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2016-10-26 / どんなときも。

誰からもまったく反応をもらえないこの日記をいったい何のために書いているのか、こんなことしてる暇があったら商業原稿の締切を先に上げたほうがいいじゃないか、と自分でもわかっているのだが……。手元に簡単なメモしか残っていない去年の今頃、すなわち渡米直後の新入学一年生の頃のことを物の見事に忘却してしまっている。この調子で日記をサボると「思い出して書く」ことすらできなくなってしまうので、文法も文章もグダグダですが一応、ベタ打ちは続けていきたいと思います。
21日金曜日、1限はエミリー。就職面接の個別相談がしたくて事前にメールも送っておいたのに、「大丈夫よ、大丈夫よ、あの企業、あなたのスタイルに近いところあるし、普通に志望動機を話せば大丈夫よ」くらいのアドバイスしかくれない。面接決まったらいつでも相談に乗るからメールしろと言ったのはどこのどなたか。まるでアテにならないので、授業後は6E16の6階に移動して想定問答集を作る。この日はあいにくの雨、パンツスーツで行こうと思ってたのだが足元は雪靴。上半身だけ勝負服のダナキャラン。『とくダネ!』第一回出演時にはりきって着て出たら「次からスタイリストつけますんで」と言われたやつな……。14時に出て近所のカフェで時間をつぶし、10分前に到着して扉の前で5分待ち、深呼吸してV社の扉を開け、デザインインターンシップの面接へ。
結論から言うと、めちゃめちゃ和やかな雰囲気のまま終わった。この国には「圧迫面接」という概念がないのかな。ポートフォリオの何を見せても、グレート、アメージング、ワンダフル。しかも、「手で!? 全部描いたの!?」「カッターで!? 全部切ったの!?」「テンプレートも!? 無から作ったの!?」などなど、美術大学ではやってて当然のことばかりをベタ褒めされる。デザインやコンセプトの部分というよりは「一人でゼロから作り上げた」こと、「Adobeのソフトウェアで使えないものは(一応)ない」こと、あるいは「大学を出て働いて日本国内で別の仕事をしてそこそこ実績があるのに、なお転職を目指していて、二番目の職能に足るスキルがあること」など、外側の輪郭の部分をやたらと賞賛される。いや〜、照れるな〜。しつこいようだけど、図画工作に対して意識の高い日本では「そこらの営業マンにハサミ持たせたら手先がめっちゃ器用」とか、「パートタイムのバイトに軽く図案を描かせたら漫研出身で字も絵も超きれい」みたいなこと、日常茶飯事じゃないですか。あのレベルで驚嘆されるのがアメリカであり、美術大学の中ではもちろん、外ではもっとすごいことになっていたのだった。いやしかしこれ、数学関係の求人に応募して「暗算ができる」だけで褒めちぎられるようなもので、明らかにおかしい、居心地悪い……褒め殺しで気持ちよくさせといて落とすって寸法かもしれない、と身構えてしまう。
今回会ったのは人事担当の女性とデザイン部門のチーフらしき若い男性。事前にオンラインポートフォリオを見ているので、絵本のような物理的作品を見せると「あ、これこれ、サイトで見たときから私のお気に入りなの。実物に触れて嬉しい!」なんて言われてこちらも嬉しい。「我が社について知ってることを教えて?」と言われたんだけど、人事担当女性は愛社精神がおそろしく強く、私が拙い英語で1答えると、話を受け取って自分で10くらいに膨らませて、自分で膨らませたその話にウットリしている。若いチーフも、私の緊張をほぐすのに必死になっていてむしろ恐縮するくらいだった。本命に挑む前に場数を踏むための「面接の実験台」だと思って応募した一社目が無事に終了、自分の作品を見せる際のプレゼンテーション方法なり、喋り方なり、あれこれ改善の余地があるなぁと大変勉強になったし、「雰囲気最高なので、別にここで働いたっていいよね」という気分で、自社製品おみやげにもらってホクホク帰宅。しかし、ここから先が長いのだった……。

土曜はジャイロのあとマディソンスクエアパークで写真撮影。日が落ちておそろしく寒いので途中で切り上げる。ルームシェアしているイタリア人Lとインド人Sが当日になって「今夜20時半からホームパーティーするよ!」と誘ってきたので、自宅至近の店で夫と軽く飲んでから一人でフルトンまで出かける。シティホール駅から徒歩15分ってどんだけ僻地やねん! と思ったらさにあらず、イーストリバー沿いでブルックリン側の夜景を一望でき、階下のテナントに巨大なコンビニ入ってて吹き抜けエントランスでは制服着たコンシェルジュがお辞儀してくれる、だけど学生同士でも借りられるような狭めの間取りが数百戸ひしめいてる、つまり日本でいう新興高層タワーマンションみたいな、巨大高級アパートメントの最上階だった。野球観戦のため留守番していた夫に「どうだった?」と訊かれて「勝どきだった」と答えた。
「デザイン専攻」「非アメリカ人」「女子」を最大勢力に、その彼氏やらクラスメイト男子やらも集まって、普段はすっぴんに寝間着みたいな服装で登校してくる子たちが、ここぞとばかりフルメイクで超ミニスカドレスにピンヒールを履きこなしつつ薄暗い室内で流行りの音楽をガンガンにかけ、だけどまぁそこまで高い酒や肴も持ち寄らず、プラカップでワインやスパークリング日本酒を飲みながらチップスや冷凍ベビーキャロットをかじるという、なんとも和やかな宴会であった。ほっこりする(誤用)。イタリア人もインド人もメキシコ人もインドネシア人もスイス人も日本人も、この国ではマイノリティ同士である。そこにしかない連帯意識がある。整った英語を完璧に操るアジアンアメリカンの客が浮いて見えるくらい雑多な空気。この国で「よそもの」としてしか生きられないことにまだ無自覚そうな若い子たちもいるけど、でもやっぱり、ホストは出身国別のFBグループを作って「あの日本人の子たち」めがけてパーティの招待状を送ってきたのだよな、我々は自然とそんなふうに集まるのだな、と興味深く眺めていた。
そういえば父母のニューヨーク時代の友人たちを順番に訪ねたときも、相手が合衆国生まれのアメリカ人かそうでないかで微妙に空気が違った。この「よそもの同士が寄り集まる」感じには、子供の頃から覚えがある。海外へ出たことのないアメリカ人ばかりの集まりに招かれるよりも、こちらのほうが子供の頃に感じたニューヨークの第一印象に、ずっと近い。なんでもかんでも「日本人/外国人」で区切ろうとする母国に耐えきれなくなるたび、「とてもキナ臭いけど最も居心地のよい」場所として思い出していたあの記憶に。
ところで、「Ikuを見てるといっつも、もう一人の日本人の友達のことを思い出すわー。あなたたち二人とも、作るものがクールでものすごく勤勉で、そしてオシャレで感じがいい! そうそう、この子なんだけど!」と見せられたInstagramのアカウントが、どう見ても、中国人か台湾人。残念ながらプロフィール欄に書かれているのが北京語か広東語かとかは全然わからないし、母語である日本語と華麗に決別して異郷の地で中国語(と少しの英語)だけで生きていくと誓った鉄の意志を持つトライリンガルである可能性なども捨てきれないわけだけど、でなければ、日本在住の日本語ネイティブや日系人でないことだけは、一目瞭然なのだった。それでその場で普通に「ちょ、違うよ、この子ジャパニーズじゃないじゃん」と言えばよいものを、なんとなく言いそびれてしまう。この、黒髪をベリーショートにしてサブカルっぽい服装をして彫刻の横で彫刻と同じポーズをとったりしておどけている女の子(たしかに私そっくり)は、ムンバイから来た女友達に、「私は日本から来た」と告げたのだろうか? いやしかし、そうならそうとプロフィール欄を日本語にしたりして、もっと日本人っぽく作り込むはずだ。アカウントまで日本語ローマ字表記にして擬態しているような中国人女子学生だって知っているもの。だとしたら彼女はただ、いつもMUJIの小物を持ち歩き、カバンはBAOBAOで、周囲の友達たちに日本の漫画やアニメやグッドデザイン、観光名所や人気俳優についてなど教えてあげただけ、とかなのだろうか。それで多くの外国人が、「彼女は日本人に違いない」とすっかり勘違いしているだけなのだろうか? 真相は闇の中なんだけれども、この場で「よく見ろ、こいつは日本人じゃねえ! インド人には区別つかなくたって日本人の私にはちゃんとわかる!」と主張することに、「正す」ことに、いったいどれだけの意味があるだろう。どうして私には区別がつくのか、その確信の源にあるものは何なのか、今この子に、ちゃんと説明できるのか? その根拠は印象論ではなく、科学的で論理的で、ポリティカルコレクトネスの範疇なのか? 留学を終えて祖国へ帰ったのだろう、エキゾチックな公園を背景にとても楽しそうに自撮りしているInstagramを覗き込み、「わー、本当だ、似てるね。私は、彼女に、親しみをおぼえるわ」とだけ返事をした。ムンバイから来た女の子は、自分には読めない中国語のキャプションがついたその写真の、その公園が、遠く海の向こうにある、二人の素敵な友人を輩出した、日本という国にあると信じている。私もまた、そのジパングの存在を信じてみよう。
日曜夜はヘアサロンへ予約を入れてばっさり髪を切る。夫と合流して「Edi & the Wolf」。今日こそウィンナシュニッツェル以外のものを食べてもいいのではないか、と話していたにもかかわらず、やっぱりウィンナシュニッツェル一択になってしまう。もはやウィンナシュニッツェル屋である。しかしそれだけの価値がある。本日は熟成豚の他にヴィールもあったので迷わずヴィールを。ラッキー。

24日月曜日はオフ。5月卒業の大学院生Mさんとクロックムッシュ屋でばったり再会、雑談して別れる。正午集合で火曜1限Annaのグループワークへ。「公園標識をリデザインする」というのが最終課題で、その下準備として2週間だけ、3人組になってリサーチとプレゼンテーションを手分けするのだ。私は週末のうちに写真を撮っておいたので、「公共交通機関からのアクセス」を紹介するパートを担当。アラバマの局番が振られた携帯電話を持ち全身全霊でブラックイズビューティフルとしか形容しようがない美形の学部男子Jが「公園の歴史」担当、ファインアート専攻でフィリピン系小柄美女のCが「周辺のランドマーク」を担当。Cはキャンパス内の別校舎、ファインアート専攻のフロアに間仕切りされた小さなスタジオを持っており、そこに我々を招いてくれる。早い話が、ワンフロアまるごとMUSE SQUAREみたいになっているのだった。隣との会話は筒抜けで、隣のスタジオの子から水差し一つ借りるにも陽気にワイワイ雑談をして作業の手が止まる環境。いいんだか悪いんだか。Cの作りかけの卒業制作は写真と証言で辿るフィリピンの民族史といった現代アート風の作品だった。同じ学校に通っていても、やること、見るもの、価値観や優先順位、まったく違って当然だよなと思う。1時間も経たないところで多動症っぽいJが「こんな狭いMBP画面ではとても作業できない、うちのデスクトップマシンで続きをやる」と言い出していきなり帰宅。おい、グループワーク、とは……? その後、14時か15時くらいまでCと二人で黙々とスライドを作り、我々のパートはほとんど終えて解散。Jの分も深夜に上がってくる。のはいいのだが、合計枚数が90枚くらいになっている。何十分プレゼンするつもりだね君たち。
翌朝1限、私以外の2名は安定のぶっちぎり遅刻登校でしっかりAnnaにチェックされていたが、あいつらデキナイ組、という印象を払拭すべく果敢にも4グループ中2グループ目に発表しますと挙手、我々ながらそこそこの出来のプレゼンを済ませる。この日は4限のドミトリもプレゼンテーション。ポールランドのエッセイ「Logos, Flags, and Escutcheons」を読み、「街で見かけた良いロゴ7つ、悪いロゴ7つを、7分でプレゼンする」という趣向。「世界100大有名ロゴの類は禁止」(AppleとかPepsiとかは却下)という制約もあるので、みんなほとんど近所の看板から探してくるのだが、面白いほど重複がなかった。唯一あったのが、Tと私がグッドロゴに挙げた「GREGORY’S COFFEE」くらいかなぁ。日本人Kちゃんの挙げた「ヤマト運輸」のロゴを見て、西海岸ッ子のAbが普段の2オクターブくらい高い小声で「きゃっ!」と叫んで(cat!とwha–t?の中間くらい)嬉々としてノートにスケッチしてたのが印象的だった。たしかになぁ、知らんかったら驚くよね、安心と信頼と質実剛健を是とする大手運送会社のロゴが、子猫をくわえてそっと運ぶ親猫のマークだなんて。日本人ならみんな知ってるこの良きロゴも、島の一歩外へ踏み出せば、極東のどローカルかつどマイナーな事例。
21時半過ぎに授業が終わり、空腹で死にそうなのでチポレへ寄ると言うこれまたインド系のAg、およびNYUッ子のJとともに帰路へ着く。「Ikuも一緒に食べようよー」「いや今日は夫が晩飯用意してくれてるらしいから」「お、お、夫ーーー!?」といういつものアレ(※たぶん私は外見年齢20歳くらいに見えている)。ものすごく寒い晩で、凍えそうな別れ際、Jがいきなり「あなたの今夜のリサーチとプレゼンテーションは本当に素晴らしかった、中身は文句無しの出来だったと思うわ。でもね、あなたの頑張りは全部スライドに反映されているんだから、無理に『長く話す』ことを目指そうとしなくていいのよ。努力は伝わってくるんだけど、口で話せば話すほど冗長で要領を得なくなってしまって、時間超過の減点を受けるし、簡潔で過不足ないスライドのコンテンツの完璧さを、自分で損ねてしまってたと思うの。それって超もったいないことよね」と、真顔で激励のアドバイスしてくれる。めっちゃ寒くて早くあたたかい店内へ入りたいだろうに、「ここさえ直せば完璧」という点を、陽気な笑顔でビシビシ注意してくれる、THE・アメリカ人。なんていい子なんだ……。で、まぁ要するに「余計なことはしゃべるな」という話で、ここでもまた「英語という障害」と直面することになる。Jが言っているのは、ドミトリにも以前言われたまったく同じこと、すなわち「スピーキング能力が劣るなら、いっそもう、何も喋らなくていい」「他の要素で補えるものは、他の要素で補ってしまえばよい」。いや、喋らなくていいなら、そうさせていただきますけどね!? スピーチノート作って合成音声に読み上げさせるとかのほうが、私も緊張しないし諸君も聞き取りやすいし双方ハッピーだもんね、もう私のことはホーキング博士かなんかだと思ってくれたら……、となる。

水曜日、講師がSallyに変わって最初の「Motion Concepts」。何を教えるかメソッドをきっちり決めて、その枠組みから外れるものについては「後で順番に教えてやる」一点張りだったDavidMに比べて、宿題の講評を長めにとる授業スタイル。みんなDavidMの講義に慣れきってて結構テキトーな映像を作ってくるのだが、「これは意図的にやったの? それとも手法がわからなくてこうせざるをえなかったの? 本当はどんなものを作りたかったの? 実際やりたかったことと違うのはどこ?」と容赦なくツッコミが入る。また、エレメントの動き以上に、それぞれ一時停止したときの画面の収まりの悪さみたいなものに大変厳しく、「みんながグラフィックデザイン専攻だからいうのだけど、映像だって、デザインなんだからね?」というような話。彼女も彼女なりに授業メソッドは準備してきていて、DavidMとの違いは物事を「縦軸」から教えるか「横軸」からか程度の差なのだけど、「先生に習った通りのことを忠実にやってプロっぽく上達したい」という姿勢を隠さない、若くて融通きかない受身ちゃん系の生徒たちからはちょっと不満めいた声が上がる。この授業は本当に、「締切を与えてもらってあとは独学でやる」感じになったなぁ。
午後はV社の二次面接。そう、またもや呼び出されたので、授業が終わってすぐユニオンスクエア駅へダッシュしてギリギリ約束の時間に間に合う。この日はソーシャルメディア担当というアジア系男性をまじえて、前回会った人事担当&デザイン担当とともに、座談会のようにしてあれこれ話す。ポートフォリオを見せたり、ソーシャルメディアのアカウントを見せたり。この会社、今秋から「デザイン&ソーシャルマーケティングの学生インターン」を募集しているのだけど、要するに「一人二役してくれる有望な学生がいたら、人件費が減るよね」と思っているらしく、「Twitterのフォロワー15000人超! Instagramのフォロワー1500人超! 1999年からホームページ運営! 今すぐ君が欲しい!」というノリなのだが、「いや、私はデザイナーとしての実務経験が欲しいから来たのであって! ソーシャルメディアに毎日オシャレ投稿するためのバイトなんて誰でもいいだろ、二十歳そこそこでSnapchat大好きな、適度にチャラい三流大学生にでもやらせとけよ!」というのがこちらの本音。贅沢言えない立場の割にずいぶん口汚いですが、一応こっちも世界有数のデザインスクールで優等生で通ってて、そこに投資した分を回収するべく動いてるんで、もうちょっとは高く自分を売りたいよ……? とか言ってると、さんざん面接に呼ばれた結果、もっと使い勝手の良い若い候補生に競り負けるんじゃないかなという気がする。
それにしても、大学の授業ではいまだに「ソーシャルメディアで私生活を晒すような活動は、素人っぽく見えてお里が知れるので、ほどほどに。万が一、就職面接官にアカウントがバレたとき、クラブでウェイウェイ飲酒してる写真とか見られたくないでしょ? オトナになるまでfacebookは鍵付きにしておきなさい!」といったお堅い指導を受けるわけですが、古いよなぁ……。もちろん外の世界、リアルワールドにおいては、「せっかく若手の新人を採用するなら、我々以上にソーシャルメディアに強い子がいい!」というのが採用側の正義であって、それは日本で新卒採用試験を受けていた10年近く前(←おいサバ読むな)でさえ、正しかったのに。我々76±5世代だけを特殊な例外として除いた、残りのお年寄りと若者に共通してはびこる「インターネットは怖いもの、情報が流出したら社会的に死ぬ」みたいな感覚、どうにかならんもんですかね……。私が今こうして生きていられるのはダダ漏れインターネットのおかげですけどね。もちろん、明日インターンの面接があるからって急にフォロワー数増やしたりはできないわけで、生涯を人目に晒されず「ステルスモード」で生きて死にたいという人々は、すべての行動に鍵をかけておくほうが無難だとは思いますけど。
しかしそうやって育った若い学生は就職面接で「君は昨今のソーシャルメディアの隆盛についてどう思う?」って言われて、プレイヤーとしての実戦経験まるでないまま、新聞記事に書かれてるような時評をもっともらしく回答するのかねぇ。おばさん負ける気がしないぜ。どうせたった今、私と同じ学生インターン向け求人サイトを眺めているこの国の若者諸君の多くは、この日記題が『就職戦線異状なし』にかかっていることさえ知らんのだろう。いや日本じゃないから当たり前なんだけど、単純に「1991年、生まれてた?」っていうね。自分で書いてて哀しくなるぜ。