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電話線

 昨晩の23時から、終電で帰宅する空白を挟んで今朝の5時まで、電話で熱い熱い話を聞いていたのだ。会話ではなく、ひたすら聞いた。消耗した。疲弊した。どこまでも相槌を打つ。話者が止めるまで聞くことを止められない。それを美徳という人もいるけれど、できればそんなに同調したくないというのが正直なところ。

 私はどうも他人に過剰に感情移入しすぎていけない。虚空を見つめて、じっと耳からの情報だけをインプットしていると、次第に「もしかして、私が彼で、彼が私なのではないか」という錯覚までおぼえる。

 電話口から流れ込んでくる負の感情に気圧されて、よろめく。 泣いているのか笑っているのか、感情の激しい振幅を懸命に抑えている声音を、ずっと聞き続けていると、どうしようもない気持ちになる。もう何年も前から知っている人が全然違って思えた。

 私は、霊視能力などはないのだが、一方で意外と「“不可視のもの”に弱い」。このまま出社すると一日中この電話相手のことばかり考えて仕事が手につかないだろう。電話相手へ自分を同調させてしまい、自分自身の思考を形作ることがまったくできなくなるだろう。そう思い、「いやー、××さんと朝まで電話してたのよー」と共通の知人に事実をなすりつけて「お祓い」しておいた。とばっちりをくった人には悪いことをしたが……。他人のプライバシーより自分の精神衛生が大事。『王様の耳はロバの耳』の話にあるように、吐き出してしまえば言霊も少しは軽くなるのだ。ここにこうして書いておくのも一種の「お祓い」。

 昔『東京BABYLON』という漫画で仕入れた、「電話回線がつながっている空間は、霊的にもつながってしまう」という話を思い出す。電話口で唱えた呪詛は、受話した先がどんな遠隔地でも有効なのだそうだ。昨晩、私が受けたものは呪詛ではないけれど、物理的な距離を超えて、私の身体にダイレクトに来るダメージがあった。

 それでなくても、熱のこもった携帯電話を長時間、耳に当てていると、いつもこめかみの辺りが金属的なギンギンした痛みに襲われる。「このギンギンが電磁波ってやつかな」と言ったら、それはまったくの錯覚だと、別の誰かに正された。ともあれ、電話という機械は本当に人間の身体によくないんだナ、と実感する。