「私がTwitterを使うのをやめるとき」その他の考察

オゥフ……はてなブログはてなダイアリーと違って、過去の日記を書くこともできないのですね……その日にあったことをその日のうちに書かないといけないのですね……というわけで、正月三が日でさっそく三日坊主になりました、岡田育です。

1月2日の夕方に私がTwitterでつぶやいていた内容を、 id:kanose がtogetterでまとめて記事にしてくださいました。ありがとうございます。

▼人がいなくなって廃墟のようになってもTwitterを使っているのか?という質問に対する岡田育さんの返答

http://togetter.com/li/236495

昨年末、グローバルユース忘年会に参加して年下の男の子たちと議論を交わした際、おねえさん上手に喋れなかったのでアウェーからホームに戻ってつらつら言い訳を考えてみるよ(Twitter弁慶乙)、といった内容のものです。元の質問について言葉足らずの部分があり、補足してもう少し真面目に考察したものをブログに書こう……と思っていたのですが、早い話が先を越されました。ヨッ、さすが名編集者! 先にまとめ記事を作られてしまったので、もういいか、という気分になっています(←何でも他人のせいか)。

10代20代から英語圏にどっぷり身を置くと同時に完全なデジタルネイティブで、東大程度の大学や国内の一流企業ごときなら目を瞑ってでも入れてしまう、末は博士か大臣かという若者たち、しかも全員イケメン……ほんの数年前までなら自分の境遇と引き較べて「すいませんすいません私が同じ席に座っててすいません」となるところですが、年下だと思うと気楽なものです。もはや世代が違いすぎて、直接競争して焦燥感や劣等感を感じる必要がありません。言葉に詰まったらとりあえず「日本の未来は貴兄等の双肩にかかっておるのだ!」と言い放っておきました。何度も。

どうしてこんなことを書いたのか、というと、この日はそれ以前に、はるかぜちゃんこと春名風花さんの職業意識に触発されて書いた「出版業界で初版6000部の本を売ることについて」があり、その前日からはオウム真理教平田信容疑者の出頭に寄せて書いた「私とオウム真理教とものを書くことについて」があったのです。そのどちらか一つが欠けても、昨年末の出来事をこんなふうには思い出さなかったと思います。どんな流れだったのかはtwilogでご確認ください。こうやってタイムラインを流れていく時事の話題についてTwitterでつらつら綴っているうちに、まとめて一気に読むとそこそこ面白いものが形成される、というのがここ数年の物事を考えるスタイルになっています。それを打破しなくちゃね、という意味で元日の記事を書いたのですが、さっそく頓挫しそうですね。

http://twilog.org/okadaic/date-120102

昨日1月3日は、東京都写真美術館で開催中の「写真の飛躍 日本の新進作家展vol.10」展のフロアレクチャーに参加して来ました。とても見ごたえのあるいい写真展です。終わってから、ものすごい来場者数に対するネットでの反響のあまりの少なさを嘆く出展作家さんたちと「写真について言葉にする」ことの難しさについて話していたので、機を見てこの写真展の感想を「言葉で」記事にできたらいいな、と思っています。これは予告じゃなくて自分自身への脅しですよ。

http://www.syabi.com/contents/exhibition/index-1450.html