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「東京の人」

携帯電話の普及に伴って、今までは絶対に聞けなかった他人の話を
街中で堂々と平気で悪びれずに盗み聞きできるようになったのはすごい。
「もし向こうさえよければ、連絡くれるように言ってくれる?
 その人、東京の人? だったら俺は直接会ってみてもいいしさ」
地元の友達が紹介した誰かが、東京在住なら会えるという話だ。
地方出身の人が地元の友達と会話しているのだろう、とすぐにわかった。
東京生まれ東京育ちは、あまり「東京の人」という表現を使わない。
同じ東京在住でも、「東京の人」「こっちの人」という言い方をするのは
もっぱら、故郷を別に持った人たちである。
「岡田さんって、ずっと東京の人?」「もとから東京(こっち)?」
と訊かれるたびに「訊いてるこの人には故郷があるのだろうな」と思う。
生まれてこのかた東京以外の場所に暮らしたことのない私が使うのは、
「××さんって、ご出身どちらですか?」くらい。
もちろん自分のことを「あたし、東京の人。」とは言わない。
おそらく「東京の人」というのは「である」ものではなく「なる」ものなのだ。
首都圏だから当たり前だが、「東京の人」の構成人員の圧倒的大半は、
地方から東京に来て、長年暮らして「東京(こっち)の人」になった人たちだ。
彼ら「なった」東京の人は、東京の街で目の前にいる人が、同じ「なった」人か、
もともと東京出身「である」人なのかを、とても気にかけている。
それによって、東京の話をするか、互いの故郷の話をするかを変えるのだろう。
私が東京出身と明かすと、「なった」東京の人たちは、故郷の話を止めてしまう。
止めはしないが、「なった」同士のように積極的に盛り上がったりはしてくれない。
無理もない。私たち東京出身者は生まれた街が“故郷”という感覚が薄いので
どうも話の輪の中でうまく“故郷”の話を盛り上げられないのだ。
いつも“故郷”を持っている人が羨ましくてならない。
私にも東京以外の“故郷”があったらよかったのに、とずっと思っている。
誰かが「東京の人」になるのはじつに簡単だが、
東京出身者が「故郷のある人」になるのは、いろいろ難しいのだ。
××に住みたい! という具体的なプランもビジョンもないのに
ただ東京を出たくて、地方大学を第一志望にしたり、留学を考えたりした時期もあった。
またうんざりすることに、今の仕事をするには東京がベストであるのだ。うんざり。
もし転職することになったら業種よりも「海外勤務」とかそんな条件で職を探しそう。
地方出身者にしてみれば本当にどうでもいい話かもしれないが、
私はどこかの街に長く暮らして、ある日「ずっとコッチの人?」と訊かれたときに、
「いえ、故郷(くに)は東京なんですわ」と胸張って答えてみたいだけなのだ。
きっと、そのとき初めて私は、正しい意味での「東京の人」に「なれる」。