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2018-09-27 / 閉じてゆく

「私はこんなことしている場合じゃないんじゃないか」という気持ちに襲われたときには、今も大学図書館の自習室へ行く。たとえ世界で、窓の外のすぐ下で、何が起きていようとも、みんな机に向かって自分の研究や勉強だけに集中している空間。それが最良の選択であり、それがいずれは世界で起きている問題の一つ一つを解決するだろうと信じて、スマホの音量を切り、食べ物も排し、物音を立てないようにそろそろ動いて静寂を保ち、同じ部屋にいる人々と目で会釈だけを交わして、時間が来たらバラバラに帰る。修道院のようでもある。先日「Anchorite/Anchoress」について知ってからそのイメージも重なる。ぶっちゃけ、みんな実際にやってることは授業と授業の合間のメールチェックだったりするかもしれないけど、とてもそんな雰囲気ではないし、自分がそんなふうに時間を浪費すると、自宅で作業するのと違って、ものすごく気が咎める。そんな空間である。

今日もやっぱり氷系能力者の推定英国紳士のヌシが居て、8階のカフェでカプチーノを買って自習室へ向かう私とすれ違いざま、にっこり微笑みかけてくる。眼鏡はクリアフレームに変わり、濃青のピンストライプシャツに黄色いネクタイ、今日はパリッとしているな。本当に何者なんだろう彼は。パソコンと本と筆記具と、ものすごく立派な樹木の枝をかたどった柄のついた、椿か何か花柄のマグカップを持ち込んでお茶を淹れ、論文か何かを書いている。これで校舎内に教官室を持ってるのでなかったらビックリだけど、自分の教官室があるならそこで書けよとも思う。何者なんだ。ここまで来ると訊くのも癪だ。名前も知らない、学生か講師か教授か卒業生かもわからない、ほとんど言葉を交わしたことさえないのだが、お互いを認知している。私は認知してるなんてもんじゃない、ほとんど恋である。

大学へ通った二年間で、私にとって彼は「会いに行ける学問の神様」に昇華した。図書館へ行かない日でも彼のことを考える。今日も明日もずっとそこに居る。自分より華々しい成功を収めた人、自分より大きな課題に取り組んで成果を上げている人、自分より勇敢に巨悪に立ち向かっている人、そんな他人の活躍を見て「私はこんなことしている場合じゃないんじゃないか」という気持ちに襲われたとき、いつも自習室のことを思い出す。あそこへ行こう、ヌシが支配している聖域へ。俗世の邪念にまみれた心を浄めるために。すべきこととすべきでないことを見誤らないように。私ができることは無限にあるようで、じつはこれきりしかないのだ、という行いを、いつかちゃんと見つけられるように。

ニューヨークタイムズのアプリの通知が鳴り止まず、それはカヴァノー連邦最高裁判事候補者への性暴力告発、フォード教授出席の公聴会のニュース。今書いている原稿のテーマについて考えるならば、本当はこっちをちゃんと観るべきではないか、と思いつつ、ここは自習室なので画面を伏せる。

筆が滞りがちである。単に日本からの細かな、その場その場で片付けるような仕事が減っているだけではなく、もっと大型の長い呼吸の必要な仕事に取りかかる方法がわからなくて、途方に暮れている。私自身、何処へ向けて何を書けばよいのかを見失っている感じがする。しかしきっとそんな時間も必要なのだろうと思う。もっとがんがん書けばいいのに、書かなきゃ始まらないのにな、と思いつつ、うろうろと「やらない言い訳」を考えてしまう、たとえばこんなふうに。しかし本当に「私は私でしかない」と思い知る三年だった。水も遣っていないはずなのに、傲慢さと謙虚さとが同時にすくすく育っていて、まるで枝ぶりが変わってしまった。
https://twitter.com/okadaic/status/1045005702782222337?s=21

そんななか、ガメユベール氏の書いた「日本語」にまつわるブログ記事がとても素晴らしく、つらつらと感想を書いていた。ね、「日本語で書く」なんて、世の中の激しい動きの中で追いつき追い抜き追い越したかったら、究極的に「こんなことしている場合じゃないんじゃないか」と感じられる行為である。でもそれが必要な時もあり、それが必要な人もいて、要不要は自分で選べるものではなかったりもするのかもしれない。スレッドにある通り、「詩人」を名乗れたら楽なんだろうけど、私は「詩人」ではない。と、この日記も自習室で書いている。本当は別の原稿を書かないといけない。画面をまた一つ閉じる。
https://twitter.com/okadaic/status/1045011207998980097?s=21

ちょっと! これだけはどうしても未来の自分用に追記しておきたいんだけど、ヌシ、上着が淡いモスグリーンのウールジャケットだったよー! 苔色ではなくて、抹茶ラテの飲み残しみたいな、もっと白っぽい色。焦茶のパンツと茶色い革靴と最高に合うよ、萌え殺す気か(死んだ)。ものすごくオシャレというわけではないんだけど、めちゃくちゃ徹底されたトーン管理の中で服を選んでいることが窺えて素晴らしい。これはルックスの話をしているのではなくて、人となりの話なのである、完全に。日本の出版社とかには結構いるタイプだけど、この大学では非常に珍しい人種。形容が追いつかない語彙の乏しさが恨めしい。周囲はみんな寮の部屋着みたいなイージーパンツとか、タンクトップにアーミージャケットとか、ネルシャツインとかなので。察してほしい、このヌシの聖性を。