2016-10-12 / ねすぎこし(誤)

10日月曜日、実弟の誕生日、日本の家族からは甥姪の七五三の画像が届き、Instagramを見たら東京滞在中のジュリアが同じく明治神宮で七五三の光景をバシバシ撮って上げている。ので、私も明治神宮での七五三写真を上げておく。米国では年齢不詳の美魔女ということになっているので(自分で言うか)書かなかったけど、3歳の秋ってつまり33年前ってことですよね。わはー。我ながら顔はまったく変わってないとはいえ、物心ついた頃から数えても現世にそんなに長いこと降臨しておいて、まだ何一つ爪痕を残せている気がしない。プライバシー保護のためトリミングした親たちが当時それぞれ、33歳と30歳なんだよね。いくら昭和の大人とはいえ、今の私よりよっぽど貫禄がありますしね。何のために生まれて来たのか〜(Hey, Jesus! ジャジャッ、ジャジャッ)と歌いたくもなる。
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それはさておき近所へ画材を買いに行くほかは家から実質一歩も出ずに、火曜1限「Spatial Graphics」の授業の模型を作っていた。たかだか壁3面+αの展覧会デザインなのに、笑っちゃうくらい、やってもやっても終わらない。提出するものは、模型、コンセプトからプロセスから最終図面および模型の写真が入ったプレゼン用PDF、それを印刷して美しくプロっぽく綴じたもの(ホチキスやクリップ留めは不可)、という3点なのだが、各種の文言が決まらないとそれを壁にレイアウトできず、レイアウトした状態でないと模型が作れず、模型が作れないと写真が撮れないから最後まで資料は完成せず、撮ってみて具合がマズかったら微調整かけて模型を作り直さねばならず、どれもこれも中途半端に未完成な状態で、何一つ終わらず、ぐるぐるぐるぐる賽の河原! という状態で寝たのが日曜日。
いつまで経っても終わらないし、クライアントに当たる講師の本音の意見は最終発表時まで聞けないし、ああでもないこうでもないと修正し続けるプロセスこそが楽しいのだが、仕方ないので「仕事モード」を発動することで見切りをつけていく。口でうまく説明できないけど、仮想のクライアントないし頻繁に連絡取れない共同作業者に作業途中のものをどんどん投げていき、投げた分についてはウジウジ振り返らない、というようなイメージか。誤字やダミー画像だらけのボロボロ状態のプレゼン資料をいったん印刷してバインダーに綴じる。模型を先に作り、壁三面+床面のうち、壁その3と床面を、もう絶対これでよし、あとは見ない、と言える状態まで完成させる。印刷して差し替え。次に壁その2の立体成型の土台まで完成させる。印刷して差し替え。壁その1に使う画材を買って試作。これが笑っちゃうほどの大失敗。気を取り直して壁その2のウワモノも完成。印刷して差し替え。ようやく壁その1に着手したのは深夜2時を回っており、何度やっても大失敗の壁面プリントに見切りをつけて別の手法で無理矢理にくっつけたのが朝6時半頃。朝7時過ぎから日が昇って来たので慌てて模型の写真を撮り、これまた着替えてる間に印刷して差し替え、朝8時過ぎ。英語の不備を直せなかったページは段落ごと削除、最新版を保存して、むきだしの模型をビニールにくるんで、8時半には登校。満員電車の中で模型を頭上に掲げて運搬。なんとか9時10分前に到着。
ここで成績の35%が決まる第一回ファイナルプレゼンなのに、全12名の生徒のうち8名くらいしか来ていなかった。初回は16名以上いたので半数まで減ったな、単位をドロップしなかった子でも、完成させられず到底来られないって奴もいるだろう。まぁ、厳しいもんね、Anna。それで、肝心のファイナルプレゼンテーション、私はボロボロだった。こんなに頑張ってるのにこんなにイマイチな評価か、と著しく凹む。
今までの授業では、毎週の宿題で要求される水準に対して100点満点に近いものを提出できていたと思う。それは講師が最初はハードルを下げて段階的にプロジェクトを進めてくれているからで、合評での他からの評判はさておき、あら私って結構「優等生」じゃん、と思っていたのだ。でも、違った。それは日本人感覚だった。やっぱり教室に集まる他のアメリカの学生たちは、「普段だらしなくても、締めるとこは締める」という振る舞いが、本当にうまいのだ。今までの授業では、アイデアスケッチ持ってこいと言われたのにムードボード(要は借りパク画像)しか見せなかったり、壁3つ作ってこいと言われても1つしか作ってこなかったり、まるで要求を満たしていない宿題を見せてやる気のなさを全開にしていた学生たちが、こと「ファイナルプレゼンテーション」だけは、本当にみんなちゃんと完璧にやってくる。
そして、そこでいう「完璧」というのが、成績100点満点中、80点そこそこくらいの出来だったりする。満点じゃない。たとえば手先が器用でなく模型の苦手な子は、ずっと講師から「のっぺりしてるから何か立体物を足せ」と指示されていたのにガン無視して、印刷物をただパネルに貼っただけの模型を出してくる。うまく逃げたな、80点。だけどそれが、プレゼン次第で「考えうる限りシンプルなソリューション」と評価されたりする。立体物を作るのに必死になって週末中ビーズと糊と刷毛と格闘していた私の模型が、相対的にベタベタしてしょぼく子供の工作じみて、アラが目立つくらいなのである。あるいは「資料性が低い、もっとコンテンツを増やせ」と言われていた子もガン無視して、「写真とインフォグラフィックのインパクトを最大化させました」とか言ってるんだけど、見るからに私の数百万分の一もリサーチしてない、絶対評価では80点。しかし、ファイナルプレゼンでそう言われると「グラフィックデザイナーとしてあるべき仕事をしている」感がすごいのだ。私がこの数週、壁面に載せる文言を厳選するために、どれだけ英語と格闘してきたことか! でも、全然頑張ってないこの子の模型のほうが、デザインデザインしていて、見栄えがよい。今までの授業で100点、100点と積んできた私は、講師に「じゃあ最後は200点を期待してるわね」と言われて、別方向に張り切りすぎて、やろうとしたことどれもこれも空回りしすぎて、「優雅で隙のない理論武装完璧の80点」に、現場の相対評価で負けている、これが本物の展覧会企画のコンペなら私が圧勝はまずありえない……そんな自己評価を得た合評会だった。
いきなり話を大きくして申し訳ないけれども、「そうか、日本人は、ここでアメリカ人に負けるんだな……」とまで思った。今にして思えば、自分が他より優れていると感じた成功体験(毎週の宿題)は、どれもこれもみみっちいものばかりなのだ、まるで本質的じゃない。「最後に勝つ」ことの重要性を軽視していたというか。要するに、「うーん、いろいろ間に合わなくて最後の最後で納得いかない部分もあるけど、ここまでやれば、今まで頑張って来た努力は買ってもらえるんじゃないかなー?」というナンパな姿勢で勝負当日に臨む時点で、負けなのである。しかも、今までの授業で印象がよかった分、周囲が私の模型を見たときの、「え、これだけ? 先週見たのと同じやつの精度が上がってるだけじゃない? 時間かけてるのはわかるけど……」というガッカリ感が伝わって痛かった。ちょっと待てよ、そう言うおまえら全然時間かけてねーだろ、先週の時点でほとんど完成させていた私の進行管理能力を褒めろよ! と思うでしょ? 思うよね? でも先週までほぼ白紙状態で怒られまくってた留学生の「そこそこ隙のない80点+ネイティヴ並みに流暢な英語理論武装」のほうが、印象がいいのだ。くっそー。もちろん日本でも「要領いい奴が勝つ」風潮はあるのかもしれない。そして私は「努力を褒める、負けるが勝ち」みたいな日本的マインドは、きっと諸外国人以上に大嫌いである。けど、それでも、こんなに強烈に「最後に勝つのが正義だ、すべてはそのためにあるのだ」と見せつけられると、うわー、私も所詮は自分が嫌っていた日本人マインドの枠内にいて、そこでヨシヨシ頭撫でてもらえると思って変な方向に頑張って徹夜で模型作ってたよなー、たしかにその感覚、全!然!違!う!よ!ね! と、大いに凹みました。
そしてAnna様、「今からなるはやで成績つけるけど、評価に納得がいかなかったら一度までは再提出していいわよ、それ次第では最終的な課題評価をハーフアップ(A-がAになるとか、B+がA-になるとか)までは認めます」と、個別にではなくクラス全体に向かって高らかに宣言。つまり、今日のプレゼンに関して「A該当者なし」ってこと。厳しいねー。模型を抱えてフラフラ駅へ向かっていると、今期まったく授業のかぶっていない日本人同級生とばったり会う。「へー、空間デザインの授業なんてあったんだ、模型とか作るんだ、楽しそうですねー?」と言われたけど、徹夜で血走った両眼を遠くへ泳がせて、「楽しいと思って履修したらこのザマだよ、だけどもはや後には引けない!」という、まったく楽しそうでない感想を述べてしまう。はー、がんばれがんばれ。

それで我が校はユダヤ資本というか、現在の資本内訳は知らねども少なくとも戦時中にヨーロッパから亡命してくるユダヤ系知識人の頭脳流出先として名を馳せた亡命者の大学なので、キリスト教系の宗教行事などはいっさいしないけど、ユダヤ教の主要祝祭日だけはガッツリ休む。今年のヨム・キプールは10月12日水曜日なので、火曜の午後からまるまる授業がない。ちょうど中間地点にあたる10月にヨムキプール、期末の追い込みの前にサンクスギビングがあるの、本当に助かる! 嬉しい! とっとと帰宅してまる2日間は寝まくるぞ! 寝正月ならぬ、寝過越! 寝過ごし放題ねすぎこし! イエーイ! と喜んでいたのだが、寝て起きたところで気づいた、今日は「大贖罪日(=秋、正月)」であって、「過越祭(=春)」ではない……我ながら寒々しいダジャレを連発してしまった。
若い学生たちはみんなここぞとばかり遠出したりパーティーへ遊びに行ったりしているらしく、教授陣に「今週授業休みですよね、ちょっと進路相談あるんですけど」みたいなメールを書いてもまるで返事がなく、それぞれ楽しそうなんだけど、私は風邪気味なのもあり、やってもやっても終わらない衣更えなどしながら家に引きこもって大人しく過ごす。ボヤボヤしていると東京にいる頃にはお気に入りだった「秋の服」を着る機会を逃してしまい、あっという間にダウンジャケット&スノーブーツの季節。とはいえもう結構寒い日もあるので、手間のかかる重ね着コーディネートに頭使うくらいならとっとと薄手のセーターを着てしまいたい気分……いやいかん! それではアメリカ人になってしまう! もうブーツでいいけど、まだマフラーを巻くのは早い! とやってると終わらない。そして、襟付きの白い七分袖ブラウスと、大量のストッキングは、夏でも冬でも衣装ダンスの隅に追いやられている。今まで無意識だったけれど、OLの服装は足元の「らくちん無難パンプス」を基軸に構成されていたのだなぁ。アレを履かなくなると、上物もずいぶん変わってしまう。けど、まだ捨てられない。だって今から就職活動だし? いやこちらの就職活動のあるべき服装まるでわからないけどね?
そう、就職活動なのである。キャリアサービスのJeffにレジュメ(履歴書)の草稿を送り、オンラインポートフォリオをチェックしてもらう。帰って来た返事は、まさかの「レジュメの文面はhesitant(気後れ、怖気付き、後ろ向き)すぎ、ポートフォリオサイトはoverwhelming(過剰、ドン引き、威圧的)すぎ」というものであった。えー、逆だと思ってたYO! まさかアメリカ人から「そんなに押しが強いキャラだと、なんか居丈高だなとか思われてどこも雇ってくれないよ。経歴とスキルが素晴らしいのはわかったけど、もっとおとなしく、じっと雇われるのを待っている感じ、どうしても仕事が必要で、雇われることによって秘められた才能がみるみる輝き出す感じを醸さないと。一人でなんでもできます、すでにやれてますみたいなアピールは逆効果さ☆」などと指摘を受ける日が来ようとは……。なにその草むらに名も知れず咲いている雑草みたいなポートフォリオ、私は薔薇の運命に生まれたんだよ、せっかくわざわざこんな年齢で英語圏来たんだから、華やかに激しく生きるんだよ! そして夢破れたときも美しく散るんだよ! と思うんですけど、なんかその無駄な気負いみたいなものが逆効果、どう逆立ちしても日本人なんだし生まれながら勝ち組の学生と違って人種だけでもハンデ大きいんだから変にアメリカンぶらないでもっとニッチかつスペシフィックに謙虚な売り込み方をしたほうがよいのでは、と言われるのもわかります。あと「あけっぴろげに全部見せすぎ」みたいなニュアンスもあるのかな。しかしAnnaのプレゼンともども、ようやく「何をしたか(どんなものが作れるか、どこを頑張るか)」ではなく、「どう見せるか」の勝負になってきたのだな、という感想。洋の東西問わず、ここから先が昔から大の苦手なので、新天地でも謙虚にチューニング合わせていきたい所存。