2017-12-05 / 東京の地図が書き換わる

11月21日の昼便で日本へ向けて出発。何に驚いたって、JFK空港の保安検査場で素通りしろと言われたこと。「Go, Go, PC, Phones, Everything, Inside!」という調子で、靴も脱がず、カバンから電子機器も取り出さず、セキュリティシアター(360度スキャンされるやつ)もなし、コートだけ脱いでゲートをくぐるのだが、ゲートのランプも点灯していない。こんなザル状態の保安検査、日本の国内線でだって受けたことがない。JFKの、国際線ターミナルだよ? 一応、事情をざっと検索してみたのだがとくに言及している記事も見つからず、緊急で決まった現場職員のストライキか何かなんだろうか? と心配になる。それか、乗客にまったく気づかれないかたちの新しい監視システムを試験運転中だとか? 結局、最後まで謎のままだった。並ばずに済んでラッキーだったけど、毎回こうだとそれはそれで不安だ。

機内では『ワンダーウーマン』と『キング・アーサー』を観る。どちらもそれぞれに素晴らしい映画、おすすめ。とくに『ワンダーウーマン』は前評判がよかったので相当期待値を上げていたのだが、「肉体的快楽論」のくだりと、「それでも、私は行く」とノーマンズランドに飛び出して行くところはやっぱり、グッとくる。ラスボスにだって改変できたはずのドクターポイズンを巨悪として描かないのもよい。あと観ながら思っていたのは「永野護は、つまり、コレをやりたかったんだよね?」と。ラキシス@WW2ベルリン攻防戦の話です。ほらー、長期連載でダラダラやってる間にハリウッドに先越されちゃいましたよー、でも私はコレあなたの漫画で読みたかったよねー、と残念な気持ちになる。

『キング・アーサー』は、ただのガイリッチー映画だった、が、それがいい。すごくいい。もとの物語に思い入れが薄いぶん、『シャーロック・ホームズ』より好みだったとさえ思うのだが、興行的には振るわなかったのだろうか……。ガイリッチー、このノリでミュージカルかオペラの映画を撮ってほしい。あと一応アニメ版『打ち上げ花火、〜』も観たんですけど記憶から消しておきます。私は岩井俊二はセーフもセーフなんですが、そこに大根仁と川村元気が乗っかって実写がアニメになるとこんなにもアウトになるかと絶句した。「岩井俊二ファンは観ないほうがいい」と言われていたのはこういうことか。英語字幕付きで見ていたのでセクハラネタが一層キツい。松田聖子も観月ありさも松たか子の無駄遣いも要らんやろ、「打ち上げ花火」という言葉から想起される記憶には奥菜恵の映像だけ残しておきたいよ私は。

22日夕方着、竹葉亭でうなぎを食す。年に一、二度、帰国時だけ、きちんとした店で節度ある量のうなぎを食べる、と決めていて、他ではいっさいの鰻食を断っている。絶滅させたくない好物だからです。ガイドブック片手に辛抱強くテーブル席があくのを待っているアジア系観光客、さすがにやりすぎだろ時流を鑑みろよってくらい無節操に贅沢うなぎディナーを満喫している日本人サラリーマンに混じって、いろいろ物申したいことはあるが黙々とお重だけ食べて帰って寝る。

転居して2年以上が経った。東京も、もうすっかり「知らない街」という感じがする。たとえば人とごはんを食べるときは大抵、お店を選んでもらうようにしている。私が行きたい懐かしい店は、もうなくなっていたり、だいぶ味が変わったりしているかもしれない。「到着した晩に銀座でうなぎを食べる」というのは完全に旅行者としての習慣で、東京在住の頃には竹葉亭ってもっと特別な日の敷居が高い店という認識だった。そうやってゆっくりと自分の中で東京地図が書き換わっていくのを感じる。前に来たときはまだオープンしていなかった銀座SIX、あるいは、すっかり外装が新しくなり舗道も含めて「ネオ・花のみち」の様相を呈している日比谷シャンテなどを見上げて、ちょっと怖いような気分になる。どちらも、帰国前に足を踏み入れてみたら何も怖いことなかったけどね。六本木も同じで、「ここは昔、これこれこういう用事でしょっちゅう通った裏の近道」ということを歩くとハッキリ思い出すのだが、そのことが今の自分の人生と直接結びついてはいない感じ。なるほど、みずから選んで場を移し、そして一定の時が経つと、こんなふうに過去を置き去りにすることもできるのか、と吹っ切れたような思い。

23日、余力があれば午後までコミティアへ行きたかったのだが、そんな余力は、もちろんなかった。アメリカでは絶対に食べられない繊細に和風アレンジされた中華料理を食べ、kamuroへ立ち寄って夫婦で眼鏡を新調。のち六本木でオトコのカラダ*チャンネルの生放送番組「【文庫化記念特番】岡田育✕金田淳子✕二村ヒトシ*オトコのカラダ*生放送 #10」を収録。うっかりしてたらタイムシフト視聴の期限を過ぎていた! ので、自分で見返せてはいないのだが、結構面白い話ができたんじゃないでしょうか。収録前、こりゃもう飲まなきゃやってらんないね、とスタッフと一緒に近所のドン・キホーテまで酒を買いに行ったのだが、あまりの物量に涙が出そうになる。帰国時には必ず立ち寄るビックカメラやロフトでも思うこと、ただただ「すごいな、日本」という感想です。業務用のポテチとか、米国産とは比べ物にならないほど食べやすいビーフジャーキーとか買い込む。結果的に、飲みながら放送してよかったと思う。

収録後もそのまま、同じ場所で打ち合わせを兼ねたグダグダの慰労会。モニタとして使っていたテレビにNETFLIXがつながるのをよいことに『ハウスオブカード』のセンチネル軍事大学回を流してもらい、「アンダーウッド夫妻はやおい」をプレゼン。吹替版って初めて観たけどこっちもエロいな。ところでフードファイターとして名を馳せる文庫担当編集Kさんの配偶者の話になり、なんと私が高校生の頃から知っている男の子と大学同期同士で結婚していたのが彼女だと判明、めちゃくちゃ驚く。ちなみに、オカキモチ関係者で東宝ミュージカルの話が通じるのはKさんだけ。番組中では二村さんが酔って大変なことになっていたが、慰労会の最後は私もすっかり泥酔して「育三郎もいいけど! 禅ちゃんも! よろしくお願いします!」と泣きついていた。

というわけで、文庫版もよろしくお願いします! 12月21日発売! 番組内で本邦初公開した美麗な表紙もそろそろお目にかけられるはず!

このあと新潟と佐渡を回る旅、関西出張という名目での『レディ・ベス』大阪遠征、太地くんの王座就位式、その他のもろもろを終えて帰国。相変わらず時差ボケがひどいので小出しにしておく。新潟へは久しぶりに将棋竜王戦を観に行った。決定局ではないけれど、羽生永世七冠が生まれるその直前の姿を生で観られて本当によかったです。改めて、おめでとうございます。

2017-11-20 / 四谷、もつ鍋、時差のない暮らし

ちょっと日本行って帰ってきました、今は12月5日。また日記をためていたので思い出せる範囲のことを書いておく。

11月のサンクスギビング前、時事的な需要もあり、久しぶりに『日の名残り』や『美女と野獣』など昔懐かしい映画を観る。それぞれ感想はTwitterに書いたりしたので割愛。初見の夫の感想が面白い。夫はずっと『HOMELAND』の二匹目のドジョウを狙ったような、精神を病んだ腕っぷしの強い女主人公が謎を解くような新作ドラマばかり観ている。どの女も同じように精神を病んでいるので私には区別がつかない。最近の流行りなんだと思うが、「精神を病んでいても、病んでいるからこそ、物語の主人公になれる」というストーリーが一般視聴者にもてはやされるのは現代社会の闇っぽくもある。

はてな編集部からお声がけいただき「SUUMOタウン」に寄稿した〈昼はコドモ、夜はオトナのものとなる「四谷」 飲んで飲まれて歩いて帰れる街で暮らした日々〉という記事、あっと言う間に300以上のブックマークがついて驚く。あんまり大した内容じゃない……というと謙遜が過ぎるかもしれないが、もっとずっと実用性の高い記事が多いなか、ごくごく私的な体験だけを書いてこれだけ多くの人に読んでもらえるというのは驚きとともに嬉しい気持ち。そして断言できる、バズッたのは、はてな編集の「編集」の力です。打ち合わせや下調べから校閲、遠隔指示での写真撮影、クライアントチェックに至るまで、ものすごく質の高い編集を手がけてくださって、久しぶりに大船に乗った気持ちで原稿の手直しができた。そういうことを感じるのが、紙の雑誌媒体ではなくウェブ媒体、しかも、はてな!! ということに隔世の感がある。

ちなみに通っていた女子校の所在地について書いたのは今回が初めて。『ユリイカ』志村貴子特集と併せてお読みいただければ、だいたいどんな雰囲気の中で思春期を過ごしたのかおわかりいただけるのではないだろうか。ずっと出身校名を伏せているのは、基本的に学園内情についての取材禁止という校風が続いていて、私が何か書くことで現役の在校生たちに迷惑がかかってはいけないから、というだけのことなんだけれども、さすがにそろそろ時効なんじゃないかと思って書いてみた。こういう機会があると吹っ切れて、『ハジの多い人生』とか、今から全部書き直したくなるね。

その他には、渡辺千賀さんの米国養子事情についての記事から、あれこれ考えたり

17日は、佐久間裕美子さんと唐木元さんとランチ、ブルックリン「NORMAN」にて。食について意識高くならざるを得ない事情のこと、ニューヨークのまだ知らない場所について、女子校生活が人生に落とした影について、などなど。日が傾くまでしゃべっていた。のち、友人宅で餃子ともつ鍋を食べる会。しこたま酔った。もつ鍋は「博多トントン」のテイクアウト。夕方、店内へ引き取りに行ったら待ち行列のできる満席、もうもうと湯気の上がるなかどのテーブルももつ鍋に舌鼓を打っており、「えっ、換気……うわ、カナダグースとかモヘアとか着てる人いますけど……」と心配になったのだが、翌日の匂いが怖くてもつ鍋が食えるか、というあの日本人と同じ感覚をニューヨーカーもとっくに身につけているのかもしれない。いや服装は考えたほうがいいと思うけどね。

19日から20日にかけて、『オトコのカラダはキモチいい』文庫版の入稿責了を終えて、すっかり日本語脳に。昼夜逆転でSkype会議をしていたりもしたので、これでは、ほとんど日本にいるようなもの。21日の朝便で出発してからもまったく時差に悩まされることはなかった。むしろ帰ってきた今がキツいです。というわけで次回は日本滞在記。

 

2017-11-13 / 隠し戸棚と冬支度

最近、Twitterで盛り上がっていたのは「日本の美を世界に発信したい若者」について。香山リカ氏が『ぷちナショナリズム症候群』という本を書いたのが2002年だそうで、当時からうまい言い回しだなと思ってはいたけれど、その後15年かけてこんなふうに見事に(エスカレートして過激化するのではなく、ほとんどその逆として社会に)浸透していくものなんだなぁ、と感じ入る。しつこいようだが、感じ入っているだけであり、「今後は若者に対して、こういうメンタリティかもしれんなと身構えながら接していこう」と気を引き締めただけで、批判したり憂えたり脱洗脳洗脳を仕掛けようとしたりしているわけでは、ない。

それから、ケヴィンスペイシーの問題について。これは、いずれきちんとどこかに書かなくてはいけないなと思っている。社会問題としてではなく、私個人の問題として。私は、本当に、本当に、ケヴィンスペイシーが大好きだったんですよ。先日ようやく生で観劇ができたのが心底嬉しくて、そのとき買ったマグネットを、石川禅マグネットの横に並べて冷蔵庫に貼っているような、そういうファンだったんですよ。今はそのことを過去形で語らなければならないことがとてもつらい。悲しい。でも、あの謝罪文はないわ。マジでない。まるで擁護のしようがない。こんなことであんなに偉大な役者生命が絶たれてしまうなんて大変もったいないけど、あんな立ち居振る舞いをしても役者生命が絶たれず今後も平気で出役を続けられてしまうようならそのほうがガッカリなので、少なくとも今は、半永久的に地に沈めていい。最終シーズン目前で主演者を引きずり下ろした『ハウス・オブ・カード』シリーズ制作陣が、無理のない新脚本で因果応報の美しい美しい悪滅エンディングを迎えることだけをひたすらに祈念している。

#日本の漫画とファッション」については、7日に第一回勉強会を開催。予想外の出来事として、タッグを組んだ教授が本当に何もまったくマンガのことを知らなかったので、こ、これは、対外的に発表するとしたら私の個人プロジェクトになってしまいそう……? だけど、小さく始めつつ、米国英語圏でのコネクションはフル活用させてもらいつつ、大きな研究プロジェクトにしていけたらよいのですが。まぁ論文の書き方もおぼつかない状態なので、まずは日本語&英語併記のエッセイシリーズなどだろうか。そんなものに興味を持ってくれるマスメディアは存在するのか。連載媒体のご提案などお待ちしております……!!

このあたりから気温が下がって摂氏一桁台に。マイナスまで下がる日もあったかな。金曜日、真夏に買ったくるぶしまであるアニエスベーのコートをおろす。ボタン位置の関係で膝まで割れるデザインなので一瞬怯んだが、まぁ暖かい。これにエディバウアーの防水防寒ブーツを履けばなかなかに最強。みんなどうせエディバウアーのことバカにしてるでしょ、まぁ私はバカにしてましたけどね、渡米後初めての冬に100ドルくらいで買ったブーツが軽くて薄くて大変素晴らしいぬくもりで、ニューヨーク程度の気候ならまったく問題なく一冬過ごせるので超おすすめ。って、もう書いてある。二年間、冬場はほとんど毎日履いていた初代がくたびれてきたので、一片の迷いもなく似たのをもう一足購入。底面がビブラムに進化したこれが税込150ドル。東京で履いてたブーツは接地面から痺れるような冷気が刺さってくるので使い物にならず、でも積雪少なめの都市部で単に防寒対策とするだけならビーンブーツやSORELまでは要らないよね、という絶妙なニーズにぴったりなので、皆様も是非。日本ではみんなきっともっとオシャレなブーツを履いているんでしょうが、私は出張もこれで行く気まんまんです。アウトドアブランドだけど黒無地なら十分フォーマル!(←ダメなアメリカ人風発想)

8日水曜、もう二年以上住んでいるアパートメントのバスルームに「隠し戸棚」が存在していたことを、夫婦揃って、初めて知る。海外ドラマで薬瓶が隠してあるような、よくある「鏡裏の収納」なんだが、うちはバスルームに大小二つの作りつけ鏡があり、どちらも厚みがまったくないので、鏡以上の何物でもないと思っていたのだ。小さいほうの鏡、開けたら開いた、壁をくり抜いて奥があって、中まで鏡面張りでぴかぴかに輝いていた。びっくり。たぶんこの調子で、まだまだ知らない秘密が隠されている部屋なのに違いない。

知らないことは他にもたくさんあって、今はオーガニックのど飴の研究をしている。これもまた、乾燥で喉を痛める頻度が高まり普通の日本製のど飴では追いつかなくなってきたものの、Drug Facts(医薬品表示)付きのものは逆に強力すぎて本気でヤバいときしか使いたくない、中間の落としどころとして、ちょっと高級めのオールナチュラル健康食品的なやつをいくつか買ってみたのだ。ハーブきつめの、薬臭い味のやつがプラシーボ効果があって好き。高価なやつは、どいつもこいつも「オペラ歌手の楽屋での必須アイテム」といった推薦文が付されている。日本なら「タカラジェンヌや演歌歌手も愛用」みたいなノリの広告宣伝なんだろうが、別に全米、言うほどオペラ聴かんでしょ、というあたりが可笑しい。ちょっとヨーロッパ風パッケージなのも可笑しい。舶来物を有り難がりたい心理はどこでも同じだね。

……と楽しくAmazonショッピングして、おいしかったから何なら定番商品として買い足そうと思っていたキャンディが、マルチ商法企業傘下かつ別銘柄でニセ科学紛いの商品も出していると知って己の情報弱者ぷりに凹んでいるのが今です。エッと思ってパッケージ裏返したら本当に「メイド・イン・ユタ」って書いてあった。モルモン教徒とネットワークビジネスの州、みたいなそういうレッテル貼りのステレオタイプはよくないよ! と思ってはいるが、完全にソレである。Amazonレビューもなぁ、「高価い」「まずい」という不評はあっても「生産流通工程に疑問」みたいな感想はつかないものね。そして日本語圏でならたとえば「あの有名医大の医師も太鼓判!」的に書いてあるところの医師が怪しそうかそうでないかの区別は大抵「空気」で読めるものだけど、外国語圏ではこういうのに「ピンと来る」センサーの感度も圧倒的に鈍るわけで。よき勉強代を支払いました……。まぁマルチでハッピーな人たちにだってマルチでハッピーになる自由と権利と合法性があるのでしょうが、私は御免蒙りたいので、プラシーボ効果だけならおとなしく普通の工場で作られた市販のケミカルな飴をなめていようと思います。

2017-11-11 / 今日の1800字「自分で作る」

これこれこういう書類立てが欲しいという要望がはっきりわかっているのに、BLICKに行ってもabc homeに行ってもMoMAデザインストアに行ってもぴったりの条件のものが売っていなかったので、自分で工作して作った。

こちらの整理整頓アイテムは、とにかくゴツい。生活の標準に設定されている家面積が広く、生活の標準に設定されている利用者の体格が大きい、というのが主な原因だろう。思い返せば引っ越して初めての買い物は折りたたみ式の脚立だった。新居のキッチンの一番上の戸棚に手が届かないからだ。本棚もでかい、引き出しもでかい、日本なら大中小とあるはずの商品ラインナップも大しか入荷がない。おまけに在庫もない。私よりずっと小柄でもっと狭い部屋に住む人たちもいるのに。やたらデコラティブな謎の容器や使途不明の壺などの室内装飾雑貨はたくさん売っているが、飽きたら捨てるモノなのだろう、つくりが粗い。機能的で精密で目の邪魔にならない収納用品は、探すのに苦労する。

MoMAで売っていた書類立ては、ぶっとい針金を四角く折り曲げて足を付けただけの代物だった。お値段50ドル近くするド迫力の「オブジェ」だが、素材はたかが針金である。箱なんか持ち帰ると同時に捨てるんだから包装がかわいいのも余計である。私が欲しいものとは微妙に違うんだよねー、机上でテンポラリな書類を横位置のまま立てて整理するだけの、コンパクトで素朴な衝立が欲しいんだ。A4もレターサイズも大きさを気にせずサクサク挿せるオープン型の、表面に特殊コーティングを施した耐性の強い和紙か何かをシンプルに折り曲げて自立する構造にしただけみたいな、まぁそれだけだと倒れやすいから横方向に細い支柱を渡して安定性を上げたような、……まで考えて、これは「作ったほうが早い」と気づき、店を後にした。

リビングにためこんでいたブロードウェイミュージカルのダイレクトメールの山が、折り目のしっかりついた観音開きで、ちょうどよい。キッチンにあった竹串を突き刺してテープで端を留め、10分で試作完了。とはいえ卓上で毎日毎日ジョンジョンブリオネス(『ミス・サイゴン』25周年版エンジニア役)の暑苦しい笑顔を見るのもアレなので、プレス機にかけるタブ穴まで開けたのにインクのノリが悪くて結局使わなかった高級版画用紙で作り直した。次に作るときは折り目をシンメトリにするとなお使いやすそう。やりすぎると「おかんアート」になりかねないけど。

常日頃、ミニマリストを標榜して「余計なモノのない、持たない暮らし」を実践したいと頭では思っている。とはいえ本当にミニマリスト的に暮らすと「家にちょうど具合のいい厚紙が余っている」この状況は生まれない。新しい書類立てが欲しければ、店へ出向いて既存の商品を買い求めるか、あるいは画材屋へ走って必要な工作資材を買い揃えねばならない。それはそれで窮屈な生活だ。「持たない」を突き詰めると、どんどん「買う」が増えていく。余らせたものはその場で捨てる。でも、そういう消費生活がダサいからミニマルに暮らすって話じゃなかったのか?

表面上の「持たない」追求のためにやたらと回りくどくなるくらいなら、私は何でも「話が早い」ほうがいい。こういう状況下で最短距離のソリューションを実現すべく熟考を重ねた上での合理的な備蓄なのだよ、「いま欲しいものを、廃物利用のありあわせで作れる」程度には、ごちゃごちゃとモノに囲まれて暮らすのも悪くないだろう。……というのが「捨てられない女」の言い訳なのですが、いかがでしょうかね。

渡米したとき、新居の間取り図を見ていろいろと頭を悩ませて、結局、大型の家具はほとんど船便で運び込んだ。どうしても使い道や置き場のないものは手放してきたけれど、今でもあの判断は正しかったと思う。こんなに省スペースなソファやキャビネット、こちらでは滅多に入手できないし、大きさも値段も数倍にはなる。船便輸送費のほうがずっと安いので、運ぶほうが「話が早い」。足りないものは、段ボール箱に布をかけるとか、間仕切りを追加するとか、自作で調達するのが「早い」。あるいは、まったく別用途の商品の使い方を工夫したり(今ヘアドライヤーを格納している容器は元はたしか花瓶だった)。イズムがどうだか知らんけど、「要らん買い物をせずに済む」のが一番だよなと思う次第です。

まぁ別に日曜大工をしたわけでもなし、他人様にお見せするほどの大した工作じゃないのだが、コレがなかった今までいったい何をどうしていたのか想像もつかないくらいストレスが軽減されたので、作ってよかったな、とは思っている。そういうもの、他にも結構あるんだけど、風呂場やらクローゼットやら見せて自慢できる場所にはないので、この程度のものがこの話を書く題材にちょうどいい。

そういえば昨日も、「書類をくるくる丸めて運べる筒状キャリーケース」(建築設計士とかがよく小脇に抱えているやつ)が欲しくて、画材屋には26インチのプラスチック製しか売っていなかったので、郵送用の頑丈な紙筒を買ってきて、ノコギリでギコギコぶった切ってフタをつけ、カバンの中に入る12インチサイズのものを自作した。次に細めのラップかキッチンペーパーの芯を調達できたら、中央に貼り付けると絵筆や定規などを入れる収納ポケットになっていいんじゃないかと思っている。