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文筆家・岡田育の近況と日記。

2018-06-30 / 石川禅4thソロコンサート

2018年6月30日(土)、イイノホールで昼夜二公演開催された「石川禅4thソロコンサート」の感想です。石川禅さんは日本を代表するミュージカル俳優の一人、芸歴25周年を記念した初めてのソロコンサートから回を重ねて、今回が四度目となります。私は2011年から彼の出演作を追いかけ始めて7年ほど経ったところ。今回もニューヨークから飛んで観に行きました、また2万字超えの感想です。熱中症にお気をつけてお読みいただければ幸いです。【2018/08/22記】

■はじめに結論「CD出そう、時が来た」

 一連の感想をまとめるのに時間がかかった理由は二つある。一つは、今回の4thソロコンサートの全体的な満足度が非常に高かったこと。前回公演までに挙がっていた小さな不満や疑問点が丁寧に改善され、ファンが本当に観たいと願っていたステージがようやく実現した、一つの到達点を見た思いである。終演直後から、これは「4th」というよりは「新生1stコンサート」と呼ぶべきものだと考えていた。ほとんど褒めるところしかない。思い出すたびに「はー、禅ちゃん、最高……」とまで口にして、後は言葉を失う。これでは筆も鈍るというもの。
 もう一つの理由は、「幸福すぎて怖い」というやつだ。推しの高値安定が怖い。推しの安心感が私を不安にさせる。四度目にしてようやく完成形が見えた単独公演、途端にそれがまた新たな膠着状態と感じられる。こうして5thも6thも似たようなコンサートが繰り返されるかと想像すると背筋が寒くなるほどの、つるりと喉越しのよい出来だった。実験的挑戦の余地が見つかりづらいほどに。
 アンコールで唐突に歌われた「SAY YES」の、「このまま(略)いつまでも暮らさないか」という歌詞が恐ろしい。石川禅はこのまま、いつまでも……この最高潮を保ってこの場に止まり続け、人気者の名脇役としていつまでも器用に数々の大舞台を支え続け、数年先まで出演作スケジュールが内定し続けたまま、老境にさしかかるのか……い、いかーん! 全地球人類の至宝と呼ぶにふさわしいこの才能を、日本ミュージカル界がそうやって一つ所にとどめていてはいかんだろう!
 というわけで、私の総括は「CD出そう」です。この表現自体が時代遅れなのは重々承知だが、配信云々より物理的にコンパクトディスクが出ないと何も始まらないのが日本演劇界2018年の現状なので我慢してください。CD出そう。CD出そうよ。時が来た。事前に予復習できる資料があれば、茶の間ファンの数も、現場の動員数も増えるはずだ。近年の相次ぐビッグタイトルDVD化により、「舞台を記録媒体に落とすと劇場への客足が鈍る」は杞憂だったことが証明されてるじゃないか。4thまでに披露した持ち歌は全部スタジオレコーディングしてしまえ。「時が来た」も「アンセム」もベストテイクは音盤に永久保存しよう。二人羽織の「夜のボート」だって、繰り返し聴きたいけど何度も何度も見世物にすべきじゃない。今を生きる禅ちゃんは新たな持ち歌を増やして次のステップへ進めばよいのだ。まだまだ足りなーい! こんなーもんじゃーないーぞー! 欲望は底なし!
 壊すしかない。この幸福は、この安寧は、壊すしかないのだ。この4thを「新生1stコンサート」と捉えるならば、役者石川禅の時は、ここで止まっていてはいけない。まして我々ファンがずっと同じ持ち歌をリクエストし続けることで飛躍を妨げる足枷となってもいけない。あの曲もこの曲もまた聴けて嬉しかったけど、おかわりだけじゃ、ダメなんだ……。そう考えさせられる演出だった。バンド編成でMCを排し、「歌」に焦点を当てたせいもあるだろう。1stや3rdの「一人芝居」と違って、今回は厳然と「コンサート」。最初のうちは「歌手じゃないんだから、ただ歌うだけの構成じゃ物足りないよ」と思っていたのだが、途中「逆だ、逆に考えればこれはCDアルバムのシミュレーションとも解釈できるぞ!?」と捉えてからは、好感も期待も高まっていった。
 4thコンサート限定グッズは巾着袋入りのクッキーとハンドタオル、うん、買ったよ、買ったけどね、圧倒的に課金アイテムが足りてないし、やはり我々、布と食品を売りつけられてもなかなか廃課金厨になれんのだよ。次は、次こそは、再生ボタンを押すと「歌=芝居」の音声が流れてくるようなグッズが欲しい、そうしたアイテムへの課金なら、我々は金に糸目をつけんのだよ。おわかりいただけているのだろうか、ホリプロ(概念)。とにもかくにも、終演後にSNSを駆け巡った、「巷の評判を聞いて禅さんのコンサート初めて来たのに、物販コーナーを見ても買えるソロアルバムが一枚もなくて戸惑いを禁じ得なかった」って声だけは、この機会だけは、損失しないでほしい。おい聞いてんのかホリプロ(概念)!!

[※本稿にたびたび登場する「ホリプロ(概念)」という言葉は実態を伴わない大人の事情や決裁権、不可視の公式マネジメント方針へ漠然と投げかけられるものであり、関連グループ各社の特定の部署や社員の業務内容を指すものではございません。興奮したキリスト教徒が「おお、神よ!」と叫ぶのとだいたい同じニュアンスです。]

■我が推しのアイドル化が著しい

 4thコンサートは、初のバンド編成、悲願の週末開催、新たに会場をイイノホールへ移しての二回公演。今までのファンの要望をすべて取り入れたかのような速報に心躍ったものだ。しかも本番20日前まで歌ってほしい曲の事前リクエストも募っていて、つまり採用されたら三週間で仕上げて聴かせていただける、という趣向。ウルトラ万能で超絶便利なのは知ってたけど、なんだそのスピード感、そんなに仕事早くていいのか、いっそ怖いよ。
 極めつけは、本番11日前からの本人によるカウントダウン企画……毎日! Twitterに! オフショットが! 時には動画まで! え、ちょ、ギブギブギブ、本番始まる前から客を殺す気か! 何事なんだこの、突然の新人アイドルばりの営業努力。公演日まで毎日チケットの売れ行きをチェックし、終わってからは感想を漁っていたけれど(保護者か)、リピーターと新規客のバランスがよく、当日券でパッと観に来たようなお客さんもいたようで、ずいぶん効果あったのではないかと。Togetterの「感想まとめ」が充実してますね。
 他には稽古場レポートやインタビュー記事などの事前露出もあり、その談話中、ソロコンサートの企画運営がひたすらホリプロ社内の熱意ドリヴンであることが明かされていた。薄々気づいてたけど、多忙な役者のソロコンを強力なバックアップで節操なく支え続けるプロデューサー梶浦氏……ネ申では……!? 今までの数々の暴言お許しください、今後とも、どうにも野心の薄そうな我らが推しを、センターの似合う立派なエンターテイナーにしたってください……!! と、気づけば両手が自然と合掌の形を結んで下目黒の方角を拝んでいる。
 さらにソワレ終演後には「ハイタッチお見送り会」という謎企画も開催。若手俳優沼ではおなじみ(耳学問)、いわゆる握手会の簡易短縮版である。客席後方ホワイエを大回りして出口付近までの大行列を組む大掛かりな導線に並ばされた我々、前後に居合わせた見ず知らずの客同士で「上野動物園のパンダみたいですねw」などと軽口を叩きつつ進むのだが、実際に本人に相対するとみんな「ファー!」って悲鳴が漏れてた。あっ私これ知ってる、『りさ子のガチ恋♡俳優沼』で読んだやつやー!(耳学問)
 そして持ち時間の数秒で私がようやく掛けられた一声は、「好きです」でも「愛してます」でも「これからも応援してます」でさえなく、「ちょ、禅さん、これ、めっちゃロータッチじゃないスか!!wwww」だった……だって「わーい!」つって両手を合わせてきた高さが全然ハイタッチじゃなくて、完全に「せっせっせのよいよいよい」の冒頭開始位置だったんだもん……(萌)。先方もリアクションに困ったのか「えー!?」と驚かれておいででした。まぁそりゃそうですよね、五百人の大行列から愛と愛と愛と愛とを注入される接触イベントで、いきなり「低い」とツッコミ投げつけて帰る客、マジで意味不明だよ。本当に申し訳ない。いつか私にも推しの目を見て和やかに会話できる、そんな日が訪れるのだろうか。来ないだろうな。

■セットリスト編

 曲構成は以下の通り。勝手にマイベストを挙げると、思い入れが深くて嬉しかったのは「秘めた想い」、全公演通じての白眉は文句無しに「あなたが側にいれば〜夜のボート」だな。あんなの、地球の他のどこ行ったって観られないもの。

• 夢に見るマンダレイ(レベッカ)
• ミッドサマー・イブ(PUCK)
• 秘めた想い(レディ・ベス)
• もしも鍛冶屋なら(マリー・アントワネット)
• 星から降る金(モーツァルト!)
• 最後のダンス(エリザベート) *マチネ限定
• あなたが側にいれば~夜のボート(エリザベート)
• ディズニー・メドレー
• わたしはわたしの発明品(アリス・イン・ワンダーランド)
• セイリング(ニュー・ブレイン)
• 時がきた(ジキル&ハイド)
• アンセム(チェス)
• 彼を帰して(レ・ミゼラブル) *ソワレ限定
• カフェソング(レ・ミゼラブル)
• 星よ(レ・ミゼラブル)
• SAY YES *アンコール

 下手から上手へかけて、グランドピアノ、ヴァイオリン、ベース、ドラムと並んだバンドセット。開演ベルが鳴るとミュージシャン四名が位置について音を合わせ、遅れてセンターに禅ちゃんが揃う。お衣装くっそカッコいいっちゅうねん!! 光沢のある厚手の黒いセットアップで全身にペイズリーっぽい織柄が入ってて、襟やポイントがサテンで、シャツは無地黒でタイは銀でチーフが茶、靴は相変わらずピッカピカのエナメル、いつもの指輪に加えて右人差し指にもドレスリング、文字に書き起こすとどこのファッションヤクザだよって感じだけど、違うんです。動くたびキラキラ照明が反射して華やかながら、だいぶ上品かつシックな舞台映えで、この「地味だけど派手だけど地味」というのが本人の持ち味にすごく合っている。
 衣装クレジットは前回と同じ及川千春さん。マジでどこの布をどう詰めたらあんなゆったりしたパンツであんな美脚シルエットが出せるのか、日頃の舞台衣装や稽古着では秘められているあの抜群のスタイルよ……。残念ながら「おきがえターイム」(原文ママ)はなかったけど、C列中央かぶりつきで観たら目が潰れそうになったわ。

#夢に見るマンダレイ(レベッカ)

 青っぽく落ちていた照明が燃える炎の赤へと変わり、ヴァイオリンに重なったピアノの音が転がり落ちるようにして『レベッカ』の世界へ。イントロだけではどの曲かわからなかったが、歌い始めるとすぐ、イッヒになる。圧巻は「愛だけが 狂わせる 人の心を」というくだり。恐ろしい言葉だ。ここをね、すごくかわいく歌ったんですよ、石川禅は。未来への怯えもなければ、過去への哀しみもない。続く「でもいつか 愛だけが すべてを癒す」という歌詞も、軽い、軽い。えっ大丈夫、これから起こること起きたことの意味わかってんの彼女、と心配になるくらい、かわいらしく歌うのだ。そして、それが、ものすごく怖い。
 かわいさと見えたものは、強さである。何が起きようと根っこのところでは全然動じていない娘。だからこそ、この運命に引き寄せられ、そして乗り越えて強く生きている。全編に漂う死の匂いを手のひらに乗せたまま、彼女だけが不死身。外側からどんな揺さぶりがかかっても内側は揺らがない、そんなイッヒのビブラート。マチネはとくに強く感情がこもってて一曲目からほとんど全身が痙攣しているように見えたほど。恐ろしい人物造形解釈ですよこれは。本当、禅だけが、狂わせるよね、俺たちの心を……。

#ミッドサマー・イブ(PUCK)

 誰かと思ったら松任谷由実の作なんだ! 五度も夫婦役を演じると、妻の気質が夫に伝染するんですかね、涼風真世版パックもかくやあらむ、見事な妖怪、もとい、妖精っぷり。本来は男役の女性が演じる役なのだが、七色の声を持つこの男性が、扮装も何もなくガラコンサートで歌うことにより、愛らしいラブソングをずっと「性別不詳」のまま聴いていられるのが心地いい。妖精とか、黄泉の帝王とか、本当はこのくらいジェンダーロールを超越した存在として観ていたい。私、禅ちゃんは今からでも即刻ブロードウェイ進出したほうがいいと思う一方で、こうやって男タカラヅカ状態で、日本で日本人が演じることでしか出せない、独特の和出汁の味わいを効かせていくのも悪くないと思うんだよな。
 イイノホールは間口15m×奥行8m。前回会場のよみうり大手町ホールと実際のスケールはそこまで違わないはずなのに、ずっと横長で開放的な印象が強い。客席の傾斜もゆるやかで、芝居をつけながら上手へ下手へと平面的に移動するパフォーマンスが、のびのびとよく見える。音響もよかったと思う。聴きながらずっと「どこかの野外音楽堂にいるみたいだな〜」と思っていた。四方を囲まれた窓のないホールなのに、風が抜けるよう。それで終演後、客席後方ガラス張りのホワイエがパーッと開いて、日比谷公園の初夏の新緑が見えたときの抜け感といったら! こんなに会場と相性がいい選曲があるかい。ソツのない歌唱と、続くどちゃくそめんこいMCとのギャップも最高。

#MC1

 ようこそお越しくださいました、と最初のご挨拶。「1st、2nd、3rd、とご覧になってくださった方はもうお気づきですねー?」と「お・も・て・な・し」みたいに手振りをして数えてのち、「今回はバンド編成でお届けします!」との宣言に拍手喝采。そう、これは今までエレクトーン伴奏に耐え忍んできた観客側の悲願でもある。「一同、起立! 礼! 着席!」との号令をかけて、五名でお辞儀。ここの日直プレイ、後列に出ずっぱりのサポートメンバーを抱えて「リーダーは俺だ」との印象が強調され、とてもよかった。子供っぽい仕草に場内が自然と笑顔に包まれる。授業参観に来た親の心境ですよ。
 「一曲目は2019年1月に再演決定した『レベッカ』より。9年ぶりにフランククロウリーを演じます、……宣伝宣伝!」「リクエストの中から、二曲目にこれを選んだのは独断と偏見です。わたくし先日6月22日、夏至の日に、また一つ歳を取ってしまいました!」という曲紹介。「イヴの歌ではあるけれど、曲中で一夜明けているから、この歌が歌われているのは、私の誕生日!」とトークが続くのだが、昼も夜もずーっと気になっていたんだ、禅ちゃん……今年の夏至、6月21日やで……前夜は6月20日やで……ちなみに1964年の夏至も21日やで……。いや、いいんです、「夏至の前後に生まれたかわいらしい妖精、それすなわち私(54歳男性)!」というメッセージは十分伝わったから。そうだね、この世に禅ちゃんが爆誕したことより大事なファクトなんかないよ(愛)。
 次に「終演後にセットリストをお配りするので、以後は曲紹介はしません」との説明。授業参観気分でハラハラ観守ってきた私、ここでまたグッと胸打たれる。ああ、一昨年より去年、去年より今年、着実に段取りが向上している。冷静に考えたら、来場客の大半がイントロだけでどれがどの曲か把握できるのだから、いちいち紹介する必要はないのだ。歌ったり喋ったり喋ったり歌ったりする推しの姿も愛おしいけど、「いいから、センター張るときくらい本業に集中してくれ」との想いもなくはなかった。全体の上演時間が縮まって物足りないという声もあったけど、私はやっぱり、間髪入れずぽんぽん進んでいく今回の段取り、非常によかったと思うな。

#秘めた想い(レディ・ベス)

 ニッコニコでMCしながら、下手側ピアノ脇に設置された給水スポットからマイクスタンドを自分で運び、「それでは、この曲から」とさらっと始めた歌い出し、アカペラで「わたしの、」と聞こえた途端に、さっきまで笑ってたのに、もう涙腺決壊してしまった……。私は『レディ・ベス』という作品が本当に好きなんですよ。きっと誰が演じていようと大好きになるベス様、推しが演じてくれたらそれはもう最高だろうと思って、事前リクエストに書き送ったナンバーでもある。これは心拍数上がる。
 禅ベス、可憐でしたね。小さくか細い声から入り、理不尽な仕打ちに耐えてきた強さという以上に、もう黙っていられない、誰かに心情をぶつけずにはいられない、という「弱さ」が見える様子が新しかった。生まれながら女王の風格を備えた花ベスとも、負けん気強く男前な包容力のある綾ベスとも違う。強いて言えば初演の綾ベスに似ているかな。冒頭からずっと泣きべそかいて、全編通して「神に見放され」だけを歌い続けているかのようにさえ見えたあの子。
 音から音へ移るとき、歌声を発していないわずかな休符の間でも、開いたままの口元がぶるぶる震えているのが目視できる。見開いた瞳いっぱいに涙をたたえて、表面張力でそれがぎりぎりこぼれない。ああ、盆の回転が見える、歌舞伎役者ばりの大見得でメアリーを仰ぎ見るガーディナーの後ろ歩きも見えるし、ワイアットと群衆のスローモーションも見える。その中心に、あの黒いドレスを着た禅ベスが、まるで違和感なく立って歌っている。可憐だ。きっと石川禅が出ていなくても好きになった演目だが、その演目の世界初再演に贔屓役者が出ていて本当によかった。
 いきなり手元のハンカチを水没させてしまい、最後、泣きながら「神のご加護を、勇気あるレイディ・ベーーーース!!」と叫ぶの堪えるのに必死でしたよ。場内のあちこち、はっきりそれとわかる啜り泣きが聞こえる。この凄さわかりますか、まだ三曲目だよ? というわけで、ここから実質ノンストップの「クンツェ&リーヴァイ尽くし」へ突入。

#もしも鍛冶屋なら(マリー・アントワネット)

 なんとも特異なセットリスト、音楽はどれも優雅なのに、やってることは「荒行」の様相である。だって普通ここで、たたみかけるように、間髪入れずに「鍛冶屋」歌うかよー(泣)!! 生きていたくて死にたくなくてぶるぶる震えてる若いプリンセスから、とうに死を覚悟しつつも子供たちを気にかける父王ルイ16世へ。2006年のライブ盤を聴き返したらめちゃくちゃ声が若くて驚いた。今のほうが断然いい。すごいな12年の歳月。そりゃマリーテレーズこと黒沢ともよ様も成人するわ。
 作中じつは自力で何かを「した」わけではない非力なベスの、だからこそ爆発する「私が何をしたっていうの」という怒りに私は強い共感がある。しかし同じ感情を、すでに国王としての責を負うルイ16世は、表には出せない。彼は自分の「した」ことを理解している。けれども彼だって「望むもの」を「作れた」わけではない。この曲、ドラムは入らないまでも鳴り物なども結構入ったカルテット伴奏で、オーケストレーションとは違うのがなんだか新鮮だった。
 歌ってるほうもお目めキラッキラで、拍手喝采の後、給水スポットへ戻る。マチネのときとくに、この間が、めちゃくちゃ長かった。本人もどうしようもない感じでスツールに座り込んだまま涙を拭っては天を仰いでいたし、たぶん分単位、まるで永遠のような無音状態。そしてその間、フロントマンの姿はピンスポットの照明から外れているのだ。暗闇の中で役者の気持ちが切り替わるのを、みんなでじっと待っている。観客は固唾を呑み、バンドも微動だにせず、一音も奏でない。ただ、待つ。沈黙が会場を一つにする。
 今までのソロコンサートで彼は、歌い終えて給水しながらも明かりの下で終始マイクを手放さず、芝居がかった口調で忙しなく喋りながら、たった一人で場をつないでいた。3rdのときはダンス&コーラスのガールズがいたけれど、孤軍奮闘の様子が強調されるばかり。そして音楽的にはエレクトーンとの文字通り「一騎打ち」である。ボーカルと伴奏、両者互いに「俺しかいない、一音でも外したら死ぬ」という一対一の緊迫感がみなぎっていた。孤独な一人芝居。結構、観ていて胃に来る。
 ところが今回は、歌い手が給水スポットを往きつ戻りつすると、照明の下から一瞬だけ「消える」。客の面前にありながら、自然体に近い気の抜けた状態を晒すのだ。闇の中で次の準備が行われる間、主役不在の舞台には四人の仲間がずらりと並び、その空白を埋めてくれている。役柄でも役者でもない何物かとして暗がりの元の位置へ帰る姿が、音楽の余韻とともに、いちいち胸を打つ。ピアノ脇のスツールに腰掛けるその人影が、何かに似ていると思ったら、ルンバだよ……。ひとしきり働いた後に充電のため定位置へ戻り、カチッと自分でスイッチをオフにしてスリープモードに入る、お掃除ロボットみたいだ。充電完了のタイミングを注意深く観察しながらキューを出すバンマスYUKAさんのホームベース感も素晴らしく、我が推しほとんど「巣穴に戻る子熊」や「母の胸に抱かれる赤子」にまで見えた。これが次の曲につながる。
 本来、1stからこの環境が与えられて然るべきだったのだ。今までの構成は本当に過酷だったろうなと改めて気づかされる。得がたい静寂だった。輝いていた。美しかった。場内のすべてが石川禅という名の大切な宝物のコンディションを中心に回る、その空気の尊さよ。

#星から降る金(モーツァルト!)

 みんなが無遠慮に眺めるなか、闇の中の本人が目線を交わすのはたった一人だけ、YUKAさんもゴーサインが出るまでじっと待っている。やがてピアノのみ、宝箱を開けて鳴るオルゴールのような、ごく控えめな音色。ものすごくゆっくりと、誰にも邪魔されずたっぷり間をあけて歌い始める。みんなこの曲が歌われるのを事前に知っているから何の問題も無い。禅ヴァルトシュテッテン男爵夫人、香寿たつき様直系という感じのオバチャン感が素晴らしくよい。慈愛。でも産みの母性ではない、距離を保った、育ての慈愛だ。
 歌い始めはスツールに座ったままだったかもしれない。「道は険しいと〜」からリズム隊がついて、立ち上がったハンドマイクとともに下手から激しい動きの芝居が始まる。「この城に共にとどまるのだ」の声音はいきなり王様になる。これは市村正親レオポルト直系の厳格な父。男声歌手ならではの変わり身で、しかしそこから天を仰いで「憧れの精」の実在を体現するフェアリィ感は、さすがの石川禅。こんな演じ分けができる男声歌手は他にいない。
 実質一人三役くらいで紡がれる物語に、お腹いっぱい。後半はリズム隊もだいぶドカドカやっていたので、歌もつられて盛り上がる。この変化の感じもエレクトーンでは出なかっただろう。「秘めた想い」「鍛冶屋」と命懸けの揺らぎを見せていたのと違って、きっちり仕上げていく。

#マチネ限定曲:最後のダンス(エリザベート)

 歌い終えた後、一回背を向けて振り返るような演出だったか、振り向きざまにもう顔がトート閣下になってて、「ッターン!」と音が鳴るほどの勢いで、ジャケットの前ボタンを外すので、観てる側も「脱いだー!www」と気分がアガる。実際にはボタン外しただけで脱ぎはしないんですけど、ちょっとなんだ、もう、筆舌に尽くしがたい面白さ。禅ちゃんなのに、フェロモンが出過ぎている。という、これはギャップ萌えですね。
 禅トート閣下、もはや昭和末期のBLのスーパー攻様みたいなんだよ。すげー耽美なのに耽美よりエロさが優ってて、なぜ受けに対してそんなにガツガツしてるのか意味不明で笑ってしまう。神々しい山口祐一郎とも、ナルシスティックな石丸幹二とも、超人風のマテカマラスとも、小鬼のようだった武田真治とも、貴公子対決の趣がある井上芳雄&城田優とも違う。恋情というより、ひたすらに性欲が強い。笑。観たことある中では瀬奈じゅんトートが似た路線だった気がする。
 客だって当然、織り込み済みで、金払ってコレ観に来てはいるんですけどもさ、旋律が上下するたびに、素でカッコいいなと思う瞬間と、あまりの過剰さに爆笑しそうになる瞬間とが交互に訪れて、激しく逆巻く荒波に揉まれて、しんどい、しんどいよ……。しかもこのトート閣下、歌いながらバンドに絡む! 短い歌の間に、ヴァイオリンに流し目、ピアノにもたれて、ドラムにすり寄り、ベースに至っては肩抱いてヴィジュアル系バンドのご褒美タイムみたいにしやがったからな! 「たった一人の少女に惑わされた」純愛設定はどこへ行ったwww いや、いいと思います。『天使にラブ・ソングを…』のカーティスとか、こういう下半身から訴えかけてくる感じのエロい役も、また観たいものですね。
 それで当然アレも、アレもやらかしましたよ、ヅカウィンク! 客席側の目を極端に眇めてから顔の角度変えてバチコーンとキメることで広範囲を薙ぎ払いつつ、当たった全員が「今、私に、私だけにウィンク飛んできた」と錯覚するアレ! C列中央上手側の席にいたのだが、通路挟んで私の周囲一帯が一斉に「ヒッ」てなったあの瞬間を忘れない。もちろん、以前からもともとお持ちの職業上の技能だったのかもしれませんけど、最初の感想「どこで覚えたのソレ!」だったし、ご自宅で、お稽古場で、鏡を見ながら一生懸命コレを練習して、こうして健気に披露してくれているかと思うと、胸が熱くなるじゃない……!?(授業参観か)
 そんな悩殺トート閣下にも、十分に姫感あるのが石川禅クオリティ。そもそもこの曲、後半に歌詞の繰り返しが多くて、なんかアホみたいじゃないですか(暴言)。何度も何度も「最後のダンスは俺のもの」って言うんだけど、そこが駄々っ子プリンセスみたいでかわいかった。それと「皇帝陛下」「彼」「陛下」ってフランツに言及するところが良すぎた。ちゃんとあの素敵な素敵な禅フランツの姿を観客の脳裏に思い描かせた上で、「でも俺のほうがイケてんだろ!」とギャーギャー地団駄踏む黄泉の帝王。一粒で二度美味しい。

#あなたが側にいれば〜夜のボート(エリザベート)

 いったん給水に戻ると同時にまた中央にマイクスタンドがセットされ、ここからが本公演の目玉。皇帝フランツヨーゼフと皇妃エリザベートのデュエットを、センターに直立不動、とくに大きな身振りや顔芸もなく、ただただ「歌=芝居」だけで演じ分ける。禅トート閣下の独擅場からの、禅フランツと禅シシィのラブラブの掛け合い、これが私の観たかった「すべての役を石川禅が演じる」ミュージカル、『禅ザベート』ですよ!!!!
 時代を飛び越えて、一人二役。素晴らしかった。自分自身について歌う「私だけに」は何度も聴いていたが、初めて耳にした「妨げるものなどないわ」というフレーズだけで、ああ、禅フランツを心から愛している、この少女時代の禅シシィにずっと会いたかったよ、と思ったね。
 実際の舞台ではどちらの曲もデュエット、フランツ役者とシシィ役者が向かい合って歌う。観客はその横顔を蚊帳の外から「審判者」の視点で眺めるという芝居だ。しかし、これはコンサートなので客席正面を向いて全力で歌唱してくる、その禅フランツが、め、めちゃくちゃカッコいい……。一対一で見つめられているわけでもないのに「え、私のこと……!?」とドキドキしちゃう。頑張って誘惑してくれた禅トートには悪いけど(笑)、やっぱり私はいつでも禅フランツ一択だな!
 禅シシィが笑顔で歌うと、それにつられて笑顔で受けたりしていて、かわいい、皇帝陛下かわいいいいい。首飾りを渡すシーン、「とても重い」あたりでシシィが胸元に細い手指を当てて首飾りの存在を示すのだが、置いた手をそのままにして軽く胸を叩く仕草をしたときには礼服姿のフランツの厚い胸板が見える、という、なんだこの演技プラン考えた役者、天才だな。あ、私の推しか。
 極めつけが、「勇気を失い くじけたときでも」のメロディラインを、フランツパートで全開フルで歌ってくれたこと! 本来はシシィ役者とのハーモニーで、フランツはシシィを美しく見せるために居る役なので、舞台では演じる女優さんの声量に合わせて出力を絞ってるんですよ、いつも。初めて何物にも邪魔されず、全開の禅フランツの歌声が聞けた! 素晴らしい熱唱。しかも間髪入れず「あなたがそばにいればー♪」ときゃわゆい禅シシィが受けてくれる。「好きだ、あなたが、必要だ」も、フランツの嫁愛が全開。そうだよ、この声だけで耳が満たされるのが夢だった、今まで脳内で勝手に補完していた妄想がそのまま理想の姿で舞台上にあらわれた。幸福だなぁ。
 そこからあっという間に晩年を迎えて「夜のボート」。「わかっているだろう、なぜ私がここへ来たか」と台詞の応酬も完全再現。生きることに疲れ果てて心はほとんど「死」と共にある弱々しいシシィ、さっきまでとまるで声色が違う。でも老いているわけではない。この物語において彼女は美貌、つまり生の輝きを失わずに黄泉の国へ出向かなければいけないのだ。代わりにたっぷりと時を刻むのがフランツ役者、双子の少年少女のようだった二人が、これほどまで遠く離れてしまった晩年。
 ちょうどこの前日、成河が38役を演じ分けた一人芝居『フリーコミティッド』を堪能したのだが、そちらは風刺の効いたストレートプレイということもあり、客席との共犯関係を楽しむ外連味たっぷりの「声芸」「顔芸」が魅力だった。まぁ落語みたいなものです。かたや、こちらのミュージカルナンバーはずっと正面を向いたまま、殊更に顔を造ったりもしない。ただただ歌声の高低だけで、道を違えた男と女を演じ分ける。声優のアテレコなどと同じなんだろうけど、ひたすら精緻で繊細な職人技、ブリリアントカットを施された宝石が、無機物でありながら炎を宿して内側から輝くかのように見える、そんな一人二役だった。地味に凄まじい。
 もう同じ舟には乗れないシシィとフランツが、じつは本来は似た者同士であったということが、一人の役者のうちに表現される。「あまりに多くを望みすぎるよ」の泣き笑いする表情が、男性的でもあり女性的でもある。「一度私の目で観てくれたなら、あなたの誤解も解けるだろう」もフランツパートで、「夜の海に浮かぶ」「わかってほしい」あたりも浪々と歌い、デュエットでありながら、フランツのターンを非常に長く感じる構成。で、「安らぎは遠く見える」とか、要所要所だけシシィが舞い降りてきて、最後は渾身の「わかって、無理よ、私には」……ああ、禅フランツの分身が、禅トート閣下に攫われていってしまった。もらい泣きを超えて、もらい鼻水が出たわ。←台無し。

#MC2〜メンバー紹介

 ここでようやく「あざまっす!」と、いつもの照れ隠しのアッ軽い挨拶とともに俳優本人が戻ってくる。きゃわいい。けどな、軽い、軽いよ、これだけの偉業を演じきったのだから、もっと堂々とドヤ顔してていいのよ! めちゃくちゃ妖艶にファントム歌い上げた後、自分で放った膨大なフェロモンを照れて自分でぱたぱた掃き清めていた3rdのMCを思い出す。「狙ったわけでは、ないのですがー、気がつけばクンツェ&リーヴァイさん一色。そして気がつけば、王、宮、絵巻……。全員やんごとない人たち!」と笑いを取り、バンド編成でやるならどんな曲がいいかなと思って選んでたらこうなっただけで、偶然の産物でございまーす、という話。
 ドラム西村悟史、ベース白石裕人、ヴァイオリン樋口菜穂美、ピアノYUKA、とミュージシャン紹介。それぞれ名前を呼び出されてサクッとソロを奏で、「すてきー」「イェー」などと寸評を加えられる方式。ベースが6弦だったのと、ドラムスティック飛ばすアクションが印象的。YUKAさんが最後「たなばたさま」を奏でた後は、禅ちゃんがマチネは「笹の葉さーらさら♪」、ソワレは「きーんぎーんすーなーご♪」とふざけて子供声のアカペラで歌ってた。きゃわいい。

#ディズニー・メドレー

 「ここからはリクエストいただいた曲をお届けします」と切り替え、ピアノによる「星に願いを」の穏やかなイントロが流れたところで、ギュワンとバンド演奏が転回して雰囲気一転、突然の「Be Our Guest」!! 3rdコンサートで目玉の一つだった「アランメンケン・メドレー」を、全部そのままリアレンジして持って来たー!! 「星に願いを」が入ったから改題されたのだろう、レパートリーとして同じものを別のかたちで披露する本人がとにかく楽しそうで、くるくる回ってノリノリ、「本当はバンド演奏でやってみたかったんだよね、これ!」という歓喜が炸裂していた。
 曲こそ同じだが、順番や演出は3rdとはまったく異なり、歌唱法も「役者の一人芝居」と「バンドのボーカル」くらい違う。中身はもはや別物のメドレーと言ってよい。前回の悪魔的にエロく官能のカタマリみたいだった禅ルミエールは鳴りを潜め、明るく陽気、まるで別人。このお皿なら食べても安心だな。前回はしっとりバラードアレンジだった「Under The Sea」も耳に馴染みのある陽気さで、「陸じゃ立ってるだけでくたびれーるけーれどー」は直立不動のまま揺れておどけてみせる禅ちゃん。ここがさー! 『メリーポピンズ』のペンギンダンスみたいでな! 幻の禅バートが観られた気分。踊ってないけど(笑)。
 ベースとの掛け合いがかわいかった「Friend Like Me」、私のお気に入り「Go The Distance」に、伝説の禅アリエル16歳ふたたびの「Part Of Your World」(「ヒレじゃとーくへゆけない」のとこ歌いながらちょっと照れてませんでした!? 我々さすがに前回SNSで褒めすぎましたかね!? 一瞬だけ我に返っておっさんに戻っててそれがまた萌えたw)、「美女と野獣」「A Whole New World」と続いて締め、アウトロでまた「星に願いを」。本当に全曲やったよ! 個人的にはいつか、コールポーターとかジェイソンロバートブラウンのメドレーもやってほしいです。

#「わたしはわたしの発明品」(アリスインワンダーランド)

 これも好きな曲。日本版ではウサギ役者が歌うので、ジャックが歌うことのないジャックの持ち歌。禅ちゃんの「発明品」を聴くたびに、本編で歌わなかったのを心から惜しく思う。まぁでもウサギが歌うほうが断然しっくりくる歌でもあるから、私は日本版の改変が大好きだよ。じゃあもう禅ちゃんがウサギもやればいいだろ! というか全役禅ちゃんがやろうよ『全員禅インワンダーランド』でどうだよ!(禅ザベートに飽き足らず)
 最初こそ老ルイスキャロルに入り込んでおじいちゃん風に歌っているのだが、横長のステージを使って小芝居を加えながら歌ううち、そこに夢の世界をメタに支配する「本体」であるアリスの姿が重なってくる。後半に向けて歌い上げるほどに、年齢や性別を超越して、ひたすら天まで届く透明感だけが突き抜けていく、あの歌声な。そういえばこの曲、原曲で最も美しいのは「I」と「I」とで歌う男女の声が重なって「We」に転化する瞬間だった。
 いやはや、こうして多層的に人格を見せてきた挙句に装飾的要素を全部すっ飛ばして、主題を、本質だけをガシッと摑むユニセックスな芝居が、本当に、上手い。何をどう書いても陳腐になってしまうが、「フランツの中にシシィが見える」「男爵夫人の中にレオポルドが見える」とか、あるいはその逆とか、はたまた「マリウスなのにエポニーヌにも見える」みたいなこうした歌い方は、この人の「当店自慢の味」ですよね。音楽的な制約に合わせて的確に忠実に演じきりながらも、自分自身はもちろん、役柄の設定からさえパァンと自由に解放される、そんな瞬間を知っていて引き出せる役者の歌だ。
 ……というのは終わってから冷静になって思い出しつつ言うので、手元のメモには「手がキレイ」「みどり」とだけ書いてあった。照明の色ですかね。アホか。あと「早足!」って書いてある。バンドアレンジが舞台版よりアップテンポだったのかな。

#「セイリング」(ニュー・ブレイン)

 これも、3rdでのパフォーマンスが素晴らしかったからリクエストが集中したのだろう、頷ける。悪役など「陰」の役も巧いけど、本来の声質に合っていて持ち味が活かされる「陽」の歌。癖なのか知りませんが、ゲイ役を演じるとき、やけにきれいに両脚が揃うんですよね。少女役を演じる際の可憐さと同じく視覚的愉悦がすごい。俺が来世ゲイに生まれ変わっても同じ男を推せる(真顔)。
 デュエットを一人で歌うナルシシズムも心地よく、その意味では「あなたが側にいれば」と対のような曲。正面向いて歌われているのに、こちらは「私へ向かってきている」感がなく、ひたすらに禅ゴードン×禅ロジャーのノロケを客として見せつけられている……次は是非、あの裸バスタオルに、大きな鏡か何かを小道具にして、自分と自分でイチャイチャ歌ってくれ。
 普段バイプレイヤーとしての出演作が多いから「滅私」のイメージが強いけど、自己愛の極まったような表現にも向いた人ですよね。禅フランツほど禅シシィを愛しているフランツはいないし、禅ゴードンほど禅ロジャーを愛しているゴードンはいないし、そしてきっと、石川禅よりも石川禅を愛している他者はいないのだ。それって最高じゃない? と、自分が自分に向けて歌っているようなラブソングをうっとり聴いていた。拍手のち暗転、給水してタオルを使い、しばらくスツールに座って気持ちを切り替えて、スタンド持ってセンターへ戻ってくると、照明を当てられていた背後の紗幕が降りる。

#「時が来た」(ジキル&ハイド)

 正直、マチネでは「えっ」と身を硬くした。このあと「カフェソング」「スターズ」「アンセム」が来ると思うと、後半のたたみかけが3rdのセットリストによく似ている。技巧を要するハイカロリーな曲ばかり続くのに、既視感が優って意外性が薄い。圧倒的強者によるいつも通りの優勝を観るような、愉快痛快で嬉しいんだけど、先の展開に少し飽いたような、あの感じ。
 照明はふたたび青い光、黒いスーツの光沢がきれいに照り返って、ろくろ回してのち握りこぶし、相変わらず「童心」とでも評したくなるほどのピュアに情熱的な禅ヘンリー、何度生で聴いても、本当に大好きなんだけど。「いいから早く劇場で本役やらせろや、聞いてんのかホリプロ(概念)……」と、昼公演はそればかり考えてしまった。アルバムリリースのない俳優、もう一度聴きたいと思ったらライブで聴くしかないし、だからみんな「前に聴いて素晴らしかった曲」を、優先的に「おかわり」でリクエストする。その気持ちは超わかるんだけどね……。
 そして夜公演を観ながら「いや、この現状を打破するには、もうCD出すしかないよね!」との結論に至った。「時が来た、そうだよ時が来たよ禅ちゃん、逃すな、危険はつきものだが、振り返ることはもはやない、『エリザベート』も『ジキル&ハイド』も、最高のベストテイクを永久保存して、そして次へ行こう、もっと新しい歌を歌ってこう、見えるわ新しい生活が!! なんなら今夜のうちに今のこの歌を録って出しのシングル楽曲配信とかしたっていいんだぞ、それに値するクオリティだぞ今のこの歌唱、おい聞いてんのかホリプロ(概念)!!」と、私まで拳を握りしめる。とくにソワレは最高の出来だったと思う。

#「アンセム」(チェス)

 3rdコンサートでもさんざん絶賛したけど、また聴けてよかった……(貴様も結局おかわり大好きか)。荘厳なオーケストレーションとは違うけど、やはり一台でも生の弦の音が入るのはいいなと思った曲。不思議なことに、彼の「アンセム」を聴く前と聴いた後とで、この曲に対する印象ががらりと変わってしまった。声楽的な歌唱力だけで歌い上げる百点満点の「アンセム」には、何の魅力も感じられなくなってしまった。恐ろしいことです。
 さすがに力戦系の曲が続き、マチネだかソワレだか、途中で声がカスッカスになった小節があったのだけど、「そうなんだよ、このくらいボロボロに命削って、感情に振り回されながらそれを曝け出す歌だよ、これは」と思う。どんなに傷だらけでも絶対に価値が低まらない。『若草物語』だったか、家事で荒れた女の手指を「どんな貴婦人より美しい」と評するエピソードがあるじゃないですか。禅ちゃんの「アンセム」、まさにそんな感じなんだよ……(なぜ女オタクは推し男性をつねにヒロインに喩えるのか?)。
 爪痕こそが、瑕疵こそが、この歌の完璧な完成形、原詞が讃える「She is eternal, she is the constant」の姿を見せてくれるとまで思う。その彼女とは母国のことで、だから息子として綺麗に歌う人が多いんだけど、禅ちゃんのは、絶対に我が物とはならない存在へ魂ごと捧げる恋歌の域ですね。歌い終えた後、しばしマイクスタンドにもたれて、ぐったりした仕草がまた艶っぽい。全身がまだ「How can I leave her?」と歌い続けているようだった。これからも、この歌に深く深く挑み続ける姿を観ていたい(貴様も結局おかわり大好きか)。

#ソワレ限定曲:「彼を帰して」(レミゼラブル)

 禅トート閣下の歌に禅フランツの存在が透けているのと同じように、禅バルジャンの歌には、しっかりとあの禅マリウスが透けて見えていた。マリウスとして歌われる「カフェソング」よりも、バルジャンがマリウスについて歌うこの「彼を帰して」のほうが、よっぽど「マリウスを感じる」仕上がりになっていたと思う。事前に歌うと聞いて想像していたよりも、はるかによかった。
 変な言い方だけど、やはり、禅マリを誰よりも愛しているのは禅ちゃんなのである。当然といえば当然だが、禅マリのいいところダメなところを誰よりも把握しているのは、演じている石川禅その人で、そんな禅マリの歴史を全部ぶっこんで、あの可愛い生き物について「御心でしょうか、まるで我が子です」と歌うバルジャンなのだ。「俺たちもさんざん劇場へ通い詰めたし、たいがい禅マリ愛してるけどな、みんな絶対に禅マリより先に死んで禅マリを生かしたいと思ってるけどな、でも、このおっさんの注ぐ愛には、到底敵わないわー」となる。完敗だよ。
 今までさまざまなバルジャン役者を観てきたけれど、禅バルジャンには悲愴感がなかったな。殺しても死なない感じ。口では「死ぬなら私を」と言いながらも、マリウスともども生き残る気まんまんの、まだまだ折れない生命力がある。「はァ!? コゼット幸福にするまでは絶対途中で死なんし!!」という気迫でいうなら、ヒュージャックマンにも匹敵する感じ。そういえば2019年版のキャスト発表されたけど、いつか佐藤隆紀バルジャンと禅マリウスのスペシャル共演とか、観たいよねぇ(時空が歪み過ぎている)。

#「カフェソング」(レミゼラブル)

 イントロと同時にすっかりすんなり演技が入って、前曲まではずいぶん気が張っていたのだな、と逆説的によくわかった。バンド演奏にすべてを委ねながら、ひたすら役に没頭して演じきる。こんな重厚なナンバーにこんな感想書くのも変な話だけど、観ていて「ラクそうだな」と思った。けっして歌うのがラクな曲ではないのに。インタビュー記事で「もはや自分でもよくわからない(ほど、すんなり役があらわれる)」と評していたのは、この感触を指しての言葉なのだろう。
 私はそもそもマリウス役を観て石川禅を好きになったのだが、正直この曲ほど「舞台とコンサートはまるで別物だ」と痛感する曲もない。コンサートで聴く「カフェソング」は、禅マリでありながらも、「あの」禅マリではないのだ。聴けば聴くほど、私が恋に落ちたあの46歳マリウスは遠のいていく。といって「プリュメ街」とか「恵みの雨」みたいな場面を再現しろと要求するわけにもいかないんだけどね。
 コンサートのたびに「私にとって2011年の『レミゼラブル』とは何だったのか」を問い直す時間が設けられている有難さよ……。千の風になった禅マリから「そこに私はいません」と言われながらも、それでも詣でる墓参り、みたいな気分。同じ曲でも少しずつ少しずつ変質して、そうして思い出が遠のいていく名残を惜しみたい。何度でも死んでいったあの友たちを悼み、とてもよく知っているのに初めて観るようでもある、いつか観た青年にとてもよく似た別の青年を、遠く眺めていたい。その意味では、還暦過ぎても余裕で持ち歌にできるな、と思ったよ。

#MC3

 舞台も客席もグズグズと涙の音に包まれ、6月下旬早々に梅雨が明けたというのに、湿っぽいを通り越して水浸し状態である。マチネは「まーた泣いちったよォー。すいませんでしたー!」と詫びから入るMCだった。「アンセム」については「はだびずが、どばらなぐなびまず」と言いながらおどける。「カフェソング」については「これが皆様のリクエストぶっちぎりの第二位で、ということは、次のぶっちぎり第一位が……早いもので、最後の曲……」「えーー!!!!」「あざまっすー」というやりとりを経て、いよいよ最後の曲。

#「星よ」(レミゼラブル)

 いいんですけどね……(遠い目)。私、大好きですよ、禅ちゃんの「スターズ」。暑苦しくて、息苦しくて、禅マリウスは作画が内田善美なのに禅ジャベールは作画が野田サトル。『ゴールデンカムイ』の新刊読むたびに禅ジャベが恋しくなる。そして、本人が無骨でおっさんくさいぶん、ああいいとも、共に空から身を投げて地獄へ堕ちよう、ジャベール、君はどこへ堕ちたい? って、聴いてる側がどんどん過剰に耽美な気持ちにもなったりもする。
 でもさぁ、3rdに引き続き繰り返し繰り返し思うけどさぁ、「本日ご来場いただいた皆様へ感謝の気持ちを込めて、この曲でお別れいたしたいと思います!」という誠実さと信頼あふれるニコニコMCの後に、コレ歌うの、おかしくない!? だって歌い出し「さぁ、逃げてゆけ!」だよ、ランキング第一位とか以前に「ぶちこむぞ鉄格子」だよ!? めちゃくちゃ紳士的な態度からやにわに足蹴にする仕打ち、マジで何なの禅ジャベール殿!? 自分にも他人にも厳しすぎてファンサービスに見えないよ……。いい持ち歌だし、絶対聴きたいナンバーだけど、配置……配置をだな……まぁたしかに、我々は口もきかず禅を見張る刑事たちだけどな……石川禅という名の愛の鉄格子にぶちこまれ、炎に焼かれ恋の地獄に堕とされて逃れられないけどな、観劇沼の淵でうっかり躓いた痛みという代償を誰でもチケット代として払い続けてはいるけどな……? えっ、そういう意味?
 ともあれ今回は、事前に取材記事で本人談話が読めたので、だいぶ平静な気持ちで聴いていられた。ものすごく深遠な意図があってマリウス&ジャベールの早変わり芸を最後に置いているというよりは、きっと、どちらのキャラクターもあまりに自然な自身の一部となっているがゆえに、ただなんとなく、クライマックスに配置されているだけなんだと思う。思いたい。そうであってくれ。
 それにしたって、もうちょっと、うっとり夢見るような、甘いお別れのナンバーがあっても、いいんじゃないの?……と、疑問符の消えぬまま始まったアンコール曲が、うっとりというより、びっくりな選曲で、私はいまだに受け止めきれていない……。

#「SAY YES」アンコール

 万雷の拍手が鳴り止まぬなか、バンドはふたたび位置につき、下手側から再登場した禅ちゃん、片手に真っ赤な上演台本を手にしている。ずいぶんな美品で、名入り千社札が貼ってあった。とくに挨拶などないまま、台本を見せながら「マキノノゾミ&鈴木哲也脚本、『シラノ・ド・ベルジュラック』より、抜・粋……」とタイトルを読み上げ、マチネでは「……あれ? どこだったっけー?」と該当ページを探して慌てだす。しおりの一つも挟んでおけ(萌)! ソワレではすんなり開いてました。
 今年5月まで上演していた直近の出演作だ。本役である吉田鋼太郎の面影を残し、ちょっと江戸前っぽい声音を作った禅シラノが語り始めたのは、バルコニーシーンの直前。「美貌があっても、美しい言葉がなければロクサーヌの心は奪えない」と言うシラノに、「言葉なんかなくても、心さえあればいいでしょ」と応じるクリスチャンの一人二役。顔の割に非モテとして生きてきたらしきおバカなクリスチャンが、ヤケクソのように「誰かも歌ってましたよねーぇ? 『言葉は心を越えない』ってー!」と、食ってかかる。そこで華麗なターンをキメて台本を置き、向き直ってパッと歌い始めたのが……
 「SAY YES」ですわ。イントロからCHAGE and ASKA「SAY YES」であることはわかるんだけど、あまりの唐突さに面食らい、状況が全然理解できなかった。満面の笑顔で「余計な、ものなど、な・い・よ・ね〜♪」と歌いだす世界一キュートな推し俳優を眺めながら、口開けてポカーンとしているうちにサビに突入。そしてご丁寧にリズム隊のタメまで作って、二番の「こ・と・ば・は、心を越えない〜♪」をきっちり強調し、めっちゃドヤ顔で歌う宇宙一ラブリーな俺の推し。えっ、まさかこのまま「SAY YES」一曲まるまる歌い上げるの!?
 ……そうでした(白目)。本当に「SAY YES」を熱唱してアンコールが終わった(白目)。書き残しておきたいのは、「腹が立つほど上手かった」こと、そしてマチネは本当に歌うだけ歌って「ありがとうございましたーッ!」と最高の笑顔で帰っていったこと。本人ばかりが「やりきった!」という表情で、客席、完全に置いてきぼりですよ。
 さすがにまずいと思ったのか、または良識ある誰かスタッフにたしなめられたのだろう(萌)、ソワレでは昼より多めに単身カーテンコールがあり、スタンディングオベーションの客席に向かってやにわにマイクを掴んで「ありがとうございます、あの、一つ言わせていただくとー!」と語り始める。帰るに帰れない総立ちの客を前にマイクを離さず喋り続ける光景も奇妙で、熱に浮かされたようなハイテンションだけがひしひしと伝わってきた。
 「『シラノ・ド・ベルジュラック』はつい今月まで出演していた作品。私は以前からマキノさんのお芝居に一度出たいと思っていた、その脚本で、17世紀が舞台の戯曲なのにCHAGE and ASKAのヒット曲を引用する、という斬新さに、すげえ感銘を受けましてね。それで自分のコンサートで是非歌いたいな、と思ったんです!」「ミュージカルコンサートなのに、こんな終わり方で驚かれたお客様もいらっしゃるでしょうが、今後はこうしてポップスなんかも盛り込んでみようかなと企んでおります、劇場でもお待ちしてます」とかなんとか、そんな話。そうだな、いくらサプライズとはいえ、やっぱり最低限の説明は大事だよな。
 他のファンの方と語らっていた感想は、「なんか、八幡部長とのカラオケ擬似体験って感じでしたね……」というもの。八幡部長とはNHKドラマ『マチ工場のオンナ』での役名で、橋本部長役の鈴木壮麻ともども「おいおいおい、株式会社名古屋オートモーティブの管理職にはハプスブルクの皇帝陛下しか居らんのか!」と総ツッコミを受けたアレである。つまり「わーい、八幡部長いつものアレ歌ってくださいよー!」とDAMのデンモクから勝手に「SAY YES」送信し、イントロ前から陽気にタンバリン鳴らしてついでにお得意様のウーロンハイ追加注文、みたいな。なんだそれ最強接待だな、どんな大口契約も結べるわ。
 まぁ実際そんな感じだったんですよ。高すぎる演技力を無駄遣いして、ちょっと歌い方を本家ASKAに寄せて、かつフェイクまで入れて、抜群の完成度、凄まじい再現度。それゆえに果てしなく余興めいており、ギャグじゃないのに笑ってしまう、才能の無駄遣い。あれはたしかに「素人離れした隠し芸を持っていた身近な知人」を見たときの、驚きの笑いに似ていた。相手はプロなのに。マジで、ドッキリ大成功だよ(白目)。

■蛇足、あるシラノ厨からの告白

 『シラノ・ド・ベルジュラック』は、マキノ脚本に鈴木裕美演出、豪華なつくりで非常によくできた音楽劇だったと思う。でも、どうしても比較してしまうのが、同じ主催者、同じ劇場、同じプロデューサーが手がけた、2009年世界初演のミュージカル『シラノ』。出ずっぱりの主演が二十曲近くを歌い上げるフランク・ワイルドホーンの傑作で、先日まで韓国版も上演されていた。日本版再再演が待ちきれない大好きな作品だ。もとは鹿賀丈史の当たり役だけれど、華のある石丸幹二が『ジキル&ハイド』を継承した今、技の光る石川禅に是非ともこのタイトルロールを継承してほしい。そんな想いを込めて、事前リクエスト企画に私が書き送った候補の大本命は『シラノ』の曲、「相手は百人(Bring Me Giants)」と「独りで(Alone)」だった。
 夢と描いていたのは、たとえばこんな演出である。マキノ版では原作におけるリニエールの造形を盛り込んだラグノーを演じ、ネール門「百人斬り」騒動の元凶となった石川禅。上演台本片手にブルゴーニュ座のやりとりをひとくさり朗読してのち、友よ今宵はおのれの寝所で寝かせてやろう、と宣言するやいなや、マキノ版のかわいいラグノーからワイルドホーン版の超絶男前なシラノへと華麗に変身、百人相手に単騎で迎え撃つ心意気を歌った名曲「Bring Me Giants」を披露、なんなら続けて「まっぴらだ!」と叫んで「Alone」を歌う……どうです、最高じゃないですか!?
 そんな個別具体的にも程がある私の夢物語は、もちろん叶わなかった。凹んだね。直近出演作に関連したサプライズがあることは聞いていたし、朗読劇を導入にするという予想までは当たったのが、また口惜しい。ここまで気を持たせたら『シラノ』歌うと思うじゃん! 二ヶ月経った今も、ラグノーの店で愛しいロクサーヌの口から知らん男の名前が出てきてズッコケた瞬間のシラノおにいさまを幾度も思い浮かべては、「わかるよ……」と心で語りかけている。もうね、俺たち絵に描いたようなヌカ喜び。誰だよ、クリスチャン・ド・ヌーヴィレット男爵って。何だよ、「SAY YES」って。


 私は今まで、石川禅に一度も失望したことがない。しかしこの日ばかりは複雑に絡まった負の感情に襲われてドン底まで落ち込んでしまい、初めて「ガッカリだよ!」との言葉が口をついて出た。くれぐれも断っておきたいが、これはただの八つ当たり。私の強烈な思い入れが空回りした、わがままで身勝手で一方的な、私以外の誰にも責任のない落胆だ。脳内をずっと駆け巡っているのは「SAY YES」ではなく「YAH YAH YAH」の、「いっそ激しく斬ればいい、丸い刃はなお痛い」というフレーズである。割り切れない、割り切れないなぁ。
 最初の落胆は、ああ、ホリプロ(概念)は「『ド・ベルジュラック』上演直後というこの好機に、なんとしてでも石川禅にワイルドホーンの『シラノ』を歌わせよう!」とゴリ押しをしなかったのだ、ということ。もしミュージカル版を復活させる動きがあれば、誰かが歌わせるよね。私が選曲担当だったら下心丸出しで捩じ込んで、関係者全員ご招待してステージ見せつけて、主演俳優候補としてバリバリ売り込みますよ。でも実際は、きっと全然そんな風向きじゃなくて、つまりあの作品自体、再上演の話すら出てないんだろうな……と察してしまった。これは禅ちゃんとは無関係なガッカリ。
 そして私は、黒木瞳演じる鈴木裕美演出版ロクサーヌの、あの「言葉」で男を選ぶ文系オタク女子っぷりが好きなのだ。自分だって「言葉の力」を持った役者(※武田真治評)としての石川禅が大好きでね、だからこそ、不世出の天才詩人・シラノ様を演じてほしいのである。でも、マキノ脚本において「SAY YES」が引用されたのは、恋文の力を懐疑する台詞。つまり「言葉は心を越えない、心に勝てない」と歌うのは、禅シラノではなく禅クリスチャンなのだ。私が黒木ロクサーヌなら、バルコニーで踵返して「お引き取りください(般若の形相)」ですよ。はー、ガッカリ。
 何より、未来が感じられない。現状、ファン層の中心は私を含めた中高年女性だから、世代的に「SAY YES」は喜ばれるだろう。でも、年若いお客さんとか突然のチャゲアスにドン引きじゃないの? いったいホリプロ(概念)は、10年後20年後の未来につながる新規客を開拓する気はあるのか、その策を練った結果がまさか、27年前の流行歌を歌わせることでは、あるまいよ……? というガッカリ。もちろん、当人の発案やそこにかける情熱が最優先でいいとは思いますよ。でも、リクエスト企画があったのだから、もっと画期的な新しいアイディアをたくさん送りつけられたらよかったな、こちらも至らなかった。職業病だよ、と笑われたけど、そんなふうに気に病んで凹んだりもした。


 とはいえ私も理性的な大人ですので、「SAY YES」が来るぞ、と頭で理解し心で準備してから臨んだ夜公演は、昼よりはだいぶ平静な心持ちで聴いていられた。そしてまた、二度聴いてようやく、大好きな推し俳優が目の前で「何度も言うよ 君は確かに 僕を愛してる」と歌ってくれることの尊さを、有難く噛みしめることもできた。
 終演後に言葉を交わした他のお客さんから、「育さんみたいな禅さんのワンフにとって、あれってマジ最高の贈り物じゃないですか!?」「僕を愛してる君を愛してる、って実質ファンへの101回目のプロポーズでしょ!?」「私、もし自担がコンサートであんなふうに歌ってくれたら、幸福すぎて死ねる……!!」とポジティブな感想をいくつも聞いて、初めてそんな見方に気づいたのだ。ある人からは、「禅さんって本当に、ファンからの愛を、強く確信してらっしゃるんですね。御贔屓さんたちは、禅さんと相思相愛なんですね」としみじみ言われた。それで思い出したことがある。
 2015年、1stソロコンサートの最後は「THANK YOU FOR THE MUSIC」。25年の俳優生活はミュージカルとの出会いあってこそ、という締めの言葉とともに披露された。もともとミュージカルを志望していたわけではない新劇出身俳優が、巡り巡って人気に押されて単独コンサートまで開催するに至ったその経緯、少なからぬ葛藤もあったことだろう。それでも「音楽のおかげで今の人生が続いている、それはとても幸運なことだ」と歌う禅ちゃんは、マジ天使だった。
 ただ、それは「天の采配」を示唆する。よく言えば使命感、悪く言えば消極性、つまり「自分が望んでいる以上に、お客様に求められたからこそ、こうして歌っています」という言外のメッセージが汲み取れなくもないのだ。彼は果たして現状に満足しているのだろうか、それとも別の想いを秘めながら、淡々と与えられた職務として年齢不詳エンジェルを「演じて」いるだけなのか。我々ファンの愛は一方通行で、あまりに重すぎると推しの今後の俳優人生を狭めたり苦しめたりするのではないか。そんなことが気がかりで仕方ないエンディングだった。
 それからわずか三年の間で、ソロコンサートは強力なバックアップのもと環境が整い段取りが改善され、迎えた四度目のアンコールが「SAY YES」である。大きく手を掲げて会場全体を掻き抱きながら「君は僕を愛してる」と呼びかけて、満場一致の「YES」回答を要求する石川禅。どこからか降ってくる音楽、生まれながらの黄金の髪、あらかじめ与えられた配役や、誰かに踊らされる仕事、そんなものに感謝して深々とお辞儀を繰り返していた「THANK YOU FOR THE MUSIC」の謙虚な少女は、もういない。今ここで振るわれるのは天の采配ではなく、俺の俺によるセルフプロデュースだ。蕾は咲き誇る大輪の花となり、「俺のこと愛してんだろ、YESかハイかの二択で答えろ、イエーって言えー」と笑顔で迫ってくる。
 ほんの四度ほどワンマンショーを経験しただけで、この劇的な変化。我が推し、マジで毎日が成長期、50代にして伸びしろ無限大である。「誰も自分なんか観に来てないと考えることで板の上の緊張を抑えていた」男が、「次もまた俺だけを観に来い」と宣言したとも解釈できる。独りで舞台に立つ宿命を受け容れ、礫のように投げつけられる愛や疑念をたった一人で受け止め、返礼が届かないならポップスで語り聞かせて打ち返す、その心意気たるや、「相手は百人、たとえ千人でも、立ち向かう、一人、恐れない」あるいは「When fate calls for a hero, I know the hero will be me(運命が英雄を求めるならば、それを演じるのは俺だ)」……ある意味で、私はこの耳に確かにそんな幻の「Bring Me Giants」を聴いたとも言えるのではなかろうか!(←まだ諦めてなかったのかよw)


 「御贔屓さんたちは、禅さんと相思相愛なんですね」と言われて、「そうですね」と首肯した。ソロコンサートが継続したからこそ、ようやく俺たちの愛に双方向性が生まれ、コール・アンド・レスポンスの瞬間が爆誕した。相思相愛、つまり、今このときだけは我々も雑念を払って「んもー、禅ちゃんだって私たちのこと大好きなくせにー!」と、その場でこいつを殴り返せるのだ、YAH YAH YAH!!
 はいはいはいはい何度も言うよ、俺たち、確かに君を愛してる、ガッカリしたけど、でもそれ以上のものを得たよ、YES、答えはYESだよ……と、全身全霊でボケにツッコミながら、私は私の推しに向かって、次に劇場で対峙するまで、ずっとこうしてエアリプを飛ばしていられる。次回ソロコンサート開催時にはまたきっと、「ランタンを持て、みんな下がって俺についてこい。今宵は、千人以下では物足りない!」と、そんな勇姿を見せつけてくれることだろう。今後とも我らの愛をちぎっては投げちぎっては投げ、ガンガン調子こいて増長してどこまでも高く昇っていただきたい。シラノ様の百人斬りをマントの陰から見守るラグノーさんよろしく、一生ついていきます。
https://twitter.com/okadaic/status/1013007365929517057


ちなみにこのマキノノゾミ脚本版『シラノ・ド・ベルジュラック』は、9月8日(土)にEテレシアターで地上波放送されるので是非ご覧ください。「SAY YES」だけでなく、ドラえもんとか村上春樹とかいろいろ小ネタが仕込まれている。鋼太郎シラノ百人斬りはカッコいいし、あの美しい黒木瞳様が残念なヲタ女子にしか見えないのやばいし、禅ラグノーの泡立て器が炸裂するメレンゲダンスもかわいいぞ。あとヒツジ。
http://www4.nhk.or.jp/P3386/x/2018-09-08/31/66095/2941037/
それからこれ、念願の、悲願の公式歌唱動画なので、これだけは貼らせてください、16秒しかないけどな、ホリプロ公演事業部アカウントが4thソロコンサートの稽古場で撮ってくださった「わたしはわたしの発明品」です。「百聞は一見に如かず」ということわざの通り、私ごときの感想25000字よりも、本物の石川禅16秒ですよ!! こういうのもっとたくさん出してこう、ホリプロ(概念)!!