またしても一ヶ月以上、間があいて申し訳ありません。正月の威勢の良さはいったいどこへ消えたのか。気づけばもう二月も半ばを過ぎている。
35歳過ぎてからの、米国東海岸への、社会人留学同士、という意味で、ボストン在住バークリー在学中の唐木元さんのブログ( http://d.hatena.ne.jp/rootsy/ )をいつも楽しみに読んでいるのだが、彼もやはり進級するにつれ忙しくなってきたらしく一月の日記はほとんど更新がなく、あーわかるわかる、商業原稿もあるとなかなかねー、とエア相槌を打っていたら、そちらは久しぶりに更新されていたので、焦る。
あと、ワシントン在住のOL某さんが始めた「アラサー女の東海岸一人暮らし」( http://dcdemorouhi.hatenablog.com/ )が毎回めちゃくちゃ面白いので、これまた焦る。あーーーー、私も引越当初のあれやこれやをちゃんと書いておくんだったよーーー! と反省しきり。私の場合、「日本→アメリカ」のカルチャーショックはすぐに消えてしまって、割と早くに「東京≒ニューヨーク」の共通点探しモードへ移行してしまったのだが、「基本的に親切じゃない(から親切がしみる)」とか、「ヤバい地下鉄車両には乗ってから初めて気づく」とか、「風呂が浅い」「戸棚が高い」「チップに迷う」みたいなことへの文句、もっとフレッシュなうちにつらつら書いておくんだった。
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正月帰省を兼ねた東京滞在の最終日、打ち合わせでおしゃべりしまくった挙句に見事に喉風邪をひき、1月20日に帰国後、時差ボケと体調不良に生理痛が重なって、二週間以上ずっと臥せっていた。ありったけの日本製市販薬を服むも効果なし、加湿器をガンガンかけても咳で眠れず、朦朧としながら日付の感覚がなくなるまでベッドの上で寝たり起きたり。ちょっと具合がよくなると出かけていって人に会い、米国製の特効薬の情報など教わるのだけど、帰って来ればまた悪化して翌日はダウン。といっても、実際は半分以上が「医療費が高いから医者にかかりたくない=プロの診断を仰げない」という不安からくる鬱々とした状態だった気がする。
「ひとりぐらし病」と呼んでいる症状がある。働き盛りの独居独身が一度風邪をひくと異様に気分が落ち込んでこじらせてしまい治りが悪くなる。誰かちょっとした看病をしてくれる同居人や、横で笑い飛ばしてくれる家族がいたら、もっと早く回復できるのにな……と思い嘆きながらも、咳をしても下痢をしても嘔吐しても一人で、もくもくと己の汚物を片付けては病欠明けの有給休暇が消えていく、例のアレである。今は二人暮らしだけど、二人して同時に風邪と時差ボケにやられていたので、ちょっと「ひとりぐらし病の二乗」という感じがした。
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学校があればまだしも虚勢を張って日々をやり過ごせていたのだろうが、なんとこの朦朧とした期間のうちに、気がついたら大学を卒業してしまっていたのだった。なんだよそれ、とお思いでしょう。私もびっくりです。元日の日記に書いた通り、「12月末までの秋学期で卒業必要単位全取得」したけども「卒業式は5月中旬」という宙ぶらりんな状態で、23日から始まる春学期はサークル活動や単位外のワークショップなどに顔を出しながら、学校周辺をうろついてのんびり職を探そうと思っていた。ところが、大学の規定では、私の公式な卒業日は「1月31日付」ということになっていて、そこから先は結局やっぱり「卒業生」扱いであることが判明する。
もうね、まず、キャンパスに入館できない。エントランスに学生証をかざしてもゲートが開かない。家で寝ている間に学生証が期限切れになっていたのだ。もちろん、即発送されると聞いていた卒業証書はまだ届いていないし、オンライン学生ポータルでは「春学期の学費を未納の学生」というステイタスなのに、である。学生証を発行する部署では私はもう卒業生扱いで、学費請求する部署ではまだ学生扱いで、双方の連携がまるで取れていない、みたいな話。まじアメリカ!!
この問題を解決するには、入学時に学生証を作ったのと同じIT窓口へ出向いてカードを切り替え「同窓生ID」を再作成しないといけないのだが、卒業生へ向けてそうしたアナウンスがなされることはいっさいなく、自発的に個別に問い合わせて初めてそのアンサーが明かされる仕組みである。そもそも1月23日からの第1週は普通に校舎へ出入りして他学科の授業へもぐりこんだりできていたのに、翌週から建物にすら入れないっておかしくないか。しかも窓口の警備員ごとに応対が違って、「先週までこの学生証を使ってた5月卒業生なんだから、入れてよ〜」と頼めばゲートを開けてくれるおっちゃんもいれば、決まりは決まりだと絶対に許可してくれないおっちゃんもいる。セキュリティ何の意味もない。
時間に余裕のある今学期に講習を受けて使いこなせるようになっておこうと思っていた大学設備あれこれ(レーザーカッターや3Dプリンタ、ダーストやリソグラフなど)も同窓生IDでは予約が取れない可能性があり、ずいぶん制約が出てきそう。こんなにハシゴを外されるとわかっていたら、昨年までにもうちょっと動いておいたのに! と後悔する。もろもろズルズルしているうちにあっという間に5月になってしまうんだろうな。
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学校に追い出されてしまったのと前後して、秋学期半ばで中断していた就職活動を再開し、本日からソーホーにあるデザインスタジオでインターンとして勤務を開始した。先週日曜の夕方に履歴書を送ったら、1時間後に「会いたい」と返信が来て、翌月曜にたった20分間の面接で「他の子たち全員断るわ、木曜から来てねー」と即採用。決まるときはすぐ決まるもんだなと拍子抜けする。
ボスはプラハ出身のイケメンで、名前をGoogle検索すると「あの人気モデルが電撃同性婚!」というゲイニュース記事に「お相手の一般男性」として登場してファンたちの嫉妬を買っているイケメン(二度言った)。あと西海岸出身の美女がマーケティング担当で、建築&インテリア設計担当とエンジニアが数名いて、ボスの下で実働するグラフィックデザイナーは私のみ。少数精鋭部隊と言えば聞こえはよいが、典型的なブラック・ベンチャー企業である。日曜夜のメールに即レス来る時点でお察し。アメリカ人は定時で帰って家族との時間を大切にするって聞いたのに! と震える。パートタイムかつインターンの私だけは定時出退社させてもらえるのだが、フルタイム社員はみんな深夜まで帰宅する気配がない。各プロジェクトのことを「our babies」と呼んでいる。かわいいかわいい赤ちゃんを育てている新米のパパママたちだから、手がかかって当然、という意味。たぶんみんなアラサーで、一番下っ端の私が最年長。こういう若くて勢いのあるスモールオフィスに勤めた経験がないので、何もかもが新鮮だなぁ。そして職場の第二公用語がチェコ語。でも今とりかかってる案件のロゴはイタリア語。
世界に名を轟かすような大企業の採用には応募しても応募しても面接通知すらもらえず、行ったら行ったで最終面接で落とされたりして、あるいは友人や先生の紹介で仕事のコネクションを紹介されてもなかなかうまくいかず、とはいえ英語圏でのサバイバルスキルを身につけたいのだから日系のデザイン事務所に行くのではきっと意味がない……という調子で、ずいぶん長いことうろうろ悩んでいたので、何はともあれ、大変ニューヨークっぽい職場で卒業後の人生をスタートさせることができてよかった。
ところで今日は奇しくも「 #DayWithoutImmigrants 」という催しの日だったのです。「ほらね、移民がいなくなると生活が成り立たないでしょ?」という、トランプ新大統領へのリアル「どくさいスイッチ」作戦を実行する日で、飲食店などではずいぶんストライキがあったみたいだ。この街で移民として働き始めた第一日目が「移民抜きの日」というのは、なかなか感慨深いものがある。ちなみに私の就労可能ビザは昨年の9月11日に発送されてきた。これまた忘れられない数字である。
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1月の日記はそのうちまとめて箇条書きしておきます……。商業原稿のあとで!