コップに触るようにネットワークを感じたい

「深く考えれば考えるほど批判対象が絞られてくる」。
それは「自分がいかに狭い範囲で思考しているか」の裏返し。

「あなたがたとは、対立はしないけれど考え方が違うよ」
というニュアンスを伝えるのはとても難しいです。

私がネットワークに抱いている関心の大半は
「それが人間の皮膚感覚のようなものをどう変えるか」
という点に集約されていくように思います。
皮膚感覚というのはもちろん「リアル」の世界のもの。
何か新しいものの考え方が生まれたり、
あるものの価値観が古くなったりしたときの変化を
人間自身が「あー、もう自分は、そのようなのだな」と
机上のコップにさわるように実感できる瞬間のこと。

スキルを教えることはできても、
その感覚は1人1人が自分で持たないと意味がない。
そして、誰か特権的な1人が先んじて感じている状態よりも
社会の中でどれだけの人が気づき共有できている状態に
意味があったりするんじゃないかなと思うのです。

ちょっと偉そうな物言いかもしれないが、
その「共有」がどこか歪んでいるように見えるときには
私は“使徒トマスの精神”で疑ってかかりたいと思う。
僕だけ見てないものがあるなら、僕は僕だけ信じないでいてもいい。
見て、そして自分の皮膚感覚で感じるまでは、信じない。

見ずに信じる者は幸い、などと言うけれど
ネット上の情報などは、たとえ目で見ても耳で聞いても
何も「感じていない」ということが往々にしてありますので。

映画『しとやかな獣』を観た。二度目かな? よかった。
映画『キサラギ』は、う、うーん……これも後日。