2020-01-05 / 無正月

4日は小雨。韓国料理「Oiji」で大学同窓生たちと新年会。やっと正月らしいことをする。同じ街で働いている人、結婚して遠方へ引っ越すかもしれない人、東京へ帰ったけど今も頻繁にアメリカに来る人。人生さまざま。最後は健康トークになる。「ヨガでは痩せない」「有酸素運動は気休め」「武道か茶道」など金言続出。人類全体の寿命が伸びてしまい、思ったより長く生きることになりそうな私たち、働き方より休み方に気をつけて、アウトソーシングよりセルフケアでやっていくしかないのよな。言ってるそばから肌荒れがひどいのでTheOrdinaryのアイテムを買い換える。

5日朝から急に冷え込んできた。淡々と机に向かっているけれども全然捗らない。まったく正月っぽくない正月、すなわちアメリカンな正月を過ごしたことに、何か誇らしい気分でいたのだが、単純な作業進捗だけ考えたら、初詣行っておせち料理食べてゴロゴロしていたのと変わらない気もする。

ゴールデングローブ賞授賞式、横目でチラチラのはずが、エレンのスピーチのあたりから結局けっこう観てしまった。もう観た作品もまだ観てない作品もあれこれ賞を獲っていた。『FOSSE/VERDON』の録画をためっぱなしにしているのがさすがにまずい。オーストラリアの山火事と気候変動、合衆国大統領とスレイマニ司令官殺害、飛び交う時事ネタのなか、Awkwafinaのアジア人初受賞、すごいな、我がことのように嬉しい。きれい、かわいい、面白い、全部獲りに行っていいんだよ、我々も。

信じてもらえないと思うけど、大晦日に鮨食ってカウントダウン観ただけで、明けてからは初夢も見ず初詣も行かず、学校行って働いてたら、正月がめちゃくちゃ平日のまま過ぎた。去年までは自宅で餅焼いておせちつついてゴッコ遊びしてたけど、ようやく実感がわく。ここは日本の正月ではない(今更か)。

続)「本当にみんなそんなに何でもない正月を過ごしているの???」と思って、今回初めて郷に入っては郷に従ってみたんだけど、本当に……何でもないな……サンクスギビングやクリスマスとは大違いである……日本国内の旅先で迎えた正月ともまた違う、心地よい「無」のカルチャーショックがある……。

続)月に移住して「ここでは月見団子が無い……!」となる感じ。まぁ海外旅行先で正月迎えた経験者には今更でしょうけど。去年まではうちも黒豆とか数の子とかちゃんとやってたので、試しにやめてみると、ギャップが……「我々にとって正月とは何か? 結局、雑煮のことなのか?」と自問してしまった。

続)ニューヨークの民も大晦日カウントダウンパーティーは派手目にやるんですけど、一月一日には何の厳かさもなく、たぶん一番似てるのは「ハロウィーンの翌日」なのかな。どんちゃん騒ぎのゴミが落ちた道端をのんびり出歩いてるのは観光客や冬休みの学生、店は普通に開いてて大人は割と働いている。

続)あとあれだ、あれに一番似てるわ、実家を出て、友人知人とも当日いっさい祝わなかった、初めての誕生日。「あ、とくにケーキ食べたりせず平日としてやり過ごしても、いいものなんだ!?」という驚き。寂しさよりも「今まで私が誕生日だと思っていたものの正体は何だったんだ?」となる、あの感じ。

続)そりゃあ、特別な日扱いして祝われたら祝われたで嬉しいものだし、当日を厳かに過ごすための各種儀式ってイイな大事だなとも思うけど、でも、そうか「すっぴんの正月」って「平日」なんだな……みんなから寄ってたかって化粧を施されたところしか見たことなかったわ今まで……と感慨深かったです。

https://twitter.com/okadaic/status/1212957736570413057

こうやってTwitterから転載するやつも、昔から試みているけど全然続かないよね。ただ、最近はスレッド機能も定着してきたし、以前よりコピペが楽になっているので、再開してみてもいいかもしれない。今年こそは、さすがに少し、お酒とTwitterを控えよう。「何かブログに転載したらその日は店じまい」というルーティンにするのはどうかなと考えております。

能町みね子『結婚の奴』

毎年のことながら、ここでサボると三日坊主になるので、何でもいいから日記に書き写しておくことにした。自分が出したこともあって「結婚本」をたくさん読む機会に恵まれたが、ここまで「同じだなぁ」と思いながら読んだのは初めてだ。もちろん、能町さんのお相手である夫(仮)はゲイ男性で、家庭の事情は全然違うし、俗にいう「共感」とは異なるのだが。「そうか、私もこういうふうに書けばよかったのだ」と唸りながら読んだ。

能町みね子『結婚の奴』は大変いい本なので、拙著『嫁へ行くつもりじゃなかった』で描写が食い足りねえと思った人は是非とも読んでいただきたい。いや、書いた私自身ですが。自分が「恋愛に向いていない」の一言で片付けてしまった「いきなり婚」の前段階を、こんなに丁寧に書いたものは初めて読んだ。

続)数年前に亡くなった共通の友人が実名で登場する。自分と違って恋愛を堪能している、自分とはまるで似ていない人に対して抱く、恋愛に最もよく似たどす黒い思慕について、そうか私もこうだったのかもしれない、と思いながら読んだ。型通りの幸福にも憧れながら、誰かに何かに「片想い」をし続ける。

続)やっぱり恋愛と結婚はまるで別じゃないか。いや、恋愛と結婚を同時に同じ相手とこなして子まで作る人たちのことも立派だと思いますよ。でも、寝る前のひととき憧れる恋と、なんで死んじゃったんだと好きだった人へぶつける憤りと、ただいまを言う相手を得る結婚とは、分けてみると、こう分かれる。

続)「恋したい気持ち」を完全に手放せたわけではないが、他者との共同生活の中でスッと解放される瞬間はある。結論は同じでも、私が「棚ボタで結婚することになって後から気づいた利点」を、能町さんは準備段階から明確に着実に理詰めで狙って突きに行ってるのが「銛ガール」的でもあり、差が面白い。

続)恋愛感情がまったくない夫になる予定の人と最初に口と口でキスするくだり、「わかるわーーー、うちもこうだったわーーー」と後出しのドヤ顔で共感しながらも、「そうか私、自分の結婚本にはこういうこと全然書かなかったんだよな、我ながらスカしてやがるぜ……」と数年越しで反省会を開きました。

続)雨宮まみさん、私は会うたびに「丸くなったな」と思っていた。初対面の頃はマジで身ィ削っていたのだろうが。私は渡米後ほとんど会えなかったし、最晩年を知る人はまた違う見解かもしれないけど。「幸せになってつまらなくなった」の一歩手前まですべすべに磨きをかけている段階だと思って見てた。

続)そう、一番の感想は「なんだ、我が家も、結婚(仮)でも、よかったのでは……?」です。他にも要素が多いからそこに着目する人は少ないかもしれないが、あちこち理性的でありながら最後「(仮)でもいけるな」という読後感になるのは、大変よい「結婚について書かれた本」だよなと思ったのでした。

https://twitter.com/okadaic/status/1213835475108143110

普段はTwitterにはなるべく書評めいたことを書かないようにしている。深い意味はないけど、2004年に出版社社員になったタイミングで、将来的に自分の業務と重なりそうな分野については迂闊な発言を控えようと決め、それすなわち、活字で書かれた本の脊髄反射的な感想を書くのをやめることになったのだった。漫画や映画や芝居や音楽について萌えを叫ぶのはセーフ、という自己判断。

でも、結果的にここ数年は「漫画たくさん読んでそうだからおすすめ教えてください」「音楽詳しそうだからコメントください」といった依頼が来たり、あるいは「小説の話をするのって珍しくないですか?」と驚かれたりもして、正直それもどうかなと思っている。趣味嗜好にめちゃくちゃ偏りがあるところ、さらに偏ったように見られている気分。2020年は読書記録管理をどうにかしたい。

最近また少しずつ読むことのリハビリを始めているのだけれど、何度も何度も何度でも書き残しておこう、どんな本を読もうとも「これについて今すぐみんなに何か言わなくちゃ!」なんてことはまったく思わずに済んだ、インターネットがなかった10代当時の、あの、あの頃の読書体験に戻りたいんだ、私は。

https://twitter.com/okadaic/status/1175623532543381504

関連して、久しぶりに自分が書いた雨宮まみさんのエントリを読み返してみたりした。『わたしの好きな街』の担当編集者が、「冒頭が雨宮さんと岡田さんの章から始まるアンソロジーを編むことができてよかった」というようなことを言ってくれて、あれは嬉しかったな。四谷でもよく雨宮さんとすれ違ったり、食事したりした。『結婚の奴』には能町さんが駅前の「ロン」で煙草を吸ったエピソードが出てくるのだけど、私もあのまま住み続けていたら「ロン」か「フクナガ」に通って、あるいは「フカツ」の前を通るたびに、繰り返し彼女のことを考えたのだろう。

街の記憶というのは不思議なもので、街並みについて細部を忘れてしまっても、人と人とを結びつける物語に絡めて憶えていることが多い。今、ニューヨークでジャイロトニックのセッションを受けている間、「無」になる直前に思い浮かべるのはいつも、表参道で別のスタジオに通っていた頃のこと。渡米直前、当時は英語の成績を上げることばかり考えていて、今日は根津美術館に寄って帰ろうかしら、なんて余裕もまったくなかった。そのスタジオには何の思い入れもないと思っていた。

でも今は、ニューヨークにいてエクササイズしながら、目を瞑っても歩ける表参道の道程をイメージとして辿ることが、自分を無心に近づけてくれる。その街並みが、毎週のように会いに行っていた人たちが、自分にとって置いてきた「過去」になったからなんだろう。もう通わない道をなぞり、もう会えなくなった人たちを思い浮かべ、頭の中に残っている情報量がちっとも目減りしていないことを確かめる。本当は少しずつ忘れていってしまっているのだろうけど、歌の歌詞を諳んじて憶えるように、何度も反芻している。神棚も仏壇も持たないなりに瞑想している。

2020-01-04 / Gutenberg元年

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。お正月ということで、2017年に書いた「長めの自己紹介」を 2020年バージョン にアップデート。前回は「逆順」で観念的なことを書いたので、今回は「正順」で人生に絡めて自著の宣伝をしてみました。

で、Gutenbergですよ。グーテンベルグ。いやいや、グーテンベルクだろうって? えー、でも、グでしょ。ここはグだろう、アメリカ産だもの。ヨハネスグーテンベルクのことはクで発音するけど、これは人名じゃないから「グ」でいくよ、そのほうが人名とも区別がつきやすいでしょ。ブルゴーニュとバーガンディーみたいなものだよ。違うか。

何の話かというと、このサイトを動かしているWordPressの新エディターのこと。まったく触れていなかったので、今回の「自己紹介」からはGutenbergの機能をちょびちょび試しながら書いてみた。慣れるまで恐ろしく時間がかかりそうだが、慣れたら確かに、早そうだ。1990年代末から日本語でウェブに文章を書いていて、最初はHTML、マークダウンより先に「はてな記法」、他にもあれこれ作法を叩き込まれた世代ではあるが、当面これと付き合ってみようと思う。

とはいえ見た目はまったく同じままです。「Davis」から「Twenty Twenty」にテーマ変更しようと思ったのだが、子テーマがうまく動かなかった……。とにかくひたすら重くなるのが嫌で、裏であれこれ試しているんですけどね。

毎年毎年、正月くらいは真面目にサイトを更新して、あとはほとんど放置してしまうのだけど、今年は割と本気で取り組んでいる。まず、巷で大人気の「note」については、時代に逆行するかたちで、今年の早い段階での解体を考えている。理由は後から書くかもしれないし、書かないかもしれない。端的に言って「最初に遊んでいた頃とは全然違うサービスになってしまった」のが大きい。

機能が増えるのも理念が変わるのも全然構わない。とはいえ、2014年のローンチ当初、私が楽しんでいた「課金」の仕組みが、今では別のスキームで捉えられてしまっている。昔の有料コンテンツを現在に至るまで維持し続けて、それで、更新があるかないかとフォロワーに期待をかけてしまっていることが、だんだん苦痛と感じられるようになってきた。

今までの有料コンテンツ、とくに、軽率に始めた定期購読マガジンをご購入くださった方に対しては、大変申し訳なく思っている。「noteにこそ置いておく意味があるもの」だけ残して、あとは消します。消した上で、取り急ぎ、このブログにでも転載しておきます。ごめんなさい。

また昨年、はてなブックマークを使うのをやめてみたところ、素晴らしく精神衛生に良いことが判明した。そして今月末には、はてなグループもサービス停止してしまう。グループなんて誰も使ってないよとお思いかもしれんが、どっこい私はめちゃくちゃ使っていたし、ちょっと引くほど思い入れが深い。「私が愛したはてな君は、もう、どこにもいない」と改めて感じる2019-2020年であった。

そんなわけで、結局、信じられるのは自分のサイトだけなんだなぁ、「私が、命、委ねる、それは、私だけに、私に〜!!」だよなぁ、との思いを強くしている。終わりの始まり。原点回帰。巨大なログ保管庫としての独自ドメイン。二十年余のアーカイブを、コツコツ貯め込んでいく。何のために? 私のために。

ところでお気づきだろうか、この文章、だいたい200字前後くらいで改行が挟まれていることに。そう、二十年余のインターネットライフで私に最も大きな影響を与えた記法、それはTwitterの「140字制限」なのだった。推敲なしに書くとこうなるんだよ。それ以外のもの、断捨離しちゃってもいいだろうな、というのが現在の心境です。

2020-01-04 / 自己紹介

2017年の正月に、長めの自己紹介を書きました。これは2015年夏に渡米してからの環境変化を踏まえて書いたもので、執筆当時はまだ大学生。内容もずいぶん古くなってしまったので、2020年の正月に新バージョンを書きます。今回もまた「ゼロからの自己紹介」のつもり。そして、前回は「逆順」だったので、今回は趣向を変えて「正順」にしてみます。少し長いですが、読むほうもダラダラお付き合いください。


岡田育といいます。職業は「文筆家」です。私が先達に倣って名乗り始めたのは2012年からですが、近年、日本語圏でこの肩書きを使用する人が微増している気がして、心強いです。今までにエッセイの単著を四冊、文庫化もされた共著を一冊、刊行しています。ご依頼があれば、インタビュー取材、テーマコラム、書評や映画評なども手がけ、テレビやラジオの番組に出たり、イベントに登壇したりすることもあります。

1980年東京生まれ、東急電鉄沿線で育ちました。実家は親より古い一軒家で、五人家族にはあまりにも狭すぎる間取り。親元を離れるまで「自分ひとりの部屋」を持ったことがなく、二十歳過ぎても二段ベッドで寝起きしていました。結果、「孤独になれる」時間や空間を最高の贅沢と感じる子供になりました。往復一時間の電車通学では図書館で借りた本を読み、家族が寝静まった深夜は布団にもぐってラジカセで音楽を聴くか、手元の灯りで物を書く。立派なオタクの出来上がりです。

バブル好景気に沸く日本の狂騒を、幼心にギリギリ憶えている世代です。当時の私は、ジャパンこそがナンバーワン、東京こそが世界文化の中心地で、その恩恵をダイレクトに受けられる自分は大変幸運であり、大人になればただそれだけで薔薇色の未来が開けると信じていました。右肩上がりのその幻想が、泡とはじけたときに10代半ば。昇っていく予定だった梯子を突然外されて、社会から蹴り出されたような気分でした。

太宰治『人間失格』の手記は「恥の多い生涯」と始まりますが、私の一冊目の著書タイトルは『ハジの多い人生』。「ハジ」は、「ハジッコ」の「ハジ」です。教室の片隅、放課後の屋上、日記帳の余白、タイ焼きのミミ、カセットテープの終わった残り、繁華街の路地裏のちょうどいいくぼみ、あるいは、日本列島がド真ん中でなく東端に描かれている世界地図。なるほどなぁ、私がこの世の「中心」や「頂点」に辿り着くことは絶対ないんだろうけれど、それはそれで楽しく生きていくしかないな、と考えるに至った少女時代について書いた本です。

『ハジの多い人生』(2020)

この本は2020年春、装いも新たに文春文庫に加わる予定です。現在市場に出回っている、新書館から刊行された親本のほうは入手困難となりますので、にほへさんの超絶かわいい装画や挿絵をお手元に置いておきたいという方は、急ぎお買い求めください!!


慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)に進学した理由は、「蘭学に触れるには、長崎へ行くしかない!」。これからの世界を大きく変えると噂されていた、インターネットというものに触れてみたい一心でした。合格が決まってから生まれて初めてパソコンを手に入れて、1998年頃からHTMLでホームページを制作し、ウェブ日記を書いたり、いわゆる二次創作同人サイトを作ったりしていました。1999年に先輩から「すごい検索エンジンができた」と初めてGoogleを見せてもらったのも、2002年に初めてはてなidを取得したのも、母校の特教だったと記憶しています。

1999年より佐藤雅彦研究室の一期生として、表現とメディア、教育方法論などの研究をしていました。ADC賞を受賞した『動け演算』や、NHKの教育番組『ピタゴラスイッチ』の制作に参加。学部生のときから企画立案と運営に携わっていた、携帯電話(i-mode)と新聞紙面を使った新しい社会調査プロジェクト『日本のスイッチ』で修士論文を書きました。

また、2001年から沼田元氣事務所で編集助手のアルバイトを始め、紙の書籍という物理記録媒体を世に残すことに高い関心を抱くようになります。沼田さんにはその後、池袋コミュニティカレッジ「乙女美学校」の活動でもお世話になりました。

2004年に中央公論新社に入社。2012年まで8年半勤めていました。最初に配属されたのは中高年世代向けの女性雑誌『婦人公論』編集部で、主に巻頭特集の企画と、著名人のインタビュー記事を手がけました。小説や漫画、カルチャー欄の連載も担当して、サイトリニューアルや公式ブログ開設にも関わり、あちこち潜入取材してルポ記事を作ったこともあります。

次に配属されたのは単行本書籍を手がける編集部で、純文学から時代エンターテインメント小説、大型新聞連載から新人作家のデビュー作、エッセイや将棋の本まで、何でも担当しました。当時はあくまで会社の看板を背負って働いていたわけですが、どれも思い入れが深い仕事です。在職中に手掛けた作品の幾つかが賞を受賞したこと、また、独立後に樋口有介さんや富樫倫太郎さんの元担当編集者として文庫解説を書かせていただいたことなど、嬉しい思い出です。


2020年は、サラリーマンの「編集者」として勤めた時間を、自分の名を出す「文筆家」として働いた時間が上回る、節目のタイミングでもあります。そう考えると長いものですね。将来に悩む若い世代からはよく、「いつ、なぜ、どのように転職を決断したのか?」という質問を受けますが、そのあたりは昨年出した最新刊『40歳までにコレをやめる』に詳しく書きました。ちなみにこの本、出版社時代に川上未映子さんの本を一緒に担当していた読売新聞の方に連載枠をいただいて、ようやく書き上げたものです。ご縁は続きますね。今後、韓国語版の刊行が予定されています。

『40歳までにコレをやめる』(2019)

2013年に結婚した顛末については、『嫁へ行くつもりじゃなかった』という本に書きました。フリッパーズ・ギター『海へ行くつもりじゃなかった』が元ネタです。恋愛感情の無い相手と結婚する、いわゆる「交際0日婚」「いきなり婚」というやつです。「嫌になったら明日にでも離婚できるんだし」と軽率に決めた割に、気がつけば6年7年。これまた長い。おかげさまで夫のオットー氏(仮名)(※年齢性別国籍経歴いずれも非公表)とは、現在に至るまで、恋ナシ、愛アリ、魂の双子のように良好な関係を築けていると自負しております。

『嫁へ行くつもりじゃなかった』(2014)

『オトコのカラダはキモチいい』というタイトルで、AV監督の二村ヒトシさんと、社会学者の金田淳子さんとの共著も出しました。アメリカで知り合った人には、「男性主導で発展してきたアダルトビデオやHENTAI的なポルノグラフィと、女性主導で発展してきたやおい・ボーイズラブ・腐女子の文化から、日本社会の性とジェンダーについて、はたまた『有害な男性性』からの解放について、考察した本である」と説明しています。英語圏で自己紹介するとき、最も食いつきがいいのはこの本ですね。海外翻訳出版のご提案、お待ちしております!

『オトコのカラダはキモチいい』(2017)

2013年からフジテレビ系の朝の情報番組『とくダネ!』にレギュラーコメンテーターとして出演していたのが、世間的に見て最も「目立つ」仕事だったと思います。ちょうど同時期に続けていた、cakesの座談会連載「ハジの多い腐女子会」や、雑誌『LaLaBegin』の連載「メガネに会いたくて」、また、文化系WEB女子同人『久谷女子便り』での活動なども、多くの方にご記憶いただいているようで有難いです。


2015年8月には、米国ニューヨークに転居しました。35歳にして初めての海外生活。それまで仕事で英語を使ったこともなく、収入も激減することが予想されました。非ネイティブの外国人が最短距離でキャリアを形成するには? と考えた結果、ニュースクール大学傘下のパーソンズ美術大学でグラフィックデザインの準学士号を取得。現在は広告代理店やデザイン事務所と個人契約を結び、デザイナー、ブランドコンサルタントとしても働いています。

新商品のパッケージ開発、企業ロゴやウェブサイトのリニューアル、グローバル市場に向けた広告戦略など、広義のブランディング業務が主軸となりつつあります。クライアントワークなので私の名前が表に出ることはありませんが、編集者として培ってきたスキルを言葉の壁を超えて活かすことができ、とてもやりがいを感じています。

とはいえ実態はさんざんなものです……。昨年はとくに、納期がずれ込みやすいプロジェクトを幾つも請けてしまい、事務処理も倍以上に膨れあがり、スケジュール管理がガタガタになってしまいました。多方面にご迷惑をおかけしましたこと、猛省しております。2020年以降は、なんとしても働き方を改善せねば、というのが正月の抱負です。

『天国飯と地獄耳』(2018)

三冊目の著書『天国飯と地獄耳』は、東京時代に雑誌連載していた前半部分と、ニューヨーク留学中の空白期間を経て書き上げた後半部分からなる、ハイブリッドなエッセイ集です。こちらについては台湾での翻訳出版が予定されています。楽しみ楽しみ。

世界中から社会人留学生が集まるアートスクールでの「二度目の大学生活」は大変有意義なものでした。米国は日本とはまた違う意味での学歴社会で、何歳になっても、何度でも、大学へ通い直して新たな専門性を身につける大人がたくさんいます。就職活動の仕組みも違い、働き方もずっと自由なので、実力を示せば誰でも新しい分野に挑戦することができるのです。在学中に書き殴っていた暗号のような日記やメモを整理して、いずれちゃんとした留学体験記をものしたいと思っています。

現在は、集英社の文芸誌『すばる』での連載「我は、おばさん」と、読売新聞大手小町での連載「気になるフツウの女たち」を進めています。その他、まだ言えない進行中のプロジェクトがいくつか。年に数回は日本に一時帰国して、東京に限らずあちこちへ出かけ、こつこつ仕込みを続けております。


最新の近況については Twitter を参照していただくのが一番よいと思います。英語圏ではTwitterの代わりに Instagram で日記をつけていて、ごくごくたまに、Mediumでも書いています。三日坊主の私が12年以上、毎日欠かさず続けているのはtweetだけですね。ほとんどゴミ捨て場のような使い方ではありますが、あれもまた一つの「活動拠点」と捉えています。

もともと新しもの好きで、新サービスを見つけるととりあえずアカウントを作ってしまうのが悪い癖。今年、長年愛用してきたはてなグループが終了してしまうこともあり、これを機に発信チャンネルも縮小傾向でと考えています。ここ数年、何もかも盛り沢山だったので、公私ともにスッキリさせる、というのが今年の目標ですね。2020年も、どうぞよろしくお願いいたします。

アンソロジー『わたしの好きな街 独断と偏愛の東京』

SUUMOタウン編集部監修の「東京」をテーマにしたアンソロジー、『わたしの好きな街 独断と偏愛の東京』に参加しました。以前「SUUMOタウン」に寄稿した「昼はコドモ、夜はオトナのものとなる「四谷」――飲んで飲まれて歩いて帰れる街で暮らした日々」 が収録されています。加筆修正に加えて、2019年に久しぶりに四谷を歩いた雑感を特別に追記しました。

再録の他に、書き下ろしの記事や語り下ろしの記事も盛りだくさん。雑誌の特集のような、それでもやっぱりテーマを持った「本」だなぁと感じるような、一冊です。

思い出すのは、いつもあの街。
総勢20名が本音で書き、語る。
東京で暮らすこと、働くことのすべて。
住めば都? 実際どうなの?
あなたの「住みたい」を後押しする極上のエッセイ集。

■目次
【エッセイ】
雨宮まみ『都会と下町、まるで違う二つの顔を持つ街「西新宿」』
岡田 育『昼はコドモ、夜はオトナのものとなる「四谷」――飲んで飲まれて歩いて帰れる街で暮らした日々』
ひらりさ『「実家脱出ゲーム」を成功させるために――三十歳おひとりさまライターが語る「東新宿」』
枝 優花『「高田馬場」ゴミロータリーで過ごしたかけがえのない時間』
九龍ジョー『社員(シャイン)・オン・ユー・東中野』
夏目知幸『先行きなくともただひたすら楽しかった 東高円寺でのその日暮らし』
カツセマサヒコ『何者にもなれない僕が「荻窪」にいた』
美村里江『世田谷代田の秘密基地――「役者の色」に染め直してくれた夕日と住宅街の景色』
山田ルイ53世『一発屋であることを呑み込んだ「中目黒」』
ヨッピー『渋谷のヤクザマンションの話――僕が繁華街に住むことをおすすめする理由』
山内マリコ『吉祥寺で過ごした二十代は悲惨だった』
もぐもぐ『自由とカオスと町田』
pato『僕には八王子という“距離”が必要だ』
小野寺史宜『ノー銀座、ノーライフ――この街に住むことをあきらめない』
pha『東京に住んでいるのは嘘なんじゃないかって今でもときどき思ってしまう』
【上京物語】
みうらじゅん『東京で暮らすなら、いつも心に「不真面目」を』
東村アキコ『家賃を稼がなくちゃいけないから、ここまで描いてこられた』
鈴木敏夫『ジブリの秘密は“4階”にあった――「時間と空間」をめぐる五十年』
加藤一二三『東京で「棋士」として生きる――千駄ヶ谷で過ごした六十年』
赤江珠緒『「人を愛せば愛される、土地を愛せば愛される」――街を好きになるために欠かせない心構え』

書題 わたしの好きな街 独断と偏愛の東京
英題
監修 SUUMOタウン編集部
発売日 2019年12月10日
出版社 ポプラ社
仕様 四六判ソフトカバー
価格 1400円+税
装幀 佐藤亜沙美(サトウサンカイ)
装画 たなかみさき
ISBN-10 4591164829
ISBN-13 978-4591164822
紙書籍 https://www.amazon.co.jp/dp/4591164829
電子書籍

2019-11-09 / わたしの好きな街と仕事

大変ご無沙汰しております。公式サイトのブログはもちろん、Instagramまで投稿が滞ってしまいました。Twitterだけは「いつ寝てるんですか?」と真顔で訊かれるほど更新していますが、あれはね、寝ながら寝言をつぶやいてるんですよ。意識してSNSと距離を置いているとか、とくに深遠な意図があるわけではなくて、9月の日本出張からこちら……まったく慌ただしく過ごしており……文字通り、涙目で起床してはそれを拭う間もなくベッドに倒れ込む繰り返し、時間的余裕がなく、精神的な余裕もなくなり、さすがに無理、と思っているうちに10月が終わってしまいました。ちょこちょこ遊びに出かけたりはしていたけど、誰とどこで会って何をして楽しんだのか時系列がまったく思い出せない。

そんな合間にも、各種新プロジェクトが続々進行中です。一冊目の本『ハジの多い人生』の文庫化が正式に決まりました。今からどんなふうになるのか楽しみ。そして、立て続けに既刊の海外翻訳出版も決まっています。早く現地の友人に自慢したいのだが、グッと我慢……。

解禁できる情報としては、12月にポプラ社から刊行される、SUUMOタウン編集部のアンソロジー『わたしの好きな街』に参加しています。「SUUMOタウン」はリクルート住まいカンパニーが運営するオウンドメディアで、以前書かせていただいた「四谷」にまつわる思い出語りに加えて、2019年に再訪したときの追記をちょこっと書きました。入稿は無事に片付いたけど、この本のためだけの書き下ろし語り下ろしもたっぷりなので、私もまだ全容を知らないんですよね……。手に取るのが楽しみです。

 



『わたしの好きな街 独断と偏愛の東京』
SUUMOタウン編集部(監修)

発行:ポプラ社
四六判 256ページ
定価 1,400円+税
ISBN:9784591164822


青春という言葉は嫌いだけど、
語るべきことはあの街にあった。
酸いも甘いも詰め込んで、
総勢20名が本音で書き、語る。
東京で暮らすこと、働くことのすべて。
住めば都? 実際どうなの?
あなたの「住みたい」を後押しする極上のエッセイ集。

【エッセイ】
雨宮まみ『都会と下町、まるで違う二つの顔を持つ街「西新宿」』
岡田育『昼はコドモ、夜はオトナのものとなる「四谷」――飲んで飲まれて歩いて帰れる街で暮らした日々』
ひらりさ『「実家脱出ゲーム」を成功させるために――三十歳おひとりさまライターが語る「東新宿」』
枝優花『「高田馬場」ゴミロータリーで過ごしたかけがえのない時間』
九龍ジョー『社員(シャイン)オンユー東中野』
夏目知幸『先行きなくともただひたすら楽しかった 東高円寺でのその日暮らし』
カツセマサヒコ『何者にもなれない僕が「荻窪」にいた』
美村里江『世田谷代田の秘密基地――「役者の色」に染め直してくれた夕日と住宅街の景色』
山田ルイ53世『一発屋であることを呑み込んだ「中目黒」』
ヨッピー『渋谷のヤクザマンションの話――僕が繁華街に住むことをおすすめする理由』
山内マリコ『吉祥寺で過ごした二十代は悲惨だった』
もぐもぐ『自由とカオスと町田』
pato『僕には八王子という“距離”が必要だ』
小野寺史宜『ノー銀座、ノーライフ――この街に住むことをあきらめない』
pha『東京に住んでいるのは嘘なんじゃないかって今でもときどき思ってしまう』

【上京物語】
みうらじゅん『東京で暮らすなら、いつも心に「不真面目」を』
東村アキコ『家賃を稼がなくちゃいけないから、ここまで描いてこられた』
鈴木敏夫『ジブリの秘密は“4階”にあった――「時間と空間」をめぐる五十年』
他、加藤一二三、赤江珠緒へのインタビューも収録。

https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784591164822

 


忙しいのは別にネガティブな話ではなく、おかげさまで日米の二重生活が調子良く軌道に乗ってしまった、というだけのことです。今夏はグラフィックデザイナーとしては実質無職で、その空き時間を使って文芸誌で月刊連載を始めたのですが、これも「隔月じゃないと絶対に無理です!」と訴えていたのを敏腕編集者が「まぁ、時々休んでもいいですよ〜」と笑いながら言う口車に乗せられているうち、あれよあれよと月刊進行が定着してしまい、落とすわけにはいかない空気に。なんで今月号にも無事に載っているんだろう。不思議。編集部に信じられない負荷をかけているはずだし絶対無理だと今なお思ってる。でも有難いことです(ごめんなさい)。

で、そこに突然、通常の倍くらいの回転速度で進行する上に思ったより長引く新規クライアントの仕事が入ったと。そりゃあ首が回らなくもなります。9月に日本で会った人たちの大半に「秋冬はめちゃくちゃ暇なので〜」と言っていた、あれは何だったんだ。ただの嘘でした。思い返せば本当の意味で暇になったことなど一度もない人生である。一週間の九割九分を狭い自宅でパジャマ着たままPCに向かって作業しているうちにメールの返事を10日止める、みたいなことを繰り返していたらあっという間に二ヶ月。まるで褒められた働き方ではないが、なかなかに充実している。

現在進行形で具体的に何をしているのかは秘密保持契約の都合で書けないことが多いけれど、大学で勉強したデザインスキルを活かし、引き続き「何でも屋」を続けている感じです。最初は下請け臨時雇いのデザイナーとして採用され、途中からバイリンガルのコピーライター職や、イラストレーターの役割も任されるようになり、そのうち決裁権を持つ人の相談役のようになって、自分が作ってないものにまで口出してブランドコンサルタントとして報酬が出るようになる……という流れを幾筋か経験して、だいぶ自信がついた。取引先はもっぱらスモールビジネス。フルタイムで雇うより安くつくし、先方も「何でも屋」に頼めたほうがラクだよね。我ながら便利よ。とくに営業をかけていないのに、似たような問題を抱えた依頼主がやって来るのが面白い。それで一人称に「we」を使いながら、自分が所属していない会社組織のことを渾渾と考え続ける、探偵や傭兵や軍配者のような暮らし。

ちなみにこれ、日本においては多分、いつまで経っても最下層のジュニアレベルデザイナーとしての給料しか出ないですよ。職場における茶飲み話でどれだけ画期的なアイディア出そうとも、誰か前任者のマズい仕事ぶりにメスを入れてゼロからクリエイティブをまるごと作り直してやっても、気の良い上司が自腹で一杯奢ってくれたらいいほうで、考課査定の範囲外。そういう目で見ると私は「経験二年のパート」だし「35歳以上」だから雇い止め一直線。日本ではできなかった働き方だ。何故なんだろうな。

新卒サラリーマンとして働いていた編集者時代、別の業界にいる目上の社会人から「ちょっと君の意見を聞かせてよ」と喫茶店に呼び出されて、新商品やサービスのプロトタイプについて相談に乗ることがよくあった。こちらへ来て初めて、「あれ、コンサルティングの仕事じゃん! ミーティングについても分刻みで時給百ドル単位の請求書を立ててよかったんだ!」と知りました。ようやく。遅いよ。なくそう時間泥棒。もぎ取ろう副業収入。減らそう実働時間。脳味噌は毎日フル稼働だし、加齢に伴って徹夜作業はきかなくなってきているけど、でも、昔と違って身体は壊さずに済みそうですね。引き続きうまく回せるようになりたい。