2016-02-01 / 「新しい学校」

月曜日が月の始まりの日、というのはなんだか気分が引き締まるもので、履修をほぼ固めた春学期第2週目の始まり。やはり宿題が詰まってくると毎日の日記を更新するのがなかなか難しく、週に一度、週末にまとめて書くことにした。いろいろ方法を試す。

月曜2限はMartinのフォトリソグラフィ。どの授業もだいたい同じだが、学期中に幾つかの大きな「Assignment(課題)」があって、それを進めていく過程で毎週の「Homework(宿題)」が出る、という流れになっている。フォトリソの第一アサインメントは「Travel Poster」を作るというもの。あまり一般的でない場所を選び、その土地の特徴を活かした図案とタイポグラフィで、11*14インチ、二色印刷のポスターを作る。第二回の宿題は「場所を3つ選び、リサーチしてスケッチをして、どの案にするか固めてくる」というもの。

私は、バラ色の街マラケシュ、スカとレゲエが好きなのでジャマイカ、シベリア鉄道の極東出発点ウラジオストクを選び、それぞれのリサーチ結果とポスター案のスケッチを見せる。じつは最初からマラケシュに決めていたのだが、他の案も作って見せつつ、二色刷りの版分けの案まで見せた上で「ね、マラケシュが一番いいでしょ?」という感じでプレゼンし、すんなり通った。一つ一つのデザインについて話し出すと止まらないので略。どの先生も、途中経過を褒めるときに「(you are)close.」という言葉をよく使う。キミ、自力でゴールに相当近づいてるね、あとは勝手にやんな、というゴーサイン。タイトル位置と文字サイズについて指摘を受けたが、タイポグラフィの授業と違い細かく指導されないので逆に迷ってしまう。髪の毛一本分の空白まで調整してくるDmitryが恋しい。

お題に関しては「西ヨーロッパ、カリブ諸国、ハワイは避ける」という縛りがあって、これがニューヨークにおける「近場のベタな観光地」トップスリーなんだな、と面白い。同じカリブでもジャマイカは出してみたら不問に処された。日本でいうと「東南アジア、グアム&サイパン、沖縄」がアウトだけどシンガポールはセーフ、みたいな感じか。推定インド系の子が東京を選んで、日の丸と桜と五重塔を組み合わせた図案を出していた。あとはインドネシアの子がアルプスの雪山を選んだり、逆にアフリカンアメリカンの子がジャワ島の火山をモチーフにしたり。イタリア人の子が出した上海の図案にアジア勢が「漢字はこっちに置いたほうがー」と指摘したり。驚いたのが、もう一人の日本人女子が出してきたのも私と同じモロッコの、青い街シャウエンだったこと。あとボリビアのウユニ塩湖も挙げていた。「行ったことないけど行ってみたいエキゾチックな土地」の感覚が日本人同士でものすごく似てるんだなー、と苦笑い。スケッチの完成度はまちまちだが、翌週はこれを完成させてくるのが「Homework」。その後、版分解、プリントメイキング、と工程が進む。

次の授業はESLのアドバンストクラス、いわゆる「英語」。別のコマを取るつもりでいたのが途中で履修を変更し、第1週は欠席扱い。最初の授業内課題と宿題を、合間の休み時間に終わらせようと思っていたのだが、到底間に合わず。中途半端な状態で行ったものの、これまた「来週までに追いつけばいいから」と不問に処される。前学期の英語の授業はおそろしい学級崩壊状態でほとんど幼稚園ゴッコのまま終わったのだが、今期はその心配はなさそう。講師のPamelaは学校のシステムをフル活用し、半分はオンライン授業、半分は対面授業という特殊な方式をとっていて、これは講師の趣味によるところが大きそう。TOEFLの問題作成なども仕事にしているそうで、「Quiz(小テスト)」の意地悪なひっかけ問題に既視感があるし、正答の解説が丁寧。「楽勝」と「大変」と両方の評価を受けているのも頷ける、いい先生だった。

今週のお題は、バウハウス。どの授業でもさんざんやらされるので、またかよー、英語でも同じ題材かよー、全部知ってるよー、とウンザリするのだが、それもまた、彼女の選んだ教材と授業内容によって、いろいろ納得した。つまり、このアメリカの美術大学においては、とにかくひたすら、「バウハウスがすべての始まり」と教えるのである。それまでの我が国アメリカでは、たとえば「室内装飾」といえば西部開拓時代からのマントルピースに似合う素敵な壁紙を選びましょう、みたいな話だった。ダサい。イモい。現在のニューヨークの街並みを形作っている「モダン」という概念、もはやそれ自体が古典となっているあのプログレッシヴな感覚が真にアメリカのものとなり、我が国の一般大衆に根付いたのは、20世紀前半にヨーロッパからどっと流れてきた素晴らしい才能を持った亡命者たちのおかげ。彼らが祖国を捨てる羽目になったのはナチスドイツのせい。ヒトラーがバウハウスを閉鎖させたけど、近代的デザイン教育の理念は、大戦を挟んだ頭脳流出によって我が国に引き継がれた。そう、たとえばここ、20世紀初頭に旧来のアカデミズムに反発するかたちで創設され、学際的かつリベラルな校風のもと多くの亡命ユダヤ人学者を受け入れてきたニュースクール大学の、傘下にあるパーソンズ美術大学で、デザインとファッションと演劇とジャズの学生が互いに刺激を受けコラボレーションしている光景などは、まさにバウハウスの直系と呼んでよいだろう(ドヤァ)。

まぁ直系とまで呼ぶのはどうかと思うが、「世界大戦で失われかけた大事なものをちゃんと守ったのはアメリカ、だからヨーロッパがオワコンになってもニューヨークは世界の中心だし、いっつも最高に元気!」みたいな(それこそ一般的な?)思想と、「その中でもニュースクールは、ニューなヨークでさらにニューなスクールなのだから、他大学と一緒にしてもらっては困るのだよ」という大学の矜持とが、ようやく分けて認識できるようになってきた。後者は要するに、私が十数年前に学んでいた場所でさんざん体験してきた、「SFC(慶應義塾湘南藤沢キャンパス)は他の日本の大学とは違うんです! 全然違うんです!」というドヤ感の下、「うちの研究室もバウハウスっぽい感じでやっていきたい」という教授の姿勢が奨励され、構内で「アルゴリズムこうしん」のデモ映像を撮っては、隣の棟で国際政策とかバイオインフォマティクスとか学んでいる学生たちから不審がられていた、アレと完全に一致している。前者のほうはたぶん、ミッションスクールが「神がすべて」と教え、慶應義塾が「福沢諭吉が始まり」と教えるのに近いのだろう。異論も認めたほうがいいけど私立大学なんてそんなもんである。

私はそういう大学教育しか知らないので、何もかも「当たり前」と思ってしまうのだが、それは非常に恵まれていることなのだ。世界各国でさまざまな教育を受けてきたまったく異なるバックグラウンドを持つ学生たちに、自分たちは「他とは違う、画期的な、価値のあること」をしているんだ、あなたはここへ来て大正解なのだ、と強調し続け、アーティストのタマゴたちの英語教育に情熱を傾ける大学講師が、その説明をするのに使う教材が、まずバウハウス。というのは興味深かった。ところで「モホリナジ」のイントネーションも「ミースファンデルローエ」の発音も、カタカナとは全然違うので苦労する。そして「coeducational」を何度聞いても「半学半教」のことだと思っちゃうのだが正解は「男女共学」。その発想はなかった。「学際」は「interdisciplinary」。
雑談の中で、「あなたがたの祖国で、大きな文化の転換点になったのはいつ?

アメリカよりずっと長い歴史を持つ国では、どこから『近代』が始まったのかしら?」という質問を受けて、私が「江戸時代が終わって、西洋化したとき」と答えたのだが、あまりにもスピーキングが下手すぎるがゆえに「ええ、そうね、日本は第二次世界大戦の終わりが大転換点よね! デモクラシー!」と受けられて、日本人同級生に「いえ、先生、彼女が言っているのは、そのさらに100年以上前、1800年代に長い長い national isolation を終えて、最初に西洋文明の影響を受けた時代の話です」と助け舟を出してもらう。トホホ。隣に座るオシャレな中国人女子が「とすれば我が国は21世紀以降ね、インターネットの登場と普及によって大きく変わったわ」と話を受ける。そして先生が「日本も韓国も中国も、みーんな歴史が長いわよねー! グレート!」と返し、出身の生徒全員が「俺たちの数千年にわたるドロドロの外交史がこれまたざっくり括られちまったなぁ……」と能面のような表情になる。

英語の先生はみんなアメリカ人全般の他文化への無知無関心を恥じていて、自分は彼らとは違うのよ、とアピールしてくる。それはそれでありがたいのだが、だんだんクラス内でそのアメリカ人全般というのが「仮想敵」扱いになっていくのが逆効果な気もしないでもない。「おまえたちの英語力をバカにしてかかってる無知なアメリカ人全般が、読んでわかってギャフンとなるくらい平易に鋭利に書け」みたいな添削が入る。打つべし打つべし。