さて、この二週間ほど、夫のオットー氏(仮名)が家を空けていた。日曜夜に帰ってきて久しぶりに二人で食事をしたのだが、「結婚することが決まってから今まで、こんなに長く離れて暮らしたことはなかった」という事実に驚愕することになる。
拙著『嫁へ行くつもりじゃなかった』にも書いた通り、私はもともと「一人になる時間が取れないと死に至る」気質で、結婚することが決まってから連日のようにオットー氏と顔を合わせていたらそれだけで心身に不調を来したくらいだった。以後、部屋を分けたり生活時間帯をずらしたりしながらなんとかうまくやってきたのだけれども、それでも付かず離れず同居はしていて、完全に接触のない状態が一週間以上続くことはなかったらしい。びっくり。
愛する夫がいないと寂しくて寂しくてたまらないわ、ということは全然なく(ごめんね)、何しろLINEで頻繁に連絡を取り合っていたし、むしろ、変わらぬやりとりを通して、地球のどこに離れていようが夫婦は夫婦だな、と感じることのほうが多かった。ただ、この二週間、周囲は私のことを「女ひとり」扱いしてきた。東京で過ごしていた独身時代のようだと懐かしく感じ、また、それ以上の強烈な印象も残った。
たとえば、うちのアパートメントの階下にはあれこれ雑事をこなしてくれる管理人が常駐していて、その彼が、やたらと気安く話しかけてきた。普段はほとんど挨拶しか交わさないし、連絡事項は「Sir」とばかり話し、私が一人のときダイレクトに話しかけてくることは少ない。それがスーツケースを転がして出て行った夫の不在中は、「その小包はどこからだ、日本からか、スッゲーな、何語が書いてあるんだ、これが日本語か。読めねー!」「学生か、専攻は何だ、そうか、だからいつも荷物が多いんだな」「こっちで働けないのか、ビザ問題か、そうか頑張れよ、Maybe Future! Maybe Future!」という感じで、ぐいぐい立ち話の雑談を持ちかけては個人情報を引き出してくる。「力仕事が必要なら、いつでも俺に言えよ!」みたいな言葉の端々から、「夫という他の男のパワーが及んでいない」ところにいる年下女性に対して、一時的に、あからさまに、態度を変えているのだとよくわかる。
とはいえ同じアパートメントにはずっと一人で暮らしているらしき白人高齢女性などもいて、彼女には当然ちゃんと「Ma’am」とか言ってるわけだ。つまり私が舐められているのは「保護者同伴でない子供に対して心配でヨチヨチ話しかける」のに似たニュアンスではある。そういえば入居当初、夫が「どうやら彼は、僕たちのことを夫婦ではなく父娘と勘違いしているらしい」と凹んでいた。日用品の買い物を一手に担い、たまにスーツで仕事に出かけていく中年男と、毎日ジーパンにポンポン帽で学校へ通う外見だけなら10代にも見える女の組み合わせ。たしかに男手一つで老け顔の娘を大学へやった寡夫と思われても仕方ないだろう。映画『レオン』みたいね!
そして、バーに入ってもラーメン屋に入っても、なんとなく周囲から「監視されている」感が拭えない。ウエイターからは誰を待っているのかと五百回くらい訊かれるし、隣席の男性客たちに「こいつ一人で来て一人で食って帰るのか、おいおい週末の晩だぞ」という調子でジロジロ見られたりもする。「フリーでシングルな妙齢女性はナンパするのが礼儀」なんて風潮を打ち消すくらい、「若い女が男のように一人で出歩いているのは奇妙」要素のほうが強いらしく、ものすごく遠巻きに「あいつ、何者なんだ」という無遠慮な視線がビシビシ飛んでくる。夫と二人で飲食店に入ってこんなふうに不躾に眺められることはない。たとえ夫婦や恋人でなく父娘関係に見えていたとしても、だ。
この話をとある日本人女性にしたところ、「へぇ、そうなのね! 私はアメリカ人と結婚して渡米して、その後ずっと一緒に暮らしているから、こちらでは『女ひとり』生活を体験したことがないのよ」と返された。「女ひとり」、その魅惑的な響き。もともと放浪癖のある人が、もう長いこと「一人旅」をしていないとき、それを懐かしむような感じだ。「一人旅」というのも面白い言葉で、生涯かけて単独で地球を巡り続けている人のことは、滅多にそう形容しない。普段は「みんな」の中で暮らしている人間が、さまざまな頻度でそこからついっと離脱するときに、この言葉が使われる。
東京では当たり前のように見知らぬ居酒屋へふらっと立ち寄って「女ひとり」で飲んだくれたりしていたわけだが、新しく住み始めたこの街では、まだ感覚が掴めない。下町の学生街にある中低価格帯の飲食店の扉を開けてみて、自分とよく似たおひとりさまが他にもわんさかいた、ということは滅多にない。たまにカウンターで店側から適度に放置されながら颯爽と一人きりの夕食を済ませている若い女性を見かけると、あまりのレアさに「わ、まるで東京みたい、どうしたら私もあんなふうに自然に扱ってもらえるんだろう」とジロジロ観察してしまう。そして、自分が受けた無遠慮な視線を今度は自分が投げかける側になっていることに気づき、慌ててやめる。
そうして、勤労おひとりさま女子たちを多く見かけるのはもっぱら、閉店間際のサンドイッチ屋やサラダ屋の行列でばかり。もくもくと働き、もくもくとヨガレッスンやジムに通い、家に持ち帰った惣菜をもくもくと食べるのだろうか。カップルやグループでいるときと違い、みんな表情が死んでいて、私なんか「くっそー元気出ないから一人で焼肉屋でも行くかー!」となりそうなものだが、彼女たちは彼女たちで「こんな疲れた顔を常連店のオシャレなバーテンダーに晒すくらいなら、部屋で草食んでるほうがマシ」って話かもしれない。華やかな社交とカップル文化の街、オンとオフを絶対に混ぜない街、ということなのかな。まだ結論を出すには観察が足りないけど。
さて、夫が用事で家を空けるたびに私の頭に思い浮かぶのは『ポーの一族』の「一週間」。「一週間! つべこべうるさく言うエドガーはいないんだ じゃ 好きなことができるんだぞ! 好きなだけベッドではねたり! ねまきのまま家中 走りまわったり!」……するよねー、するする。バーッと部屋じゅう散らかし放題に散らかして課題を済ませて、週末に慌てて全部片付けたり。ベーグルに塗ったジャムの瓶を台所に放りだしたまま外出したり。帰ってきてドアを開けると、脱いだまんまのかたちでロングブーツが転がっていて、「ああ、一人暮らしのとき会社から帰るといつも玄関口こんなだったよなぁ」と、まるでここが武蔵小山のアパートであるかのような錯覚をおぼえていた。
そんな毎日も今日で終わり……とホッと一息ついた頃から怒涛のミッドタームに突入して、日記をサボり続けて三週間。ここから挽回します。