2017-03-06,07 / 石川禅3rdソロコンサート

■はじめに

 行ってまいりました「石川禅3rdソロコンサート」。2015年5月「1stソロコンサート」から約2年、2016年9月「2ndソロコンサート」から半年、本当に久しぶりのソロコンサート。ほとんどこのためだけに海を越え、コーラも飲まずクリームもなめず、2017年3月6日(月)ソワレ、3月7日(火)マチネ、3月7日(火)ソワレ、全通しましたよ。結論から言うと「地球の裏側から来た甲斐があった」この一言に尽きます。

 海外在住者は後援会活動が難しく、出演作品だって今までのように頻繁に観劇することはできない。こんなに長いこと生の舞台を観られずに、ミュージカル俳優のファンを名乗る資格があるのか? と歯がゆい思いをしていました。それでも、年に一度か二度はこんな機会があって、そのうち何度かに一度は私も観に行けて、それだけでこんなに、ここまで、幸福な気持ちになるのならば、やっぱり私は、どこまでも禅ちゃんのファンなんだなぁ、と思えます。このソロコンサート企画が続いていることに、遠方から、誰よりも深く感謝したい。

 今回会場へ足を運べなかった人のために、あるいは過去公演がどんなだったか知りたくて検索して辿り着いた未来のファンのために、憶えている限りのことを書き記しておきたいと思います。帰国後、忙しく過ごしていたらあっという間に二ヶ月も時が経ってしまい、一方で分量は3万字から減る気がせず、ずっと塩漬けしていたのですが、そうこうするうち日本では次回出演作『パレード』が開幕してしまうので、もう観念して手を離します。

 全三公演分の感想をまとめて書きました。便宜上、全三公演について「一回目」「二回目」「三回目」と表記しています。二回目だけメモを取り、細部は新鮮な記憶をもとに綴っていますが、公式の映像記録などがあるわけではないし、どれも一度観たきりの個人の主観にもとづくもの。話半分にお楽しみいただきつつ、もし明らかな間違いがあったらご指摘ください。(2017/5/13記)

■全体構成

 会場のよみうり大手町ホールは1st、2ndとおなじみの場所。座席は一回目が後方17列中央ブロックのどセンター、二回目が後方15列中央の上手側、三回目が前方6列中央の下手側。後述する通り、三種三様に客席降りを堪能できて大正解。前方列はめちゃくちゃ距離が近くて汗まで見える感じ、でも全体の演出が狭く見えてしまう弊害も。後方中央席は音響もよく、とくに照明が大変きれいに見えたけど、眩しくて目のやり場に困る場面もあったかな。席の良し悪しが如実に出るのは小さいハコの宿命か。

 たった一人きりで孤軍奮闘する姿が感動的だった1stとの一番の違いは、「四人のギャルたち」と呼ばれるアンサンブルの女性陣。ダンサーと公称されつつシンガーとしてもクオリティ高く、群舞にカゲコに大活躍。脇を固めるこの若い女子たちに囲まれると、主演、センター、メインディッシュとしての禅ちゃんの姿が殊更に強調されて、大変に感慨深かった。今回、表のコンセプトは「定評ある歌だけでなく、ダンスにも挑戦!」だけれども、裏のコンセプトは、「中央に立つ」だったんじゃないか。1st以上に「主演舞台」を観たな、という気持ちが高まる演出で、それは嬉しかった。

 とはいえ「一人で全部やる」コンセプトは1stから変わっていない。会場で会った友人が、「アンサンブルが適当に場をつないでる間に袖に引っ込んで着替えたりするご休憩タイムが入るのかと思いきや、増員されても、禅さんずーーーっと出ずっぱりだったねw」と笑っていた。そう、一時間半まるまる休憩なしでずーーーっと、石川禅だけを見ることができる、その喜びを噛みしめるために配された「四人のギャルたち」だったのだ。じつによくファンのツボを心得ている。

 今回も前回まで同様、音楽監督・森俊雄さんがエレクトーンのステージア一台で伴奏を支えていた。編曲や演奏はちゃんとしてるし、音響も1stよりは格段に向上していたと思う。個人的に、エレクトーンの音色にもずいぶん慣れてきたのか、もはや「リハーサル不足で統制取れてない下手な雇われ楽団に頼むよりは、気心知れたたった一人の信頼おける演奏者に辣腕振るってもらったほうが、いいのかも?」くらいの感想を抱くまでには至った。至ったよ、ついに、私も。1stのときボロクソ言ってすみませんでしたよ。でも、それでも、次こそ、森音楽監督の下での壮麗なオーケストラ編成を、期待してますけどね……損益分岐点どこなの、クラウドファンディングしてよ、出資するよ……。

 初日の一回目はひたすら出演者の緊張が目立ち、二回目は多少リラックスした雰囲気で完成度高く、三回目千秋楽はリピーターを中心に観客があたたまって、楽しくスペシャルな仕上がり。「Anthem」なんかは張り詰めた空気の中で初披露の一回目が出色。メドレーについては動線のほぐれた二回目が完成度高く、女歌は三回目にはすっかり違和感なくなって歌唱に没入できた。しみじみ思い返すだに、どの回も素晴らしくよかったなー。と、気分を盛り上げたところで、いきなり落としにかかりますが……。

■M01/「One Night Only」(ドリームガールズ)

 幕が下りた状態で前奏が流れ、さっと緞帳が吊り上がると、四段ほどの階段の最上段中央に禅ちゃんの逆光シルエット、「声を限りー、あなたに歌うー♪」のタメで上下手から二名ずつギャルズが飛び出してきて「Only one nightー♪」のコーラス、踊りながら本編スタート。だ、……ダサッ……!!!!(眩暈)

 いやもう、びっくりですよ。まず、短調を奏でるエレクトーンの音色と赤い緞帳の組み合わせが、カラオケスナックにしか見えない。ママに口頭で番号伝えて筐体に直接番号を入力してもらう形式の昔ながらのレーザーディスクカラオケと、天鵞絨のソファセットな。しかも衣装、黒一色のインナーにジャケットだけ純白で、高いところに仁王立ち、全身全霊で昭和ムード歌謡。腹に響く低音が艶めけば艶めくほどムード歌謡。「泥酔して迷い込んだ場末のスナックで突然歌い始めた常連のおっさんが無駄に上手くてビビる」という、深夜の歓楽街のあの感じ、溶けた氷で極限まで薄まった水割り、円いエンブレムのついたマドラー、金紙に包まれた一口大のスモークチーズとキスチョコとかっぱえびせんの盛り合わせ、そういうアレな。いやいやいや『ドリームガールズ』こんな話じゃなかったよね!?

 挙げ句、飛び出して来たギャルズ四名が、割とガチに露出度高い黒いショーガール風の衣装で、割とガチにタカラヅカ歌唱。「オンリーワンナーイ、オンリーワンナーイ、オンリーワンナーーーイ!」とカタカナ発音の高く高く澄んだ裏声で三回繰り返されて、「わーこれ、すみれコードの範疇で夜の女を演じると濃い厚化粧&清純な歌声の悪魔合体でケバケバになる例のアレじゃん! パレード手前によくあるやつじゃん!」と滾る。振付も「ワン・ナイッ・オン・リィ!」って一本指を掲げて左右と前に振って片脚蹴り上げて仁王立ちしてドヤァッ、みたいな、目の覚める野暮ったさ。

 日本語訳詞もすごい。「私があなたに一夜限りの愛の歌を捧げます〜」「月が紅く夜を焦がす〜」みたいな特濃仕様になってて、アレですね、轟悠様が「Summertime」を歌うと子守唄が「蒸し暑くて眠れない夜〜♪」に化けるのと同じ、ヅカ特有の超訳魔改造……いや『ドリームガールズ』こんなじゃなかったよね!? ビヨンセどこ!?

 というわけで、三回観ても三回とも「泥酔した(略)場末のスナックで(略)おっさんが(略)いきなりガチのヅカレビュー始めてビビる」しか感想がない。ドン引きである。でも二度目にはなんだかクセになり、三度目には着席して開演ブザーが鳴った頃から「早く……早くアレをくれ……!!」と禁断症状が出る中毒性の高さ。さして大きくはない大階段をノリノリで駆け上がり駆け下りる姿、目が慣れてくると本当に「男タカラヅカ」「禅組トップスターお披露目公演」という形容がぴったり。褒めてるんですよ! でも私が知ってる『ドリームガールズ』こんなじゃない(三度言った)(3rdだけに)。

■M02/「ヘロデ王の歌」(ジーザスクライストスーパースター)

 ギャルズが舞台袖にいったんハケて、白と黒の羽根ボアをまとって再登場。そんな小道具一つで簡単にバブル感が醸し出せると思うなよ……と呆れつつ、謎の金満家っぷりがすごい。階段にどっかり腰掛けて侍らせた美女たちに頬ずりしながら手持ちマイクで歌唱するヘロデ王、「ジーザスさんよォ、2曲目もまだまだ『カラオケスナック禅』営業中じゃよー!」という感じ。

 え、ちょっと待て……もしかして今回、全編この調子のお寒い演出なの……こんなもの観にはるばる飛んできたの私……? と不安にかられたのは私だけではなかったようで、明らかに演者を盛り上げる曲なのに会場客席はシーンと静まり返っている。千秋楽三回目にしてようやく、我ら全通組の気持ちの整理がついたのだろう、あたたかい手拍子が発生してホッとした。偉いぞ俺たち! こういうのはノッたもん勝ちだ!

 で、冒頭こそ「権力者のじじいとピチピチギャル(死語)」の演技が決まってるんだけど、「水をワインに変えてみろよさぁ♪」で人差し指を前に突き出してくるくる回す振付があり、そこは五人一列に並んで全員で同じ仕草するんですね。……センター張ってる禅ちゃんが一番きゃぴるんしたアイドルっぽい指の回し方で、一人だけクネッと余計に腰入れて隣の子と差をつけるようなあざとい動きしてて、一番かわいかったよ……。とんだJCS48である。たしか乃木坂46辺りにこんな娘いた気がするー、と思わせるヘロデ王。ゴルゴダ46。

 「パンのかけらで♪」で持ち上げた手をくしゃっと潰すと、砂漠の気候で乾いたパンのかけらがボロボロっと宮殿の床に落ちていくのが見えるようで、本当に「指先までもが歌いだす」という形容にふさわしい。おちゃらけたっぷりの歌い方で禅ちゃんらしさを前面に出したあと、「うせろ!」からのドスのきいた声は、いきなり市村正親が憑依したかと思うほど。いや、私は市様ヘロデ王は生で観たことなくてコンサートしか知らないんだけど。それでも、いっちゃん直系ヘロデという感じが強かった。

■MC1

 「ようこそお越しくださいました」「2ndの半年後に同じ場所でさせていただけるとは夢にも思わなかった光栄です」といったご挨拶、「ご覧いただきましたように、今回は四人のギャル(死語)たちを従えて、歌い踊ります」とか、「メドレーをすべて数え上げると24曲も歌う」「しかも、うち8割が新曲!」といった構成の紹介。一つ一つに大きな拍手が上がる。

 一回目はとにかく、本人の緊張がビシビシ伝わってくるようなMCだった。三回目のギャルズMCで判明したのだが、稽古場ではずーっとしゃべりたおしていた禅ちゃん、初日開演前には人が変わったように終始無言で俯いていて、彼女たちは「ぜ、禅さんほどの人でも緊張するんだ……」と驚い(た上に、みんなでその緊張をもらってしまっ)たんだそうな。さもありなん。

 階段最上段の上手側に小道具置場を兼ねた給水スポットがあって、それとは別に上手袖にもスタッフが控える隠れ給水スポットがある。一回目、「この会場はものすごく空気が乾燥しているんですね、失礼して、さっそく給水させていただきまっす!」と、階段上で給水し、ジャケットを脱ぎ、降りてきてMCを続け、「えーと、いや違う、わたし今まったく段取りと違う動きをしましたね! お水はこっち(上手袖)にありましたし、ジャケットは、ここで脱いで渡すんだった……」とぶつぶつ言って、階段上と階段下の給水スポットを忙しなく往復する。完全にテンパッている。

 「(冒頭二曲ダンスナンバーが続いて)もうすでに息が上がってるんです」と言うんだけど、明らかに余計な動きを自分で増やしてさらにハァハァ言っている。二回目三回目はすっかり開き直って、一回目より強めにスポットライトを当てられている円の中にみずから陣取って、ちゅーちゅー水を飲む姿を観客に見せつけ、左右に首を振ってブリッコぶってみたり、腰に手当てて「牛乳飲んでるお父さんみたぁい」と言ってみたり、水飲み鳥の真似をして「この元ネタがわかる人は僕と同世代!」と笑ってみたり。

 スポットライトの直下で斜めに虚空を見上げながらストロー挿したボトルの水をちゅーちゅーしてる姿、キャトルミューティレーションで宇宙船に召される五秒前に見える。浮いていきそう。控えめに言って、クッソかわいい(愛)。歌を聴きにきたんだか、水飲んでる姿を愛でにきたんだか、一瞬わからなくなる。

■M03/「こいつはサーカス」(エビータ)

 ジャケットを脱ぎ、黒いシャツに黒いジレを重ねた黒一色の装束で、始まったのは、なんとも意外なこの選曲。ぐいぐい物語に引き込まれ、冒頭二曲のうすら寒い雰囲気(失礼)をぶっ飛ばす、ミュージカル俳優の真骨頂とも言える名芝居。「アルゼンチンが世界の新聞の一面を飾る」と歌っただけで、世界中に配達される新聞のインクの匂いや紙のざらつきまで見えるよう。なんでこんなことが起きるのかまるでわからないけれど、これだから、私はこの人の歌が好きなんだよ!! ある意味ここからが本編!!

 「やがて葬式の煙消えてゆくとき、消える幻♪」という歌詞の「葬式の煙」のところでふわっと片手を高く掲げてしゅっと煙の消えるジェスチャーをするのだが、この手指の動きが「パンのかけら」に引き続き本当に美しくて、この数秒だけを永遠に眺めていたかった。狂言回しが葬式の煙を消すと、幻も消える。

 ギャルズ四名は喪服で登場、葬列を表現しながら女声コーラスパートを担当。横一列に並ぶ喪服の女たちを上手側から覗き込み、いつものあの「首振り人形のポーズ」って言えば伝わりますかね、小首を傾げて驚いた表情で「何歌ってんの、信じらんねーな?」って顔を作り、それをおどけて小刻みに振ってみせる禅チェの、キッチュさ。『エリザベート』のルキーニも観たいなぁ。

 心底エビータと民衆を馬鹿にして「鼻で笑いながら歌う」芝居を多用してみせる。強烈な想いを発露するのに喜怒哀楽のうちから迷いなく「楽」を選ぶ、そのエネルギーをガツンと聴衆にぶつけてくる、躁っぽいチェ。確固たる信念や情熱があり異議を唱えるというよりは、ただただ徹底した「悪魔の代弁者」「冷酷な観察者」という造形に見えた。それゆえに、曲調が変わる「歌えバカども大間違いを♪」からは少々、迫力に欠ける感も。ニヒリストだから「怒」がないのだ。決め台詞の「あんなもの政治じゃない♪」だって、歌の勢いに任せてうっかり過激な言葉を選んじゃった、というふうに見えて面白い。

 民衆を魅了した人名「エヴァ・ペロン」を敢えて「えば、ぺ、ろん」という間抜けな呪文みたいに唱えて一笑に付すチェ。笑っていても演技過剰にならず、美しい旋律は絶対に崩さない。本当に「歌で演技する」ことが上手いよな。惚れ惚れする。本役で全編通して観たい!

■M04/「Sunset Boulvard」(サンセット大通り)

 前曲のラスト「しろよー!」が堂々たる歌い上げで終わると、踊り狂っていた喪服の女たちが舞台下方でフリーズ。階段を下り、一人ずつ肩にそっと触れていく禅ちゃん、触れられるとビクッと我に返って怯えた表情で逃げ去っていく女たち。追いかけるように流れる不穏なイントロは「サンセット大通り」。冗長に説明くさくなりがちな難曲を、よくぞここまで聴かせるなぁ。「俺はライター」のところで詞が走らない歌い手、初めて観たかも。まぁ酸いも甘いも噛み分けた、人に歴史ありという歌い方で、だいぶ年嵩に見える脚本家ですけど。

 これまた「観察者」の歌というか、自分の欲望以上に他人の欲望について歌う歌なんだよな。ゴールドラッシュの時代からつねに欲望が渦巻くハリウッド、ドロドロしたそのうねりの淵で必死に踏みとどまる姿。一方で、喪服の女たちが逃げ去っていくという演出から、作中の「あらかじめ死んでいる」ジョーを表していて、「こいつはサーカス」からつながってくる死の匂いが見事だった。単に曲順だけならどうってことないのにね、一曲一曲のイメージをつなげて、どこにもない一つの物語にしていく表現力。

 私はつねづね、禅ちゃんの人物造形は萩尾望都作品っぽいなぁと思ってるのだが、これはむしろ竹宮惠子作品キャラっぽかった。感情より理性重視、でも精神より肉体重視、次のコマでどんな心にもない暴言を吐くかまるで予測できない、メンタル乱高下する男。まぁ、どっちに転んでも少女漫画に変わりないのだがね! 何回目だったか、最後のロングトーンが素晴らしくよく伸びていた回があって、拍手を忘れるほど。

■M05/「As If We Never Say Goodbye」(サンセット大通り)

 くるりと客席に背を向けると、もう女性になっている。どうしてそう見えるのか、三回目にしてやっと理解。足の運び方なんだ。いったん顔を隠して一呼吸おき、階段を上がるとき腰をひねって内股で足を斜めに差し出す。その仕草だけでもう「女形」になる。といっても全然ナヨナヨしていない。必要最低限の動きだけで「男の歌う女歌」が始まるとわかる。臀筋から背筋にかけてがっちり締まった頑強な男性の肉体を、女優の亡霊が乗っ取ってしまったように見える。タイトなドレスとたおやかにくびれた柳腰のラインが見える。そんなもの目にしていないのに。

 というわけで、禅ノーマ、取り憑かれたような歌い方。誰にも似ていない女声。これぞ年の功、「若い気持ちを失っていない、童女のような老女」がナチュラルに演じられ、そりゃもう年頃の女優が歌うよりずっと説得力があるよね。あと、ここ照明が美しかったです、ねっとり濃密なスモークを照らしてエメラルドグリーンに輝く、手に触れられるような厚みのある光の柱が「彼女」を取り巻いて、そして、客席にまでたれこめてくる。すべては銀幕が見せる虚構の光なんだけど、フィルムに焼き付けられると、永遠になる。マーックス!(感嘆符)

 「世界が私、待っている、私はもっと大きな星に、輝く姿見せよう」「震えるこの手が知ってる生きがい、他にはない」という歌詞が染みいった。私にとっては「狂気と緊張、創作の魔法」って禅ちゃんのことだよ、はー、マジで。劇中のノーマは悲しい結末を迎えるが、この人には若いとき以上に、50代の今からもっともっと輝いてほしいなと。

■MC2

 ここまでは「ALWの曲を立て続けに歌った」という曲紹介。「イエスキリストって英語でなんつったっけ?」というクリスチャンにあるまじきボケ、ノーマの長い曲題をなかなかうまく言えずにカタカナで唱える姿、すでにして異様な緊張が伝わってくる。なんたって次は、ダンスメドレーである。

 ジレを「えーい、もってけ!」と上手袖へ放り投げ、薄手で細身の黒いジャケットを羽織り、音響さんにハンドマイクをオフにしてもらって、ヘッドセットをオン。給水。乾燥対策で黒い小壜に入った「秘伝の蜜」というのを飲んでいた。はちみつレモン的な、自家製の喉にいいエッセンスらしい。ねぇ、ここちょっと『不思議の国のアリス』の「Drink Me」に見えませんでした? 私には見えました、禅アリスリデル。そろそろ眼科行ったほうがいいですかね?

 一回目、二回目は、全身から「やだなー、やだなー」みたいな空気を漂わせていて、それを隠さずに正直に客席にも表情で伝えてしまうものだから、事前告知で何が始まるか知っている客席から、クスクス笑いが起きる。みずから「新しい挑戦」とは言えど、自分から言い出したんじゃなく、プロデューサーなり黒幕なり、何か大いなる力が働いて今回は「踊らされている」のだ、ということがわかる一コマ。

 それにしても、なぜいきなり「歌って踊れる50代」路線を目指すのか? この年齢にもなってまだ事務所が売り出し方を模索中なんだから笑うしかない。ひたすら歌声に魅せられたファンにしてみれば、別にダンス能力とか求めてないし、そんなに嫌なら無理に踊らされることないのに、と思っていたんだけど。でもこの「学芸会の発表の前にもじもじする子供みたいな禅ちゃん」が観られただけでもプロデューサー超グッジョブというか、もはや本編どうでもよくなる(笑)。

 「よっし、よいしょ、うげー」「はー」「さー、さああ、うまく行ったらお慰みー! ミュージックスタート!」なんて掛け声で始まる。二回目は、超絶かっこいい細身のジャケットスタイルのまま舞台中央で仁王立ちして「おいしょー」とベルトひっつかんでズボンをズリ上げていた。「どうも昭和の男は、ここ(臍上)まで上がってないと落ち着かないんですよね(笑)」とか言ってて、お衣装が台無し。ときめく……。

 そして三回目はとうとう、ヤケクソ状態で「さーて、始まりますよー、『禅ちゃん頑張るの巻』〜!!」と、めちゃんこかわゆい掛け声とともに「えいっ」と拳を振り上げ小首を傾げてスタート。あまりの萌えに会場内でもキュン死者続出、客席全体から「ひあああ!」と悲鳴が上がる。我々ファンが他称するならまだしも、52歳男性が本人から自称していいコーナー名ではないだろ……バカ、最高、大好き……(語彙力喪失)。

■M06/ダンスメドレー(「Luck Be A Lady」「Singin’ In The Rain」「I Got Rhythm」「Steppin’ Out With My Baby」「Sing Sing Sing」)

 だがしかし、本当の悲鳴はここからだ。一曲目「Luck Be A Lady」がいきなり超カッコイイ! どうしたよ! 斜に構えてポケットに両手つっこんで、「They call you lady luck♪」存分に張り上げる低音が、まだヴァースとは思えないほど圧巻の声量。ちょっともう今すぐブロードウェイデビューしようよこのひと! と気分が上がりまくる。まぁ「And so the best that I can do is pray♪」については「このダンスメドレーがうまくいくかは、天に祈るしかないぜ〜♪」という自嘲にしか聴こえないんだがな、これを冒頭に持ってくる演出、座布団一枚(笑)。

 飛び出してきたギャルズは銀の中折れ帽で「Get Happy」のジュディガーランド風。肩を揺するだけのエロっちい焦らしプレイが続いた後に侍らせた女性陣とガンガン絡んで、キザったらしいキレのある踊りが映える。エレクトーン一台とは思えない、ホーンとベースの効いた編曲もよい。まぁ正直バンド生音で聴きたいけども! これがたった一人の腕から紡がれてる生音かと思うと、それはそれで敬服する。「Luck be a Lady tonight♪」のメロディーが繰り返される単純な曲なので、囁き声とか、笑い声とか、毎回の歌い方を変えてくるのが一つ一つわかって良かったなー。

二曲目は「Singin’ In The Rain」、うってかわって禅ちゃんかわいいの巻。女性陣はピンクの傘とピンクのトレンチコート、主演は階段最上段から黒い傘を取り上げてパッと開く。ジャンプ傘をこんなにドヤ顔で開くジーンケリーどうなの! 萌える。るんるんの女声コーラスもついて大変かわいらしい振付に後半からタップが加わる豪華編成。「ヤン!」っていうあのヅカ的掛け声入れててかわいかった。でもこの曲は、1stコンサートでたった一人で「はっぴー!」って全開で歌い踊ってたのが本当に嬉しそうでなー。3rdはダンス優先で歌がだいぶセーブされてしまい、私は1stのバージョンが恋しかった。

 ここで曲替わりタイミングに傘をしまって給水休憩、「まだまだいくよォー!(疲)」とヤケクソ声を上げてから、袖へはける女子二人がコートと傘を片付け、残った女子二人を従えて「I Got Rhythm」へ。一回目はアドリブだと思ってたけど、毎回同じところでまったく同じように「まだまだいくよォー!(疲)」言ってたので、この「(疲)」のヘロヘロは少し演技が入っている。「おっさんが老体に鞭打ってる芝居」というか。それで踊りだすとあれだけキビキビしてる、ギャップ萌え狙いの演出。AZATOI!

で、肝心の「I Got Rhythm」は、なんかじたばたしていた……(愛)。続く「Steppin’ Out With My Baby」と一続きになっていて休みがないので、両方とも「何者かに操られて踊らされている」感が最高潮マックス。足さばきは華麗と呼んでよいものなのだが、だんだん肩が上がって、首が詰まってくるよね……何をここまで必死に踊る必要がある、とこちらも固唾を飲んでしまう。女子二人に挟まれて腕を組みながらクロスステップで横移動する動きがあるのだが、完全にFBIに連行される宇宙人。かわいいけどさ!

 真実ダンスの上手い人って、本当に何でもないように涼しい顔でケロッとしながら踊るじゃないですか。歩くのと同じ柔らかさで跳躍したりするでしょう。そこいくと禅ちゃんはもう「頑張ってます」と顔に書いてあって、艶っぽくキメるとこでも「ただいまフェロモン出血大放出中です」って看板を掲げているような表情で、それはそれでめちゃくちゃ愛しいんだが、やはり本職ダンサーとの差を思い知る。「マリウス、休め」って言いたくなる。彼を帰して、うちへ。こっちも見守るのに必死すぎて振付の詳細はまるで覚えてない。

 で、最後は「Sing Sing Sing」なんですが、ここへ来てようやくの客席へのハンドクラップ要請。もうダメですこの演出「元気玉」しか思い浮かびません、最後の曲は地球のみんなが手拍子してオラに元気を分けてやらないと続きません。決死の手拍子。全編英語詞メドレーもここまで来るとグダグダで、日本語だとあんなに滑舌のいい禅ちゃんが、何歌ってるか全然わからん、でもスキャット部の「びっびっびーばっばっばだー」(原文ママ)が死ぬほどかわいかったので許す。とにかく転ばなくてよかったし、コーラスとユニゾンになるところが音程ズレなくてよかった(合格点設定が低い)。

 あらゆる意味で拍手喝采、終わると同時に「ぼえーーー」みたいな声だして、ヘロヘロと階段最上段の早替わりコーナーへ移動、給水、汗拭き、また「うごーーー」と唸り、「後からブワッと汗が吹き出して来んのよー!」「私に、もう少しだけ、時間をください(疲)!」と言って笑いを誘う。でもこれも、ちょっと芝居入ってるんだよね。なぜなら、全公演、毎回同じフレーズを、舞台上の「台詞」として言うからです。それがわかってきてからは楽しい。

■M07/アランメンケンメドレー(「Under The Sea」「Friend Like Me」「Be Our Guest」「Go The Distance」「Part Of Your World」「美女と野獣」「A Whole New World」)

 ゼーハーゼーハー言いながら、階段下にどっかり腰を下ろす。自然とクロスした両脚が愛らしい。森さんの伴奏はピアノ音色に変わり、ゆるゆると甘い曲を奏でている。「ほあー」とうっとり聴き惚れる仕草をしながら音に合わせて身体を揺らす禅ちゃん、普段は見られない素の姿っぽくてよい。このままBGMつきのまったりMCタイムでも始まるのかな、と思いきや、ふわっとマイクを手にため息をつくように、めちゃくちゃ甘い声で

 「すーばーらしぃーーー♪」

 というわけで、小休止かと思ったら大間違い! ほとんど休む間も無く、MCも挟まず、ダンスメドレーからのソングメドレーに突入! 怒涛か! ていうかさっきまでの「おっさんもう踊り疲れて動けませーん」っていうの、あれ、ただの演技……!? ゼーハー言いながら座った姿勢からいきなりその声量、「素」ではありえないでしょ、完全にいつもの名芝居の一環でしょ、どんだけ余力残してるんだよ、とんだ北島マヤ(52歳男性)だよ、恐ろしい子……!!! この、まんまと騙される感じが最高に好きです。木戸銭払って座って観てるだけで、世にも麗しい人力の詐欺行為によって夢と魔法の別世界へまんまと連れ去られてしまう。ありありと、虚構だけが在る。この世にこれほど楽しい娯楽があるだろうか。

 舞台最奥に白いキャンバス風の幕が下りてマリンブルーの照明が当たり、いつのまにか「Under The Sea」が始まっている。原曲の能天気なノリとはまるで違うバラードアレンジで、何もかもが不意打ち。そして歌詞は「すばらしい すばらしい 海底で のんきにしていよう 陸じゃ 立ってるだけで くたびれるけれど 海じゃ うきうき 自由なのさ Under The Sea♪」。つまり「ダンスメドレーが終わって、立ってるだけでくたびれるので、海底でのんきに歌わせていただきます」という話運びなのだった。ざ、座布団三枚!!!

 ところでこれはTM NETWORKファンにしか通じないネタなんですが、我々FANKS!にとって、「すごい汗ー」「バラード一曲分だよ」「海の中にいるみたーい」てのは、ピロートークを指すんですね。つまり私にとっては小学生の頃から「汗+バラード+海の中=セックス(坂元裕二脚本)」という連想が刷り込まれてまして、……これは濡れ場でしかなかったね。海だけに。石川禅の石川禅による石川禅のための一人芝居「Crazy For You」ですよ! はー、なんじゃそりゃごっつエロい! 俺の股間の伊集院光が笑い出して止まらねえよウォウウォウウォウ! 局地的にめちゃめちゃ刺さりました、ごちそうさまでした(鼻血)。まぁ原曲ではたしかカニみたいな生物が歌ってたはずですが。うるさい黙れ。

 この「Crazy For You」連想に始まり、ひたすら艶っぽさに目の行くメドレーだった。全部ディズニー作品なのに、性的に過ぎる。さわりの短いフレーズだけでギュンギュンにあてられて、その意味ではコンサート全体で一番インパクトあったかも。

 いつのまにか立ち上がって、上段まで来て給水、その間をピアノがつなぎ、「勇敢なアーリッババッもッ♪」と歌うと、森さんが渋いフェイクで応じ、思わず禅ちゃん両手をかざして「イェー」。そして「千夜一夜の美女もッ♪」でまた激しい超絶技巧的アドリブ。これまた「すっごーい!」と歓声、そこから流れるように「Friend Like Me」。

 「勇敢なアリババも(イェー) 千夜一夜の美女も (すっごーい)魔法の力 使えたわけじゃないさ あなたはツイているよ 秘密兵器があるから 何か困ったときは ランプこすれば俺が イェッサー! ご主人さま、お呼びでしょうか 役に立つぜ俺は 理想の相棒さ♪」

 二回目だったと思うが、「アリババもッ」のあと歌声を止めるのに口をプッとふくらませてアンパンマンみたいな顔作ってた(萌)。三回目あたり「すっごーぅい」と言うべきところを「しゅごーい!」と言ってた(萌)。なんでこんな自由自在に瞬間的に2歳児になれるのこの52歳児(萌)。そして「Yes, sir!」の掛け声とともに、下手側から客席降り。がっつり客電の灯った通路の傾斜を上がりながら、闇夜を照らすランプの精、両脇の客たちの上空をふわーっと飛び回り、媚を売り売り「ご、主、人、さま、お、呼、びーで、しょうかー?」と囁き声でにじり寄って来る、当店ナンバーワンホスト石川禅(52)。エ、ロ、い、で、す、よ!! はー、なにこれなにこれなにこれ何段シャンパンタワー積む!?

 ただ「エロかった」と言っても曲目の羅列だけだと全然伝わらないと思うのだが、いや、あれはだいぶ狙ってやってたと思うのよね、先様も。こう、相当の気概をもって、完璧に役作りした上で、客席降りてきたと思うのよ。場末のカラオケスナックが繁華街のホストクラブくらいにはなったよ。冒頭ワンナイトオンリーで寒気すらおぼえていた私がこれだけキャーキャー言うのだから間違いない(しつこい)。

 「Under The Sea」に引き続きピアノだけのジャジーなアレンジで、アダルトです、禅ジーニー、いかがわしすぎる。禅ジーニー・オブ・ジョイトイ(その語呂よ)。こんな従僕を雇ったら夜な夜などんなサービスされるのかわかったもんじゃねえ。ランプこすれば秘密兵器(卑猥)。いやー、いいなー、「色悪」でも「恋する阿呆」でもなく、存在そのものがえっちい役。今まで観たことない気がする。50代は是非こちら方面を攻めてみてはいかがでしょうか。

 中央通路まで来たところで下手側の出口扉まで突き当たり、私の記憶貯蔵庫に永遠に刻まれるであろうあの白地に大きく「閉切」と書いてあるめちゃくちゃ悪目立ちする看板の前でくるりと反転。一呼吸置いて、満面の笑顔で「びー、♪」と歌い始めた瞬間、いくらディズニーに疎い私でもこればかりは次の曲がわかってしまい、「やめて禅ちゃん! 『Friend Like Me』からの『Be Our Guest』なんて、もう私のライフはゼロよー!」とすでにして息を引き取り昇天しかける。

 「ビー・アワ・ゲスト ビー・アワ・ゲスト おもてなしだよ いっぱいおいしいもの召し上がれ 信じてちょうだい世界一です この味この色お皿も素敵よ 仔牛も豚も さあ召し上がれ 一気に気分が変わる (*) 美味しきゃアンコール もいちど さあさ ビー・アワ・ゲスト ビー・アワ・ゲスト ビー・アワ・ゲスト♪」

 あらためて読むと、なんなのこの歌詞……「くっ、悔しい、俺がご主人様なのに使用人ごときにめちゃくちゃにおもてなし(淫語)されてしまった……」的な、エロ漫画でよく見るアレですね、間違いない。「俺の供した世界一の皿を賞味しろ」というよりは、「世界一の俺そのものを食え」って聞こえる。これも『ユーリ!!! on ICE』観てる人にしか伝わりませんが、今この時、石川禅は、燭台というより、もはやカツ丼ですよ、カツ丼であると同時に街一番の美女、日本ミュージカル界の遅咲きのエース! 全力で俺を誘惑してみろ! 「愛について〜Eros」!(←言いたいだけ)

 今まで長らく錆びついていた埃を払うときだ、ってはしゃぐアラフィフ給仕人、プライスレス。中央通路を横切りながらの「一気に気分が変わるーーーーーーーー♪」で、来ましたご自慢の、ブレない、ヨレない、ヨセてアゲる、天使のマシュマロ夢見る豊満ロングトーン。拍手でストップがかかり、目が合った中央通路沿いの客を順番に「いらっしゃいませー、いらっしゃいませー、今日はどちらからいらっしゃいました?」とイジッていく。

一回目の私がこちら。(後方17列目中央)
https://twitter.com/okadaic/status/838769375922434049

二回目の私がこちら。(後方15列目中央)
https://twitter.com/okadaic/status/839025225031282688

三回目の私がこちら。(前方6列目中央)
https://twitter.com/okadaic/status/839093619021664256

 この、客いじりをされる中央通路席というのがたしか7列目なんですね。とにかく三回目のニアミスっぷりはすごかった。背もたれを挟んで、こちらに向けた本人の背中がつつけるほどの近距離にありながら、ちょうど真後ろにいた「海外からお越しの」私、めっちゃ挙手したのに全然イジッてもらえませんでした。来たよー、いるよー、全通したよー。

 まぁでもちょっと禅ジーニーと禅ルミエールのコンボに本気でメロメロにやられまして、全然ぐいぐい押してく気になれなかったね。だって歌は「夢」じゃん。いきなり途中で「現実」のMCが挟まって何か問いかけられても、そんなの機転効かせて答えられないよ、現実世界での居住地がどこかとか忘れてるもん、私は私の「夢」の中で心臓守るのに必死だよ。どうせ挙手を当てられてもキョドッて終わったよ。んもー、たとえ全然気づかれなくたっていっつも見てるっつの、俺が貴様の紫のバラの人だっつの!////(←自分で書いておいて意味がわからない)

 というわけで、「海外からお越しの」と言われた二回目とくにめちゃめちゃドキドキしたのだが、これで終わらなかったのが二回目。私の席、15列目すなわち傾斜中腹の、上手側、通路沿いだったんですよ。はい、中央通路を横切って登って来ましたね、私のところへ、禅ルミエールが。

 原曲も原作も離れてジーニーとルミエールが悪魔合体した結果、メフィストフェレスみたいなエロい新キャラが爆誕した客席降り。あの「ご主人さま、お呼びーでしょうーかー?」は一言命令したら魂まるごと持ってかれるやつやで。ルミエールも仔牛や豚と称して何肉を供してくるかわからんし、一口食べたら冥府のゲストになって帰れなくなるやつやで。堕ちるで、性的な意味で。そんなエッロい禅ルミエールが、私めがけてまっしぐらに酒池肉林を駆け登って来て、文字通り目の前で止まって、そして私のためだけに、……絶頂迎えて神の子ヘラクレスになりましたね。え、あれ、私だけにでしょ? 眼科より先に精神科行ったほうがいいですか?

 「行けるはず I can go the distance 恐れない 瞳と勇気 本当の愛求め 光輝くその場所を 目指し♪」

 闇夜にうごめく悪魔的な誘惑者から一転、太陽より眩しい気高き大英雄、天にも昇る禅ヘラクレス! この構成は文字通り神がかっていた。すぐ目の前、かぶりつきの席、あまりの近さに顔を直視できないほどだった。あ、ジャケットの胸ポケットのところ黒いラインストーンで縁取りしてあるんだなー、ってそこばかり見つめていた、顔が見られなくて。で、そうしてると着衣越しに胸郭の広がりがありありと伝わって来て、肉感エッロ! って発狂しながら聴き惚れていた(結局エロか)(世界に伝えたい石川禅の着痩せマッチョ肉体美)。

 手指を大きく高く広げて、体をバッと開いて歌う姿が好きなんだよね。この体を開く、というか「歌声に肉体が開かれている」感じが、傍で観ているだけでもすごい多幸感。澄みわたった声が、喉からだけでなく全身からきらきらきらきら放たれているように見えて美しい。肉体の限界と共にある技巧を超えて、無限の表現力が開かれていく瞬間というか。あの数十秒間だか一分間だか、本当にいいもん浴びた。拝む。

 また歌詞がね、海外からお越しのお客様には、めちゃくちゃ刺さるんですよ。やだ何これ私の歌じゃん、光輝くこの場所を目指して、すべてを捨てて恐れずに飛行機とばしてきたよ、運命が俺を導き君へと続く道を作ったよ、あーもう貴様のためならアイキャンゴーザディスタンス(片道14時間半)だっつの……!!//// となる(語彙力)。私がいま死んだら走馬灯の最後の止め絵はこれだな、と思えるキラッキラのヘラクレスでしたね。

 誰もが知ってるナンバーにのっけて男性的魅力でぐいぐい押して来る構成よいわぁ、とうっとりしているところで、やにわにプリンセス。上手側の来た道を中央通路辺りまで下りて来て、立見席の手すりにもたれて「Part Of Your World」。終演後、今回初めて「カフェソング」を聴いたという友人に「(岡田さんがずっと騒いでる)禅マリってあんな感じだったんですねー」と言われて、思わず「いや、今回に限っては、カフェソングより禅アリエルのほうがよっぽど禅マリだった!(キリッ)」と口走っていた。自分でも何を言っているのかわからないが、禅マリは天使。禅アリエルは奇跡。

 「人間の住む国で 見たいな 素敵なダンス そして歩く なんて言った? あ……足 ヒレじゃ遠くへ行けない 足が要るわ 踊ったり 散歩したり どこを歩くんだっけ? ……道 歩いて走って 日の光 浴びながら 自由に 人間の世界で♪」

 おわかりですか皆さん、52歳の中年男が演じる、16歳の人魚姫ですよ。「なんて言ったっけ? あ、……あ・し!」で、もどかしげな上目遣いからパッと顔を輝かせて、心底嬉しそうに自分の下半身に目を落とす。そこには52歳のおっさんのサテンパンツに包まれた脚があるはずなんですが、「人類は、ここに、足が生えてるのよね」と俯いてひとり微笑み、愛おしそうに「あ・し」って名称で呼んでみる、その子の下半身は、もう魚類。「ヒレじゃとーくへゆけない……」とふるふる揺らしている下半身は、むなしく水を掻くヒレにしか見えない。実際にはコンサートホールの通路の空中で軽くバタ足してる52歳(略)の脚しかないのに。なんなの!! これが夢と魔法なの!!

 役者の芝居の中に架空のキャラクターが息づく瞬間はいくらも観てきたが、「ああ、このおっさんこそが、ディズニープリンセスなんだな……」という驚異のシンクロ率を目の当たりにするのはまた別の感慨である。肥えに肥えたオペラ歌手が、歌だけで絶世の美女に見える瞬間とかに近いかな。客の笑いを取るわけでもなく、奇を衒って見世物めかすわけでもなく、ただ、適任の俳優が、適任の役柄を演じているだけなのだ。

 転調なしでシームレスに「美女と野獣」、華奢な人魚姫はあっという間に巨体の野獣に代わり、「いつの世も 変わらぬは 恋心 心奪う 突然に 眼差しに 想い寄せつ 気遣いつ 墜ちてゆく 恋の淵へ♪」と独り言のように歌い終えるまで、客席最前列の前を横切っていく。

 単に「歌が上手い」とは一味違う。「声で演じ分ける」ってことなんだよな。体の深奥から低音が響くと、そりゃあ胸板の厚い毛深くて大柄な男に見えるし、ふわふわ明るい声音をふりまけば、浮力のかかった水中のプリンセスにも見える。そういう特殊技能。変な話、もっと歌そのものが上手い人はこの世にたくさんいるんですけど、声の芝居では一番好きなんですよ、この人が、私は。続く「A Whole New World」では、この汚れた俗世に生を享けて五十年過ぎて、いったい体のどこからまだそんな清涼感ある音が絞り出せるんだよっていう、さわやかな青年の声。野獣の体毛が一瞬で消えてトゥルットゥルですよ。

「見せてあげよう 輝く世界 魔法のじゅうたんに身を任せ 素敵な 新しい世界 二人きりで 明日を 一緒に見つめよう このまま 素敵な 世界を 見つめて いつまでも♪」

 ……で合ってるかな? この曲だけ、デュエットを無理矢理に一人で歌うので、端折り方が独特だった。「いつーまでもー」の高音が、囁き声でファルセットという出るか出ないかのギリギリを攻めてて、ダンスメドレーとソングメドレーが続いた最後の最後を、よくもわざわざこんな難曲でシメるものだと驚いた。さすがに裏返る回もあったけど、とにかく見せつけられた。天晴です。

■MC3

 「ダンスの疲れを、歌で癒す」とでも言うのだろうか。あんなにヘロヘロだったはずの人が、あれだけのメドレーを二つ歌いこなして客席を縦横無尽に動き回り、そしてふたたび舞台中央に戻って来たら、ケロリとしている。しかも後半は後半でまたカロリー消費の高い難曲が目白押しなのに、ダンスメドレーを片付けただけで「はー、終わった終わったー」と言いたげな余裕綽々の表情。恐ろしい子……(白目)。

 「何もディズニーメドレーにしたつもりはなくて、出演していた『天使にラブソングを』が大千秋楽を迎えたので、作曲家アランメンケンに、極めて個人的な感謝の気持ちを込めて、彼の作品を集めてメドレーを作ったら、全部ディズニーナンバーになってしまった」とのこと。そんなヲタっぽい説明しないでもっと媚売って、井上芳雄的な、ディズニーうたのプリンスさまっ的な、TV特番に呼ばれるような座を狙ってもいいのに……。三回目は「なんていうのかな、感謝? 称賛? 『ありがとうアランメンケン』メドレー! です」と命名していた。「禅ちゃん頑張るの巻」といい、このほとばしるネーミングセンスをどうしてくれよう。

 下手側から銀ジャケットを携えた、なっちゃんこと柳本奈都子嬢が登場し、自称「お着替えターイム」。だからネーミングセンs(以下略)。なっちゃんが出てくるたび「四人の中で一番おねえさん」という余計な情報を付け加える。「俺の娘でもおかしくない歳の子もいるからね」と笑い、「でも私もそんなに年齢変わらないんですよ、数歳しか開きがないの!」とツッコまれていた。

 汗吸ってずっしりしてそうな黒ジャケットを脱ぎ、ここから最後まで、フロックコートをやや短くしたような、落ち着いた銀光りするフォーマルジャケットになる。襟元の外側が二重になってて別布で黒く縁取られていたのがかっこよかった。やっぱりカチッとした格好が似合うよねえ、と惚れ惚れし、ドラマ『三匹のおっさん』での老人役を思い出して遠い目になる。お達者倶楽部とは何だったのか。

 「どう、俺、イケてる? ネクタイ曲がってない? 平気?」と、向き合ったなっちゃんを鏡の代わりに使う禅ちゃん。男前な元娘役が無言で「グッ」と親指を立てると、ホッとした表情。これ「イケてる」って100回言ったら言っただけ100倍かっこよくなるやつやで、おだてるとどんどん高い木に登れるやつやで、我々も積極的に言ってこう。可憐でかわいい禅ちゃんもよいけど! 渋くてイケてる禅ちゃんも好きです!

 「前回、前々回と、多数のリクエストをいただいた中から、上位三つを回替わり曲にした」「もちろん他の曲もあるのだが、全部の要望に応えていると、毎回同じラインナップになってしまうので」といった話。ようやく後半戦、「ホームゲーム」が始まったな、という感じ。

■M08/回替わり曲:「メモリー」(キャッツ)、「君の歌をもう一度」(ラブネバーダイ)、「ありのままの私」(ラカージュオフォール)

 一回目は「メモリー」。これはねー。伝説の! 衝撃の! 1stコンサートでのあの、とんでもない熱唱がありますからね。二度目ともなれば、ずいぶん心穏やかに聴いていられた。私は1stの歌唱は、二度とない、本当に素晴らしいものだったと思うんだけど、歌い手本人はやはりあの「途中で感極まって声が詰まってしまった」を、落ち度のように感じていたりするのだろうか……? 今回は、技巧者の本領発揮、平常心におけるベストパフォーマンス、ノーミス演技で大変きっちり仕上げて来たな、という印象。「今」ここで私を抱いてくれたら後のことなんかどうでもいいの、と聴こえた1stと違い、「未来」を見据えて希望をつなぐような、地に足のついた、母性さえ宿したようなグリザベラ。私が行けなかった2ndでも歌ったそうですが、そちらはどうだったんだろうな。

 二回目は「君の歌をもう一度」。歌の上手い人が、私は歌が上手いですよ、と自分に酔った感じで歌うと大変映える曲。よく酔っていた(笑)。この曲は、演者の自己愛が強すぎるくらいの塩梅が好きです。で、歌い終えた後、ジ〜ンと感動していたら、素に戻ってMCを始めた禅ちゃんが照れ隠しなのか何なのか、あいた左手を下方でパタパタさせて、張り詰めた空気を掃き清めるような仕草を。フロックコートと相俟ってヨチヨチ歩くペンギンみたいでかわいくて、客席大爆笑。はー、台無し……。これが石丸幹二なら「以上、違いのわかる美声で美形のイケメンでした」って涼しい顔して普通に話しだすとこでしょ、ここ。知らんけど。なんでこの人は歌い終わった途端、終わった歌のイケメンぷりに自分で耐えられなくなって「掃除」してしまうのか。そんなことだからいつまでもアターソンなんだよ(←何かとアターソンに当たりが厳しい私)(←だって贔屓はジキルで観たいじゃない……)。

 三回目は「ありのままの私」。これも、良かったんです、良かったんですよ。そりゃ私だって生まれて初めて禅ザザの歌を聴いたときは「あーもう今すぐ『ラカージュ』やろう! 役替わりでアルバンとジョルジュ両方やろう! 現役60代コンビ至上主義者の私が許す! ファイナル詐欺の老夫婦はSP公演へ追いやればいいから!」って思いましたよ。でもさ、今回のコンサートはこの手前で、アリエル聴いちゃったじゃん……? 男性が男性のまま老いた異性装のゲイとして葛藤を歌う歌では、もはや耳が満足できなくなっていた感はある。今はなんかもっと本気で女性を演じる「女形」の芝居が観たいかも、と思うなどした。

 三曲とも、けっして出来が悪かったわけじゃないんだけど、いざ感想を書いてみると、私はやっぱり今回「新曲8割」という目新しさに対する喜びのほうが、ずっと大きかったようだ。聴き慣れた持ち歌は持ち歌でまたよいんだけどね。あと、この三曲は、次こそオーケストラ編成で聴かないともう我慢できない。森さんの編曲自体は悪くないんだけど、これほどの出来に、伴奏がエレクトーンってのはありえない。

■MC4

 いわゆる「物販宣伝コーナー」。吹き抜けを見下ろすホワイエ部分にテーブルが設置されているのだが、たびたび「物販の場所がわかりづらい」と言われたそうな。気になる商品は、プログラムと、マグネットと、……禅まんじゅう……。いや、最終日には買いましたけどね、買わせていただきましたけどね、そして完売してましたけどね、禅まんじゅう。今まで公式グッズが手ぬぐいやクリアファイルしかなくて、もっと他に売るものないのかな、本人に直に金を落としたいよ、いろいろ作ってよ、と思っていたものの、今は全力で手ぬぐいが恋しい。

 一回目からずっと「これは、私からのホワイトデーのお返しです。いや、今年そんなにチョコもらってないんだけどね〜(苦笑)」「一応メッセージカードも入ってますから。直筆だけど直筆じゃない直筆っぽく印刷してあるやつ(空中で30回くらい四角くカードの形をなぞる)」と、言わされてる感満載の台詞を繰り返す。

 ここ笑うところなのかもしれないが、私、言われるまでこの人に「バレンタインチョコを贈る」という発想がなかったね。この人が「ファンから届くチョコの総数を意外と気にかけている」のも新鮮な驚きがあったし、そして何より、「贈られたチョコに対するお返しなのに、客に金出して買わせる」ってのが、びっくりよ……! アイドル業界とかではごく当たり前の商慣習なんでしょうか? チョコ贈ってない私が言うのもお門違いだが、あなたに捧げたこの愛は、歌と芝居でだけ返してくれれば十分過ぎるほどよ……。買いましたけどね。

 ちなみに味についてご本人は「昨日食べたら、割と美味かった。いや、すっげー美味いとは言いませんけど! 普通に美味しいです」とのこと。帰国後に御茶請けにしてみたところ、家人が「ちっちゃくまとまっているから一口サイズで食べやすく、びっくりするほどウマいわけでもないけど、あると嬉しい、いると助かる、まるで石川禅ちゃんそのもののような味だね〜」と評しておりました。そんなことだからアターソn(略)。ま、たしかに俳優もお菓子も、あんまりウマくて食べるのがもったいない、もう他の味が食べられない、となるのは困りものだ。

 パンフレットは「気合を入れて豪華に作った」そうですが、三倍の値段を出すからもっともっと豪華に作ってくれよ! 次は東宝演劇部からもう五十枚くらいお写真借りて来ましょうよ! 「なんかあの、ごじゃごじゃごじゃーって書いてあるあの印を読み取ると、楽屋の動画が観られるんだって! すごいのね、今の時代は」とQRコード特典映像の説明もしていた。マグネットについては「まぁ冷蔵庫とかに貼ってください。えっ、冷蔵庫に貼るよね? うちは冷蔵庫です!」とのこと。うちも冷蔵庫です! 貼りました! そろそろ事務所が真剣に物販について考えてくれますように、と朝夕このマグネットに祈りを捧げているよ! 金を落とす準備は万端なので後は我々の購買意欲をくすぐってくれ!(切実)

■M09/「私だけに」(エリザベート)

 「さあさあ、さあさあさあさあ!」と気合を入れながら、降りてきた赤い緞帳の手前に出てくる禅ちゃん。緞帳前の狭いスペースから歌い始め、曲の途中でサアッと幕が上がってウィーンの光景が広がる、という演出。なんですが、森さんと合図が交わせないため、どの回だったか、まだMC途中で前奏が始まってしまい、歌い手も慌ててせっかくの歌い出しが「い・やよー(笑)、」と半笑いになるトラブル発生。超もったいなかった。

 細かい話ですが「細いロープたぐって登るの」でちゃんと「ロープたぐって登る」仕草を入れたのがよい。あそこ、劇中にもあるから「綱渡り」のポーズをとる人が多いけど、その場の歌詞に従うなら「崖登り」なんだよね。「義務を押し付けられたら出て行くわ私」のところで、満面の笑顔を見せるのが禅シシィ。普通そこ怒るところだろ、と思うのだけど、まだ自分が歌っている事の重大さに無自覚で、いたずらして叱られても全然むくれない、「うふふ、えへへー、義務なんか嫌いだもんねー」と、おっとりポヨポヨした声を出すのが禅シシィ。これは、禅マリだけが「なっははんだよォ、ふざけてぇ!」で笑うのと同じ、とても好きな特異点です。

 三回連続で観られたのでわかったが、この曲に「加齢」要素をぶっこんでくるのもまた、禅シシィの特徴だと思う。「義務を押し付けられたら」あたりまでポヨポヨお人形のような少女が、「鳥のように解き放たれて」で少年のような表情を見せ、初めてフェミニスト的な我の強さを宿す。「話す相手 私が選ぶ」のところでは、もうすでに子持ちの母親になっている。このワンフレーズに劇中の「第三の諍い〜最後通告」の場面をギュッと凝縮して、叩きつけてくる感じ。「ありのままの私は宮殿にはいない」は、もう明らかに第二幕に移行しているし、「命だけは 預けはしない」は、「死ねばいい」への返答とも、喪服で流離う老年期の姿とも見える。最後の「私に!」なんて、うっかり自殺直前のジャベールに見えるほどドスがきいている(笑)。

 いくつになっても類稀な美貌を保ち続けるエリザベートの傍らで、夫フランツ・ヨーゼフはどんどん老け込むことで夫婦の間に流れる「時を刻む」役割を担っているのだ、というのが禅フランツの造形だったと思う。だとすると、たった一曲に二幕分すべての名場面エッセンスをぎゅうぎゅうに詰め込んでくる、「一曲に流れる時の中で少女期から老いまでもを表現する」禅シシィは、ずっと舞台上で時を刻んできたフランツ役者ならではの、フランツ役者だからこその、エリザベート像といえるのではないか。

 声の好み以上に、こういう演者の「考え方」が透けて見える歌い方が好きだ。そこがいちいち理屈っぽい、と思われたりもするのだろうが。その場では役柄に没入しているように見えて、そこに至る役作りの思考プロセスについては観る者にまでひしひし伝わる。この役者の、そういうところが大好きなんですね、私は。

■MC5

 「エリザベートが10代の頃の歌をお聴きいただきましたが、ここでもう一曲、10代のお姫様の歌を」という前振りで始まる『アナスタシア』思い出話。三回あって三回とも「二十数年前、わたくしがマリウス全盛だった頃に、オーディションの依頼があり受けて、見事、ディミトリ役を勝ち取りました!」と胸を張っていたが、要請があって受けたという実情を明かすのが自慢話なのか正直よくわからん。もっと営業かけて東宝以外のオーディションも受けさせてあげて事務所……。

 なぜ今『アナスタシア』かというと、今春ブロードウェイでミュージカル化されたんですね。「いずれ日本版が来るかもしれないけど、その頃には私はもうディミトリ役は無理かなぁ(笑)」なんて言ってましたが、そこはラミンの演じる舞台オリジナルの役を狙っていこう! あの話がNYの客にウケる気が毛頭しないけど、まずは打ち切られないことを祈ろう。

 ここで「Once Upon A December」の場面紹介。説明しながら物語に入り込みすぎていて、何度も何度も言葉に詰まるのが面白かった。どうやって言葉にするか迷うとき、やっぱり左上の虚空を見つめて、やっぱり手が止まる。そして、圧倒的にヴィジュアル先行、かつその奥に知識を上書きして独自の妄想を重ねていきながら、途中から完全に主人公視点となり、手元のクローズアップみたいなどうでもいい細部を描写していく。転んで頭を打つとき、見えない犬を追って「あっ、プーカ待って!」と言うとき、歌う前からアーニャになっている。

 つまり説明としてはグッダグダ(笑)。普段、製作記者会見とかカーテンコールでも無駄に話が長い印象あったけど、あれでもまだまとまってたほうなんだな。しかし、おそらくは普段もこうやって、与えられた「物語」や「場面」や「登場人物」を咀嚼してるんだなぁ、だいぶ視覚的な人だな、とわかる。犬を追いかけるとか、大広間を見上げるとか、そうした絵コンテの詳細についてその場で一つ一つ「自分が」「キャメラに向かって」「演じながら」思い出していく。たとえば私が同じ場面を紹介するなら、目の前に大広間のセットを組んで、人物をチェスのコマみたいに動かしながら、俯瞰視点で説明すると思うので違いが面白い。「話なげーよ……」と思いつつ、一人だけのオンステージでそういう側面を垣間見ることができるのも、またソロならではの贅沢かと(THE・贔屓目)。ちなみに後日『アナスタシア』観返したら、絵コンテの割が全然違ってて笑った。本編に無い台詞とか勝手に足してた。笑。

■M10/「Once Upon A December」(アナスタシア)

 それでまぁお歌ですけど、アリエル、エリザベート、アナスタシアと三人揃って、もう、どんなプリンセスでもこのまま演じられるな、という感想しかない。出自的にこの中でアナスタシアが一番プリンセス濃度が低いわけですが、普通の女の子の中にじつは高貴な血が流れている、その「普通の女の子」の芝居がかわいくてたまらんかった。寒いような怖いような怯えた表情で自分で自分の体を抱いて、でもそのまま音楽に身を委ねて自然と揺れて踊り出してしまうところ、萌えMAX。三回観て三回とも「おっさんが稽古場で練習して振り付けた演技」などとは到底思えない自然さ。あいつこそロマノフの王女様……(※テニスの王子様的な)。

 あとカゲコが地味に最高。舞踏会の亡霊たちが降りてくるあの美しいシーンの再現で、ギャルズ四名が影コーラスをあてるんですが、永野護的に言うとカイゼリンの起動音(笑)、いわゆる「泣き叫ぶ女の声」ってやつですね。風音のような悲鳴のような、「本物」の女声でないと出せない音がどこからともなく舞台を覆い尽くし、生身の肉体を持った「偽物」の娘役である男声アナスタシアとの対比がよかったなー。観るまでは「四人も雇う予算あるなら他のことに使えよ」と思ってたんですけど、こればかりは一人芝居では不可能なので。ギャルズ、いてくれてありがとう……。

 ところで、一回目に転んだのって、たしかこの歌? あんまり憶えてないのだが、音楽に身を委ねて階段でターンするところ、うっとりしたまま足だけがもつれて、ストン、と尻餅をついて、亡霊たちが消えるのを見上げながら、そのまま階段にぽつんと取り残される……といった動線で、何この芝居すげーかわいいと思って見てたら、歌い終えた後、素に戻ったおっさんが「まーさーかー転ぶとは思わなかったぁー!www」と言っててズッコケた。

■M11/「カフェソング」(レミゼラブル)

 「転ぶとは思わなかった!」回以外はMCナシだったのかな。「己を取り巻く亡霊たちに囚われてしまった者の歌」が二曲続くという趣向。アナスタシアについて何度も「哀しいお話」と連呼していた演者が歌う、もっとずっと哀しいマリウス。劇中だと歌い終えた後に盆が回り、コゼットが体を支えて「足取りも確かで〜♪」って明るく歌いだすのだけど、禅マリはいつ見ても、まるで足取りが確かじゃない(愛)。「生きてるほうが死にそうだ」という形容がぴったり。「残された」というより「置いてきぼりを食らった」お坊ちゃん。

 あー、禅マリまた観たいなぁ。住居不法侵入の末「僕はマリウス、ぽんめるしっ!」と名乗っただけでブッ倒れそうになり神田沙也加にガチ怪訝な顔をされる禅マリ。あるいは「誰かの! 足音! かぁくれーよォーーーー!」と大騒ぎして柵越えてドスンと落ち、「まず貴様が黙れ……」と帝劇全員が叱りつけたくなる禅マリ。死にゆくエポニーヌよりもべしょべしょ泣いて「どっちがどっちに片想いしてる設定だったか考えて演じような?」と胸倉掴みたくなる禅マリ。実年齢は他の学生役に対して引率の先生に相当する禅マリ。はー、観たい。

 カフェソングはカフェソングで素晴らしい楽曲だと思うのだが、あれって完全に作劇上の都合による配置の曲じゃないですか、おめおめ生き延びた見せ場のない若者にも一回ソロくれてやっか的な、あるいは、しばらく寝てたぶん次の転換までの場をつないどけ的な……(身も蓋もない)。禅マリの魅力は「自分が主役ではない、なんなら見切れてるくらいの画角で、要らん動きをする」ところにあって、あのウザきゃわゆさは、群像劇のはしばしでしか観られないんだよね。と、カフェソングだけ切り出されたカフェソングを聴くたびに、何度でも思う。つまり「ここだけ歌うと、たとえ禅マリでも、そこそこかっこよく見えてしまう」ことに不満があるという(笑)。俺の脳内ガブローシュが「これーで禅マリなのかっ? そんなもんじゃないぞっ、見せて、やるぜ、ついてこい、ついてこーい!」と叫んで記憶貯蔵庫のどん底へ連れて行く。

 そう考えると、禅バルジャンが禅マリに向けて「まるで我が子」と歌う「Bring Him Home」が観てみたい、あるいは禅マリの声音作って「君の愛を知った今、死ぬのはつらい」と歌う禅バルジャンはどうだろう。なんなら禅エポニーヌが禅マリウスを想って歌う「On My Own」はどうか。そっちのほうが、歌の中に「あの、禅マリ」が宿りそうな気がする。これまた「新曲8割」の効果なんだろうな、どうしても新しい曲を聴きたくなっちゃうね。

■M12/「Anthem」(CHESS)

 今回のコンサートの目玉、ハイライト、クライマックスが「Anthem」。異論はないと思う。日本版キャストだとアナトリー役は石井一孝とのこと。私は残念ながら観られていないのですが、ぐぐったら日本語詞が出てきたので引用。

 「悲しみを 抱いて待つ人へ 届け しじまの国に 差す光 / 母なる国 夢の揺りかごは 今も祈りの中に 眠る / なぜ愛は生まれ 冬を耐えゆく 礎に祖国がある / 今 国を捨てる でも / 同じ空を 今も見ている / 裏切りの 旅へと 誘われ 向かう国とは / 思い出の中だけに ある」

 原詞とはずいぶん違うけど、これはこれで胸を打つなぁ。「Til I Hear You Sing」以上に「喉自慢が喉を自慢する」曲で、声楽出身者が超絶技巧で、ぐーわーッと、ドーヤァーッと歌い上げるのが気持ちいいやつで、悪く言うと、タイトル聞いただけで聴く前からお腹いっぱいになりやすい。セットリストに曲名を見たときも「うわ、攻めるねぇ〜、挑戦、挑戦」と思った程度であんまり期待してなかったのだけど。役者として役者のまま歌う、石川禅の歌唱が、あなた、なかなかどうして……最高なのでは……?

 いや結構びっくりした。正直、ベスト・Anthem・エバーを、禅ちゃんのような歌い手にかっさらわれるとは、聴くまで思ってなかった。ふわふわと優しい声音で始まる導入部は性別を超越して神へ捧げられた天使の歌声のよう、中盤にかけて徐々に『CHESS』の登場人物が彫り出されてきて物語のまとう悲哀をにじませたあと、最後は大地に根を張った「人」が天へ向かって声を限りにドスをきかせる。人間賛歌というか、この変化の付け方が、とにかく私好みすぎて。

 あと、落涙してしまった理由は「Go The Distance」と同じ。この人の歌を聴くためだけに「祖国」へ舞い戻ってきた私に、「I cross over borders but I’m still there now」(国を捨てる、でも同じ空を今も見ている)という歌は、沁みますよ、そりゃあ。命からがら亡命した天才とは全然違うけども、日本を出てから二年間の、労苦、葛藤、焦燥、愛惜、あれやこれやが胸を駆け巡って、国境は越えたけれど私は何も捨てていない、「礎に禅がある(涙)」! ってなりますよ、マジで。

 アナスタシアとマリウスが「懐かしい亡霊」でつながっているように、カフェソングとアンセムも「惜別の涙をこらえ、形無きものへの変わらぬ愛を誓う」という点でつながっていて、手前がカフェソングなのがまた良い。「leave」という言葉に、「置いて行く」けれども「離れはしない」という想いが込められている。カフェソングで沈みに沈んだところを極限まで高められる、このカタルシス! そして単純に「フランスの貧乏学生にもソ連のチェスの天才にも見えないけど、運命に翻弄される不憫な男を演じさせたら世界一だなぁ」という感想。褒めてます。

 コンサート全編ずっと緊張が拭えなかった一回目の歌唱がダントツに良かった。張り詰めた空気をそのままぶつけてくるような、次に何が起こるかわからない、どこまで伸びていくのかもわからないような声に圧倒される。神、降りて来てたなぁ。歌い手も聴き手も無我の境地。歌だけがそこに在った。もちろん二回目、三回目もそれはそれで良かったのだけど、一回目の興奮をトレースした結果、もはや歌い出し時点くらいから本人自身にわんわん泣きが入っており、千秋楽とかもう「禅ちゃんそんなに泣かないでー、あんまり行きすぎちゃだめ、こっち帰って来てー」という、また別のもらい泣き状態。見ていて「歌」より「歌い手」に気持ちが奪われてしまう、これは私はあまり好きじゃないんですよね……。でも素晴らしかった。

■MC6

 「ヴォエー、すいませんねぇ、この曲は、どうしても入っちゃいますねー」と汗にまぎれて涙を拭きつつ、『CHESS』についてひとくさり語るかと思いきや、そこはスルー。「早いもので次が最後の曲になります。……と、その前に、メンバー紹介!」と言って、ギャルズを呼び寄せる。「わたくしの娘たちです、カモン!」という呼び方で(めっちゃ昭和)、ちょこまか出てくる四人組。「バーチャル家父長制の中でパパ役を演じている」座長の様子がまたかわいい。それぞれに感想を述べて次回作の告知を。一回目はみんな口々に「緊張した!」「緊張してる!」で、二回目は「楽しい」「もうすでに終わっちゃうのが寂しい」「あと一回しかないなんて」、三回目は「禅さんまたやりましょう!」「次も呼んでください!」「リハーサルからたっぷり禅さんの歌聴けて最高のお仕事でした」みたいな感じでしたかね。何度目かで感想を訊かれた柳本奈都子さんが「なんだかタカラヅカ時代を思い出しました」と言ってて噴いた。さすが、東宝ホリプロ歌劇団禅組トップスター(専科)。本物にここまで言われるおっさんもなかなかおるまいよ。好き。

 自身の告知は3月9日からの『Sparkling Voice II』で「貴公子w」「男組最年長w」という話。こっちでも頑張ったけど向こうでも頑張って踊るよ、というような。あと5月18日開幕『パレード』のちょっとしたあらすじ説明、初めて組む森新太郎氏の演出にとても興奮しているという話、ロビーでチケット売ってるよ云々。

■M13/「Sailing」(ニューブレイン)

 これだけ私はまったく知らない演目で、一回目のときMCで「お聞きください、ミュージカル『セイリング』より、『ニュー・ブレイン』!」と言いきったと同時に客席から大爆笑が起きたときにも、意味がわからなかった。タイトル逆やがな(笑)。2009年に石丸幹二主演で日本版上演されたんですね。「最後の曲となりました、お客様への感謝を込めて」と始まったバラードは、元はゲイカップルのデュエットとのこと。

 「交わす愛よりもセイリング」なのに最終的に「君に辿りつく」ってどんな日本語訳詞やねんと思ってましたが、原詞は余計な装飾がなくて「Sex, food, peopleもいいけど、僕はむしろSailing over the horizon」そして目的地は「Come home to you」であると。清らかな声でさらっと歌うのが逆にシメにふさわしい。1stコンサートの「Thank you for the music」同様、ずっと応援してきたファンへの愛がびしびし刺さる、うまい選曲だなぁ。さすがに最後の高音パートがヘロつく回もあったが、最後の最後に限界ギリギリでシメる演出が変態的なのであって。怒涛のメドレーのラストが「A Whole New World」だったのと同じ、この終わり方を選択できるのが凄い。ひたすら拍手。

 ……でさあ! ここまでの本編は本当に文句なしに素晴らしい演出だったと思うのね!? 思うんだけど! 持ち歌かなり歌ったしアンコールなしで終わりかなぁ、昼夜公演あると長々できないよねぇ、と諦めかけていたから、アンコールがあること自体は嬉しかったけど! けども! なぜ、ここで、まさかの、

■E01/「Stars」(レミゼラブル)

 おい……。いやいいんですよ、代表曲だからね。そりゃ歌ってくれたのは嬉しいですよ。でも「セイリング」で「お客様への感謝を込めて……」って言われて、ほっこりうっとり幸福な気持ちで満たされたところにさ、美しく緞帳が下りて、鳴り止まぬ拍手のなか、サッとふたたび緞帳が開くと同時に、えっ、あれっ、待って何このやけに耳に馴染みすぎたいつものイントロ……? と混乱する観客に

 「さあ、逃げてゆけ、闇の中、息潜め、生きてゆけーーー!!!」
「ぶちこむぞぉぉぉーーーー、鉄格子ぃぃぃーーーー!!!」

 ですよ。えええええ、警部殿!? ちょ、何、おま、今頃になって出てくんなよ!? 私たち今、マリウスを彷彿とさせるゲイの好青年とともに太陽照りつける大海原にヨットの帆を立ててセイリングしてたんですけど!? 「そして辿りつく、君のもとへ……」って爽やかなバラードに胸ときめかせてキュンキュンしてたのに、なんで幕下りて上がったらいきなり牢獄に囚われて「堕ちるときは炎の中ぁぁ!」って突き落とされなきゃいけないの!? え、ちょ、ふざけんな空気読めよ、マジでセーヌ川へ帰って一人で沈んでろ!? と思いながら聴く「星よ」。何これ新しい。

 好きな曲だし、好きな役だし、実際、熱唱でしたけどね。熱唱……すればするほど……「お歌のプレゼント」のアンコールがなぜ「星よ」かよ……となる。だって、あの「校門のところで朝礼に遅れる生徒を竹刀持って待ってて生活指導と称してしばいて回る暑苦しい熱血体育教師みたいな」と評された、禅ジャベールですよ。おフランスの警察所属なのに一人だけ作画が宮下あきら、インターポールの銭形警部も裸足で逃げ出す、禅ジャベールですよ。また会えて嬉しいけどさ。出オチ要員がラストを飾るなよ。

 メドレーをはじめとする他の演出は文句なしなんですけど、冒頭一曲目の「スナック・ワンナイトオンリー」とこの最後の「アンコールがスターズ」だけは、納得いかんわー。本来ならどちらも感動すべきところなのに二度目から笑い噛み殺すのに必死だったからな私。目がハートになってる状態から、緞帳サッと開いて鬼瓦みたいな禅ジャベ出てくるの、きっついよ、呼ばれて飛び出る白のナイトよりきっついよ、腹筋崩壊するよ。三回目に至っては、どうにかして「セイリング」の余韻を持ち帰れないかと思案した結果、聴きながら「ポニーテール警部よりもセイリング♪ 堕ちる地獄よりもセイリング♪ 夜を見張るよりもセイリーング♪」って替え歌を作り始めてたからね私。余計笑えて窒息するかと思ったわ。歌の出来は完全無欠でした。

■おわりに

 良かったことも、感動したところも、惚れ直した点も、すべて最後の「星よ」(ズコー!)に持っていかれてしまった感のあるエンディングでしたが、総じて言うならば、何度思い返しても本当に素晴らしいコンサートでした。

 水に「ありがとう」と話しかけても何も起きないけれど、おっさんに「かわいいよ」と声を掛け続ければ、如実に科学変化が起こる、美しい結晶が生まれる、……私はそう信じております(真顔)。

 だってそうでしょう、あなたがた、ここ数年の石川禅の目を見張るほどの劇的な変化を、一公演一公演ごとにご覧になっているでしょう、いったいどこの誰が10年前、10年後の石川禅がここまで完璧にディズニープリンセスを演じることを予知できていたよ(真顔)。もちろん私は10年前の彼のこと何も知りませんけど(記憶にない)、少なくともTwitterにあんなあざとい自撮り載せるキャラじゃなかったでしょ!? 何あれ!? ふざけんなよ自分をかわいく見せるテクニックに磨きがかかりすぎてるだろ日々の癒しなんですけど俺のカメラロールがパンク寸前ですけど!? もっとやれよ!?

 まぁ男子50代にもなってブリッコ路線で売り出すのもどうかと思うのだが、いや、違うんです、私はもっと広い視野でのポテンシャルの話をしているのです。
これを書いているのは2017年の5月上旬、それはつまり私にとって、石川禅というミュージカル俳優のファンになってちょうど6年が経ったことを意味しているのですね。そして私は、この6年間、禅ちゃんに期待したこと、託した夢、求めて続けているもの、すべて、何一つ、裏切られたことがないのです。毎回毎回、「次はもっとすごいものが観られるはずだ」とワクワクしながら劇場へ出向き、そうしてただの一度も、彼に、ガッカリさせられたことがない。これはすごいことだと思います。

 もちろん、もっと出番の多い芝居が観たいとか、ホリプロそろそろ座長公演させてくださいよとか、言いたいことはたくさんあるし、まだ叶っていない見果てぬ夢もあるのですが、きっと追い追い、最良のかたちで、その願いを叶えてくれると信じていますよ。「過剰な期待をかけると御本人の重荷になるのではないか」とか、余計なことまるで考えずに済む対象。ここまで絶大な信頼を寄せて後援できる人、一生のうちに何人かしか巡り会えないと思う。何事も、段取りと、タイミング。セットリストだけでなく、もっと大きな意味で役者人生全般においてもね。然るべきタイミングで然るべき役を射止めて、そして段取りさえ間違えなければ、もっとすごいことを起こせる、はずなんですよ、この人は。段取り……とにかく段取りをだな……(遠い目)。

 俺の心のミュージカル助演男優賞はもう何本も何本もトロフィーくれてやったので、ソロコンを手始めに「主演」が増えるといいなと思います。そして、これ以上「かわいい!」とばかり声を掛け続けていると、さすがに本当にそこの引き出しばかりが開発されて、かわいくなりすぎてしまう恐れがあるので、これからは「渋い」「カッコいい」「エロい」といった多種多様な掛け声も惜しみなく使用していきたい所存であります。

 そんなわけで、3万字にわたるレポートを一言に要約すると、「このかわいいおっさんは、かわいいだけじゃないのだぜ!」でしょうか。これからも我が命の続く限り、なるべくたくさん、観に行きたいと思います。素晴らしいコンサートをありがとう! 地球の裏側から行った甲斐があった! 大好き!(語彙力喪失)