2016-01-31 / 不満の余地を残す

うちの近所にはいくつかギャラリーもあって、昨年12月に前を通りかかってオッこの画家いいねぇ、もっとじっくり見たいけど今はそんな暇ないから今度ゆっくり見にこよう、なんだ1月末までやってるのねハイハイ、何度だって来られちゃうよー、と思っていた個展が、見事に一度も足を踏み入れぬまま、昨日の18時までで終わっていた。こういうの、オッと思ったときに入らないとダメ。東京でもよくあることだけど、ニューヨークに来てまでか、と凹む。でも今はインターネッツという便利なものがあるので、名前をぐぐってギャラリーのサイトから全作品の画像をじっくり眺め、別のギャラリー所蔵の作品もぽちぽちクリックして、そのうち非公開のPinterestにでもブチ込む。インスタントだなー。でも在廊中の画家本人に会って話してみたいと思うタイプの作品とそうでない作品があって、この人は後者。億万長者になって豪邸を建てたら買って飾りたいなと思う物欲そそる絵がいくつかある。もし今、書籍の編集者だったらカバーデザインに使えないかなと思う絵もたくさんある。自分があのくらい描けるといいなとも思う。でも、別にものすごく会いたくなるようなそんな気持ちは起こらない、私より一回りくらい上のイタリアの画家。もう私の一回り上は「若い画家」とは言わないのだろうか。
うちの近所にはいくつか小さなホテルもあって、どこも1階に素敵なレストランが入っているので、そのうち1つで豪華ブランチ。といっても、大人2人でサラダをシェアしてメインを1つずつとる、という外食をすると、ホテルの1階以外でも同じくらいの値段がとられる。同じ贅沢なら少量でもおいしい店で。鴨のシュニッツェルはさておき、スモークサーモンのベーグルサンドが18ドル(2200円)ってなんやねん、と思うのだが、当然うまい。今まで食べたことのあるスモークサーモンのベーグルサンドの中で最高峰にうまい。そして、テイクアウトしかない上に別段おいしくもないベーグル屋でもこれと同量のスモークサーモンを注文してサンド作ってもらったら13ドル以下ではすまない。クリームチーズ挟むだけなら5ドル、お得、と思うが日本円換算で610円。もう何も考えたくない。となれば、台湾の夜市でたらふく食って総額400円くらいだった晩のことを思い出し、「人生のうち外食にかかった値段をすべて均せば、許容範囲」と自分に言い聞かせる。夜市思考法。はー、日本は帰らなくてもいいけど台湾行きたい。
エクササイズ行ってバキバキに凝り固まった肩をほぐし、腹筋をいじめ、そのまま地下鉄を乗り継いで初めて行く日本人経営ヘアサロンへ。今のところまで初回割引キャンペーンを渡り歩いている状態でコレという美容師さんを見つけたわけではないのだが、あちこちを覗きに行くのも楽しくなってきたところ。どこも「店内だけ完全に日本」。ドア開けた瞬間から「いらっしゃいませー」で受付はバイリンガルだが公用語は日本語、サービスのお茶とか出てくるし、それを持ってくる女の子スタッフはニコニコかわいくおとなしく腰低く、インテリアが細やかで掃除が行き届いており、その他もろもろ、果てしなく日本。そして、それぞれの店舗のそうした雰囲気を気に入って、その渦中に身を置きに来ている外国人の客たちを観察するのが面白い。
Yelp上でイーストビレッジ界隈を「Japanese hair salon」で検索するとどこも異様に熱心な非日本人の顧客によって怖いくらい褒めちぎられている。ポンコツのカカシみたいだった私のテリブルな毛先が、ヨシ(ないしノブないしタカないしエリないしマキないしetc)のマジックハンドでこの輝きよ! もう日本人スタイリスト以外に髪のことをお願いするなんて想像できない! みたいな。その評判を聞いて覗きに行くのが楽しいし、行ってみると常連然とした日本人客が多いのも面白い。訊くと、日本人比率は半々とかアジア系が半数で残りはさまざまとか、でも日本人はYelpにあんなこと書かず、ただ淡々と髪を切りに来る。私のように。今日の担当は女性のスタイリストで、さばさばして気持ちのよい人だった。家に帰って宿題やるだけなのに、仕上げに素敵なウエットスタイリングしてもらって、もったいない。写真に撮っておく。
あとはひたすら月曜日の2コマ分の宿題。終わらんなー、と思いつつ、諦めて切り上げるタイミングだけは先学期よりも早くなった。どうせクリティークを経て作り直しになるのだから、ディテール詰めていっても無駄になるだけだし、最初からノリにノッてスゴイのを持っていくと、最終発表のときに「なんか……一番最初のスケッチが一番よくなかった……?」とか言われてしまうのである。ホップ、ステップ、ジャンプ、のリズム感が大切で、最初から高く飛ばない、と言ってしまうと志が低いが、ちょっとクリティークの余地を残しておいたほうが、次回以降、面白く転がっていく気がする。
この「不満の余地を残す」というのが、結構いい勉強になる。完璧主義的に作っていくと逆に、講評中、自分も他人も「もうこれ根こそぎ引っこ抜いて全部作り変えたほうがいいんじゃないの?」「悪くはないんだけど、他の案と比べてみたいなぁー」などと言いやすい。そしてその一時の判断が正しいとも限らない。「ここんとこさえ直せば、もうあとは完璧じゃない?」くらいの状態で改善を繰り返していくのが大事なんだよな
……と、自分に言い聞かせて寝たら、英語の課題が全然終わってないことに起きてから気づいた。