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2016-09-19 / 育は寝ていたよ

15日木曜日。水曜深夜に授業が終わってから他の課題をやっていて轟沈、2限の写真の授業、とうとう何一つ宿題を終えずに身体だけ持って行くことになってしまった。「家と近所の写真を撮ってくる」というユルい課題だったのだが、昨年から学校の一眼レフなど借りて撮りためていた写真と、iPhoneで撮ってInstagramで人気だったものなど適当に見繕い、授業中にフォルダに編んで、いざ提出……しようと思ったら、みんな2、3枚しか持ってきてないのな……。突貫で30枚くらいのコンタクトシート作った(けど今週撮った絵は一枚もない)自分がバカみたいなので、5点ほどに絞って提出する。それで合評が始まったのだが、名簿順なので私まで順番が回ってこなかった。ショボー。悪い先生じゃないんだけど、学期末までこの調子なのかしら。それにしても、ちゃんとしたカメラでずっと写真を撮り続けている、写真的プライドの高い子ほど、「この一枚で、プロのフォトグラファーと勝負(デュエル)!」みたいな課題提出の仕方なのが面白い。私は写真シロウトなので「あれもこれも見せて、どれがクラスのみんなの気にいるか反応が知りたい」って感じなんだけど。ノリが全然違う。なお、意識高い美女Aは、「一週遅れで提出しますが、これが私のセルフポートレイトです」つって、自分の脱いだセーターの上に「s-e-l-f」と切り抜いた文字を載せた写真とその他似たような発想の2種を持ってきた。「なぜなら、私、グラフィックデザイナーとして……」といういつもの前置き。もうツッコミ入れる元気もねーわ! かわいいな。かわいいけど、先週もう私が窓辺に眼鏡と時計置いて「これが自画像です」とやった後だから、クラスの反応もそりゃ薄いよね……こういうのは後出しすると弱くなるんだよなぁ。
ドミちゃんは自習クラスだったので特記事項なし。最後の最後に質問していたら誰もいない教室から二人きりで一緒に帰る流れになり、緊張してうまく話せなくなる。思春期女子か! だってこのひと、一対一だといろいろ態度が変わるんですよね……。授業中はめっちゃテンション高いのに、サシになると人が変わったように口調までオクターブ下がるので調子狂う。穏やかな彼も素敵ですが、「個別面談のときまで面白おかしくエンターテインしなくてもいいよね?(溜息)」という本音が透けて見える感じで、普段見せているのはあくまで教壇用のペルソナなんだとドキッとする。オンオフの切れ目がわかりやすい、って日本人なら結構よくいるタイプかもしれないが、こっち来てからあんまりそういう裏表を両方見せる講師に当たっていない気がするんだよなー。まぁ内容は他愛無く、就職できるかどうかの不安は持つことないよ、自分の作ったものにもっと自信を持って、スピーチスキルが低くたって才能が語ってくれるでしょ、君はビザだってあるんだからワンダフルじゃないか、というようなありきたりの話。あと、KIDIで教えていたから一時期は日本に住んでいた、というような雑談など。あれこれ世話を焼いてくれる先生ってとても有難い存在なのだけど、あんまり優しくされるといつまでも「学生」でいる自分にいたたまれなくなって、ふと逃げ出したくなっちゃうところがある。一度目の学生生活でもそうだったんだよなぁ。ここで変な恥じらいを捨てて師匠なり教育機関なりに甘えに甘えることができないと、徒弟制度における「弟子入り」の門戸すら叩けないというのは、わかっているのだが。「教わったことを糧に、あとはなんとか一人でやってみます! はい卒業!」と、いきなり砂をかけて立ち去るみたいな教え子になってしまう。いずれきちんと御恩を返したいものです。
この日は今坂庸二朗さんの新作個展オープニングだったのだが、授業のため行けず。この調子で平日夜が潰れるの悲しいなー。改めてゆっくり観に行きたい。東京出張していた夫のオットー氏(仮名)が帰宅していたので近所のイタリアンに合流してサクッとごはん。金曜の宿題もまったく終わっていないけど、寝ることにした。

16日金曜日。朝グズグズしていて30分ほど遅刻して登校。授業開始が遅かったようで間一髪、ちょっと作業する時間をもらいプレゼンテーションの順番2人目につけて挽回。この授業はたぶん学期末までこのくらいのナメた態度で臨むことになりそうである。おしゃべりに辟易して個別指導だけ受けられればいいわ、という生徒たちは同じエミリーが教えるオンラインクラスのほうへ移ったそうで、先週チラッと顔を見せていた不機嫌チャイナガールChも一回講評を受けたきりいなくなっていた。私が席を立って冷房のスイッチを入れに行くまで「ねぇ、この部屋暑くない? あなた平気なの? 私は暑いわよ、耐えられない、なんで誰も冷房つけないのかしら、みんな馬鹿よね」と言い続けるタイプ、生まれながら人を顎で使うのがうまいChよ、今期は一緒にならなかったね……まぁ彼女のことだから3週に1週くらい気まぐれに出席して単位を強奪するのかもしれないが(※普通は落第します)。
それで、メンバーは入れ替わりつつ「日本人数名に、インドネシア人と韓国人とイタリア人が各1名」という、いつものメンツ。既視感。一学期目のGD1からなんとなく「カタマリ」感があるんです、このメンツ。ここに中国人が入らないのが面白いんだが、中国系は出自ごとにグループを形成するのでまた別のカタマリ感がある。インドネシアのJと韓国のJは、卒業後アジア圏に帰るつもりが強いから、雰囲気が似てるのだろうか。「祖国でもデザイン系求人に困らない組(むしろ母国のほうが有利)」というか。そう考えると「北米大陸出身組」「卒業後もNYC残る気まんまん組」は、エリックのクラスに集中しているな。みんなインターンしてるから影響の少ない夜の時間帯に来るというのもあるだろう。というわけで、金曜の朝一番にわざわざ教室まで登校してくることにオンライン授業よりメリットを感じている層は、なんとなく、「生真面目さ」みたいなものが似通う。そして同じメンツが、一学期目には月曜と水曜の朝一番に必修クラスを入れていた、という話。みんな本気出せばすごくいい仕事する子たちなんだけど、生真面目ゆえに全員がテキトーな物言いの講師をナメきっており、真面目さが「教室に遅れずに顔だけ出す」という方向にのみ発揮されている。書けば書くほどエミリーはダメダメだな……。いや、いいところもあるんです。指導は適切なんですけれども。前学期の金曜1限、Timの授業がダレきっていたのにも似ているか。週末だもの。

眠くて眠くて耐えられない、と思いつつ、ここでサボると今期まったく通わなくなるだろうと思って、2限はファッションドローイングワークショップに参加。弁当買って慌てて行ってみたら、学生2人しかいない。この授業、今期なぜかコースカタログ(オンラインで閲覧できる授業一覧のようなもの)にさえ載らなくなっていて、初見の学生がまったく来ないらしい。その後ぼちぼち生徒が集まってくる。この底無しの気楽さの中でストレス解消的にがーっと人物画を描きまくって終えるのが、一週間の最後にとてもよい。
初めて見かける推定ロシア系の子に、日本製の小さな小さな鉛筆削りを貸したら、さっそく中の削り器の部分を大きなゴミ箱に落として、「オーウ、ソーリー!」とやられる。こんなとき皆さんならどうします? 私はとりあえず、ゴミ箱の蓋を開けて中を漁って、小さな部品を素手で探そうとしましたよね。そしたら「やめて! 正気!? 誰のかもわからない残飯も一緒に入ってるようなゴミ箱よ!? あなたのその素敵なお洋服が汚れちゃうわ!」と全力で制止される。いや、貴様が、落としたんだよね……? そして貴様がまったく漁ろうとしないから、仕方なく私が漁っているのだよ……? とまるで意味がわからない。とにかく「服が汚れる!」と大騒ぎするあたりがファッション科の学生か。それで、「私が休憩時間に近所の画材屋で新しいのを買い直して、弁償するわ! それでいいでしょ!」と言うのだが……。私がなぜ世界最小最軽量クラスの三菱の鉛筆削りを使っているかというと、もちろん筆箱の中でかさばらないので携帯に超便利な上に、鉛筆を傷めず刃こぼれしないからなんですが、もしや近所の画材屋で、あの小刀を内蔵した石鹸容器みたいな大きさの一番安い鉛筆削りを買って弁償しようとしてる!? あの、鉛筆の芯までガリガリ削ってやわらかい色鉛筆ボロボロにするくせに4ドルくらいする例のアレを!? しかも休憩時間は夢中で絵を描いていて授業後に「ごめーん、来週必ず買ってくるわー!」と来たもんだ。要らんわ!! もうな、本当にな、貴様らには、二度と、日本製の高機能文房具を貸さん。貸さんからな。一学期目にPに貸したペンいまだに返してもらえてないのも、Bにマーカー貸したら壁一面のポスターを全部それで書き上げようとしたのも、いつの間にか定規を借りパクする気まんまんだったカフェテリアの見知らぬ女も、ずーっと根に持ってるんだからな。
ところでミーティングで不在にしている間にモデルと生徒たちがKichi先生の噂話をしていて、彼はあんなに華やかなキャリアがあるのに「Humble」「Modest」なのが本当に素敵! こないだなんて「僕は今でも絵の描き方がわからない」とか言ってんのよ、キャー! というわけで大人気。ものすごく技術が高いのに、生徒に厳しい以上に自分に厳しい、という辺りがモテの秘訣だと思います。しかし「Humble」「Modest」がこんなにポジティブな褒め言葉として使われている現場は初めて見た。ネガティブな言葉とも思わないけど。私もそんなふうに言われる日本人になりたいものよの。

17日土曜日。午前中まるまる寝ていた。昼飯はイタリアン、のちジャイロトニックのエクササイズ。その後も出張帰りで時差ボケの夫とともに爆睡。うーん、やはりこの時間割はロスが多い気がする……。夜はbabycastlesで「Postdigital Ecosystem」のオープニングへ。グループ展なのだが、どれもこれもきもちわるい(※とても褒めています)。どの人がアーティストでどの人がただの客なのか判然としないけれど、うちの学校にはあんまりいないタイプだなぁ、と興味深く眺めていた。それでエキソニモのお二人に挨拶していたら、「あ、この方ご存じですか?」と紹介されたのが藤幡正樹先生。いやあなたご存じも何も!! なんでニューヨークにいらっしゃるのかよ!? あまりに唐突かつごくごく自然にそこにいて一瞬誰だかピンと来なかったくらいである。と、その場にいた別のSFC卒業生たちとともに驚く。作品集を刊行したフランスの版元がニューヨークアートブックフェアに出展しているので一緒にいらしているとのこと。「どうしてもう一度、学校で勉強しているのか」を考え直すような夜だった。これは翌日へも続く。地下鉄オレンジ線に乗ってロウアーイーストサイドの和食屋でニキータたちと四人でごはん。バーごとうへハシゴ。
ホロホロ酔っ払って帰宅してそのまま寝ていたので、チェルシーの爆発騒ぎについては明け方になってから知る。怪我人が出たとはいえ騒ぎ自体はすぐおさまり、街は至って平常通りなのに、部屋に引きこもって日本語圏の報道ばかりを読んでいたらだんだん恐ろしくなってしまった。そこのギャップが興味深い。たとえば友人宅が封鎖区域に入っていたりもするんだけれど、彼らがリアルタイムで報じる情報のほうが当然よっぽど冷静で、それこそが、「日常的にテロに警戒しつつもいざ巻き込まれたらそれはそれで仕方ないよね」と諦めている私たちの感覚なのだけれども。日本の報道は、マンハッタン島が沈没して国連が機能不全に陥り高層ビルがどかどか倒れ観光が大打撃を受けてファッションウィークの最中モデルがランウェイでバタバタ死んでいるかのように読めてしまう。そりゃあ安否確認の連絡がじゃんじゃん届くはずである、私だって震え上がる。でも「あの岡田さんがSNSで息してない」って心配されてたのですが、時差もあるし普通に寝てました。試しに「無事です」とだけSNS投稿してみたら、結構な数の「いいね!」がつく。
東日本大震災のときは逆に、海外在住の人たちから日本で暮らす私たちへ、同じように心配の言葉が掛けられた。東京で働いていて、本棚が崩れた程度の被害で片付き、テレビを眺めつつも早く仕事場、というか出版業界が復旧しないものかと目先のことでヤキモキしていた私は、真剣な表情で「とにかく身一つでこっちへ逃げておいで!」と言ってくれる人たちの有難味が、その場ではあまりピンときていなかった。あのときは海外報道のほうがガチやばで、「日本国内は情報統制されているのではないか?」というのが彼らの一番の心配事だったのだが。実際どうだったかはさておき、部屋を引っ越そうとか、思い切って仕事を変えてみようとか、あのときのことが影響で何か大きな決断を下すに至ったのは、もっとずっと後になってからだ。その日、そのとき、出来事にどんなふうに関わっていたか、何を感じ取ったかは、個々人によって違う。在米日本人全員の代表であるかのように大きな意見をふりかざしている人もちらりと見かけたけれど、私がマイクを向けられても「酒飲んで、帰って寝てました」しか言えませんね、今のところは。そしてこの街の人たちは本当に、何か目的があって公園に旗を持って集結しみんなで力強く意見を表明するとき以外は、つまり日常においては、「何が起きたって驚かないわ、どってことないわ」って顔を無理にでも作って暮らしているものだよなぁ、と、それも興味深い。ひょっとしたら、9.11以前は、違ったのかもしれないけれど……。それにしても、「9.11以来の警官動員数」などと言われたりもしていますが、こんなもんなのだろうか。警官動員数も「日常」になってしまって、正直ピンと来ない。携帯のアラームが鳴って、いつもの誘拐情報かと思ったら28歳の容疑者が指名手配されていた。

18日日曜日、MoMA PS1のニューヨークアートブックフェアと、ブルックリンのグリーンポイントで開催されているインディペンデントアートブックフェアをハシゴ。前者は去年も行って大いに刺激を受けたのだが、今年は時間帯を誤ったのかちょっと人が多すぎて、ゆっくり見られず、収穫も少なかったのが残念。最大の残念は、藤幡先生のブースまで行ったのに在庫切れ&クレジットカード不可でサイン本が買えなかったことですが……。そのすぐ隣が小熊千佳子さんのブース、こちらでは一之瀬ちひろさんの作品集を買う。あとはハトプレスともう何軒かで、完売直前のアイテムをぱぱぱと乱れ買い。去年から引き続き出展しているのは一目でわかる大きめの、固定客がいる感じのサークルが多くて、ちょっと目を引く程度のキッチュな零細サークルはほとんど入れ替わっていたように思う。競争倍率が高いから数年に一度出展できれば御の字という感じなのだろうか。去年買って今年も楽しみにしていた海外のインディペンデントレーベルは軒並み全滅ということが会場着いてから判明し、あまり長居せずに帰る。ブルックリンのほうは、以前Oさんと一緒に車で回って見せてもらった、最初に行った家具屋のすぐ隣だった。これも来るまで気づかなかった。ブルックリンはいまだにまるで歩きこなせていない……けど、今日は一度も電車を乗り間違えなかったので、進歩進歩。レベルが低い。
卒業を目前に、私、いったい何のためにアートスクールに通っているんだろう、と考える機会が増えてきた。英語とはまた別の「言葉」を習得している、その修行、というのがひとまずの回答なのだと思う。こちらが伝えたいもの、こちらが面白いと思うものを、まったく別の文化圏で育った人たちとも同じように共有できるだろうか? その、ぴったり伝わるツボのようなところを探るために、日々、与えられた課題を作っては世界中から集まった人々の反応を窺っている。結局その営みに尽きる。
だから、自分が満足のいく一本の線が引けたらそれでその「作品」は完成、どう受け止めてもらうかは観衆の自由、というタイプの芸術家とは、感覚がまるで違う、180度違うと言ってよいのかもしれない。ウケ狙い、というと言葉が悪いけれども、「誰にでも等しく一番ちゃんと届くのはどの『言葉』だろうか?」と試行錯誤するために、同じネタを何度でも作り変えるし、なるべくたくさんの人に見てもらいたい。その表現自体を評価してもらいたいという欲よりも、「あらゆる人々に共通するツボがわかるようになりたい、そこに到達したい」とか「もっと流暢に『誰とでも伝わる言葉』を話せるようになりたい」という、その修行の最中なのだと思います。それは、日本国内では呼吸するようにやってきたことだし、あるときは仕事の一部でもあり、得意だと自負している能力の一つでもあった。しかし外国語圏に来てみるとそれがすべて丸裸になってしまうし、一方で、日本を離れていることとどんどん、今までと同じ手法ではいかん、じつは日本人相手でも全然伝わっていなかったんじゃないか? という見たくない真実に直面したりもする。
「学校行って、勉強して、その後はどうするの?」という問いかけに対しては「貯金が底を尽きたので、働きます! 仕事ください!」となるわけですが、一方で「学校で何を学んでいるの?」と訊かれたら、「20代の間すっかりサボっていた、毎日千本ノックという修行を、ようやく再開させただけです」となるのかもしれない。学校に通わずにいきなり「毎日反応がもらえる場」に身を置くことは、私には難しかったので、そこにとても感謝している。もっと言語化したい、書きたいこと、たくさんあるんですけど、学校が始まっちゃうとこの程度の覚書がせいぜいになってしまう理由も、このあたりにあるのだろうな。どうしてこうなんだ、ずっとぼくは自分のことばかり考えていたよ(友部正人)。