2018-01-16 / 日記を読み返す

 2017年の正月は自己紹介を書いて過ごしたけれど、2018年の正月はこれからの仕事について考えるマイアミ休暇。仕事始めと同時に新しい連載が始まり、慌ててサイトをリニューアルする。といっても、長くご覧になっている方は「レイアウトを元に戻しただけじゃないか」とお気づきでしょうね。

 大学生のHTML日記から始まったこのサイト、ドメインをあちこち移りながら、途中で創作発表の場になったり、新社会人になると同時に凍結したり、上司に内緒でまたこっそり再開したりして、文筆家を名乗るようになってからは仕事の記録と宣伝のために使い、英語版と合体させようとしたり分離させようとしたり、紆余曲折の末、さすがに最近の目まぐるしさに到底維持できなくなってきたので、また更新を省力化する方向に決めた。仕事用の連絡先を貼り付けたプロフィール欄の下に仕事一覧へのリンクをつけて、あとはほとんど日記として使います。懸案だったタグのリンク切れも原因見つけて直したよ! 半年に一回くらいなら真面目にソースコードを読み解くのも楽しい。

 そういえば、と久しぶりに「はてなダイアリー」でつけていた日記の管理画面を覗きに行ったら、なんと2010年に更新を停止したにもかかわらず、2018年の1月半ばすなわち今日この日まで、せっせとTweetを吐き出していた。今まですっかり存在を忘れていたというのに、機械ってなんていじらしいんだろう……栗まんじゅう……(感嘆詞)、と驚き呆れつつ、連携を無効にしてポチポチ削除する。今から10年近く前、いつTwitterのログが見られなくなってもおかしくない、と心配して、同時に二箇所も三箇所もバックアップを取っていた時期があった。そのためだけにはてなグループに所属していたりもしたのだ。ところがこのダイアリー管理画面、50件ずつくらいの一覧が60ページ以上あるのに「一括削除」チェックボックスがないのでキレた。このクソ忙しいのにやってられっか、どこかの休みに刀剣乱舞プレイしながらタカラヅカ動画を観るついでに洗濯物をたたみつつ手動で消すよ。株式会社はてな君、もうダイアリーの管理機能の改善なんて仕事だと思ってないんだろうな。

 Twitterと関係無く書いた日記は面白いのでそのうちこちらへ転載するつもりでいる。Twitterがなかった頃の日記は、まだ見ぬ140字縛りの枠組みを探し求めて彷徨う、未完成の詩のようである。泣けるケータイ小説なんか一つも読んでなかったのに、多用される改行に時代を感じる。そのさらに前はどうなっているんだ、とmixi日記のログも読み返したのだが、つまらなかった……。目の前の仕事が面白くて面白くてたまらない上にストレスや愚痴もたまるけど到底書けない、そんな時期の日記は、反比例して底が浅くなる。コメント欄でもびっくりするほどつまらないやりとりが続いていて、私の友達にこんなくだらない人間いただろうか、と思って見たら名前の表記が「退会したユーザーさん」になっていたりする。おそらくは同世代、みんな自分のことで手いっぱいだったのだろう、と思うことにする。そんな若き日の思い出を「ランウェイウォーカーズ」で書きました。「何でもいいから好きに書いてくれ」という編集部依頼に困り果てて(でも最近そういうの多いですね、考えようによっては有難いのだが)、「就職と転職とフリーランス」についてのふわっとした読み物にしています。談話原稿やゴーストライティング以外に、書き言葉として「デスマス調」を使って提出したのは初めてだと思う。

 もっと前のログもあるぞ、と思って見た19歳の日記には、こんなことが書いてあった。何が起きていた頃かはまったく思い出せないが、彼氏と喧嘩でもしてたんですかね……。

 けじめという言葉がキライである。けじめというものはつけようと思ったら全てのモノにつけなければならない。私のような真面目な人間にとってはときに非常に苦痛である。そう気づいてから、例えば人間関係なんかに、けじめをつけるのをやめた。
 明確な定義が存在しないのに、そしてそれを定義しようとも考えずに、ひとは「親友」だの「恋人」だのという言葉を使いたがる。それが私のような真面目な人間にとってはとても許せないことに思える。私が想うほどには私を想ってくれていない人間に散々裏切られた挙げ句「私たち親友だよね!」と言われたり。その感情に「恋人」という呼称が相応しくないと思う旨を伝えただけで、大好きな人間と友人関係にさえ戻れなくなってしまったり。そんなことはもうごめんだ。(後略)(1999.03.21)

 約20年経っても人前で似たようなことを書き晒している、俺って本当に昔から変わっていないな! というわけで、「大手小町」という媒体では「40歳までにコレをやめる」という連載が始まりました。けじめ、つけるの、やめていきたい。これは以前「cakes」で深澤真紀さんと対談した際、「人生がときめくオタクの自己啓発本を書き下ろせというお題が来ていて、こればっかりは、どうしても筆が進まないんです!」と泣きついたあの企画です。とうとう始まってしまった。このタイトルを掲げてしまうと「40歳までに本にする」ことができないとカッコ悪いので、いろいろ切り捨てながら覚悟を決めて書き続けたいと思います。

 年頭所感にしては遅すぎるんだけど、マイアミでの様子は Instagram にて。美大同窓生のデザイナーの友達から、「Ikuは最近ずーーーーーっと旅先で遊び歩いてるみたいだけど、フルタイム勤務じゃなかったの? 仕事する気あるなら回すよ?」と発破をかけられてしまい、「お仕事ください!!」と泣きついたところです。数日の旅程を数週間かけて開陳するとずっと長逗留しているように見せられる。カワイイも、インスタ映えも、こうして無から作れていく。そんなふうに体感できるだけでも、自分で新しいサービスをいじってみる価値はあるのだ。それはさておき、楽しかったので思い出も書き留めておきたいな。

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2018-01-01 / 今日の3000字「新しい旅」

傍からは「ずっとどこかを旅している」と評される一年でもあった。といっても、日本に三回、ベトナムに一回、南仏に一回、と数えてみれば全然多くはない。合間は自宅にひきこもり机にかじりついて作業していたので当人に実感もない。仕事の出張でもっとずっと頻繁に世界中を飛び回っている人たちなんか、いくらでもいる。とはいえ、彼らのすべてが「いつも旅ばかりしている」キャラを獲得できるわけでもないのが、面白いところ。

人生最初の35年間、東京から一歩も動かずにいた自分が、「いつも旅ばかりしている」なんて評される日が来るとは思ってもみなかった。じゃあ次の35年間は世界を飛び回るようになっているかしら、と想像すると、まぁそこまででもない気もする。今までずっとアンバランスでいて、しかもそのデメリットにも無自覚でいたようなことについて、ようやくバランスが取れて来たにすぎない。

私個人の感覚でいうなら、「ずっと荷造りをしている」一年だった。NYの家でも旅支度をするのは特別なことでなくなり、旅先でも、大きなスーツケースを拠点に残し、必要な荷物を小分けにしてさらにどこかへ出かける、ということが増えて、増えたから、慌しさにも慣れた。春夏秋冬ずっと着ていられる第二の皮膚のようなジャケット、畳みやすい帽子、ぎりぎりフォーマルにも許されて連続装用しても疲れない靴、しわになりにくいワンピース、寒ければ重ね着できるスカート、ちょうどいいサイズのカバン、着心地のいい室内着、高価で高性能な充電器や衣類圧縮袋、多少かさばるけど持って行くと絶対便利な美容アイテム、適切な大きさと軽さのバッグインバッグ、はるか大昔に買ったものでも、旅を続けて再評価が高まり、愛着がわくものがある。

一方で、一泊二泊の出張で長く愛用していたようなグッズが意外と使い勝手悪いことに気づいて捨てたり、目分量で見当つけてぽんと高価な旅行用品をまとめ買いして使いながら比較してみたり、といった自分の思い切りのよさに驚かされた。昔は、滅多に使わないものだからこそ、もっと買い替えに慎重になっていたものだ。旅先には絶対に持って行かないもの、というのも判別つくようになってきた。有事にダッシュで走れない靴、ひったくりに狙われやすいカバンや、無駄に金持ちに見える小物、かさばるばかりで体温調節が難しい服、埃まみれのスーツケースを担ぐときに相性が悪いボトムス、装飾のための装飾品、あるいは、分厚い紙の本。

電動歯ブラシは洗面所のコンセントに挿しておくと便利だし毎日使っているが、買ったときコンパクトな持ち運びケースがついてきたにもかかわらず、私は旅先には持っていかない。そんな話だ。また、薬棚には長年かけて咄嗟の応急処置的に買い揃えた風邪薬やビタミン剤がストックされているが、旅先に携帯する常備薬はそれとは別に毎回決まっている。その他のものは本当に必要になったら現地調達するしかない、してみせる、できる。じゃあ、自宅の薬棚に置きっ放しになっている薬は、いったい何なのか? 水着でもないくせに夏のプールサイドでしか着られないペラペラ素材のあの服は? 一枚で穿くと太って見えるからと鏡の前で重ね着を試して毎回あれこれシルエットを工夫しないといけないパンツは? ものすごくたくさんあるのにどれもがどれも少しずつ擦り切れかけているユニクロの靴下は? デスクに置いてある分には素敵だけど取り回しの不自由な変形サイズのスケッチブックは? 置物? 住空間を豊かにするためだけの、用途のない、置物? ハァ? いや、身につけるアクセサリーや食器、宗教的意味を帯びた小さなお守りくらいまでなら旅先に持って行くこともあるけど、床置きのオブジェ?? 居間のコーヒーテーブルに投げ出しておくためだけに買われる大判写真集??

究極、10日近い旅程のためにスーツケースの中にしまわないものとは、向こう10年の人生のためにも、わざわざ溜め込む必要はないものなのではないか。一方で、袖口がダルンダルンになっても毛玉だらけでも、ラストミニッツで毎回必ずスーツケースに放り込んでしまうTシャツや羽織りものがあるのなら、それこそがどんな愛着あるドレスより人生に必要なものである。どうしても断捨離ができない人は引っ越しをするとよい、というのと同じように、ときめき基準で片付けができない人は、荷造りをしてみればよいのだ。

二年半前の渡米時、思い切ってあれこれ断捨離した、あの頃は「NYでは究極ミニマルに暮らすぞ」とのたまっていたはずなのに、最近はまた簡単に捨てられないような物を買って溜め込んでしまっている。でも、次の荷造りを始めれば、また必要なものと不要なものの区別に意識的でいられる。毎年のように住む場所を変えるわけにはいかないけれど、毎年どこかへ旅をし続けることはできるし、そうすると、ホームである場所もまた、一種の旅先のようになる。どうにか背伸びして「いつも旅ばかりしている」キャラを獲得すれば、たとえば「いつも同じ服ばかり着ている」キャラも許される。だって旅装ってそういうものだもの。手ぶらでも、虚礼を排しても、先の約束をしなくても許されるし、身軽に動けば動くほど、行った先でレアキャラとして珍重されたりもする。いいね、いいことづくめだね、しかも『ポーの一族』みたいだ。

先日とある高名な舞台俳優が、地方公演を終えた後の、片付けていっさい物がなくなった楽屋の写真をInstagramに投稿していた。手元には宅配便で送るための、手で抱えられるような箱が二つ三つ。ごく当たり前の日常のつもりで撮ったスナップ写真なんだろうが、一般人が見ると、ちょっとびっくりする物の少なさだ。彼らは「毎日を、旅するように暮らす」ことに慣れていて、板の上ではあんなに重い衣装や小道具をつけて何十行も続く台詞を諳んじたりしているのに、だからこそ身軽で切り替えが早い。もちろん自宅は豪邸で、置物や大判写真集にあふれているかもしれないが、そこには長くとどまらない。

その写真を見て思い出した。私は昔、うんと幼い頃、そんな働き方そんな生き方をしている人たちのことを、漠然と「怖い」と思ったりもしていたのだ。移動遊園地や放浪の旅芸人に魅了されても人攫いについていくことまではできない家付きの暮らしをする子供。あの『ファンタスティックス』のヒロインみたいな感じだ。でも今は、ある種の職業人が持つ「身一つで世界のどこででもやっていける」働き方への憧れが、ないものねだりではなく、共感を持って身に宿っているのを感じる。「おおー、この舞台俳優が二つ三つしかない箱の中に詰めている、どこの楽屋にも持って行く必需品って何なんだろう、今後の旅支度の参考に、知りたい」などと思う。まだまだ実態は伴っていないけど、移動しながら何かをする、というのは私にも不可能なことではないようだ。そう感じられただけでも、「ずっと荷造りをしている」ような暮らし方には価値がある。

というわけで、正月早々、初のマイアミ、女子二人旅へ行ってまいります! 渡米二年半にして初めてのサウスビーチウォークだよ! 冬の日のマイアミだよ!……って、我ながら己のマイアミという土地に対するイメージが、小室哲哉および小沢健二由来のものしかないことに震えるね……。

 

2018-01-01 / はじまりに

時差ボケで寝ていたらもうこんなに時間が経っていた。というのはさすがに誇張表現だが、将棋の旅と佐渡旅行、大阪遠征について書かずにいるうちに年が暮れて明けてしまうというのはものすごいことだな。どこ行った何食ったというような話はもうInstagramの短文で勘弁してもらっていいですかね。と、誰に謝ってるのかもよくわからないけど。

いや、誰に謝っているのかというとそれは、自分自身なのだ。毎日コツコツ日記を書くということが本当に苦手である。今年こそは、何か面白いことを書かなくちゃいけない、というような雑念や煩悩から解放されたいものです。淡々と書くよ。

夫の実家では年明け前からおせち料理をつつき始める風習だそうで、私もそれにすっかり慣れた。大晦日は日本食料品店で買ったおせち惣菜でランチ、節電で寒々しいジムで筋トレ有酸素運動、サイト更新、融雪剤で真っ白になったアスファルトを踏み越えて「伊勢」でおでんと年越し蕎麦。例年ならばネット動画で紅白歌合戦をつまみ観てからチャンネルを切り替えてタイムズスクエアのカウントダウンを観るのだが、なぜか夫婦でコリンファースの話で盛り上がり、映画『シングルマン』を観て大満足して、早々に寝てしまう。起きたら年が明けていた。街が水を打ったように静かなこと以外は、どってことない冬の日常。

渡米三度目の冬、やっぱり今年が一番寒くて、もうどんな外気温にも驚かなくなった。はいはいマイナス20度ね。室内は相変わらず暖かく、日が照っている間の自宅リビングはとくに温室のよう。でも15時頃には日が傾いてしまうので簡単に気鬱にもなる。衣服はすっかりアメリカ人仕様(厚手の外套+脱いだら薄着)に。上半身のヒートテックをやめて下半身の防寒に特化したらだいぶ過ごしやすくなった。一方で衣替えは意味を成さず、超有能な日本製加湿器を導入してガンガンに焚いていたらクローゼットの中でおろしたてのニットが虫食いに遭い涙目。まぁ室内これだけ暖かかったら、窓を開けて換気するたびに外からお客様をお出迎えしているようなもんだよね。

昨年の今頃はいわゆる「大学卒業ハイ」、同級生たちとの連帯のなかで年を越したわけだが、あの頃に毎日一緒に過ごしていた彼らは、この一年かけて文字通り世界中に散り散りとなってしまった。代わりに、2017年後半は在NY日本人と酒席を共にする機会が多かった。もののはずみで講演なんかしちゃったし。永く住んでいる人もいれば駐在の人もいて、世界に名の轟く著名人もいればまだ何者でもない学生もいる。昼間の接点はまったくないし、向こうは私の経歴を知っているわけでもない。ただひたすらに横のつながりでだけ広がっていく友達。

渡米してすぐの頃は「ただ同じ国から来て同じ市内に住んでいるというだけでお互い仲良くしなくちゃいけないとか、どんな罰ゲームだよ……これから全世界との競争に勝ってかなくちゃいけないんだろ同国人と馴れ合ってる暇なんかねーよ……」くらいに思っていたのだが、これはいわゆる意気がる「上京ハイ」というやつである。二年半も過ぎれば、さすがにだいぶ緩和されてきた。外からやって来て同じ場所を選んで、あれこれ痩せ我慢しながら永く住んでいるというのは、それだけである種の価値観を共有しやすいということ。誰と話していてもベン図の重なる部分は毎回ほぼ同じで、(日本国内でのランダムな社交と違って)そこが担保されているだけでも気が楽である。どのみち去る人は去って行くので盛大に見送ればよいし、私だっていずれは去るのかもしれない。「汝の隣人を愛せよ」の隣人(Neighbour)とは、何も競争相手や異なる文化だけを指すのではない。ということがよくわかる2017年だった。

それにしても、英語圏でバリバリ活躍してるような人たちから「あー、こんなふうに母国語でがっつり話すの、久しぶり!」と喜ばれるたびに、複雑な心境になりますけどね。こちとら、読み書きや日常会話はまだしも、英語で深いこと話す機会が激減してしまった一年でもあったので。まずい。2018年の目標は、「ベン図の重なる部分(の価値観)は毎回ほぼ同じ」というこの感覚を頼りに、また別のコミュニティに漕ぎだすことです。