2012-01-04 / 「私がTwitterを使うのをやめるとき」その他の考察

オゥフ……はてなブログははてなダイアリーと違って、過去の日記を書くこともできないのですね……その日にあったことをその日のうちに書かないといけないのですね……というわけで、正月三が日でさっそく三日坊主になりました、岡田育です。

1月2日の夕方に私がTwitterでつぶやいていた内容を、 id:kanose がtogetterでまとめて記事にしてくださいました。ありがとうございます。

▼人がいなくなって廃墟のようになってもTwitterを使っているのか?という質問に対する岡田育さんの返答
http://togetter.com/li/236495

年末に「どんなことがあったらTwitterから離れて、Twitterにものを書かなくなるの?」という質問を受け、私なりに頑張って回答してみたのだけど、その場には旧来型のソーシャル的思考をする人が一人もいなくて、あんまりうまく説明できなかったのを思い出し、今一人でムカムカしている。

続)「だって3年後にはその人たちがもっと新しくて便利なサービスに移っていっちゃうかもしれないでしょう? それでもあなたは廃墟のようになったTwitterでつぶやき続けると思う? 絶対にユーザがそこを離れていかないサービスってどんなだと思う? Twitterはそうなりうると思う?」

続)……って言われても説明できないので、結局「知ったこっちゃねーよ」みたいなぞんざいな回答をしてしまい、「おっと失敬、こちらのお嬢さんはサービスを開発する側ではなく、お客さんとして消費する側だったね」的な笑いを取ってしまった。「Twitterとは何か」を説明するのは本当に難しい。

続)数日経って少しだけ頭を整理。「ものを書いて読んでもらう」ことで「人とつながる」ことを重視する我々のような人種にとって、あれもこれもできるサービスはもはや必要はないのだ。私は今以上に便利なものを志向しない。だから彼らの言う「もっと新しいサービス」が、ピンと来なかったのだろうな。

続)たとえば、はてなハイクが魅力を失ったのは明らかに過疎ったせいだと思う。昔出したTwitter本に書いたけど、2007年頃からTwitterにいた我々日本語圏ユーザは、一時期、後発のはずのハイクのほうにドハマりして流れたのだ。でももうハイクに戻ることはない。なぜだろうね。とか。

続)「今言われてる後発の『新しいサービス』の成功というのは、所詮は写真シェア業界におけるInstagram的な成功(あるいはハイクの失敗)の規模のことであって、インターネット全体におけるTwitter/Facebookのインパクトとは違うでしょ」みたいなことが言いたかったんだな。

続)私はたしかに「新しいもの」が好きだけど、一方で「必要最低限のもの」も好きで、余計な機能が増えても「新しい」とは思えない。「日本語圏ウェブに向けて今更ブログの推敲なんかしてるの時間の無駄だろ」的な感覚や、「Facebook=後発で桁違いの成功を収めたmixi」という感覚もある。

続)スマホでなめこ育ててる40代以上と、「赤の他人とする話なんかない」と仲間との連帯を重視する20代以下の狭間で、私や金髪の王者の世代(の文芸部や新聞部の出身者)だけが「イヤッホー!! インターネット最高ゥォォォ!!」と言い続けて「あいつらノリが寒い……」と思われ続けるんだろう。

続)そうか、「インターネット最高! ソーシャルソーシャル!」みたいな発想って今時の意識高い若者にとってはもう古いんだろうな、この子たち雑誌の通信欄で仲間の戦士を募ったこともないんだろうし……と思ったので、本年もこの絶滅危惧な「旧来型ソーシャル」の道を究めて行こうと思った次第です。

続)一番書きたかったことを書き飛ばしたまま拡散されててビビるのだが、あの晩に私が言いたくて言えなかったことは「Twitterが好きだからTwitterにいるんじゃない」に尽きる。その上で「ではなぜTwitterにいるのか」を考えると……肩組んで「友よ」とか歌いだしちゃうんだなー。

続)「かつて……どのブラウザを使うかがその者のポリシーや美学をそのまま表現する……そんな時代もあったのじゃよ……」「つーかブラウザって何スか?」「昔のインターネットは文字入力ベースだったのじゃ……コンピュータの画面は机のメタファで作られておった……」「机って何スか?」的な未来へ!

続)おいおまいら同世代が件の発言ふぉぼればふぁぼるほど「いまどきTwitterやってるのはもうおじさんおばさんばかりでしょ、だとすると3年後には過疎って、過疎ったら皆さんつまんなくなっていなくなるんじゃないですか」って20代の若者たちの冷めた視線が胸に突き刺さるだろがよ……www

だって、閉ざされた空間で偽名で内輪受けの話書いてスゴイスゴイ言われても、ちっともつまらないじゃないの、そんなの10代まで文芸部でさんざんやってきてこりごりよ、……というわけで本年も存分におっぴろげていきたいと思います。そうして本当に大事な内緒話は、誰にもシェアせずオフラインでね!

……はっ、だから、こういうことを新設した「はてなブログ」に誰にでも読めるような言葉で書きつつ、炎上の一つや二つも経験しつつ、本来のお仕事のほうを頑張っていこうと、はるかぜちゃんのtweetを読んでそう誓ったばかりなのに、またTwitter文法で連投してるじゃないか……残念な大人。

自分の使っているサービスが「過疎ること」自体が怖い、という発想はあんまりないのだよなぁ。ただ、それまでオープンにシンプルにやりとりしていた相手が、何かを境に「続きはもっと遊べるクローズドコミュニティでね☆」とか言いはじめると、「ブルータス、お前もか」とせつなくなることはあるかも。

続)おそらくThunderbirdを捨ててGmail一本にしたときが最後だな、「ごめんね……! まだ愛してるの、でも時代の流れに逆らってまであなたと一緒にいることはできないのよ……」となったのは。以後、ほとんど意地でFireFox使ってるけど、たぶんそろそろ同じこと繰り返す予感。

2012-01-02 / https://twitter.com/okadaic/status/153757625434120192

昨年末、グローバルユース忘年会に参加して年下の男の子たちと議論を交わした際、おねえさん上手に喋れなかったのでアウェーからホームに戻ってつらつら言い訳を考えてみるよ(Twitter弁慶乙)、といった内容のものです。元の質問について言葉足らずの部分があり、補足してもう少し真面目に考察したものをブログに書こう……と思っていたのですが、早い話が先を越されました。ヨッ、さすが名編集者! 先にまとめ記事を作られてしまったので、もういいか、という気分になっています(←何でも他人のせいか)。

10代20代から英語圏にどっぷり身を置くと同時に完全なデジタルネイティブで、東大程度の大学や国内の一流企業ごときなら目を瞑ってでも入れてしまう、末は博士か大臣かという若者たち、しかも全員イケメン……ほんの数年前までなら自分の境遇と引き較べて「すいませんすいません私が同じ席に座っててすいません」となるところですが、年下だと思うと気楽なものです。もはや世代が違いすぎて、直接競争して焦燥感や劣等感を感じる必要がありません。言葉に詰まったらとりあえず「日本の未来は貴兄等の双肩にかかっておるのだ!」と言い放っておきました。何度も。

どうしてこんなことを書いたのか、というと、この日はそれ以前に、はるかぜちゃんこと春名風花さんの職業意識に触発されて書いた「出版業界で初版6000部の本を売ることについて」があり、その前日からはオウム真理教の平田信容疑者の出頭に寄せて書いた「私とオウム真理教とものを書くことについて」があったのです。そのどちらか一つが欠けても、昨年末の出来事をこんなふうには思い出さなかったと思います。どんな流れだったのかはtwilogでご確認ください。こうやってタイムラインを流れていく時事の話題についてTwitterでつらつら綴っているうちに、まとめて一気に読むとそこそこ面白いものが形成される、というのがここ数年の物事を考えるスタイルになっています。それを打破しなくちゃね、という意味で元日の記事を書いたのですが、さっそく頓挫しそうですね。
http://twilog.org/okadaic/date-120102

これショックな書き方だけど現実なのよね。いい著者だ。“@tsuda: ちなみに『情報の呼吸法』は6000部スタートとのこと。この部数だと恐らく書店では買いにくい気がするので確実に入手されたい方はAmazonで予約するのがいいかと思います。http://t.co/VKfAgbVV

(承前)実用書や専門書を作ったことないからわからんのだけど、文芸セクションにいると初版4000部から6000部くらいまでの本を手がけることが多い。書店は有能な営業に任せて、自分はウェブ上でAmazonへのリンクをばしばし貼ります。公式アカウントでやるとマズイから個人アカウントで。

続)初版6000部の本が50000部まで売れていく様子の一部始終を見ていたけど、要素はたくさんあって、複合的で、魔法みたいな出来事一つで一点突破することはないのだよね。強いて挙げるなら、自分というより周囲の人々が巻き込まれてくれること。そう考えるとまだまだ巻き込み足りない。自戒。

続)おそらく職場では、チーム仕事を私物化して個人アカウントで好き放題しやがって、と思われてもいると思う。でもフォロワーが減らないように気をつけてるのはここから商品買ってくれる人が増えるかもしれないからだ。利己的なのは否定しないが気分はつねに裏方だし、ちゃんと社畜でもある、つもり。

続)まぁ初版1万2000部の文庫本が35万部近く売れたのは、なぜか一部で私の手柄ってことになってるけど全然違って、書店営業の仕掛け売りの成果です完全に。対象品目にしてくれと騒ぎ立てはしたけど、あとは編集が口出さなかったのがよかったんだ、絶対。編集者はあんなPOP書けないもん……!

(承前)いつになく仕事っぽいこと書いたのは、明らかに先刻からRTしているはるかぜちゃんtweetの影響です。小学五年生のプロ意識に触発されて、自分と、自分の名前と、自分の働き方について、考え直す正月休み。ブログに書いた「もっとソーシャルに(今更)」というのも、こういう意味ですね。

2012-01-02 / https://twitter.com/okadaic/status/153716474471645184

今の10代にはピンと来ないのかな。私が子供の頃、交番に貼られたよど号事件の指名手配書を遠く感じたみたいに。“@mainichijpedit: オウム平田容疑者出頭の号外です。PDFです。表→ http://t.co/6qvdYxwH 裏→ http://t.co/BgoaHdy7

続)何か悪いことするとそれを見咎めた大人たちにすぐ怒られる、という躾の発想しかなかった子供の頃、私が生まれる以前から「あらかじめ悪い」大人がいること、それがまだ懲罰を受けず逃げおおせて指名手配されていることが、不思議に思えたものよ。私が生まれるずっと前から世界はあったのだな、と。

続)オウム真理教って我々の世代にとっては出会えるアイドルならぬ「出会える新新興宗教」だったもんな。中央線沿線の子供がふざけて歌やダンスの真似して「よく駅前にいるから憶えちゃったー」と言ってて「私テレビでしか知らないや、本物見てみたいなぁ、本当に飛ぶのかな」と思ってた90年代初頭。

続)いま二十歳前後の若者にとってはオウム真理教って「あらかじめ悪い」集団なんだろう。私の感覚だと「ネタかなーどうかなーと思って見てたらやっぱりやらかして意外とガチで悪かったから驚いた」。かつての連合赤軍事件なんかもこんな感じだったのかしらとかいろいろ考える契機になった高校生の頃。

続)地下鉄サリン事件の日は期末試験中で「JRで帰りなさい。絶対に営団線に乗っては駄目」と言われ、昼に帰宅して初めて何が起きたか知ったのだった。記憶がどんどん曖昧になるけど、しばらくJR通学したことより、強制捜査より、報道陣の前で村井秀夫が刺殺されたのが一番ショックだったな当時は。

続)村井刺殺の映像をお茶の間で何度も観ながら、今の時代、情報を「隠す」ことってなんて無意味だろうと思ったし、どのテレビ局も宗教団体について公正に報道するのが下手だなぁ、私ならもっと……と思ったインターネット前夜の95年でした。←そうか、こういうことをはてなブログに書けばいいのか!

続)補足。地下鉄構内で一般乗客が命を落としたのもそれはそれで痛ましいことだけど、あれは一月の阪神大震災の直後だったから、正直「恐ろしい事件の割に死者は少なかったなぁ」と息をつく感覚があった。むしろ「関係者が死んで口封じされる」のをほぼリアルタイムで観た衝撃が強かった。当時は、ね。

続)どんな大きなことでもみんな忘れていってしまうし、自分が体験していないことは、後からいくら新聞で調べても「知る」ことができるだけで「思い出す」ことはできない。だから憶えているうちに、私的で一面的な記憶でも書いておいたり、正確な情報と比較したりしておきたい。2011年のこともね。

続)結局、私は「恣意的な発掘」をする「思い出し屋」なんですよね。一次情報に当たって時系列に並べ直すことにより正確な事実を調査研究するというタイプの作業にはまったく向いてない。後者はとても意義のあることだが前者はほっとくとものすごく無価値なので、どうしたら価値を創出できるか考える。

続)たとえば、今のうちに自分のこととして肌感覚できちんと体験しておかないと2011年からのこの超円高が真に意味するものはいったい何だったのかといった物事の究極の真理に行き着けないまま現象を忘れていってしまうので早く急いで海外旅行しt(以下略

続)マスメディアは時事を表すときよく「この年ファミリーコンピュータが発売」的な項目を挙げるけど、それはそういう年表作りが得意な人たちに任せておけばよくて、誰かがファミコンについて語るときに重要なのは「何歳のときから(オモチャ屋や友達んちでなく)自分の家にあったか」だと思うのだよ。

続)大学のとき講義で『ノーライフキング』を読み「君たちはまさにこの世代だろ」と言われて「いえ、当時はモロに子供だったからこんな大人向け小説を読んだことないし、家にファミコン来たの遅いんで私はピンと来ません」と答えたのを、今も思い出す。そうしたズレ部分こそが私の領域という気がする。

続)だから、自分が体験した以外のことを書くのは、ものすごく大変なんだよね。……って書いてるそばから、2012年元日一発目の大揺れ地震かい!! すげーなこれ。記念に書いとこう。

揺れ初め、東京23区で震度4。来年の今頃には、これも忘れてしまっているのかな。(職場にてずるずる作業しながら)

2012-01-01 / https://twitter.com/okadaic/status/153317491014238208

昨日1月3日は、東京都写真美術館で開催中の「写真の飛躍 日本の新進作家展vol.10」展のフロアレクチャーに参加して来ました。とても見ごたえのあるいい写真展です。終わってから、ものすごい来場者数に対するネットでの反響のあまりの少なさを嘆く出展作家さんたちと「写真について言葉にする」ことの難しさについて話していたので、機を見てこの写真展の感想を「言葉で」記事にできたらいいな、と思っています。これは予告じゃなくて自分自身への脅しですよ。
http://www.syabi.com/contents/exhibition/index-1450.html