ!』コメンテーターの仕事を始めたのだが、その夏に宋美玄さんから「私たち、竹田さんの新刊『コメントする力』を読んで勉強しないとねー!」と言われ、未読だったので慌てて買って読んで、その後、新規のコメンテーターの方が来るたびに私も「竹田さんのあの本がすごく勉強になりますよ!」とドヤ顔で薦めていた。そんな時間の流れについて繰り返し思い出している。そうした場には竹田さんは大抵いないのだけど、いなくても竹田さんの存在を感じ、みんなして「いつか竹田さんのようなコメンテーターに……」と話していた。たまたま御本人がその場にいるときは「いえいえ私などは……」と謙遜され、あんまりしつこくすると「何言ってんだ」とあのツッコミを受ける。それが嬉しくてみんな竹田さんを囲み、隣の席に誰が座るか、奪い合いになる。そんな宴席での姿ばかり思い出す。それは私がお仕事の席でちゃんとご一緒したことがないからなんだけど、たぶん、視聴者とか読者とかリスナーとか、直接の面識がない人にだって、その人柄は伝わっていると思う。
*
ボストンで留学生活をスタートさせた唐木元さんが、渡米前から日記を書いていることを知り、過去分を一気読み。華麗なる転身についてのエントリはバズっていたけど、その後の日記は追いかけていなかった。初めてアメリカに移り住んで直後の感じ、あるあるある、と懐かしく思い出す。東京での家具放出のところで私の名前が出てきたり。やったなー、ガレージセール。それにしても、正月早々こんな大変なことになっていたとは。ボストン旅行中に一声掛けようと思っていたのだが全然そんな雰囲気ではない。壮絶。おつかれさまです。年齢的には彼のほうが大先輩ですが(と己の若さをアピール)、大人になってから突然の留学という意味ではちょうど同時期、続きを読むのも楽しみにしています。
それで、じつは私も同じように渡米前後に日記を書きかけ、学校のもろもろが忙しくなって途中で投げ出していたのを、整理整頓してちょっと載せておこうと思った。あの頃は特別に感じていたことを、今はもう当たり前の日常として受け止めている。大事なことを一つ一つ全部書き留めていられたわけじゃないが、偶然に残ったものだけでも消さずにおこうかと。こちらの、2015年7〜8月あたり。唐木さんの「引越の翌日に向かいへ転居」なんて体験談に比べたら、順調すぎるくらい順調だったのだなぁ。順調すぎて回転数に追いつけずに体調を崩したくらいで。もちろん大変なことはたくさんあったのだが(主に大学関係)、喉元過ぎたらすっかり忘れてしまった。
それにしても、夏の日記で言及している「服についたニューヨークの匂い」なんて、もはやまっったく感じなくなったな! 近所にギロ屋のフードトラックばかりが集結する駐車場があって、いつもそこを通って学校へ行くのだが、彼らが出発する前、朝の仕込み作業と同時に埃まみれの車体に水かけてザブザブ洗車しているような時間に当たると、そのときだけ、ここで言う「あの匂い」をたっぷり嗅ぐことがある。熱したスパイスと乾いた肉の香りが、排気ガスと湿気にまみれて道路の隅に淀むような匂い。いつかこの街を離れたら懐かしく思い出すのだろう。
*
朝からずっと雨が降っていて、つまりそれは、とても暖かいということ。気温は14度、体感は13度、音が聞こえるほどの大雨から標準的な小雨に切り替わった今は、お天気アプリでは「Light Fog」と表示されている。車は通るたびに飛沫をはねていくが、傘をささずに歩いている人もいる。といっても「アメリカ人はいついかなるときも傘をささない」と聞いていたのは眉唾ですね。使い捨てビニール傘の文化がないだけで、ささずにレインコートだけで済ます人もいるけど、さす人は「ちゃんと」傘をさしている。まぁ、これから雨になるという曇天の日に雨傘を携えているとそれだけで「ちゃんとしている」人と見えるのは、日本ではまず起こらない目の錯覚ではある。
10度以下から防寒対策をはじめ、0度前後までは東京にいたときと変わらない格好で表に出るようになった。覚悟が必要なのはやはり-5度以下で、まだ数回しか経験していない。摂氏一桁台のとき「寒い」と感じる痛覚が鈍ってきているのはわかる。5度以上なら「暖かい日」だと言い交わすようになった。